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同じ心の呪いを  作者: 天野 さくら
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変わらない想いの、君へ





──四国の片田舎の夜は綺麗。





月と星の輝きはただ黒いばかりの夜空を澄んだ藍色に変え、海は風にたゆたうカーテンのように波が白く膨らんでは光る。




別にそれは四国に限らず、海の見える田舎の夜はどこもそんな夜だろう。




昨日も今日も、明日も、似たような夜が幾度も。





星も月も、その輝きも、人間の寿命程度の時間では何も変わりはしない。昼間だろうが、都会の濁った空気に阻まれようが、見えないだけで月も星もそこにあることには変わりはない。






そんなの人間の手が及ばない普遍の下で生きていると気づいたとき、





少しだけ楽になった気がする。






やっぱり私は、変わることが怖いから。






変わらないことが、できるなら。






あの幸せな時間に縛られたまま、変わらずにいられたら。

そんなことを田舎のアパートの一室で、いつ干したか覚えていない布団の中で思った。そしていつの間にか眠って、長い夢を見た。

もう何年も前の日々を、もう一度生きなおしているかのような鮮明な夢を。身体はこんなに疲れ切っているのに、夢を見る余裕が脳にはあるのか。

違う、逆だ。気持ちも身体も両方限界だからそんな夢を見るんだ。




あの日々が、あの時の決意が、現実を投げ出すことを認めてはくれない。

どんなに傷つこうと、ボロボロになろうと、生きていけと訴えてくる。






夜の終わり、朝の少し前の薄闇の中、そっと瞼を閉じる。そして身体を丸めて自分ひとりに意識を集中させて、私の中を貫く芯となった記憶をたどる。



この記憶がただの過去になってしまうことが、何の感情も伴わないモノになっていしまうのが、怖い。



そしていつかは忘れてしまうのかと思うと──。




「浅木──」




その一番忘れたくない人の名前を呟いてみた。その姿も声も、まだ昨日のことのように私の中に投影できる。



良かった、まだ褪せてなどいない。君がいるから、いつか君に会えるだろう日のため、私は精一杯生きている。





君に逢えるまでは、どうか記憶の中の君は、私の中の君は消えないでほしい。変わらないで、ほしい。

君の色を消えないないようにするには、何度も思い浮かべて、心に焼きつかせるしかない。




「あさぎ、浅木──」





その度に涙が出て、心が軋んで、虚しさと愚かさに気づいても。




何度も描こう。私と君の物語を。貧しい少女とその唯一の救いだった少年の話を。










その物語の始まりは、私がまだ無垢な中学2年生の春頃からになる。思えば、2年の校舎は気持ちの悪いというか、粘ついているのにどうしようもなく切なくなる、そんな空気だった。




端的に言えば皆、自我というものが目覚めて異性の意識の中に自分を組み込んでほしいという思いにあふれかえっていた。

皆、自分の行動は誰かを意識したもので、その思いは化粧や足を強調したスカート、規律を守らない行動の意味そのものだったのかもしれない。





当の私、会沢沙綾といえば、その気持ちの悪い空気の中、息をして存在するのも辛い日々だった。世間一般には思春期と呼ばれる──私は周囲のクラスメイトを見ては思春期ではなく発情期と思っていた。



そんな時期を体験できるのは余裕があるからだ。

その余裕とは、家に帰れば母がご飯を作っていて、なんとないことを話して夕食の手伝いをしていたら父が帰ってきて、ご飯を食べて、お風呂に入って宿題をして、明日にただの妄想でもささやかな期待でも何か明るいものを抱いて眠る、そんな「日本では普通」の家にいるということだ。私の家は「日本では普通」ではない家だった。




私が学校から家に帰ると、母ではなく父がいつも家にいた。夜勤だからとかではない。

自営業とはいえ、単純に仕事がなかったからだ。そして夕方から夜に差し掛かったころ、母が仕事から帰ってきて一息つく間もなく慌ただしく夕飯の支度を始める。

暇というもの、無為な時間という暇はきっと人をゆがめる。一家の生活を支えるというプレッシャーと自身の価値を思い知らされる空白の時間が父を歪め、酒と暴言という典型的すぎるダメ親父となった。母は日々の疲れと夫への不満に耐えるため「沙綾のために離婚はできない。沙綾のためにちゃんとしなきゃ」とまじないのように私の名前を出していた。




そして、そんな環境に耐えるしかない私。お金がないから靴が破れても親にもクラスメイトにも誰にもばれないようにしなきゃ、学校の集金袋はどのタイミングで出せば親の機嫌をそこねないか。

暖かいはずの家族や家というものは、うちでは必至でつなぎ留めねばならない”何か”だった。その何かはつなぎとめ続けていればいつかはまた暖かい家族に戻ったのか。それともさっさと打ち壊してしまうべきだったのか。

どちらがよ良かったのか、は分からない。ただ一つ言えるのは、私は「呪い」をもっているということ。これはきっと、呪いだ。



今からすればそんな生活でもまだ幸せに思えるんだから、たった一つでも思いの強さはすごいと思う。

私は演じていた。学校では内気だがごく普通の女子中学生を。家ではごう普通の中学生の娘として、母の希望として、父がふがいなくともまともに中学生をやっている娘として。

常に私は演じていた。演じていたというと自分に酔っているみたいだから言い方を変える。嘘を真という顔で生きていた。





本当の私は辛くて苦しくて、いつも、死にたいと思っていた。死だけが全てを終わらせる最後の希望のように思っていた。





異性ではなく死に惹かれていた少女が、ひとりの少年に惹かれのは、忘れもしない5月16日のことだった。正に異性に惹かれるという形になるのだが、私は違うとおもっている。思い上がりだとは言わせない。


人を好きになること、その人に誰より想われたいという醜い欲、無意識に渇望していた父性、その人の支えとなりたい、唯一無二の存在になりたい、でもボロボロに壊してみたくもなって、何をしていても隙間からその存在が思い浮かんで、どうしようもなくなって、最後は生きる理由となった。



我ながらとんでもなく愚かで一途で、単純で、強い想いだと思う。

あの同級生達はここまで他人を想ったことがあるのだろうか。






あぁ、今気づいた。






私が気持ちの悪い空気の中で、一番気持ちの悪いセイブツだったのか。







「アイ、おはよ」

5月19日、その日も学校では百子と最初に話をしたと思う。

「モモも、おはよう」

「モモもって言いづらくない?」

「うん、でもそれがいいのかもモモ?」

あの頃は百子のことをモモって呼んでいたんだった。そして、百子に私はアイと呼ばれていた。

私の苗字が会沢だからアイなのだけど、よく余所のクラスの人に名前が愛とか愛子なんだろうと勘違いされた。


百子以外の人には会沢さんとか沙綾ちゃんって呼ばれていた。名前の呼ばれ方くらいなんだって思うかもしれないけど、当時の私も名前の持つ意味の重さなんて考えたこともなかった。



私のことをアイと呼んでいたのは、こんな私を友達として見守り続けてくれた百子と、その日出会うこととなる浅木宗一の2人だけだった。


「アイ、今日も目が腫れてるね」


「うん……私だけ出るんだよね」


百子が私を覗き込みながら言ったのは覚えている。場所は……教室だ、同じクラスだけど席が離れていて、百子が私の机の側に来て話してたんだった。



「真っ赤で、痛いよね?やっぱり」



その腫れた目というのは、私が夜布団の中で隠れて泣いているせいだった。その頃の私は静かに声もなくただ涙を流しながら眠りに付くのが常で、朝起きると瞼が赤くはれ上がっていた。泣きたくなどないのだが、夜になると、一人になるとどうしても泣けてくるのだ。



モモには泣いている理由なんて言える訳がなかったから、ハウスダストのせいだとか何とか言っていた。思えば苦しい言い訳だったから、百子はその時から私の異変に気づいていたと思う。



どんなに仲が良くたって、おかしな理由を言うことになっても、本当のことは言えなかった。家が貧しいせいで、両親の仲が悪くて居場所がないって言葉にして誰かに伝えたら、楽になるってのは分かってる。



でも、その本当のことを伝えられた人はどうすればいい?一緒に苦しませるだなんて、絶対にイヤだった。苦しいのは私一人で十分だ。




何より──


もし、私が助けてと叫んで手を伸ばしても、誰もこの手を取ってくれなかったら?

この苦しみは苦しみなどではない、と分かってもらえなかったら?





誰かに助けてもらえない、分かってもらえない。そんな現実が眼下に広がるのを一番私は恐れていた。


だったら、一人で耐えていた方がいい。



同じ誰にも救われない惨めな私なら、誰かにこの声が届かず枯れていく姿を知らずに一人で耐えていよう。





「そのうち、治るよきっと」

そんな呑気なことを言ったのは、私だったか百子だったか、思い出せない。



その日の1時間目は何事もなく終わって、2時間目も午後も放課後も何も問題なく終わると思っていた。話が始まるのは、ここからだ。



その日の2時間目は体育で、着替える前に私はトイレに行こうと思った。百子は係りで道具の準備があるから先に行かねばならず、私はさっさと用を済ませて更衣室で着替えねば、と教室の窓と引き戸の連なりの前を少し急ぎ目に歩いた。



そして階段横のトイレに入ろうとした時、異質な存在が目に入った。


ここは2階なのだが、3階に続く階段のど真ん中に座り込んだり、手すりにもたれ掛るようにして、男子が3、4人、女子が2人たむろしている。服装は同じ制服を着ているはずなのだが、やたらスカートが短いかと思ったらセーラーや学ランの裾から派手なインナーが当たり前な風で顔を出している。



通行の上でも見た目の上でも邪魔なことこの上ないが、本人たちはそれを目的としているのだろうから尚更タチが悪い。



こういった、ルールに逆行して他者を威圧するようにしか自分を存在させられない人であふれ返るのが中学2年生、思春期だというのなら

思う春などという爽やかな文字をあてた人物のセンスはどうかしてる。そう重い日々に圧迫されていた私は思った。



少しその集団の視線を感じつつ、トイレの扉を押して入る。トイレの中も香水か化粧品の、この場所の用途とは無縁の香りが立ち込めていた。その時の私には分からなかった。みんないつの間にこんなに他人を求めて、自分の線を濃くして欲しがってばかりいたのか。今の私には分かる。

それが分かるようになる瞬間は、間近だった。




用を済ませて、目が腫れているのを見たくなかったから鏡は見ずに手を洗って、トイレのドアを引く。気配からして例の集団はまだいるようだった。




さっさとその場を離れてしまいたかったのだが、



「会沢さん」



その一団の中の女子に呼び止められた。静かな階段前では、私を小馬鹿にしているような笑いを含んだその嫌な声はよく響いた。



「…何?」



スラリというよりはひょろりとした足を無駄にさらけ出して、高く盛られた髪に引きつられたように大きく開かれた目。



隣のクラスの高塚希だった。



「会沢さん、目ぇ見せて」



そう言って今まさに気にしている所を覗き込まれて、思わず「えっ」と小さな声が漏れた。




「まぶた、真っ赤っかだね」



何が楽しいのか高塚はニヤニヤしている。



彼女だけでなく、他の奴らも。彼女らの頭の中では、私とは対等には思われていない。

私が見世物になっている構図だと誰が言うでもなくはっきりしていた。




「え、えっと…」



なんて言えばいいのだろうか。ハウスダストだなんてこと、本当は有り得ない。百子にさえ通じているのか怪しい理由が、今動揺した声音で言って通じるものか。



「それ、化粧?」



良かった、この高塚はただの色気ボケなんだった。彼女達は私のまぶたの上が赤いのは、下手な化粧によるものだと思っているらしい。



だから私は、自分でも驚くほど優しく微笑んで、



「ううん、違うよ」



そう否定した。なぜ笑えたのかた言うと、所詮私の目も心情もこんな色ボケ共に理解できるはずもないと分かった時、こんどは私が彼らに優越感を抱いたからだった。



徒党を組まなければ何もできない子供達と、内なる苦しみを秘めて「普通」のフリをする私。



そうやって私はいつの間にか他人を否定して見下すことで、何とか自分の境遇に押しつぶされぬよう支えてていた。



「えぇ~」



声の音程を上下させて、わざとらしくいぶかしむ。そんな声を出したら自分は可愛く見えるだなんて思っているんだろう。



そもそも目を化粧しているのは高塚のほうだった。高塚は目の横幅が人より短いことを気にしてか、目を幅の広い二重に糊付けしている。


目頭の赤い粘膜が覗くほど持ち上げているので目が常に引きつっているようで、涙目気味だった。そんな横に短い目を縦に伸ばしたその形は何だか貝のシジミを思い出させた。



彼女の顔を間近で見ることになったこの時以後、私は心の中では高塚をシジミ目と呼ぶようになった。


彼女が私の目がじっと見て腫れだと気が付かないなら、それこそ二重の化粧のせいで目の役目に支障が出ているのかもしれない。



高塚、もといシジミ目はまだ何か言いたげではあったが、チャイムが鳴った為それは制された。


マズイ、次の授業は体育なんだから急がないと。



「授業めんどくさーっ!!」



高塚の頭にはわざわざ私を呼び止めたことなど、とうにどこかへ行ってしまったらしい。私には目もくれずにダラダラと教室へ向かい始めた。



「ちょ、希はやい~」




歩いているんだから別に早くはない。即座にそう突っ込みを入れてしまいたくなるようなことを言って、高塚の親友らしい戸田志保が彼女を追う。



あ、体育館へ行くには教室の前を通るからこの人らとしばしの間並んで歩くことになる。それは嫌だ。こんな人たちと一秒でも一緒にいたくはない。



仕方なしに、廊下を走るかと思った時、




「会沢」




すっかり忘れていた、高塚と戸田と一緒にいた男子に声をかけられた。



斐川傑。このグループのリーダー格で「ひかわすぐる」という漫画だったらどこかの御曹司のような名前の癖に、出で立ちは絵に描いたようなヤンキーで中身もそうだった。学ランの前ボタンは全開で、下の白いシャツではない自前の赤いインナーがまたよく似合っていた。




これが斐川と初めてまともに顔を合わせた時だったと思うが、まさか後々、私は斐川に対してあんなひどい仕打ちをしてしまうとは、この時の私は知る由もなかった。



彼は今、私のことをどう思っているのだろうか。私がした仕打ちを覚えていようが忘れていようが、私がしてしまったことは消えない。




「…何?」



ここで下手に感情を出そうものなら、突っかかられると思いわざと無機質に返事をした。心の内では彼のその姿も行動も小バカにしてたけど。



「べっつに?」



自分から話しかけたくせに、すました顔で斐川はそう言い私の前を通り過ぎると何とも形容しがたい香水の香りがした。



…じゃあ話しかけんなよ、と私がイラっとして一つ間を置いた後だった。




その瞬間が、私と浅木の関係の幕が開ける時だった。





小学校は別で、中学になっても違うクラスだったけど、お互いに名前と姿くらいは知っていたと思う。本当に、初めて私が浅木宗一という存在を知ったのはいつだったのだろう。



知ったのはいつだかわからないけど、出会ったのは、間違いなく、この時だった。



高塚や斐川たちの集団の中に、彼はいた。



正直言うと、視界には入っていただろうけどその場に浅木がいたということに私は気が付いていなかった。



赤いインナーも着ていなければ整髪剤で整えられた髪型もしていない、香水の香りもしない。

彼はその集団の中では異様だった。



彼の姿は本当に、どこの学校にもいそうな少年だった。


斐川の後に続いて浅木が立ち尽くす私を追い抜こうとすると、僅かな風が出来て不快な香りが少しやわらいだ。



私は彼がすぐ側にいた事に驚くと同時に、彼は私の赤い目元を軽く覗き込む。瞬間、目が合って私はたじろいだ。




目を見られたことに対する恥ずかしさや、顔をそむけるべきかどうするか、とか一瞬でいろんなことが脳内を駆け巡った。





でも、彼の発した一言で、私の思案も香水の気だるい香りも、全部まっさらになった。







「ホントだ…ウサギみたい」






フフッと小気味良く笑いながら彼はそう言った。



高塚や斐川、そして私が浮かべた他人を見下すような笑いではなく、何か面白いことを見つけた子供ような、そんな笑顔だった。





私はその笑みにずっとずっと救われ続けることになる。





私の悲しみが具現化したような赤い目を、何も知らないとは言え明るく表現したその衝撃に、私はただ立ち尽くしたまま浅木の背中を見つめ続けていた。





それからしばらくして、一向に姿を見せない私を探しにきた百子に叱られても、私は浅木とウサギのことで上の空だった。




目の赤いウサギは、この時2つ目の呪いをかけられた。1つは生まれついて宿していた負の呪い。2つ目は彼にかけられた幸せの呪いだった。





私の心は今も、目を赤くして学校の階段脇で立ち尽くしているのだろう。浅木の背中を、影を、ずっと追っている。






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