選んだものは
教室の隅で、女子の視線をちくちくと感じながら頭を抱えていた。
おれが何をしたって言うんだろう。出てくるのはため息ばっかり。付き合うってこんなにめんどくさいもんなの?
「あーらら。大変そうだねえ」
ちっとも同情心などかけらもないという声で、真有希が肩を叩いた。おれの恨めしげな目をものともせず。
ここにいて、凜子以外の女子としゃべっていたら何を言われるかわからない。おれはそっとアイコンタクトだけで必死に真有希へと合図を送った。とにかく教室っつう檻からは出ようよ、と。
「何やらかしたんだか。まさかもう浮気?凜子ちゃん、泣いてたんだって?大騒ぎだったよ、今朝の女子たち」
誰が浮気だ。そもそも、つきあい始めたのだってまだ数週間。『彼女』としての凜子のことなんて何にも知らない。
「…手紙の返事が気にくわないんだと」
手紙!?このご時世に?真有希は図書室の端っこで本を選んでいるようなフリをしながら、小声であからさまに嘲笑った。
…なんだよ、自分の方こそメールとかが似合わないような前世代っぽさ持ってるくせに…
いい言葉で言い直せば、大人っぽいのか。
同じ中学から進学した真有希とは、ときおりこうやって話す程度。そのたびにいつも冷笑されている気がする。
「手紙はいいんだけどさ。彼女の怒りのポイントが理解できねえ」
彼女、のイントネーションをわざと平坦にする。ちょっとだけ気恥ずかしかったけど、真有希の前ではこう言った方がいい気がしたんだ。…なんとなく。
異性と言うより腐れ縁の中途半端な友人は、何も言わずに目だけで「それで?」と訊き返してきた。
おれは、意味もなく深いため息をついた。
「要するに、あいつはとんでもなく色ペンを駆使した目チカチカもんの手紙つうかメモを寄越した。たわいもないことしか書いてないみたいだったし、ホントのところ解読不能だったから放って置いたら、返事を書けとなぜか周りの女子から叱られた」
「それでも返事書かなかったんだ」
真有希の冷ややかな笑いは止まらない。冗談じゃない。こっちだって付き合うことを承諾した手前、努力はしたさ。
「ちゃんと書いて渡した。したらそれ見て泣き出しちまって」
意外そうな表情を浮かべる真有希に、何でかどぎまぎして目を逸らす。
「おれさ、普通にシャーペンで書いたんだよね。メールに書くようなことを。昨夜何を食って、どんな音楽聴いたとか、そんな当たり障りのないこと」
なのに凜子は、直接渡しに行ったおれの目の前で手紙を開け、中身を読む前にじわっと涙をにじませた。
そのあとは、走って仲間のとこに行ったまま泣きじゃくってる。
「訳わかんねえよ」
本気でうなだれるおれに、真有希は持っていた本をそっと閉じた。
「彼女が言うにはさ、シャーペンで書くなんて信じられないんだと。あたしは祐介君のことが本当に好きだから、一生消えないペンで丁寧に書いたのに、消しゴムですぐ消えちゃうシャーペンでなんてあり得ない。あたしのこと、その程度にしか思ってなかったんだ…って言われても」
別に何で書こうといいだろうという気持ちと、何でここに一生とかその程度とかそんな単語が出てくるのかが、全く理解できずにいた。
「あんたって、何も考えてないもんね」
なぜか静かな呟き。真有希は遠くの窓へ視線を向ける。
「幼稚園の子がね、家族の絵を描いたんだって」
お得意の脈絡が見えないぶっ飛び話か?だから真有希は女子と群れない。孤立してる訳じゃないけれど、つるむことができないんだろう。本人側の事情で。
「で?」
ヤケになって、むっとした顔も隠さずにおれは続きを催促した。こいつの話は聞けるのに、どうして凜子の話は聞き続けることができないんだろう。
「その子は、家族の顔を紫一色で塗りつぶした。すぐさま先生は親を呼んで、何か家で問題があるんじゃないですか?って問い詰めたんだって」
心理学の絵画診断ってヤツ…か。よく小さい子の絵には心理状態が現れるとか何とか。
「親はもうあわてちゃって、すぐその子にじっくり訊いてみたらね」
…だって他の色はみんな短かったから、いつも使わないで残してた紫で塗ったの…
得意げに語るその子の言葉に両親は大笑いして、幼稚園の教師からは卒園まで目をつけられたんだと。
「ホントかよ」
苦笑いのおれに、だってあたしのことだもん、とさらりと真有希は言った。おれの言葉が止まる。
「何で描くか、じゃなくて何を書くか…なのにね。筆記用具を選ぶ本当の理由なんて、本人でさえわからないのに」
何となく、真有希が人と群れない訳がわかったような気がした。正確にはわかった気になった。
「おまえとならずっとしゃべってられるのにな」
これは本心だった。凜子は可愛いしいつも楽しげだし、照れたようにおれの横を歩かれると悪い気はしない。でも、アイドルの話と友達の噂話は三日で飽きた。
「あたしは、祐介の『彼女』じゃないからね。だからじゃない?」
「どういうこと?」
かなり真面目に問い返してしまった。発した言葉は戻せない。けれどその微妙な空気を…真有希はキレイに遮断した。
「シャーペンの字ってさ薄いじゃん。だからすごく目を近づけないと本当に書いてあることが読み取れない。たぶん凜子ちゃんは、その不安定さが怖かったんだと思うよ。もちろんそんなこと本人も意識してないだろうし、あたしも適当に言ってるだけだけど」
目の前にいる真有希の言葉は、プリントアウトされたワープロソフトの文字みたいにはっきりとしているのに。こんなにもよく伝わってくるのに。
それでもおれは、何も言うことができなかった。きっとそんなことさえも、真有希にはすべて見えてしまっているんだろうな。
「あんたはいつもHの芯で書く。内容が読み取れないように。彼女が心細くなる気もわかるし、そのままでいいとも思えない」
何でさ?薄い字でもこうやって読み取ってくれる人がいるのに。それで気持ちが通い合うことだってできるのに。
真有希はちょっとだけ息を吐き出すと、持っていたカバンからペンケースを取り出した。へえ、こいつも女子っぽいキラキラ系の筆箱なんか使うんだ。ちょっと意外だ。
そんなおれの思惑をよそに、中から名前ペンみたいな細書きのサインペンを取りだした真有希は、それをこちらへと差し出した。
「たまには自分から、しっかりと濃い字で気持ちを書いてみたら?凜子ちゃんは、本当はアイドルが好きなんじゃなくてコアな映画ファンかも知れないし、アニオタかも知れない。小説をヤマほど読む子なのかも知れない。たまたま、持っていたクレヨンが紫だっただけで、実際よく話してみたら祐介とわかり合える子なのかも知れない。やる前からあきらめてどうすんのよ」
つきあい始めは、表層をなでるだけ。凜子もまた、おれを掴みそびれているだけなのかも知れないってことか。
「レターセットもやろうか?」
おせっかいな姉御に声を掛けられ、おれは首を横に振った。
「ノートの切れ端でいいんだよな。正直な気持ちをこのペンで書けと、おまえはそう言うんだよな」
真有希なら何もかもわかってくれる。でもそれはきっと、恋愛感情じゃない。
おれはサインペンを差し出す彼女の手の、微かな震えに気づかないふりをした。あえて。
凜子が好きなのか、ずっと付き合いたいのか、そんなことはわからないけれど。今は真正面からぶつかっていってみよう。
「借りるよ」
「それ、あげる。あたしからもらったなんて、絶対に言わないでよ」
間髪入れずにそう応えた真有希は、本の世界へと入り込んでいった。おれにはもう見向きもせずに。
おれは……ちょっとだけ小さく首を振ると、教室へ向かった。
凜子という『彼女』のいる教室へ。真有希からもらったサインペンという最強の武器を携えて。
<了>
北川圭 Copyright© 2009-2010 keikitagawa All Rights Reserved
たかが文房具と言うけれど、心情を伝えるには有効な小道具なのだと書き終わってから気づかされました。物語の断片をすっぱりと切り取ったものが短編掌編だと自分は思います。この小説もノンプロットでお届けしております^^着地点は登場人物のものだから。