-歩-
大きな伸びをし終え、俺は右手に持った財布を深くジーンズのポケットにしまった。
「これからは歩きか……」
ため息交じりの呟きは田舎の空気にむなしく溶けた。そう、これから先は徒歩なのだ。しかも、40分弱も歩くと父が教えてくれた。しかし、一日中乗り物三昧だったので俺は一刻も早く体を動かしたかったので、気分は「早く動きたい!!」だった。40分弱の徒歩はむしろ嬉しい……。
そんなことを思っていると、俺の顔に木々の間から漏れてきた夕陽が当たった。その夕陽はぬるいようで温かかった。何だろう、包むような……。俺はその温かさに気づき、木々の間からその夕陽を見た。とても情熱的に燃えているような赤、でもそれは俺を包むようなやさしい赤で。木々の間を貫くような強い夕陽の光、でもそれは木々の間をやさしく通る衣のような光で……。夕陽なんていつでも見るのに、この田舎の夕陽は違った。何でだろうか。この感覚がわからない。そして、ふと俺は思った。
(父さんが言った「答え」を知ればこの不思議な感覚もおのずと分かるのだろうか。そもそも俺にその答えは分かるのだろうか。見えるのだろうか。触れられるのだろうか……。)
景色を見て、綺麗だ、と感動するのとは少し違う。なんとも表現しにくい「何か」がある……。と、しばらくは夕陽を見ながらその感覚の正体を探っていた。しかし、すでに日が傾いているという事に気づき、俺は伯父さんの家に向かって歩き始めることにした。
歩き始めて30分くらいだろうか。
俺はひたすら歩き続けていると、おじいさんが一人、向こうの方から歩いてきた。このおじいさんはこの田舎にきて、初めて見た人だった。あまりにも人がいないので無性に怖くなってきたので、おじいさんを見かけたときは安堵した。安堵した瞬間に「ここは本当に田舎なんだな……」というこれから先俺はここに馴染めるのかという不安と、人を見かけないくらいで怖気づいていた自分に悲しさを感じた……。やはり、人が忙しく行き交う中で過ごしていたせいなのか。それとも、ただ単に俺が臆病なだけなのか……。さっきの不安の原因が前者だった場合、俺は無意識のうちに不特定多数の人間の存在に安堵を感じていたということか?そして俺はその人たちの中に隠れて、流されるままに生きて……。
都会にはいつも誰かがいる。人が絶えることは無い。都会のどこかでいつも人は行き交っている。その行き交う人たちに自分は甘えていたのか。自分の知らないところで……。
「こんばんわ。」
向こうから来たおじいさんは以外にも俺に挨拶をしてきた。確かに人っ子一人もいないこの通りで人に逢えば挨拶くらいはするだろう。だが、俺は考え事をしていたせいもあって、すぐに対応できなかった。
「あ。こ、こんばんわ」
「ん?君は男の子かい?」
「はい」
「なんと。そうだったのか。てっきり、わしゃあ、女の子かと」
「よ、よく間違えられます。」
「ほう。そうかそうか。こっちにはどんな経緯(いきさつ)で来たんだい?」
「こちらに自分の伯父が住んでいまして、訳あってその伯父の家に住まわせてもらうことになったんです。」
「古野です。古野 秋(ふるの しゅう)です」
「古野さん?どっかで聞いたような……。ふるの、古の、ふる野、古野……あ。もしかして、古野 文秋(ふるの ふみあき)さんのご親戚かい?」
「はい。ご存知なんですか?」
「まあな。文秋さんとは将棋仲間だからよく指すんだよ」
「文秋伯父さん、将棋やるんですか?」
「知らなかったのかい?文秋さんは強いよ。本当にようやるわい」
「そうだったんですか。知りませんでした」
「文秋さんに聞いてみるといいさ。おっと、つい話が長引いてしもた。歳をとるとおしゃべりになってしもうて。すまんなぼっちゃん。わしは柳井 賢三じゃ。文秋さんによろしく言っといてくれ。それじゃ、ぼっちゃんまた今度」
「はい。さようなら」
おじいさんは俺にそういって微笑みかけると、俺と反対方向にゆっくりと歩いていった。人当たりがいい優しそうな人だった。始めて顔を合わせた人間にこうも親しくしゃべれるものなのか?俺には出来ない。やはり、人が良い人ではないとここまで歳の離れた他人と話せないだろう。俺は今のことに少し感動しながら歩いていった。
それから数十分歩き、伯父の家に着いた。
「……やっとついたか。表札は……よし、間違いない」
立派な表札にはしっかりと古野と彫られていた。
「大きい家だな……。門まである……」
家の大きさにかなり驚いた。伯父さんの家は近隣の家と比べてもかなり大きかった。会社の社長か政治家を思わせるような位の大きさ。家のつくりは立派な日本家屋。見たところどうやら、近隣の家も日本家屋が多い。
俺はその日本家屋が新鮮に感じた。今では日本家屋も少なくなってきているからだ。見かけることはしばしばあるが、前に比べるとだいぶ減った。都会の中心部に行けば、日本家屋なんてのは居酒屋に使われているものくらいしか見ない。
様々な身近なものが便利なものに進化していく世の中。一般家庭のカラーテレビ普及率100%、小学生でも5分かからず今日の情勢を知れる世の中、一人一台携帯電話とパソコンを持つのも今じゃめずらしくない。一般家庭で3Dを見れるのも近いだろうと言われている世の中。何が言いたいのかというと、進化しているのは住居も例外ではないということ。高層マンションや少し奇抜とも取れる2階、3階建の家。こういった日本古風のものが新鮮に見える時代……。日本古風のものを保護しようと必死になる人、現代の便利さを否定する人、現代の便利さを素晴らしいと思う人、現代の便利さに恐怖すら覚えてしまう人、様々であると思う。俺はどうかというと、現代の便利さは良いと思う。進化している時代になんら不満も抱いていない。ただ、「流れ」に任せるだけ。
だけど、この田舎の夕陽を見て、田舎の道を40分弱歩いていて、そうしたら一人のおじいさん会って、やっとのことで日本家屋の伯父さんの家の前に着いて……。その中で、現代の便利さに浸かっていたら分からない「何か」がこの田舎にはあった。この田舎でしか感じられない「何か」が。それは、夕陽の温かさや自然の豊かさや他人と話をしたなどと言った簡単なものである。だが、都会でもこういったものは日常の中でも容易に見つかるものだろう。しかし、俺は都会でこの田舎と同じように夕陽を見て、自然を見て、他人と話しても、「何か」は感じなかったと思う。何が違うのかは分からない。景色に感動したとか、田舎の人は良い人だとか、そういう短絡的なことではない。
もっと……もっとこう……。
俺はもどかしかった。「何か」が表せられないことに。何かモヤモヤしている。表したくても表せられない。そして、俺はもう気づいていた。「何か」が「答え」だと。父さんはこの田舎の絵(けしき)を見れば答えが出ると言っていた。すぐに来る秋(あき)の季節を、色づく秋の絵を見れば答えは出てくるのだろうか……。っと、もう癖になっているのかもしれない。「答え」についての追求が。すぐさま思考を止め、そろそろ伯父さんの家に入ろうと門を開けて玄関に近づこうとした時、伯父さんの家から鼻歌を歌いながら女性がでてきた。
「秋(しゅう)くんまだかな~、秋くんまだかな~♪」
ノリノリだった。
「……くんまだかな~、あ。えっと、もしかして秋くん?」
歌ってる途中で俺に気づいたようだ。
「ご無沙汰です。文江さん。秋です」
俺ははにかみながら一礼した。
「嘘……!?こんなに大きくなってっ……。今何歳になったの?」
「16歳になりました。高校2年生です」
「すごいわね……。こんなに大きくなってるとは。全然秋くんってわからなかった」
「ありがとうございます」
「いや、あと、その、女の子かと思っちゃった」
「はぁ。確かに間違えられます」
「前あったときも最初女の子かと思っちゃったしね。小さくてかわいいから」
「どうも……」
「あ、ごめんなさい。それにもうここじゃ寒いわね。あがってあがって」
「ありがとうございます。お邪魔します」
「あら。行儀がいいのね。でも自分の家にお邪魔しますって言うのも変ね。おかえり、がいいんじゃないかしら?」
「そ、そうですね。おかえりなさい」
小さい声で俺はそういった。さっきの柳井さんやバスの運転手と同じようなやり取りはいつものことなので俺は深く考えないようにする。今話した人は文秋伯父さんの妻、文江さんだ。最後に会ったのは母の葬式のときだ。あまり記憶に無いのだが、良い人だということに間違いは無い。
そうして玄関に入ったわけだが、とても広かった。少なくとも俺が住んでいたマンションの玄関の3倍はある。なんて、驚いていたら「さあ、あがってあがって」と言われたので急いで靴を脱ぎ、すばやく並べた。「あら。行儀良い」とまたもや褒められた。褒めて伸ばすタイプ?なんて、くだらないことを考えながら、文江さんについていった。どうやら居間へ向かっているそうだ。
「たぶん。あの人が見たらびっくりするわっ。こんなに大きくなってるなんて分からないでしょうから」
「でしょうね。前にあったときから随分と時間が経っていますし……」
「ああ。お母さんの事、思い出させてしまった?」
「いえ。そんなことはありません」
「そう……。それにしても、秋くんは本当に行儀がいいのね。しっかり敬語を使えるし。でも、これからずっと暮らしていくのに敬語は苦しいでしょう。だから、敬語なんてつかわなくてもいいのよ」
「い、いえ。とんでもないです。このままで全然」
「そう……」
文江さんは少し残念そうな顔をしたが、こちらとしては敬語を使わないなんてとんでもない。文秋伯父さんは特に厳格な人と言うわけでもないけど、文秋伯父さんにタメ口を聞けるほどの度胸は俺には備わっていない。無論、文江さんにもだ。
「でも、家族よ。一緒に暮らすんだもの。私のことはお母さんだと思ってくれていいし、あの人のこともお父さんのように思ってくれて良い。もちろん、あなたのお父さんも家族よ」
「あ、ありがとうございます。嬉しいです」
「いいえ。だからこれからは、私のことをなんならお母さんって呼んでも全然いいのよっ」
「あ……いえ、それはちょっと……」
「そっか。それはさすがに難しいか」
「はい。このまま文江さんとお呼びさせてもらいます」
「あら、そう……」
文江さんはそういって肩を落とした。文江さんは良い人なのだが、この調子にはどうも合わせづらい。こういった明るい性格なので、自分もそこまで緊張することもないのだが、どうも……。
文江さんは再び元気を取り戻し、俺を居間まで案内してくれた。そうすると、どうやら、居間のところに着いたらしく文江さんが立ち止まった。というか廊下が凄く長いので驚いた。そして、俺は久しぶりに伯父さんに会うので、緊張していた。
「あなた~秋くんよ~」
そういって、ふすまのドアを少し開けて、入っていった。どうやら先に文秋伯父さんに俺が来たことを説明するらしい。そうすると、新聞を片手に将棋盤に駒をせっせと置いている文秋伯父さんがチラッと見えた。確かに柳井さんの言うとおり将棋が趣味だということが分かった。文江さんの声を聞くと、新聞を閉じて「お、来たのか?」と言っていた。
「びっくりするわよぉ~」
ふすま越しに聞いていたが、文江さんはなんだかとても楽しそうだった。
「でっかくなったのか?どれ、早く会わせろ」
文秋伯父さんもなんだか楽しそうだった。
「それじゃあ、秋くん入ってきて~」
と、文江さんからお呼びがかかった。そして、俺は緊張しつつもふすまを開けた。そして、居間の中に入った。そして、文秋伯父さんの方を向いた。すると、文秋伯父さんは怪訝な顔してこう言った。
「あれ?お前って女だったっけか?」
なんとなくいわれるような気はしてた。すると、文江さんが弁解してくれた。
「違いますよ。秋くんは男の子ですよ」
「ええ??明らかに女じゃねえか。美人さんだし」
「あなた失礼ですよ。秋くんは男なんです」
「そうなのか秋?」
「はい。お、男です」
「あ。声はちょっと低いな。それじゃあ男なのか。全然見えないな」
「アハハ……よく言われます」
「ちょっと、あなた失礼ですよ!そんな風な言い方は」
「それじゃあ、文江は間違えなかったのか?」
「あ、いえ、間違えました……」
「そら。間違えちまうって誰でも」
「だからってそんな言い方をしたら秋くんが傷つきます!」
「ああ。分かった分かった。秋。悪かったな。だが、それにしても中性的な顔立ちだな」
「ええ。初対面の人に間違えられます」
「確かにそうだな。まあ、お前はちびっ子の時から女の子みたいだったからな」
「はあ……」
「まあでも、美形だからいいじゃねえか。男っぽくしてれば女は寄ってくるぞ」
「アハハ……」
「確かに秋くんは綺麗な顔立ちですよね~」
「あ、ありがとうございます」
俺は結構傷ついていた。俺は昔から女の子に間違えられる。顔が中性的なこともあるし、少し髪が長めだということも理由のひとつだろう。俺はこういったように女の子に間違えられるのが一番嫌だった。もちろん、そんなことは文秋伯父さんや文江さんには言わないが。
「あら。秋くん照れなくてもいいのに。ん?その背中に背負ってるのは荷物?」
「はい」
「それじゃあ、あなた、私その荷物を秋くんの部屋に運んできますね」
「あ。自分でやりますよ」
「いいのよ。ん?これもしかしてギター?」
「はい。クラシックギターなんですが、お邪魔になりますか?」
「いやいや、違うのよ。まさか秋くんもクラシックギター弾けるとはねえ」
「え?だれか、ギターを弾ける人がいるんですか?もしかして、文秋おじさんですか?」
「いやいや。俺は違う。弾けるのはお前のじいちゃんだ」
「え?おじいちゃんがギターを弾いてたんですか?」
「まあな。兄貴はいっつもバカみたいに弾いてたさ。お前がギター弾けるのもさしずめ、お前の父さんが子供の頃に兄貴から習った影響で、お前にも教えたんだろう」
「はい。父さんからギターを教えてもらいました」
「それじゃあ、秋くんは三代目なのね!」
「三、三代目?」
「そのようだな。じゃあ、ちょっと弾いてみろ」
「まあ。いいかも。聞いてみたい」
「分かりました。でも、全然上手じゃないので期待しないでくださいね」
俺はギターケースからクラシックギターを取り出した。そして、ギターケースから音叉を取り出した。
「音叉でチューニングするのか。それも親譲りか? 」
「はい。父さんから教えてもらいました」
「どうりで」
伯父さんはそういってにやけた。俺は音叉を鳴らして歯で噛み、音を合わせた。
「では。粗末な腕前ですが……」
俺は父さん以外の人には演奏するのは初めてなので、かなり緊張するが、これからお世話になる2人のために、頑張ってみることにした。
「あらまあ……」
「さすが三代目だけのことはあるな……お前の父さんのは聞いたこと無いけど」
どうやら喜んではもらったようだ。緊張したが指はわりと動いたので良かった。
「秋。それだけの腕があれば金取れるぞ」
「そ、それは無理ですよ」
「いや。ギターに疎い私でもうまいってわかったくらいだもの、すごいわ」
「と、とんでもないです」
俺は赤面してしまった。普段から俺は特にとりえも無いので褒められたりすることがないので、嬉しかった。すると、文江さんはいきなり何かを思い出し、立ち上がった。
「あら。いけない。お料理の準備中ってことすっかり忘れてたわ。秋くんのギターに聞き惚れていたら」
「ア、アハハ……」
「では、ちょっと夕食の用意を」
「それじゃあ、先に部屋の様子を見てみろ。あと荷物も置いてこい」
「は、はい。」
「そんなに使ってなかった部屋だからな。まあ、文江が掃除してたから大丈夫だ」
「そうなんですか。わざわざありがとうございます」
部屋の場所は文江さんが2階にあがって右側の真ん中の部屋と丁寧に教えてくれた。ギターをケースにしまって再び背負った。2階の……右側の……真ん中の部屋…っと。どうやら着いたようだ。ドアを開けると想像以上の部屋の大きさにびっくりした。部屋の大きさだけで住んでいたマンションのリビングくらいありそうだった。部屋は綺麗に整頓されていて勉強用の机もベットも置いてあり、中央には勉強用とは違ったテーブルが置いてあり……。部屋は床も壁もピカピカだった。部屋に見とれている途中、勉強机を見て思い出した。勉強道具などその他の物はどうするんだろうか?たぶん、後から父さんが送ってくるはずだが。しかし、
「でかいベットだな……」
俺は誘惑に負けて、ギターケースを壁に立てかけてベットに倒れこんだ。ふかふかで気持ちよく、一日中乗り物に乗り、40分近く歩いたので、あまり感じてはいなかったが体はかなり疲労していたのだろう。軽くめまいがした。そして、急激な睡魔が襲ってきた。いつしか俺は眠ってしまった。
夢を見ていた。自分でも夢を見ていると分かった。寝転がっていると突如睡魔が襲ってきて寝てしまったんだと直前までのことを思い出していた。
そして、自分は田舎にいた。夏だろうか。葉は目が痛くなるような緑で、真上にある太陽は地面を焦がしている。どこかで見たような景色だが、今自分がいるこの場所が思い出せない。しかも、自分の視点が低いことに気づいた。ふと、自分がどんな姿をしているのかと思って、視点を自分の体に向けようと思ったら出来なかった。視点は変えられなかった。体が動かないというよりかは、この絵のような景色の一部になっているような感覚。
「お久しぶりです……」
遠くで声が聞こえた。男の人の声。何かしゃべっているようだが「お久しぶりです」しか聞こえなかった。どこから声がしているのかも分からなかった。その声は何かこもっているようなそんなふうに聞こえた。
「あらあら……」
また遠くで声が聞こえた。さっきとは違う人の声。女の人で少々歳をとっている感じ。さっきの声もそうだが、誰かに似ているような気がしたが、分からなかった。
「それでは……」
さっきの男の人の声がまた聞こえた。どうやら会話が終わったようだ。やり取りからしてそんな感じがした。すると、見ていた景色が大きくぶれた。
(何だ!?何が起きた!?)
俺は声が出せず、その動揺は自分にしか伝わらなかったが、今しゃべっていた人たちは特に驚いているような声はしなかった。すると、大きく揺れながら景色は回るように変わった……。
揺れが止まった。ひとまず大きな揺れが止まったことに安堵し、再び景色に集中した。すると、その景色には目が覚めるような自然の中に、優しく微笑んでいる父さんがいた…………。
夢はそこで覚めた。