恋愛バーサーカー
『さて、まずは詳しい話をしよう。とりあえずキミの部屋に案内してくれるかな』
「する訳ないでしょ。バカですかアンタ」
『酷いことを言うじゃないか。一応、私はキミを危機から救った恩人なんだけど?』
「それついては、ありがとうございます。でもソレとコレとは別の話でしょうよ」
不審者ガスマスク女こと佐久間輪は、さも当然のように俺が暮らすアパートの前で『案内してくれ』などと宣った。
勿論、案内なんてする訳がない。
助けてくれたことについては素直に感謝している。が、だからといって不審者の要求をバカ正直に飲もうとは思わない。
恩着せがましい言い方をしてくる佐久間輪に、俺は警戒心を剥き出しにしたまま首を横に振った。
というか、
「そもそも、なんで俺の家を知ってるんですか。めちゃくちゃ怖いんですけど」
「なぜって? それは私が天才だからさ」
「頼むから会話してくれませんか?」
「いや、真面目な話すると教えられないんだよ。悪用されると困るし」
「なるほど、説得力が違う」
どうやらこの女、端から口を割る気は無いようだ。
飄々と答える佐久間輪の態度に、俺は追及しても無意味と悟る。
まあ、この際どうやって家を知られたのかは重要じゃない。すごく気にはなるけど、手遅れな以上そこに拘っても意味はないだろう。
それより意識を向けるべきは、彼女が何を企んでいるのかについてだ。
遠回しに探りを入れても時間の無駄。だから俺は、ストレートに尋ねる。
「で、アンタの目的は結局なんなんですか。今朝もそうでしたけど、何の用があって俺に絡んでくるんですか」
「それも含めて説明しよう。ただ、少し長くなるだろうからね。であれば、ゆっくり腰を据えられる場所が必要とは思わないかい?」
「だから俺の家でもてなせ、と」
「ま、どうしてもというなら無理強いはしないけどね。私自身、断われても仕方のない出で立ちをしている自覚はあるのだし」
俺は、その言葉にとても驚いた。
この人、自覚あったんだ。
一方、佐久間輪は、目を丸くする俺にこう続ける。
「ただし一つだけ忠告しておこう。拒否した場合、キミは一人であのカッターナイフ少女を相手することになるよ」
「……普通に警察を呼べばいいのでは?」
「目先の問題にだけ対処したいなら、それでもいいだろう。だけど根本的な解決にはならないよ」
「根っこの一部がなぁーに言ってンですか」
「なら一つ訊くけどね。あのカッターナイフ少女は、初めから”ああ”だったのかい?」
「……ああ、っていうのは?」
「納得いかないことがあると、あんな風に危険な癇癪を起こすような子だったのかってコトさ」
「それは……無かった、ような」
佐久間輪にそう問われ、俺は答えを言い淀む。
傍目から見た普段の犬養さんは、元気で明るい愛嬌フレッシュな子という印象だ。
俺が関わると雰囲気がおかしくなることが度々ありはした。それこそ今日、クラス分けの結果を見た時みたいに。
まあ、それについては十中八九、俺の超モテ男体質による影響だろう。ノーカンでいい。
問題なのは、それを加味してもあそこまでの攻撃性を見せたのは今回が初めてということ。
思い返せば、中ニのバレンタインに俺を原因とした刃傷沙汰が起きたことがある。あの頃とはシチュエーションも人間関係も違うけど、多分これは、それと同種の異常と捉えるべきなのかもしれない。
心当たりが浮かぶにつれて、俺は返す言葉の勢いを失くしていく。
その反応を見た佐久間輪は、確信めいた声色で告げた。
『やはりね。であれば、あのカッターナイフ少女は間違いなく”恋愛バーサーカー”状態になっていると見ていいだろう』
「また頭の悪そうな単語が出てきましたね」
『実際、中々にイカレた症状だからね』
そう前置きして、佐久間輪は続ける。
『恋愛バーサーカーとは、ザックリ言うと好きになった相手に対して病的なまでに執着してしまう状態のことさ。好きが高じて加害すら厭わなくなる、所謂ヤンデレに近いイメージだね。……そもそもヤンデレについて説明は必要かな?』
「いえ、大丈夫です。ていうか”近い”ってことは、普通のヤンデレとは違うんですか?」
そもそもヤンデレに普通も何もあるのかと、自分で言っておきながら違和感。
だが、そこは本題じゃないので一旦置いておく。
佐久間輪も、それを理解してか特にツッコミを入れることなく頷いた。
『ああ。恋愛バーサーカーの恐ろしいところはね、相手に向ける想いに比例して徐々に身体能力が上がっていくことなんだ』
「…………は? 身体能力が上がる? どういうことですか」
『理性が衝動を抑えきれなくなって、俗に言う”脳のリミッターが外れた”状態になるのさ。とはいえ、ただ理性を失うだけじゃ脳のリミッターが外れたりなんてしない。それを引き起こす原因になるのが』
佐久間輪は、そこで一旦言葉を区切る。
そして真正面から、こちらを向いた。
きっとガスマスクの向こうの瞳は、こう問いかけているのだろう。
『覚えているかい?』、と。
だから俺は、ふと思い出した単語を呟く。
「もしかして、『メチャモテール症候群』……?」
『その通り』
「…………」
俺は絶句した。
信じられない。不審者の戯言だ。
今朝と同じように、そう思えたらどれほど良かっただろう。
だけど実際に犬養さんに襲われかけ、事実……かどうかは疑問の余地が残るとはいえ、それなりに筋の通った説明をされては否定もし辛い。
まさか、本当に存在するのか? メチャモテール症候群。
俺のなかで、常識が根底から揺らぎ始める。
そして佐久間輪も、総括とばかりに告げた。
『要するに、メチャモテール症候群によってヤンデレのメンタリティと火事場バイタリティのコラボレーションを果たした姿。それが恋愛バーサーカーさ』
「最悪の組み合わせじゃないですか」
『だろう? で、キミは今まさにカッターナイフ少女という恋愛バーサーカーに狙われているわけだが』
その言葉で、意識が一気に現状へ引き戻される。
そうだった。ことの顛末は大凡理解できたが、別に一ミリも解決した訳じゃない。
問題は、今も続いている。
……いや。佐久間輪の言葉を信じるなら、続いてるどころか俺自身が元凶じゃないか。どうすんだよこれ。
すると佐久間輪は、そうして頭を抱える俺に改めて問い掛けた。
『そんなキミに朗報だ。私には、それらの問題を全て解決する備えがある。今一度、この手を取ってみる気はないかい?』
「くそっ、ここにきて霊感商法の誘い文句かよ。その手を取りたくねぇ……」
『だが、このままだと何も解決しないよ。今後も”確実に”面倒を抱え続けるか、ここで一世一代の賭けに出るか、選びたまえ。それに、今回はキミだけの問題でないことにも留意したほうがいい』
そう言いながら佐久間輪は、俺の腕の中で眠る卯ノ花さんを指差す。
普通なら、絶対に乗らない誘いだ。どう考えても罠、引っかかる方がおかしい。
だけど、
「く…………ッ」
無関係な卯ノ花さんを、これ以上巻き込むとなれば話は別だ。
彼女は不法侵入者だ。だが、この件に関しては完全な被害者。当事者の一人である俺が余計な意地を張ってる場合じゃない。
それに、もしここで佐久間輪の手を取らなければ、問題が一生解決しないとしたら。
「……俺は」
理性が忠告する。
『これ絶対ヤバい誘いだぞ』と。
感情が声を上げる。
『やめた方がいいって』と。
本能がボヤく。
『お前マジか』と。
「俺は──」
それでも、今の俺が出せる答えは一つしか無かった。
即ち──。
※ ※ ※ ※ ※
『ふむ。なんというか、想像以上も以下もない普通の部屋だね』
「ヒトん家あがって最初の言葉がソレっすか」
俺は、弱い人間だ。
佐久間輪の口車に乗せられ、俺は彼女を部屋に招いてしまった。
だが、他に解決法がないのも事実。
俺は勝負に打って出た。あとは限りを尽くして天命を待つのみ。
卯ノ花さんを布団に寝かせ、佐久間輪に問い掛ける。
「で、アンタの言う解決の備えって何なんですか」
『その前に少年。家具の数を見るに、まさかキミは一人暮らしなのかい? ここって別に学校の寮じゃないんだろう?』
「今それ関係ないでしょ。いいから質問に答えてください」
『わかった、わかった。わかったから、そう睨まないでくれよ』
話が逸れそうになったので、俺はすかさず本題に戻す。
これで白ばっくれられたり、嘘でしたーなんて言われでもしたら、俺は包丁を持ち出すかもしれない。
可能な限りの圧を込めて睨みつければ、佐久間輪は肩を竦めて口を開いた。
『解決方法は至って簡単だ。まず、これを使う』
「……なんすか、これ?」
そう言って佐久間輪が懐から取り出したのは、何の変哲もない注射器だった。
ただ一つ、中にピンク色の液体が入っていること以外は。
訝しむ俺に、彼女は答える。
『恋愛バーサーカー用の治療薬さ。これを対象の血管にぶっ刺せば、たちまち症状は沈静化していくよ。おまけにメチャモテール症候群のワクチンにもなる一挙両得の優れモノさ』
「そんな便利で都合の良いものが!?」
『っと、ちょおっと待った!』
思っていたより、ずっと便利なモノだった。
これがあれば犬養さんにも対抗できる。俺は、思わず手に取ろうと腕を伸ばす。
だが佐久間輪は、そんな俺に血相を変えて慌てて腕に持ち上げた。
俺の手が、虚空を掴む。
「……なんですか、見せびらかしたかっただけですか」
『いや、これ中身が薬なだけでモノは注射器だよ。キミ、ヒトの血管に針を通したことある? 刺しどころによっては普通に生き死にに直結する道具だよ』
「すみませんでした」
その言葉に、俺は出した手を慌てて引っ込める。
危なかった。確かに、言われてみればその通りだ。
これには素直に謝罪する。俺に人の生命は背負えない。
でもその場合、誰がこれを扱うことになるのだろう。
まさかとは思うが。
『これは私が使う。きちんと取り扱いに関する資格も取得しているから問題ないよ』
「すごく不安ッ!」
『……話していてつくづく思うが、キミって中々に失礼なヤツだね』
「この件が無事に解決したら、真面目に態度を改めますよ。……っていうか実際問題、狙ってぶっ刺せるモンなんですか? 恋愛バーサーカーって脳のリミッター外れてるんですよね?」
この際、他に頼れる人も居ないのだから注射器を扱うのは彼女で構わない。というか一任するしかない。
だが、それならそれで別の問題がある。
一体どうやって、恋愛バーサーカー状態の犬養さんに注射できる状況を作るのかだ。
普通の人と比較して、どれほど力の差があるのかは分からない。だが一筋縄でいかないのは明らかだろう。
すると、
『そこはまぁ……キミの頑張り次第かな。私は天才だが、腕っぷしはカラッキシなものでね』
まさかの丸投げだった。
「そういうトコだぞ不審者ガスマスク」
『しょうがないだろう! 人は誰しも得手不得手があるものだ。こればっかりは責められたってどうしようもないね』
「くっ、急に正論言いやがって……」
とはいえ、こうなると動ける人間は俺しかいない。
やはり、腹を括るしかないのか。
別に俺は、『何があっても女性は殴らない!』みたいな主義を掲げてるわけじゃない。父さんからも『本当に身の危険を感じたなら自衛も已む無し』とお墨付きを頂いている。
とはいえ、やはり異性に暴を行使するのはそれなりに抵抗があった。
ちなみに佐久間輪は、そこに含まないものとする。なぜなら不審者ガスマスクだから。
『キミ。今、失礼の上塗りしなかった?』
「ははは。なにをおっしゃいますやら」
おぉ怖っ、俺の頭のなかでも読んだんだろうか。
ガスマスク越しに、恐らくはジットリした視線を向けてきているであろう佐久間輪に、俺は明後日の方向を見ながら答える。
まあ、やると決めた以上失敗は出来ない。ならば今のうちに覚悟を固めておくべきだろう。
俺は、カッターナイフに対抗するため、部屋のなかで使えそうな物の物色を始めた。
その時。
「っ、この音……!?」
『カン、カン、カン』と、外の階段をゆっくり上がってくる音が部屋に小さく響いた。
途端、全身の毛が逆立つような悪寒に襲われる俺。
そんな俺に、佐久間輪は肩を竦める。
『いや、気持ちは分かるが神経質になり過ぎだろう。他の住人じゃないのかい』
「このアパート、二階の部屋を借りてるの俺だけなんですよ」
『ん?』
「それに、ここの階段って普通に昇り降りするだけでも結構響くんです。なのにこの足音、不自然に小さい。まるで”わざと足音を殺してる”みたいに。仮にただの訪問客だったとしても、そんなこと気にします?」
見えない糸を張ったかのように、部屋の空気が緊張に染まる。
十中八九、この足音の主は“彼女“だ。
どうして俺の家を知っているのか、という疑問は浮かばない。
今日が初対面なはずの佐久間輪はともかく、彼女とはクラスメイトとして一年を共にした仲だ。教えた覚えが無くても知っているものなんだろう。
まったく、どうなっているんだろうね。俺の個人情報ってやつは。
『なるほど……だとしたら、どうやら私は少女のことを侮っていたのかもしれないね』
「どういうことですか?」
徐々に部屋に近付いてくる足音。
それに比例して増していく緊張感。
その時、佐久間輪はふと呟いた。
『キミを助け出すために放ったあの煙玉、覚えているかい?』
「……ええ。確か、すっごく目に染みるやつ」
『アレね、眼球に触れると三時間くらいは痛みが持続するはずなんだ』
なんてモン住宅街に撒き散らしてんだこの人は!?
俺は、思わずそう叫びそうになる。が、そうはしなかった。
外の足音が、丁度うちの部屋の前で止まったからだ。
そして、
『…………。おーい、開けてよ、愛沢くん』
彼女は、最初に無言でドアノブをガチャガチャ回し、その後でこちらに呼びかけた。
続けて、ドンっドンっと強めのノックが繰り返される。近所迷惑だから止めてほしい。
だが当然、開けたりない。返事なんて以ての外。
僅かな物音も立てないよう、俺と佐久間輪はその場に立ち尽くして全力で居留守を行使する。
呼吸の音にすら神経を張った。心臓の鼓動が漏れ聞こえていないだろうかと不安になった。
けれども俺たちは、とにかく耐えて耐えて耐え続ける。
それから、どれだけの時間が経っただろう、
『うーん、まだ帰ってないのかなぁ』
数十秒にも、あるいは数分のようにも感じられた時間が、唐突に終わった。
ノックの音が止み、部屋の外からそんな呟きが聞こえる。
そして、昇りと違いハッキリと響かせながら階段を降りていく足音。
……やり過ごせた、のか?
『いいや、気を抜いてる場合じゃない。この様子だと恐らく時間を置いてまた訪ねてくる筈だ』
音が聞こえなくなったことで、俺は大きく息を吐く。
この時間、生きた心地がまるでしなかった。
だが、そんな俺を佐久間輪が窘める。
確かにそうだ。今は、文字通り一分一秒が惜しい。
だが、
『それまでに、何か対策を──』
それは、佐久間輪がこれからどうするかについて話し合おうとした時だった。
彼女が発言を終える前に、事態は一瞬にして佳境に差し掛かる。
即ち──学生カバンが突如として、外から窓を突き破り部屋へと投げ込まれたのだ。
「んなっ!?」
『きゃあ!?』
耳を劈くようなガラスの割れる音。
散らばる破片。
これまで声を押し殺してこと、そして緊張が緩み始めたタイミングも相まって俺たちは一層大きな悲鳴を上げた。
だが、状況はそれだけに留まらない。
直後、窓枠に外から手が掛かる。
ズルリと這い上がってくる影、その正体は。
「あっ、なんだ。やっぱり居たじゃん、愛沢くん」
彼女が──犬養梨奈が、無表情でこちらを見つめていた。




