カッターナイフ
「こんなことってあるんだね! 一緒のクラスで席も隣同士なんて奇跡みたい」
「まったくだよ、俺もビックリし過ぎて鬼籍に入るかと思っちゃった。心臓すっごく痛いや」
花が咲いたような笑顔でこちらに話しかけて来たのは、”我が家の不法侵入者”こと卯ノ花楓さん。
彼女は今、上記の肩書からは想像できないくらいに無邪気な喜びを爆発させていた。それはもう、今朝の一件さえ無ければ思わずトキメイていたかもしれないくらいに。
でも残念。その今朝の一件があまりにノイズ過ぎて、今の俺には恐怖しかない。
とはいえ、
「改めておはよう、卯ノ花さん。さっきぶりだね」
その恐怖を態度に出すほど、俺の人生経験だって浅くはない。
俺は、内心を悟られないようコピペみたいなキメ顔で表情を固めながら自分の席に座る。
接点を無くす、という作戦は既に破綻した。ならば次に俺が打つべき手は、彼女が何者かについて把握することだろう。
特に知るべきは、いつ、どこで、どうやって出会ったのか。
それらを知ることが出来たなら、彼女との接し方は勿論のこと、不法侵入という手段を用いた理由も分かる筈だ。
だから俺は、そのことについて彼女に探りを入れることにした。
「ところで卯ノ花さん。俺、どこかでキミと会ったことあったかな」
「もう、何言ってるの? さっきぶりって自分で言ってたじゃん」
「ううん、その前のことだよ卯ノ花さん。一番最初の出会いを教えて欲しいな」
「え──忘れちゃったの?」
「ごめんよ俺が悪かった卯ノ花さん。だからそんなブラックホールみたいな目で見ないで卯ノ花さん」
真っ黒な眼差しを向けられ怯む俺。
うん、やっぱり怖いや。態度に出ちゃう。
どうにかして馴れ初めを聞き出したいが、そうすると見えてる地雷を踏まざるを得ない。
だが、
「でもさ、考えてみてよ卯ノ花さん」
踏み込んだ以上、後戻りはできない。ならば地雷原など勢いで駆け抜けるのみ。
俺は、再びコピペみたいなキメ顔で言葉を続けた。
「俺と卯ノ花さん、一緒のクラスになったのって今回が初じゃん? しかも席も隣同士じゃん? こんな時に最初の出会いを思い返すのってさ──」
たっぷり二秒、間を空けて。
俺は、とびっきりのウインクを卯ノ花さんに放つ。
「最高にエモ、じゃん?」
ははっ、何言ってんだろうな俺な。エモなんて言葉使ったの初めてだ。
でも仕方ない。だって相手は不法侵入者だもの。常識が通用しないんだもの。
ならば正攻法で話し合うより、好かれている事実をフル活用してパワープレイに持ち込むべきだ。
不法には外法、バケモンにはバケモンをぶつけるんだよ。
すると、
「愛沢くん……っ!」
卯ノ花さんの瞳は、いとも簡単にブラックホールから煌びやかな銀河へと切り替わった。
やったぜ大成功だ。今、一つの宇宙が救われた。
だが、これで満足している場合じゃない。本来の目的は俺と卯ノ花さんの馴れ初めを聞き出すこと。彼女のご機嫌取りではない。
チャンスを物にするため、俺は一気呵成に畳み掛ける。
「聞かせて欲しいな。卯ノ花さんの、その口から」
「……うん♡」
俺は、左手で前髪を掻き上げながら右手の人差し指で卯ノ花さんの顎を下から上へなぞる。そして口角を上げて歯をキラリ。イケメンにのみ許される仕草を、これでもかと乱れ撃つ。
恥ずかしくないのかって? ンなもん死ぬほど恥ずかしいに決まってんだろ。でも、これが最も有効的な手段である以上は恥など二の次だ。
実際、卯ノ花さんはトロけきった表情で瞳の奥をハート模様に染め上げている。加えて、こちらの様子を窺っていたクラスの女子たちからも黄色と怨嗟の声がそれぞれ上がった。
そして、それらの光景を宇宙人でも目撃したかのような表情で眺める男子たち。
うん、混沌だね。
ありがとう、父さん母さん。生まれた時からこんな環境だったのに、これが異常だと気付ける感性に俺を育ててくれて。
ともあれ、これでようやく話が聞ける。
「それでさ、卯ノ花さん。俺たちの出会いについてなんだけど──」
と、思ったのも束の間。
『キーンコーンカーンコーン』
俺が言い終える前に、チャイムの音が学校中に鳴り響いた。
途端、教室の戸が開かれる。
「はーい、みんな席に着いてー」
「あ、先生来ちゃった……。ごめんね愛沢くん、また後でいっぱい話そ!」
「えっ、あ……」
先生の入室。それに伴い、卯ノ花さんとの会話は強制的に打ち切られる。
意外だったのは、卯ノ花さんに私語を慎むという常識があったことだ。
第一印象のこともあり、自分の世界観で生きてるタイプのヤバい人だと思っていた。
そっか、一応その辺は弁えられる人なんだ。
そっか……。
いや、そんなことより。
──マズイな、この流れ。
ここで話が中断されたのは、かなり痛い。
なぜなら今日は始業式だ。
教室で簡単なオリエンテーションを行った後、体育館に集まって校長先生の長話から始まる色々な説明を受け、終わり次第そのまま解散というのが基本的な流れ。
その間、”周囲に人が居る状況”で卯ノ花さんと話し合える機会は殆どない。
このままだと次に彼女と話せるのは放課後ということになる。それこそ一対一という可能性もある中で、だ。
生憎だが俺には、肉食獣と檻も挟まず丸腰で向かい合う勇気なんて無い。
こうなったら、いっそ話し合いを別日に変えてもらうか? いや、それもどうだろう。
適当に言い訳をでっち上げても、「なら終わるまで待ってるよ」とか平気な顔して言われかねない。なんなら平然と家まで押し掛けてきそうだ。
いいや──来る。間違いなく来る。なぜなら彼女は不法侵入者だから。
そう考えると、もはや現段階で俺が意識すべきは馴れ初めを聞き出すことじゃなくシンプルに身の安全なのかもしれない。
……と、そんな具合にアレやコレやと思案する俺。
だけど状況は、そんな俺を無視して無情にも進行していく。
「さて、まずは進級おめでとう。僕は笈掛勇太、この2年1組の担任だ。これから一年よろしくな!」
教壇からそんな声を上げたのは、先ほど入室してきた若い男性教師──笈掛先生。
歳は二〇代半ばぐらい。身長は見た感じ180センチ以上。
声量が大きく、髪型は角刈り。おまけに服装は上下ともに赤のジャージということも相まって、いかにも熱血な雰囲気が漂っている。
笈掛先生は、教室を見回すと言葉を続けた。
「新しいクラスで、それぞれ馴染みのない子も多いと思う。なのでまずは、自己紹介から始めてみよう。とりあえず出席番号一番から──」
※※※※※
そして、放課後になった。
自己紹介も始業式も、それはもう語ることが何もないまま終わった。
それぞれ名前や好きなことをアピールして、それが終わったら体育館に移動して。
先生方が新学期のコチャコチャした説明をして、そのあと案の定校長の長話が始まって、そして気付いたら終わっていた。
そう、終わってしまった。
何もないままに終わったということは、つまり卯ノ花さんから何も聞き出せなかったという訳で。
「一緒に帰るなんて、なんだか付き合ってるみたいだね」
「ははっ、卯ノ花さんは冗談が上手だねぇ。キミのは付きまとうって言うんだよ」
始業式が終わった後。こっそり下校を試みた俺は、道中の住宅街であっさり卯ノ花さんに捕まり一緒に帰ることになっていた。
俺には分かる、恐らく校門を出るまで泳がされていたんだろう。じゃなきゃ校舎が完全に見えなくなったタイミングで丁度良く声が掛かる、なんてコトあるもんか。
不幸中の幸いなのは、ここが屋外であることだ。何かあっても直ぐに逃げられる。
そしてシンプルに不幸なのが、家を知られているということだ。逃げたところで安住の地はない。
こんなことなら、ビビって家路を急がず校内で構えていればよかった。そうすれば少なくとも周囲の目は確保できただろうに。
とはいえ、嘆いたところで後の祭り。こうなった以上は今できるベストを尽くす他にない。
俺は、彼女を刺激しないよう細心の注意を払って話題を切り込むことにした。
「それより卯ノ花さん、今朝の話の続きをしないかい? 俺とキミとの出会いの話を、さ」
「なんでちょっと気取った言い回し?」
「身の安全のため」
「えっ?」
「違うね。エモの為だね」
「もう、どういう照れ隠しなの? それ」
卯ノ花さんは、クスクスと笑う。
俺は、コピペみたいなキメ顔のままダラダラと背中に汗を流す。
危ないところだった。……いや、危ないどころか普通にガッツリ本音が出ちゃってた。それもアウトかセーフかで言えば余裕でアウトなやつ。
幸いにも卯ノ花さんは”照れ隠し”として受け取ってくれたが、俺からすれば思いっきり失言だ。
どうやら彼女と一対一という状況は、俺に想像以上の緊張と負荷が掛かっているらしい。
このままではボロを出すのも時間の問題だ。早急に片を付けねば。
「それより早く聞きたいな。キミから見た俺との出会いが、どんなものだったのか」
「なんか、そういう言い方されると恥ずかしいね。でも、うん。いいよ」
こういう時、このモテ体質は非常に助かる。無理な話題転換も強引に進められてしまうから。
もっとも、こんな体質でなければここまで気を張る場面に遭遇することもない訳だが。功罪で言えば罪の割合の方が高い。
というか、これって罪有りきの功なのでは? 所謂マッチポンプというやつでは?
……いや、考えるのは止そう。変に自問自答していると気が変になりそうだ。
それより今は卯ノ花さんのこと。
ようやく事の顛末を知れるのだ。言葉一つだって聞き逃してなるものか。
と、思っていたのに。
「そう。あれは春休み前の──っ」
嬉々として語り出した卯ノ花さんの声が、唐突に止んだ。
理由は単純で、どこからとも無く飛んできた学生カバンが、彼女の後頭部に凄まじい勢いで衝突したからだ。
『ゴッ』という硬い音を立てながら、ペンケースやプリントなどの中身を地面に撒き散らすカバン。
同時に、うつ伏せに倒れる卯ノ花さん。
「え、は……う、卯ノ花さんっ!?」
「……」
あまりに唐突で、俺は何が起きたのか直ぐには理解できなかった。
咄嗟に卯ノ花さんに駆け寄るが、彼女は微動だにしない。
その時、ふと視界の端に散らばったプリントが映り込む。
その名前欄に書かれた文字を見て、俺は思わず息を飲んだ。
直後、
「ひどいよ、愛沢くん」
「っ!?」
俺の背後──というには少し離れた後方から、聞き覚えのある女子の声がした。
振り返れば、そこに立っていたのは犬養さん。プリントに書かれていた名前と同一人物。
これだけで”誰が”、”何を”したのかは明白だった。
であれば、俺が彼女に投げ掛けるべき問いは一つしかない。
即ち”何故こんなことをしたのか”について、だ。
「いいい犬養さん。いいい一体、どどどうして」
いや、分かってンですよ。
「どうしてこんなことを!」、くらいハッキリ言えばいいのにって。
でもね、こういう咄嗟の時って思ってたより全然歯が噛み合わないし舌も回らないの。
しかも見て、犬養さんの右手。ほら、カッターナイフがカチカチ鳴ってる。カバンと別に持ってたってことは、予めスタンバイしていたんだろうね。計画的な犯行というやつだ。
うん。こんなのビビらない方が無理じゃん。むしろ卯ノ花さんを置いて遁走しなかっただけでも十分偉いと思う。
もっとも、居残ったところで何ができるという訳でもないんだけど。
……ホント、どうしよう。
「私、すごくショックだったんだよ。愛沢くんと違うクラスになったの。先生にも掛け合ったのに、『間違ってないよ』の一点張りだったし」
「それよりさ、まずは右手の可愛くない物をポッケに
しまおう? 危ないよ」
とりあえず俺は、怯えるチワワみたいに身体を震わせながらも犬養さんへ言葉を投げ掛ける。
「カッターナイフは工作に使うものだよ。無闇にカチカチするものじゃないよ」、と。
だが彼女は、聞く耳を持たない。
一方的に語り続ける。
「一年のとき、よく一緒だったよね。あの頃は本当に楽しかったなあ……愛沢くんも、そうだと思ってた」
「ね、犬養さん。カッターナイフ直そう? 何に使うのさ。おれ怖いよ」
犬養さんは、相変わらずカッターナイフを伸ばしたり縮めたりしている。
それで何をしようとしているのか、何を伝えたいのかは分からない。が、とりあえず凄く怖いことだけは確か。
おまけにカチカチの音が、どんどん早くなっている。今じゃメトロノームのフルパワーにも引けを取らないテンポだ。
そして唐突に、犬養さんの目の色が変わった。
「なのに愛沢くんってば、私のことなんて忘れてもう他の女の子と仲良くなっちゃってさっ!!! しかも一緒に下校だなんて」
「こっちの話を聞いちゃいない! ていうか犬養さん、俺は別に卯ノ花さんとは」
「言い訳は聞きたくないよ。ていうか庇うんだ、その女のこと」
「なんでこっちが主張する時だけレスポンス爆速なんだよ、まだ言い切ってすらいないよ。少しはこっちの言い分にも耳を」
「イヤ」
「っ!?」
粘り強く問答を試みたが、残念ながら取り付く島もなかった。
直後、卯ノ花さんは、拒絶の言葉を口にすると一目散にこちらへ駆け迫って来る。
流石は陸上部、こんな時でも背筋をピンと伸ばした綺麗なフォームだ。そして距離を詰める速度も尋常じゃない。
あと三秒と経たない内に、彼女は俺たちをカッターナイフの間合いに捉えるだろう。
「ちょっ……クソっ!」
俺一人なら、頑張れば辛うじて逃げ切れたかもしれない。
足の速さ……取り分け逃げ足の速さになら自信があった。陸上部とはいえ女子相手なら後れを取らなかっただろう。
だが、倒れたまま意識の無い卯ノ花さんを置いてはいけない。
『人の家に無断で侵入する不審者なんか気にする必要あるのか』、と少しだけ思ったりもした。
だけどこの状況は、それとは全く別の話。
俺は、卯ノ花さんを背に立ち塞がる。
相手が刃物を振り翳そうとも、せめて盾くらいにはなれるだろう。それに上手いこと取っ組み合いに持ち込めば抑え込むことも不可能じゃない。
そして、その間に。
「誰か──っ」
とにかく大声を出し続けて、人が来るのを待つ。
流石に無傷とはいかないだろうけど、多分これが今できる最適解だ。
俺は、覚悟を決めて大きく息を吸う。
と、その時。
「助っ──」
『目を閉じるんだ、少年ッ!!!』
不意に、どこからかそんな声がした。
直後、俺と犬養さんの間に白い球体のような物が投げ込まれる。それは、ガチャガチャのカプセルのような見た目をしていた。
地面に落ちた球体は、パキャンと間抜けな音を立てて半分に割れると中から真っ白な煙を噴出する。
煙は、まるでガス爆発と勘違いしそうになる程の勢いで瞬く間に辺り一帯に広がった。
「んなっ!?」
俺は、突然の出来事に思わず面食らった。
そして声に言われるがまま、反射的に目を閉じる。
何がなんだか分からない。刃物を持った相手を前に目を閉じていいのか、なんて考える余裕すらなかった。
溺れる者は藁をも掴むという言葉があるが、まさしく今の俺がその状態だ。
果たして、この判断は吉と出るか凶と出るか。
次の瞬間、その結果が明らかとなる。
「痛いっ、目が痛いっ!!!」
直後、真正面から悶絶する犬養さんの声がした。同時にドタバタと騒がしい音が響く。
一瞬何がと思いかけて、すぐに理解する。
煙だ。どうやら突然沸いたこの煙、相当目に染みるらしい。
とりあえず、逃げる隙が生まれたと思っていいいのだろうか。だが悲しいことに、視界を封じられているのは俺も同じ。
とはいえ、だからといってこの場に留まり続けていてはそれこそ無意味だ。
俺は、今のうちに手探りで卯ノ花さんを抱え上げると犬養さんの声とは反対の方へ後ずさる。
この煙は、いつ晴れるのか。染みる効果はどれほど続くのか。その間にどれだけ逃走距離を稼げるのか。
何もかも不明な手に汗握るチキンレースが今、始まろうとしていた。
その時、
『間一髪だったね、少年』
「──っ!」
そんな言葉とともに、不意に左肩に手を置かれた。
俺は、思わず絶叫──しそうになって。
「あ゛あ゛あ゛っ!」
「っ!?」
俺の鼻先数ミリメートルを、恐らくは犬養さんの腕が通り過ぎた。
同時に響く、ブォンという風切り音。
理解から数瞬遅れて、全身から汗が噴き出た。
もし声を出していたら、今の勢いのまま顔を切りつけられていたかもしれない。
『とりあえず、この場は黙って私に連れられたまえ。理由は今ので十分だろう?』
「……」
そう言って、有無を言わさず俺の手を引く声の主。
俺は、無言でガクガクと頷きながら引かれていく。
正直、かなり不安だ。
この煙は何なのか。声の主は誰なのか。疑問は尽きない。
とはいえ、ここに留まる方がよっぽど危険なのは確か。
鬼が出るか蛇が出るか。少しずつ遠退く犬養さんの声を背に、俺は声の案内に従った。
そして、歩き続けること十数分。
『よし、もう大丈夫。目を開けていいよ』
ふと、腕を引かれる感触が消えた。続けて、声の主がそう告げる。
俺は、言われるがまま瞼を上げた。
そして、目の前の光景に声を挙げる。
「ここ、俺ン家じゃん……!?」
何を隠そう、そこは俺が暮らすアパートの前だったから。
そして同時に、判明した声の正体に思わず目を剥く。
俺の前に立っていたのは、
「それにアンタは、不審者ガスマスク女……!」
『ごきげんよう、天才研究者ことマーリンさんだよ。あと不審者呼びやめてね』
今朝、通学路で遭遇した不審者ガスマスク女──佐久間輪だった。




