不審者は二人いた
俺、愛沢恋矢はとてつもないモテ男だ。
物心ついた時から、それは俺自身が誰よりも理解していた。
だがモテとは、必ずしも幸福な日々が送れることを担保する訳では無い。
※※※※※
「朝に有るまじき疲労感だよ。こんちくしょう」
そう愚痴を零さずにはいられなかった。
登校準備を済ませて家を出た俺は、溜め息混じりに愚痴を吐きながら住宅街を歩く。
寮から学校までの距離は、徒歩で一五分ほど。普段ならなんてことの無い距離だ。
だが今日に限っては、足が重くて仕方ない。
こうなった理由は一つ。
朝っぱらから悪質な寝起きドッキリをかましてきた、見知らぬ女子の影響だ。
「少し前までは、ここまでじゃなかったんだけどな……」
一応過去にも、様々な女子からストーキングされたり玄関前で待ち伏せされたり、出したゴミが漁られていたりということが度々あった。
でも今回のような住居侵入者は流石に初めてだ。明らかにラインをぶっ千切っている。
流石にこうなってくると、もう気付いてないフリや口頭注意で茶を濁している場合じゃない。
対症療法ではなく根本治療。原因から断ち切るべき段階に突入している。
……とはいえ、そもそも”原因”を断つ方法がサッパリ分からないというのが現状なのだが。
というのも、
「一体全体、俺のどこがそんなに良いのやら」
自分でも、どうしてここまでモテるのか全然分からないのだ。
アイドルや俳優のような超イケメンという訳でもなければ、身長や体型も平均サイズ。
なら頭が良いのかと言われたら、成績はどの教科も七〇点から八〇点代を行ったり来たり。運動はできる方だけど、それも走るのが少し早いくらいだ。
家族も中小企業勤務のサラリーマン父とパート母、中学生の妹が一人という至極ありふれた一般家庭。自慢なんて家族仲が良いことくらいで、殊更に目を瞠るような家柄じゃない。
コミュ力……は関係ないだろう。そもそも俺が一を話し始める前に相手が一〇〇の勢いで喋り始めることが大半だ。なんなら俺のターンが来る前に話が終了することも珍しくない。
「わっかんないなぁ」
結局、いくら考えても答えは見つからなかった。
とはいえ、これまでも大して気にせず”そういうもの”だと受け入れてきたのだ。今になって理由が判明、なんて都合の良いことを考えるのも虫のいい話。
モテることに甘んじて考えることを放棄したツケがきた、ということだろう。
「はぁ……」
俺は、深い溜め息を吐く。
結局のところ今思いつく自衛策は、異性との関わりを避けつつノラリクラリと日々を過ごすようなその場凌ぎ程度のもの。根本的な解決にはなり得ない。
「ホント、どうしたもんか」
俺は、半ば解決を諦めるような気持ちで肩を落としながら角の道を曲がった。
その時──。
『シュコー……シュコー……』
“ソレ“は、唐突に現れた。
「な……? …………!?」
俺の視界に突如として飛び込んできたのは、道のド真ん中で腕を組み、威風堂々と仁王立ちするガスマスクを付けた白衣の女。
身長は俺より頭半分ほど高く、青みがかった黒髪が腰まで真っ直ぐに伸びている。
体型は全体的に細く華奢で、ところどころに見える色白の肌は美白というより不健康そうな印象が強い。
俺は一瞬、時間が止まったかのような錯覚を覚える。
不審者だ。
紛れもない不審者が、そこに居た。
だが俺は、直後に不法侵入してきた方の不審者の言葉を思い出す。
『最近、不審者が出没しているから気を付けてね』
なんということだ。
不審者は一人じゃない。二人居たんだ。
春は変な人が増える、なんて噂をネットで見た覚えがある。どうやら事実が証明されてしまった。
まさか短時間で二体も出現するとは、なんてポテンシャルを秘めた季節だろう。
だけど感心している場合じゃない。
俺は、世界的ダンサーもビックリな足捌きで踵を返すと、大急ぎで曲がり角に身を隠した。
ガスマスク女を視認してから、この間およそ〇.五秒の判断である。
──何なんだよ今日は。俺が知らないだけで世紀末だったりすんのか?
俺は、頭を抱えずにはいられない。
ただでさえ俺の精神的容量は、今朝の一件で限界ギリギリなんだ。
だのに通学路でエンカウント必至の固定シンボル出現なんて冗談じゃない。
俺がおかしくなったのか、世界がおかしくなったのか。ちょっと分からなくなってきた。
「なあ、あの人ヤバくね?」
「ちょっ、聞こえるって! 無視しとけ無視!」
こっそり道を覗き込めば、偶然通り掛かった2人の男子中学生のヒソヒソ声が聞こえてくる。
他にも何人かの通行人が、異様なモノを見る眼差しでガスマスク女を遠巻きに眺めていた。
どうやらあのガスマスク女は、俺だけに視える春の妖精さんでは無いらしい。
二人の男子中学生は、ガスマスク女と目を合わせないよう俯きながら早足で横を通り過ぎて行く。
その間、ガスマスク女は微動だにしない。
一体何が目的なのか、彼らには一瞥も向けずその場に立ち続けていた。
「……ふむ」
俺は考える。
こういうとき、下手にコソコソするのは却って目を引いてしまうのではないか、と。
見たところガスマスク女は、通りすがりの人間に手出しする様子はない。本当に、ただそこに立っているだけ。
ならば俺も、余計な刺激を与えなければそのまま素通り出来るんじゃないか。
触らぬ神に祟りなし、という言葉がある。
困ったときは右に習え、という言葉も。
どちらも俺の好きな言葉だ。
──よしっ!
結論は出た。
俺は、覚悟を決めて再び通学路に繰り出す。
中学生らに習いガスマスク女を視界に収めないよう俯きながら、足取り速やかに道の端っこを歩いていく。
すると、どうだろう。
結果、何事もなくガスマスク女の横を通り抜けることができた。
「あれ……?」
拍子抜けとはこのことだ。
いや勿論、トラブルなんて起きないに越したことはないのだが。
気を張っていただけに、俺は肩透かしを食らった気分になる。
だが、ここで油断したのが良くなかった。
思わず気の抜けた声を漏らした、次の瞬間。
『待ちたまえ少年』
「うわああああああああ!?!?!?」
ガスマスク女が、背後から抱きつくように俺の首に両腕を絡めてきた。
耳元に響く、くぐもった女の声。
途端、俺、大絶叫。
なりふり構う余裕なんてなかった。
俺は、絡みついた腕から逃れるため全身全霊の勢いで走り出す。
だが、ガスマスク女はしぶとかった。
『ま、待つんだ落ち着いてくれキミに話があるんだ少年ッッッ!!!』
「やだあああああああああッ!!!」
ガスマスク女は、引き摺られながらも懸命に爪先でブレーキを掛け、さらには絡めた腕で俺の喉を締め上げる。
女の体重は、華奢な見た目に違わず軽い。
とはいえ人ひとり分の重さはある訳で。冷静さを欠いた精神ギリギリ高校生が対処するには限界があった。
即ち、俺の体力は一〇〇メートルほど進んだところで呆気なく限界を迎える。
そうして足を止めた俺たちは、どちらも息を切らしながら近くの公園のベンチに腰掛けることとなった。
俺は、肩で息をしながらガスマスク女に問う。
「な……んなんですか、あなた……警察呼びますよ……」
『ゼヒュ、ゼヒュ……ウ゛エ゛ッ、ゴホゴホッ!!!』
幸い横並びに座ったこともあり、俺の首は女の腕から解放されていた。
代わりに今は、個人情報がたっぷり詰まった学生カバンの持ち手を掴まれているのだが。
一方、女は激しく咳き込みながら俺以上に肩を上下させている。
まあ見るからに運動には向かなそうな体格をしている上に、ガスマスクなんて呼吸し辛いようなものを着けているのだから当然か。
とはいえ回復は存外早いようで、女は一際大きく咳き込んだあと口を開いた。
『ゴホ、ゴホッ! ……ふぅ、それは勘弁してくれ。連中は面倒なんだ』
(あ、前科あるんだ)
どうやらガスマスク女は、以前にもやらかしたことがあるらしい。
だが良いことを聞いた。ならば彼女には、ここらで前科を追加して貰おう。
ガスマスク女に気付かれないよう、俺はポケットに手を突っ込みスマホの電源を入れる。
なぜ俺が狙われたのか気になるが、どうせ変質者の考えることだ。碌な理由じゃないだろう。
せいぜい警察が来るまでの暇潰しとでも思っておこう。
対してガスマスク女は、そんな俺の企みに気付かないまま意気揚々と告げた。
『一先ず自己紹介をさせてくれ。第一に、私は怪しいものじゃない』
「鏡見てからほざいて貰えます?」
『これにはちゃんとした理由があるんだよ。キミにも関わり深いことさ』
「はぁ、そうっすか」
110番、スタンバイOK。
ガスマスク女の話を適当に聞き流しながら、俺はキーパッドの入力を終える。
あとは受話器のアイコンを押すだけ──だったのだが。
『キミ、生活に支障が出るレベルでモテまくっていなかい?』
「え……?」
なんの脈絡もなく突然告げられたその一言が、俺の指の動きを止めた。




