愛沢恋矢は、超が付くほどのモテ男
全世界の男性諸君。
これは自慢でも誇りでも、ましてや見下しでもない。
それを念頭に置いた上で、どうか話を聴いてほしい。
俺、愛沢恋矢は──超が付くほどのモテ男だ。
※※※※※
「……朝、か」
今朝の目覚めは、驚くほど清々しいものだった。
温かな日差しが六畳一間の部屋に差し込み、窓の隙間から吹き込む春風が俺の頬を撫でる。
俺は、布団に寝転がったまま枕の左隣に置いたスマホを掴み上げた。
画面に表示された時刻は、午前六時五五分。
設定していたアラームが鳴る五分前だ。
──あぁ、完璧だ。
自然と口角が上がった。
今日は新学期。高校生活の二年目が始まる日だ。
思い返せば、この古い木造アパートで一人暮らしを始めてから一年が経つ。
最初の数カ月は、生活環境の変化によるストレスで全く寝付けず、その影響で睡眠不足に悩まされる日々が続いたものだ。
それが今では、こうしてアラームより早く目覚めることも珍しくない。
住めば都とは誰の言葉か。一人暮らしにも、すっかり慣れたものである。
と、そんな感慨に耽っていた時。
「あ、起きた? 愛沢くん」
不意に、俺──愛沢恋矢を呼ぶ声がした。
同時に、パタパタと枕元に近づいてくる足音。
そして彼女が、見下ろすように前屈みで俺の顔を覗き込んだ。
「おはよ、愛沢くん。朝ごはん出来てるから、冷めないうちに食べてね」
桃色の髪に片耳を出した、ショートのアシンメトリーの髪型。
長い睫毛とパッチリ開いた大きな瞳が可愛らしい童顔で、身長は女子の平均より若干低め。体格は全体的に小柄で小動物めいた印象が強い。
けれども胸部は、体格に見合わず服の上からでも分かるほどに豊かな膨らみを有している。
まるで男子の理想を雑に煮詰めて掛け合わせたかのような美少女が、そこには居た。
「…………」
彼女と目が合い、俺は数秒の沈黙。
心地よく目覚めたとはいえ、まだまだ寝起き特有の微睡みは健在だ。
脳ミソは立ち上げの真っ最中。更新情報の読み込みにまで手が回らない。
今は、ただ呆っと眼前の美少女を見つめ続ける。
そんな俺に、彼女は首を傾げて笑い掛けた。
「……ふふ、まだ寝坊助さん?」
「え? あー、いや……」
そこで俺は、ようやく状況を理解した。
上体を起こし、瞼を擦りながら彼女に応える。
「……うん、まだちょっと寝惚けてた。それより朝ごはんだっけ? ありがと」
「ふふ、どういたしまして。それより愛沢くん、今日は始業式なんだから遅刻しちゃダメだよ? 私は先に行ってるけど、不安なら電話で起こしてあげよっか?」
「いいよ大丈夫。……なんか、お母さんみたいだな」
「え? 今、理想の奥さんみたいって言った?」
「ううん、言ってない」
彼女は、俺の言葉を素敵に聞き違えると頬に両手を添えて身体をクネらせる。
その度に彼女の髪が部屋に甘い香りを振り撒き、胸の膨らみが豊かに揺れた。
……寝起き早々拝む光景としては、些か刺激が強過ぎる気がする。
俺は彼女から目を逸らすと、ゆっくり布団から立ち上がった。
そして壁に掛けた制服に手を伸ばす。
「色々して貰った手前申し訳ないんだけど、俺も準備があるからさ。その……」
「あ、着替え! ごめんごめん、デリカシー無かったね。それじゃあ私、先に行ってるから」
察しが良くて大変ありがたい。
制服を掴んでアピールする俺に、彼女は慌てて玄関に向かう。
靴を履き、トントンと軽くつま先を叩く。
そして鍵を開け、ドアノブを回すと。
「また学校でね、愛沢くん」
そう言い残し、彼女は俺の部屋を跡にした。
……と、思いきや。
「あ、そうそう。最近この辺りで不審者が出没してるらしいから気を付けてね? ……そうだ! どうせなら安全のために、一緒に登校しちゃったり……とか?」
彼女は、閉まりかけたドアの隙間からひょっこりと顔を出す。口調はどことなく棒読みで、視線も不自然に泳ぎ気味だ。
だが生憎と、俺は起きたばかりで何の準備も出来てない。
待たせても悪いので、ここは丁重にお断りさせて頂くことにする。
「いいよ、準備で時間掛かりそうだし。それよりキミも道中気を付けてね。行ってらっしゃい」
「ふふ、はーい」
俺は、胸の前で軽く手を振りながら彼女に先に行くよう促す。
『決してイヤな訳じゃないよ。気持ちは嬉しいよ』というアピールを込め、口調や声色も穏やかに。
すると彼女は、思いのほかアッサリと引き下がった。
手を振り返すと身を引き、今度こそドアが完全に閉じられる。
そして外から響く、階段を降りるカンカンカンという音。
途端、部屋の中がシンと静まり返った。
「…………ふぅ」
不思議な心地だった。
その静寂は、ともすれば彼女など初めから存在していなかったのではと思えてしまうほどに。
だけど部屋の中央に置いた卓袱台には、炊き立ての白米が盛られた器に湯気が立つ味噌汁。そして香ばしい焼鮭の乗った皿が丁寧に並べられている。
彼女が用意してくれたのだろう。であれば、それは彼女が存在していたことの紛れもない証明だ。
そう。夢でも幻でも、ましてや妄想でもない。
だからこそ、俺は素直な思いを吐き出すことが出来た。
「で、あの子誰なんだ……?」
言葉にすると同時に、全身から血の気が引いた。
寒いわけでもないのに、身体中の震えが止まらない。
当然だ。
だって彼女は、話したことも無ければ顔も名前も知らない、見ず知らずの女の子だったのだから。
制服を着ていたため、同じ高校の生徒であることだけは辛うじて理解できた。
でなければ俺は、起きた瞬間にパニックを起こして部屋を飛び出していただろう。
「え、なに、なんなの? 本当に誰? やだメチャクチャ怖い、なんで、どういうこと?」
訂正、パニックはもう起こしていた。
最初に取り乱さなかったのも、寝起きの脳が情報を処理し切れずショートしていただけに過ぎない。顔を覗き込まれた辺りからは、とっくに心臓バクバクだった。
とはいえ、もしもあそこで騒いだらどうなっていただろう。
彼女は料理を準備していた。ならば包丁を備えている可能性も十分にあったのではないか。
この狭い部屋で、そんな物を振り回されたらどうなるか。考えただけで恐ろしい。
おまけに当の住人に見つかっても、逃げるどころか付き合いたてのカップルのような距離感で接してくるのだ。
改めて言おう、ヤバい奴だ。
なので俺は、とにかく彼女を刺激しない振る舞いを心掛けた。
まったく、何が『不審者が出没してるらしいから気を付けてね』だ。
そりゃお前だ。お前じゃい。
加えて、
「というか、どうやって部屋に入ってきた?」
何より気になるのは、彼女の侵入経路についてだ。
ごくごく当たり前のことだが、俺は寝る前に部屋の鍵を閉めている。
その動作はルーティン化しているし、指差し確認した昨晩の記憶もあるから間違いない。
つまり、人が入って来る状況自体がありえないのだ。
少なくとも、玄関からは。
「まさか、窓から?」
俺は、振り返って窓を見る。
実は昨晩、風呂上がりの火照りを覚まそうと窓を開けて、そのまま閉め忘れて寝落ちしていた。
だが、この部屋があるのはアパートの二階である。それも中部屋だ。
外壁に掴めるような取っ掛かりも無ければ、ベランダなんて洒落たものも無い。とてもじゃないが女子の細腕で入ってこられるとは思えなかった。
それに彼女が作ったという朝食のメニューは、どれも我が家の冷蔵庫に存在しない食材が使われている。
仮に窓から忍び込んだ場合、彼女はわざわざ食材まで持ち込んだことになる。
俺は、恐る恐る窓辺に寄って下を覗く。
大玉のトマトが一つ、潰れた形で地面に転がっていた。
「…………………………怖ぁ」
どうにか絞り出せた言葉は、それだけだった。
大きく息を吐き、壁に凭れ掛かって腰を落とす。
そして、
「とうとう、来るトコまで来ちゃったか」
クシャリと頭を抱えながら、蚊の鳴くような声で呟くことしか出来なかった。
心地よい朝の目覚めの感覚は、彼女の出現と共にすっかり消え去っていた。




