どうぞその女とお幸せに──私が消えた後で
◆〜第一章:祝福の言葉を、地獄の底から〜◆
「ジュリアーナ。君との婚約は、本日をもって破棄させてもらう」
王立学院の卒業記念パーティー。
きらびやかなシャンデリアの下、聖歌隊の歌声が響く中、婚約者である第一王子・アルフレッドの声が冷たく響いた。
彼の隣には、震える肩を抱かれた男爵令嬢、エレンがいる。
「……理由は、お伺いしても?」
ジュリアーナは、感情を殺して問いかけた。
公爵令嬢として、王太子妃教育に捧げた十年間。
睡眠時間を削り、血の滲むような努力で身につけた教養も礼儀も、この瞬間のためにあったわけではない。
「エレンに対する度重なる嫌がらせだ。教科書を破り、階段から突き落とそうとし、さらには夜会に出られないようドレスを切り裂いた。……これほどまでに心の醜い女が、次期王妃であってはならない」
王子の言葉を引き継ぐように、彼の背後に控えていた騎士団長の息子と、魔導師団の跡取りが嘲笑を浮かべて前に出た。
「それだけではありません。あなたは先日の合同演習の際、魔獣に襲われかけたエレンを助けるどころか、彼女を囮にして自分だけ安全な結界へ逃げ込んだそうですね。聖女のような彼女とは対照的に、高貴な血筋を盾に弱者を切り捨てる……その傲慢さには吐き気がする」
「さらに、彼女が大切に育てていた中庭の花々を、使用人に命じてすべて踏みにじらせたとか。他人の慈しむ心を平然と踏みつけるその振る舞い、もはや人の皮を被った魔物だ」
周囲から「ああ、やはり」「可哀想に、エレン様」という囁きが漏れる。
すべてはエレンの自作自演だ。
ジュリアーナには分かっていた。
だが──証拠はない。
なぜなら、エレンを支持する“証言者“たちは、アルフレッドの側近──かつてジュリアーナの友人や幼馴染だった男たち──なのだから。
「左様でございますか。……身に覚えはございませんが、殿下と皆様がそう仰るのでしたら、仕方がございませんわね」
ジュリアーナは深く頭を下げた。
扇で口元を隠す必要すらない。
彼女の表情は、鉄の仮面のように無機質だった。
「ジュリアーナ、君には北方の監獄塔での謹慎を命じる。……反省し、エレンに詫びるがいい」
「いいえ、殿下。お詫びなど必要ございませんわ。……代わりに、一つだけ贈り物を残して差し上げます」
ジュリアーナは顔を上げ、満面の笑みを浮かべた。
それは、彼女が十年間一度も見せたことのない、太陽のように明るく、そしてどこか空虚な笑顔だった。
「どうぞ、その女とお幸せに──私が消えた後で。」
それが、彼女が王国に残した最後の言葉となった。
◆〜第二章:予定通りの【消失】〜◆
三日後。
北方の監獄塔へ向かう馬車は、荒れ狂う嵐の中にあった。
視界を遮る雨と、耳を劈く雷鳴。御者が操作を誤ったのか、あるいは運命がそれを望んだのか。
「……さあ、始めましょうか」
ジュリアーナの呟きと同時に、馬車は急カーブでバランスを崩し、崖に転落した。
奈落の底へと向かう無重力の中で、彼女は恐怖すら感じなかった。
激しい破壊音と共に、馬車は鋭利な岩肌に激突しながら、荒れ狂う奔流へと叩きつけられた。
奇跡的に生き残った御者は、こう証言した。
『北方の監獄塔へ向かう馬車が、崖から転落した。激しい濁流に飲み込まれた馬車からは遺体も見つからず、公爵令嬢ジュリアーナは“死亡“した』と。
◇
「……ふう。やっと終わったわ」
数週間後──。
隣国の港町、自由都市リブラ。
そこには、美しい銀髪を短く切り、地味な平民の服を纏った一人の娘がいた。
「ジュリー、お待たせ。船の準備ができたよ」
声をかけたのは、公爵家の元庭番であり、ジュリアーナの唯一の協力者、カイルだった。
「ありがとう、カイル。まさか、あの【死体なしの転落事故】がこれほど上手くいくなんて」
ジュリアーナは、かつて王太子妃教育の合間に、万が一のための“逃走経路“を独学で構築していた。
「一年前のあの日、あなたが私の庭仕事を手伝いながら『もし、私が死んだことになったら、どこに逃げればいいかしら?』と笑わずに聞いた時、私は確信しました。お嬢様は本気なのだと」
カイルが懐かしむように目を細める。
「ええ、あの頃から準備は始まっていたわ。私が夜会で扇を動かしていたのは、ただの優雅な仕草ではないのよ。あの中で有力貴族の資金の流れを把握し、公爵家の裏帳簿を少しずつ書き換えて、カイル、あなたの偽名口座へ資金を移した。一年かけて作った、誰にも追えない『消えるための金』よ」
カイルは頷いた。
「転落事故の夜も、計算通りでしたね」
あの嵐の夜──。
馬車が崖に差し掛かる直前、ジュリアーナは御者を魔法で眠らせた。
そして馬車がガードレールを突き破る刹那、彼女はカイルが展開した“不可視の足場“へと飛び移ったのだ。
「濁流に飲まれる馬車を見下ろしながら、あんなに晴れやかな気持ちになったのは初めてだったわ。……カイル、あなたが庭師のふりをして、実は潜入や工作のプロだと見抜いた私の目は確かだったでしょう?」
「ええ、完敗です。……『庭番として雇ってやるから、将来私を盗み出しなさい』なんて命令する公爵令嬢は、後にも先にもあなただけですよ、ジュリー」
二人は顔を見合わせて笑った。
彼女にとって、婚約破棄は“絶望“ではなく、緻密に計画された“自由への合図“に過ぎなかったのだ。
「いいのですか? お嬢様。公爵家も、あの王子も、あなたを失って大変なことになっているようですが」
「いいのよ。ジュリアーナ・ド・ラ・マルク公爵令嬢は、あの日あの場所で確かに死んだのだから。……今の私は、ただのジュリーよ」
◆〜第三章:残された側の地獄〜◆
ジュリアーナがいなくなってから三ヶ月。
アルフレッド王子の生活は、劇的に“崩壊“していた。
まず、内政が止まった。
アルフレッドが“自分の功績“だと思い込んでいた膨大な書類仕事や、他国との外交調整、予算の配分。
そのすべては、ジュリアーナが影で処理し、彼がサインするだけの状態にまで整えていたものだった。
さらに追い打ちをかけたのは、国境付近の防衛結界の消失だった。
「殿下! 北方の防衛結界が維持できません! 魔力供給のパスが切れています!」
「何だと? あれは宮廷魔導師たちが維持していたものではないのか!?」
「……いえ、実は結界の要となる数式を構築し、個人の魔力で密かに補強し続けていたのはジュリアーナ様でした。彼女という”核”を失った今、我が国の盾は文字通り砕け散ったのです……!」
王宮の安全すら守れなくなった事実に、アルフレッドは顔を真っ青にして椅子に崩れ落ちた。
次に、エレンの正体が露呈した。
王妃教育を受けていないエレンに、王太子のパートナーが務まるはずもなかった。
夜会ではマナーを間違えて笑いものになり、高価な宝石やドレスを買い漁る彼女の浪費は、王家の国庫を圧迫した。
「アル様ぁ、あのおば様たちが私をいじめるの。もっと素敵なネックレスを買ってくれたら、元気になるのに」
「エレン、今は金がないんだ。ジュリアーナが管理していた予備費が、どこにも見当たらなくて……」
さらに追い打ちをかけたのは、公爵家の離反だった。
一人娘を理不尽な罪で殺された──と信じている──公爵は、王家への支援を一切断絶。
経済の要を失った王国は、みるみるうちに疲弊していった。
そして決定打となったのは、ジュリアーナが残した“贈り物“──一通の手記だった。
……それは、彼らが最も縋りたかった“自分たちの正当性“を根底から覆す、残酷なまでの真実の記録だった。
そこには、エレンが自作自演した嫌がらせの全記録、証言者たちが買収された証拠、そして、アルフレッドがいかにジュリアーナの功績を横取りしてきたかが、冷徹な筆致ですべて記されていた。
その手記は魔法で複製され、一夜にして社交界全土にばら撒かれたのだ。
◆〜第四章:さよなら、私の過去〜◆
「……惨めなものね」
リブラのカフェで、ジュリアーナは届いたばかりの母国からの新聞を眺めていた。
・第一王子アルフレッドは王位継承権を剥奪。
・エレンは詐欺罪で修道院へ。
・側近たちも全員、家を追われたという。
「ジュリー、読み終わった? ほら、焼きたてのスコーンだよ」
カイルが穏やかな笑顔で皿を置く。
ここでは、彼女を“悪役令嬢“と呼ぶ者はいない。
毎日、自分で選んだ服を着て、好きな本を読み、誰かに強制されることなく眠りにつく。
「ねえカイル、実を言うと、この街の物流が最近スムーズになったのは私のおかげだって、ギルド長は気づいているかしら?」
「まさか。まさかですよ。まさかあの中央市場の複雑な関税計算を、地味な事務員を装ったあなたが、たった一晩で最適化し直したなんて、誰も夢にも思いません」
ジュリアーナは楽しげに目を細めた。
彼女がリブラに来て早々、持ち前の事務能力でギルドの課題を解決した結果、この街の経済は劇的に向上していた。
一方で、彼女が“最適化“の際に敢えて切り捨てたのが、かつての祖国との交易ルートだ。
「今頃あの国は、輸入に頼っていた穀物の値段が三倍に跳ね上がっているはずよ。私が“不要なコスト“として契約を全て白紙に戻しておいたから。あんなに私を嫌っていたのだもの、私の作った経済圏に頼らなくても生きていけるはずよね?」
かつて彼女を“心の醜い女“と呼んだ者たちが、彼女が整えた“豊かさ“という恩恵を二度と受けられないよう、完璧にシステムから除外したのだ。
「ねえ、カイル。私、これから何をしようかしら」
「何でもできますよ。あなたが望むなら、この街一番の商人になってもいいし、ただの旅人になってもいい」
ジュリアーナは、窓の外に広がる無限の青空を見上げた。
十年間、檻の中にいた彼女を縛るものは、もう何もない。
「まずは、この美味しいスコーンをゆっくり味わうことにするわ。おかわりも、あとでお願いね。」
ジュリアーナはスコーンを一口頬張ると、今度こそ心からの、自由な微笑みを浮かべた。
かつての婚約者のことなど、もう一秒も思い出さない。
彼女が消えた後の世界で、彼らがどれほど不幸になろうとも。
それが、ジュリアーナが望んだ“復讐“であり、最高の“卒業“だったのだから。
「──お幸せにね、アルフレッド様。もう、二度と会うことはないけれど」
ジュリアーナはスコーンを一口頬張ると、今度こそ心からの、自由な微笑みを浮かべた。
〜〜〜fin〜〜〜
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