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第二十話 作戦名『終わりなき迷子の天使』

 ノクトは、ついに掴んだ。

 この理不尽なクソゲーの、ラスボスを倒すための、唯一の、そして最強の武器を。

 彼の口元に、悪魔の笑みが、浮かんだ。

『これより、作戦名『終わりなき迷子の天使』の、最終準備に入る。あの、生真面目な天使に、本当の「混沌」とは何かを、骨の髄まで教えてやる』

 ノクトの、個人的な復讐劇は、今、最終章の幕を開けようとしていた。


 アイリスは、脳内に響き渡る、その、あまりに悪趣味で、あまりに楽しげな宣言に、背筋が凍るのを感じていた。

 神様は、ついに、反撃の糸口を見つけ出した。

 だが、その方法が、まともなものであるはずがなかった。

(…作戦名、『終わりなき迷子の天使』…? …まさか、神様…。シルフィを、利用するおつもりですか…?)

 彼女の、不安げな問いに、ノクト()は、心底楽しそうに答えた。

『利用、ではない。抜擢だ。あの、歩く非論理(バグ)を、このゲームの最終兵器として、正式に採用するのだ』

 ノクトは、塔の自室で、水盤に映し出されたザフキエルの、詳細な行動データを、睨みつけていた。

 そのデータは、彼が、この数日間、アイリス分隊を駒として使い収集させた、血と涙と屈辱の結晶だった。

『奴の行動原理は、ただ二つ。「論理」と「秩序」だ。ギルたちの非論理的な挑発は、奴の論理で簡単に処理されてしまった。だが、シルフィの、純粋で、目的のない行動だけは、奴の論理では処理できない。「混沌(エラー)」なんだ』

 ノクトの、ゲーマーとしての、鋭い分析が、続く。

『奴は、シルフィの、その理解不能な非論理を、無理やり自らの論理の枠に押し込めようとしている。「高尚な、調和の精神の現れだ」とかな。…面白い。実に、面白い。ならば、その壮大な勘違いを利用させてもらうまでだ』

 彼の脳内で、悪魔的な作戦の全容が、組み立てられていく。

『奴は、シルフィという「混沌」を、理解したい。分析したい。その、知的好奇心こそが、奴の唯一にして最大の弱点だ。…ならば、その好奇心を、満たしてやろうじゃないか。奴が音を上げるまで、たっぷりと、な』


 アイリス分隊の作戦会議室。

 アイリスは、分隊員たちを前に、ノクトから授かった新たな指令を、伝達していた。

 その顔は、罪悪感と、胃痛で、引き攣っていた。

「…以上が、神様からの、新たなご命令です」

 その、あまりに突拍子もない作戦内容に、仲間たちは、呆気に取られていた。

「あ、姉御…。つまり、俺たちは、何もしなくていいのでありますか…?」

 ギルが、戸惑ったように尋ねる。

「はい。今回の主役は、シルフィです。我々は、ただ、舞台を整えるだけ…」

 テオが、ニヤニヤしながら、口を挟んだ。

「ひひひ…! なるほどな! あの、堅物の天使を、俺たちとは違う地獄に、叩き落とす、ってわけか! 神様も、人が悪いねえ!」

 ジーロスは、扇子で、口元を隠し、静かに、頷いた。

「ノン。これは、ただの嫌がらせではない。あの、無粋な天使に、真の『混沌の美』とは何かを、身をもって体験させる、高尚な芸術活動なのだよ」

 その、あまりにポジティブな、解釈。

 そして、作戦の主役に抜擢されたシルフィは。

「わあ! 私が、あの、キラキラした羽のお兄さんの案内役ですか!? 頑張ります!」

 彼女は、これから自分が何をするのか、全く理解していなかった。

 ただ、大切な役目を任されたことが、嬉しくてたまらないようだった。

 アイリスは、その、あまりに無垢な笑顔に、胸がチクリと痛んだ。

(…ごめんなさい、シルフィ…。あなたを生贄にするようです…)

 ノクトの、悪趣味な復讐劇の、最後のピースは、揃った。


 その日の午後。

 アイリスは、王城の庭園で、植物の生態観察に没頭しているザフキエルに、声をかけた。

 その表情は、完璧な、聖女の微笑み。

 声は、慈愛に満ち溢れていた。

「ザフキエル様。先日は、私の未熟な仲間たちが、大変なご迷惑をおかけいたしました」

「…いえ。あれは、貴重なデータ収集の一環です。問題ありません」

「まあ、なんと、お心の広い…。ですが、あなた様の、その高尚な調和への探究心。私、深く感銘を受けました」

 アイリスは、芝居がかった仕草で、胸に手を当てた。

「つきましては、あなた様に一つ、特別な提案がございます」

「…提案、ですか」

「ええ。あなた様は、シルフィの、その常人には理解しがたい行動原理に、大変な興味をお持ちのご様子。…ならば、いかがでしょう。彼女を、あなた様の、個人的な案内役として、推薦させてはいただけないでしょうか?」

 その、あまりに魅力的すぎる提案。

 ザフキエルの、無感動な瞳が、初めて、大きく見開かれた。

「…シルフィ殿を、私の案内役に…?」

「はい。彼女と共に、この王城を巡られてはいかがでしょう。彼女の、その、予測不能な行動の一つ一つが、あなた様の研究の一助となるやもしれません」

 ザフキエルは、数秒間、固まった。

 彼の、論理的な脳が、その提案のメリットとデメリットを、高速で計算する。

 メリット、無限大。

 デメリット、ゼロ。

「…分かりました。そのご提案、謹んでお受けいたします」

 彼は、初めて、その声に、明確な喜びの色を滲ませた。


 こうして、ノクトが描いた最悪の脚本の舞台は、完璧に整えられた。

 アイリスは、シルフィを、ザフキエルの元へと連れて行った。

 そして、彼女の耳元で、そっと囁いた。

「…シルフィ。…いいですか。これから、このザフキエル様を、王城の様々な素敵な場所へ案内してあげてください。…そして、絶対に、この方を一人にしてはいけませんよ」

 その、最後の言葉は、シルフィの純粋な善意を縛る、悪魔の呪いだった。

「はい! お任せください、アイリス様!」

 シルフィは、元気よく、返事をした。

 そして、ザフキエルの手を、ぎゅっと握った。

「さあ、行きましょう、ザフキエル様! 私が、このお城の、秘密の冒険へ、お連れします!」

「は、はい…!」

 ザフキエルの頬が、ほんのりと赤く染まっていたように見えたのは、きっと、気のせいではない。


 地獄の接待が、始まった。

 アイリスは、その、あまりにもシュールな二人組の後ろ姿を、ただ見送ることしかできなかった。

 脳内に、ノクト()の、満足げな、そして、どこまでも性格の悪い、笑い声が、響き渡る。

『…ひひひ…。さて、と。あの生真面目な天使が、混沌の無限地獄に、どこまで耐えられるか。…最高の、実験の、始まりだ』

 彼の、個人的な復讐劇は、今、最も陰湿で、最も悪趣味な、最終章へと、その幕を開けたのだった。

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