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第十八話 『神』の実験と分析

 ノクトの、私怨に満ちた聖戦の火蓋は、切って落とされた。

 その、絶対零度の殺意の波動は、アイリスを通じて、分隊の作戦会議室に招集された分隊員たちにも、痛いほど伝わっていた。

 アイリスは、貴婦人たちとのお茶会を、史上最速で切り上げ、分隊員たちを緊急招集したのだ。

 彼女は、目の前に並ぶ、あまりに個性豊かすぎる問題児たちを前に、脳内に響く『神』の言葉を、できる限り、威厳のある声に変換して、告げた。

「―――これより、天使ザフキエルに対する、作戦会議を開始します」

 その、あまりに物々しい宣言に、分隊員たちの目の色が変わった。

「おお! ついに、あの天使野郎を、粉砕する時が来たでありますか!」

「ノン! 彼の、あの無粋な存在そのものを、僕の芸術で、この世界から消し去ってあげよう!」

「ひひひ…! 面白い! で、奴の首には、いくらの懸賞金がかかってるんだい?」

 ギルが拳を握りしめ、ジーロスが扇子を広げ、テオが金勘定を始める。

 その、いつも通りの混沌を、アイリス(ノクト)は、冷たく、一蹴した。

「静粛に」

 その、静かだが有無を言わせぬ声に、三人は、ぴたり、と動きを止めた。

「あなた方の、その、脳まで筋肉でできたような単純な思考では、あの天使を倒すことなど、万に一つも、ありえません」

 アイリスの口から、普段なら絶対に発せられることのない、辛辣なダメ出しが飛ぶ。

「ザフキエルは、これまでのどの敵とも違う。彼は、暴力ではなく、『論理』と『正しさ』で武装しています。力任せの攻撃など、彼にとっては、ただの是正対象のデータが増えるだけです」

 ノクトは、苛立っていた。

 ポテチの味を、冒涜された、あの屈辱。

 その怒りを、今、彼は、目の前の使えない駒たちへの、八つ当たりに変換していた。

「…我々に必要なのは、戦闘ではありません。…『情報』です」

 アイリス(ノクト)は、続けた。

「これより、あなた方には、ザフキエルに対する、特殊な、偵察任務についていただきます。彼の、行動パターン、思考の癖、そして、感情の僅かな揺らぎ。その全てを、データとして、収集するのです。これは、彼の、完璧な論理の、ただ一つの『穴』を見つけ出すための、極めて重要な任務です」

 その、あまりにゲーム的な、しかし、妙な説得力のある説明に、分隊員たちは、ゴクリと唾を飲んだ。

 ノクトの、悪趣味な、人間観察実験が、今、始まろうとしていた。


 最初の実験体は、ギルだった。

「ギル。あなたの任務は、ザフキエルを発見し、彼の目の前で、これ見よがしに『情熱的な訓練』を再開することです」

「おお! やっていいのでありますか!」

「ええ。ただし、目的は、訓練ではありません。彼の『反応』を見ることです。彼が、あなたの違反行為に対し、どのような『是正』を行い、どのような言葉を発し、どのような表情をするか。その全てを記憶し、報告しなさい」

「承知!」

 ギルは、嬉々として、会議室を、飛び出していった。

 彼は、すぐに、中庭で、庭園の植木の角度を水晶の分度器で計測している、ザフキエルを発見した。

「ぅぉぉぉぉぉっ!(うおおおおおっ!)」

 ギルは、ザフキエルの目の前で、わざとらしく、大声(ただし、五十デシベル以下)で叫びながら、その場にあった巨大な装飾用の岩石を、持ち上げようとした。

 もちろん、その岩石は、彼の手が触れた瞬間、ふわふわの綿菓子へと姿を変えた。

 だが、ギルは、そこで止まらなかった。

 彼は、その、巨大な綿菓子を、まるで本物の岩石であるかのように、歯を食いしばり顔を真っ赤にして持ち上げ、そして、天に掲げた。

「ど、どうでありますか、天使殿! これが、我が、情熱であります!」

 その、あまりにシュールな、肉体パフォーマンス。

 ザフキエルは、その光景を一瞥すると、クリップボードに、何かを書き込んだ。

 そして、ギルに向き直ると、静かに告げた。

「…興味深い、自己表現です。ですが、あなたの、そのフォームは、非効率です。腰の角度が、三度ずれている。その結果、本来必要のない背筋に、十五パーセントの余計な負荷がかかっています。フォームを、修正してください。そうすれば、より少ない力で、より大きな綿菓子を、持ち上げることができるでしょう」

 怒りでも、侮蔑でもない。

 ただ、ひたすらに、純粋な、善意からの「アドバイス」。

 ギルは、その、あまりの正論に、言葉を失い、ただ巨大な綿菓子を抱えたまま、立ち尽くすしかなかった。


 次の実験体は、ジーロス。

「ジーロス。あなたは、ザフキエルの前で、あなたの知りうる限り、最も醜悪で、最も不協和な音で、最も見るに堪えない、混沌とした、光と音のアートを、創造しなさい」

「ノン! 僕に、醜いものを創れと!? …だが、面白い! やってあげようじゃないか!」

 ジーロスは、芸術家としてのプライドを懸けて、その悪趣味な任務に挑んだ。

 彼は、城の廊下で、床のタイルの枚数を数えているザフキエルを発見した。

 そして、彼の目の前で、光の魔法を解放した。

 赤と、緑と、黄色が、目まぐるしく明滅し、不快な電子音のようなノイズが、空間を満たす。

 それは、ジーロスの美学の、全てを否定した、魂からの、冒涜的なアートだった。

 ザフキエルは、その、あまりに目に悪い光景に、一瞬だけ目を細めた。

 そして、また、測定器を取り出す。

 彼は、その醜悪な光を、芸術としてではなく、ただの物理現象として、観測し、その数値を記録し始めた。

「…なるほど。光の明滅周期は、平均で四十五ヘルツ。許容範囲内ですが、視神経に疲労感を与える、不規則な揺らぎが観測されます。また、光源の中心光度は、約三百カンデラ。…興味深いデータが、取れそうです」

 彼は、ジーロスに一瞥もくれることなく、続けた。

「ちなみに、その青系統の光の波長は、約五百ナノメートル。天界の安全基準では、長期的に鑑賞した場合、軽度の頭痛を誘発する可能性があると、報告されています。ご留意を」

 ジーロスは、自らの、魂を込めた冒涜のアートが、ただのデータとして処理され、挙句の果てに、健康へのアドバイスまでされたことに、ショックを受け、膝から崩れ落ちた。


 最後の実験体は、テオ。

「テオ。あなたは、ザフキエルに、この世で最も非論理的で価値のないものを、売りつけなさい」

「ひひひ…! 任せとけ! 俺の、得意分野だ!」

 テオは、自信満々で、ザフキエルの元へと向かった。

 彼は、中庭で、蝶の飛行パターンを記録しているザフキエルに、声をかけた。

「よぉ、天使の旦那! 今日は、一つ、とんでもねえ掘り出し物を、旦那にだけ紹介しようと思ってな!」

 彼が、懐から取り出したのは、一つの、空っぽの小瓶だった。

「これだ! この中にはな、『無』が入ってる!」

「…む…?」

「そうだ! 悩みも、苦しみも、存在しねえ、完璧な『無』だ! これさえあれば、あんたも、日頃のストレスから解放されるぜ! お値段は、なんと、金貨百枚! 安いもんだろ!」

 その、あまりに哲学的な、詐欺。

 ザフキエルは、その、空の小瓶を、じっと見つめた。

 そして、数秒後、静かに口を開いた。

「…定義が、曖昧です」

「…は?」

「あなたの言う『無』とは、物理的な、真空状態を、指しますか? それとも、精神的な、涅槃の境地を、指しますか? 前者であれば、この瓶は、ただの空気で満たされていますので、虚偽表示です。後者であれば、その精神状態への効能を証明する、客観的なデータが必要です。提示できますか?」

「…………」

 テオは、何も言い返せなかった。

 彼の詐欺は、相手の、感情や、欲望に、つけ込むことで成り立つ。

 だが、目の前のこの天使には、そのどちらも存在しなかった。


 その日の、夕方。

 作戦会議室は、三人の敗北者たちの、重いため息で満たされていた。

 ギルも、ジーロスも、テオも、ザフキエルという、絶対的な「正しさ」の壁の前に、完膚なきまでに敗れ去ったのだ。

 アイリスは、その絶望的な報告を、脳内でノクト()へと送っていた。

(神様…。だめです。彼には、何も、通用しません…)

 だが、ノクトの、返信は、意外なほど、穏やかだった。

『…いや。データは、取れた』

(え…?)

『ギルの挑発にも、ジーロスの冒涜にも、テオの詐欺にも、奴は、一切感情を動かさなかった。ただ、それらを、「データ」として処理しただけだ。…つまり、奴の行動原理は、ただ一つ。「論理」だ』

 ノクト()の声が、確信を帯びる。

『だが、シルフィに関する報告だけが、違った』

 アイリスは、息をのんだ。

 彼女は、一日中、シルフィを尾行していた。

 そして、ザフキエルが、他の三人を監査している間も、ただひたすらに、シルフィの無意味な行動を、観察し、記録し続けているのを、目撃していたのだ。

『奴は、シルフィの行動だけは、「データ」として処理できていない。その、あまりに純粋で、目的のない、行動は…奴の論理では処理できない「非論理(エラー)」なんだ』

 ノクトは、そこで、一度、言葉を切った。

 彼の、ゲーマーとしての鋭い直感が、一つの、恐ろしい、しかし、確かな、仮説を、導き出していた。

 だが、それはまだ、仮説でしかなかった。

『…シルフィだと? なぜだ。奴は、混沌と非論理を「是正」するのが目的のはず。シルフィは、その混沌の権化だ。なぜ、奴は、シルフィを是正しない? それどころか、観察…? …データが、矛盾している。…何かが、おかしい』

 ノクトは、初めて、このゲームの本当の攻略法に、気づきかけていた。

 だが、その最後のピースが、まだ足りない。

 彼は、自室の塔で、一人、水盤に映る、シルフィの無垢な笑顔を、見つめていた。

 そして、この矛盾を解き明かすための、次なる、そして、最も悪趣味な実験を、静かに計画し始めていた。

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