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第十三話 公正なる取引

 不徳の神官テオは、死んだ。

 いや、正確には、彼の魂の核である「詐欺師としてのプライド」が、完全に死んだ。

 天使ザフキエルの、あまりに厳格で、あまりに「公正」な監査は、彼の信仰ビジネスを、ただのガラクタ市へと変貌させ、挙句の果てに、金貨一万枚という天文学的な罰金の請求書まで、叩きつけていった。

 アイリス分隊の作戦会議室。

 テオは、机に突っ伏し、魂の抜け殻のようになっていた。

「…終わりだ。俺の、人生は…」

 もはや、怒る気力さえ、残っていない。

 その、あまりに哀れな姿に、仲間たちは、かける言葉も見つからなかった。

 ジーロスは、「フン。金などという、俗なものに執着するから、こうなるのだよ」と、どこか他人事のように言いながらも、その目には、ほんの少しだけ、同情の色が浮かんでいた。

 アイリスは、深いため息をついた。

 ギル、ジーロス、そして、テオ。

 分隊の、主要メンバーが、次々と、天使の「正しさ」の前に、その魂を折られていく。(…神様。もう、打つ手は、ないのでしょうか…)

 彼女が、脳内で、助けを求めた、その時だった。

『…いや。手は、ある』

 アイリスの脳内に、ノクト()の、静かな、しかし、確かな、闘志に満ちた声が響いた。

 その声は、どこか、楽しげだった。

『…面白い。あの天使野郎。一つだけ、ミスを、犯したな…』

(ミ、ミス、ですか!? あの、完璧な天使が!?)

『ああ』

 ノクトの声には、絶対的な、確信が、宿っていた。

『奴は、テオに「公正な取引」を、要求した。ならば、こちらも、奴の土俵に上がり、完璧に「公正な取引」をしてやろうじゃないか。…奴が、二度と商売に口出しできなくなるほどの、完璧で、公正な、取引をな』

 その、あまりに不敵な言葉に、アイリスは息をのんだ。

 彼女は、魂の抜け殻となっているテオの肩を、そっと揺すった。

「…テオ。…神様からです。あなたに、反撃の策を、授ける、と」

「…はんげき…?」

 テオが、力なく、顔を上げる。

 アイリスは、脳内に響く、ノクトの、悪魔的な囁きを、一言一句、違えることなく、テオに、伝えた。

 それは、詐欺師の魂を、蘇らせるための、悪魔の福音だった。

「―――『あの天使の、正論を、逆手に取れ』、と」


 数分後。

 テオは、完全に、復活していた。

 その、死んでいたはずの瞳には、以前よりも、さらに禍々しく、そして、狡猾な光が、宿っている。

「…ひひ…。ひひひひひ…! そうか…! そういうことかよ、神様…! 面白い! 面白いじゃねえか、そのケンカ、買ったぜ!」

 彼は、絶望の淵から、舞い戻ってきた。

 ただの詐欺師としてではない。

 神の、悪魔的な知恵を授かった、最強の商売人(ビジネスマン)として。

 テオの、商売人(ビジネスマン)しての誇りを懸けた、反撃の狼煙が、今、上がろうとしていた。


 翌日。

 王都の中央広場は、異様な、雰囲気に包まれていた。

 業務停止命令を受けていたはずの、『聖女アイリス様ファンクラブ本部』が、店名を、新たに『天界公認・公正取引委員会認定ショップ』と変えて、営業を再開していたのだ。

 店の前には、以前のような、熱狂的な信者の群れではない、ただ、何事かと遠巻きに様子を伺う、野次馬たちが集まっている。

 やがて、店の扉が、ゆっくりと開かれた。

 現れたのは、いつもの、派手な神官服ではない、どこかの、堅物な会計士のような、地味な、しかし、仕立ての良い服に身を包んだ、テオだった。

 彼は、店の前に立つと、深々と頭を下げた。

「皆様、先日は、私の不徳の致すところで、大変なご迷惑をおかけいたしました。深くお詫び申し上げます」

 その、あまりに真摯な、謝罪。

 そして、彼は、顔を上げ、晴れやかに宣言した。

「当店は、先日、天界よりお越しの、ザフキエル監査官様の、厳格かつ公正なるご指導を受け、生まれ変わりました! 本日より、当店で扱う全ての商品は、天界の法に則った、一点の曇りもない、『公正なる取引』であることを、ここに誓います!」

 その、宣言と共に、店の新しい商品が披露された。

 最初に、彼が掲げたのは、あの『聖水』だった。

 だが、そのラベルは、完全に生まれ変わっていた。


【品名:王都の、おいしいお水】

【原材料名:水】

【栄養成分表示(百ミリリットルあたり):エネルギー〇キロカロリー、タンパク質〇グラム、その他、全てゼロ】

【ご注意:これは、ただの水です。飲んでも、奇跡は、起きません】

【価格:銅貨三枚】

【特記事項:この価格は、天界の監査官ザフキエル様によって、原価計算に基づき算出された、絶対的に公正な価格です。これより、高くも、安くも、販売することは、禁じられています】


 その、あまりに正直すぎる、ラベル。

 そして、あまりに安すぎる、価格。

 人々は、ざわめいた。

「おい、銅貨三枚だってよ…」

「『奇跡は起きません』って、書いてあるぜ…」

「ていうか、あの、お堅い天使様の、お墨付きってことか…?」

 次に、テオが披露したのは、あの『ブロマイド』だった。

 だが、そこに描かれているのは、もはや棒人間ではない。

 ジーロスに無理を言って描かせた、写真と見紛うばかりの、超絶技巧の、アイリスの肖像画。

 ただし、その表情は、一切、笑っていない。

 ただ、真顔で、正面を見つめているだけ。

 そして、その下には、こう書かれていた。


【品名:聖女アイリスの、ありのままの肖像画】

【注意:この肖像画は、天界の監査官ザフキエル様の指導に基づき、聖女アイリス本人の、公務中の平均的な表情を、寸分の狂いもなく再現したものです。鑑賞しても、幸福度が統計上有意に上昇するという保証は、一切ございません】


 その、あまりのシュールな光景に、野次馬たちの中から、くすくすと笑い声が漏れ始めた。

 テオは、とどめを刺した。

「さあ、皆様! 天使様お墨付きの、絶対的に公正で、一点の曇りもない、正直な商品を、どうぞお買い求めください! この商品を買うことこそ、真の法令遵守(コンプライアンス)ですよ!」

 その、あまりに悪趣味で、あまりに皮肉に満ちた、口上。

 人々は、もはや、熱狂的な信者ではなかった。

 この、前代未聞の、面白い「見世物」の観客だった。

「ひひひ! 面白い! その、天使様お墨付きの水、一本貰おうか!」

「その、真顔の聖女様の絵も、一周回って芸術的だな!」

 商品は、飛ぶように、売れ始めた。

 人々は、もはや、奇跡を、求めてはいなかった。

 ただ、この、国を挙げての、壮大な茶番劇の、「記念品」を求めていたのだ。

 テオの商売は、復活した。

 利益率は、低い。

 だが、その、あまりの話題性に、客は、以前の数倍、数十倍に、膨れ上がっていた。

 彼の店は、もはや信仰の対象ではない。

 王都で、今、最もホットな、娯楽施設へと変貌していたのだ。


 その、熱狂の中心に、ザフキエルは、音もなく立っていた。

 彼は、自らの指導が、完璧に遂行されていることを、確認しに来たのだ。

 商品の、表示。完璧。

 価格。公正。

 口上。事実に即している。

 彼の、厳格な監査基準では、今のテオの商売に、一点の違反も見つけ出すことができなかった。

 だが、なぜだ。

 全てが、「正しい」はずなのに。

 自分は、この詐欺師を「是正」したはずなのに。

 なぜ、彼は、以前よりも、遥かに儲けているのだ?

 そして、なぜ自分は、彼のその商売のダシに使われているのだ?

 ザフキエルの、完璧な論理の世界が、ぐらぐらと揺れ始めた。

 彼は、テオの前に、進み出た。

「…あなた。これは、一体、どういう…」

「おお、ザフキエル様! あなた様こそ、我が店の、名誉顧問! あなた様のおかげで、我が店は、こんなにもクリーンな企業に、生まれ変わりました! 感謝の言葉もありません!」

 テオは、満面の笑みで、ザフキエルの手を固く握りしめた。

 その、あまりに純粋な(ように見える)感謝の言葉。

 そして、周りの、民衆たちの、「おお、あの方が、噂の、お堅い天使様か!」「ありがとう、天使様!」という、賞賛(という名の、ヤジ)の声。

 ザフキエルの、思考回路は、完全にショートした。

 彼は、クリップボードに、震える手で、こう書き込んだ。

『是正勧告、完了。対象は、完全にコンプライアンスを遵守。…ただし、その、コンプライアンス遵守という事実そのものを、新たな商業的価値へと転換。…論理的に矛盾。…理解不能…。要、天界法務部との協議…』

 彼は、それだけ書き残すと、屈辱に顔を歪ませながら、光の中へと消えていった。

 テオの、商売人(ビジネスマン)としての誇りを懸けた戦いは、彼の完全勝利で幕を閉じた。

 彼は、ルールを破るのではなく、ルールを完璧に守り、そして、利用することで、そのルールの番人を、打ち破ったのだ。

 彼の、高らかな、下品な笑い声が、王都の空に、響き渡った。

 だが、その勝利の喧騒は、すでに天使の耳には届いていなかった。

 ザフキエルの無感動な瞳は、もはやテオにはなく、その視線は、人混みの中で、一羽の蝶を無邪気に追いかける、一人のエルフの少女へと、静かに向けられていた。

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