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魔王の器  作者: 北崎世道
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辛子明太子

 飛行魔法は覚えれば便利だ。自転車よりも気楽に、そして車よりも速く移動できる。渋滞の無い地下鉄だってこうはいくものか。人混みを恐れる必要もないし、痴漢冤罪を恐れる必要もない。勿論、運賃だって必要ない。どこまでも自由なスーパーマンと同じ移動法。


 そんな訳であっさり素早く簡単にアパートに戻ってきた僕は、早速自室の隣に突撃する。


「お話の時間だ! コラァッ!」


 と言いながら扉をノックし、応答を待つ。


 が、出ない。出てこない。


 しんと静まり返っている。


「オラァッ! 出てこい! 話があるぞ、コラァッ! コルァッ! コァラッ!」


「…………」


「コラァッ! 出てこい! 話があるぞ、オラァッ! オヌァッ! オナラッ!」


「…………プっ」


 ふと、中から屁のような音がした。つい噴き出してしまったような音。しかし、それ以降は何もない。探知魔法を使わずとも気配は感じるのに、何故か出てこない。便秘か? それとも居留守を使われてるのか。


 どうしてだろう。


「そりゃお主にビビっとるからじゃろ」


 暫く黙りこくってたアウルアラが突然、声を出した。


 僕に? ビビってる? まさかそんな。仏よりも温厚だと自認している僕を恐れるとか、とても正気とは思えない。そんな誤解をするような奴は一刻も早く考えを改めさせる必要がある。その為にはドアを蹴破り、頭蓋から脳髄を引きずり出して、磨り潰してやらないと。


 …………というのは冗談で、確かに僕は(厳密には僕を乗っ取ったアウルアラが)素行の悪いチンピラ共をボコボコにしてしまったのだから、彼等が僕を恐れてしまうのも無理はないと言える。しかしだからといってこのまま引き下がる訳にもいかないので、


「おーい。出てきてくださーい。居るのは分かってるんですよー」とNHKの集金みたいに声を掛けつつも、「出てこないと今からこの扉を蹴破っちゃいますよー。それでもいいんですかー?」と最後通牒を突きつける。


 脅迫はあまりよくない手段なのは自覚しているが、今は手段に拘ってる余裕はないし、チンピラ達の心情を慮る義理もない。所詮は弱者をいたぶるのがライフワークな社会のクズだし、ここは遠慮なくいたぶってやろう。


「今はお主が弱者をいたぶっておるな」とアウルアラ。やかましい。誰だって自分は被害者で、加害者とはならないのだ。


 軽く嘆息し、勿体ぶるようなカウントダウンを始める。


「さぁぁぁん。にぃぃぃぃっ。いぃぃぃいち」


 さてここで語尾にハートマークを付けてゼロを連呼するのがメスガキで、ピシャっと締めるのが博多人だ。辛子明太子CM。メスガキではない異世界人の僕は、足を上げて、今にも蹴りを放とうと構える。が、残念ながらその前に扉が開いた。


「ひぃぃっ、すいません。すいません。おねがいします。どうか命だけはご勘弁を……っ!」 


 ぼろっちぃ扉を開き、涙と鼻水で汚い顔面を更に汚くしながら、見覚えのあるチンピラのおっさんが命乞いをしてきた。膝を付き、こちらに許しを請う姿は滑稽さやよりも哀れさの方が勝る。まさかここまで恐れられてるとは思わず、僕は口端を引きつらせる。


「如何なさるのじゃ、将軍様?」とアウルアラ。誰が将軍様だ。「処す? 処す?」処さねぇよ。


 僕は再び嘆息をしつつ、膝を付いて顔面ぐしゃぐしゃの汚っさんと目線を合わせて、「別にあんた達をボコボコにしに来た訳じゃありませんよ。ただ、ちょいと聞きたい事があって尋ねに来たんです」と言った。


「なぁんだ、そうだったのかぁ」


 汚っさんの立ち直りは嘘みたいに早かった。


 つい一コンマ前まで顔面ぐしゃぐしゃだった筈なのに、いつの間にか立ち上がり、平然とした面持ちで腰に手を当てて、ため息を吐いていた。僕はおっさんに目線を合わせる為に膝を付いていたので、自然と見下されるような立ち位置になってしまう。


 …………なんという変わり身の早さ。僕でも見逃しちゃうね。


 おっさんの態度の急変に怒りよりもむしろ清々しさを感じつつ、僕は立ち上がり、おっさんに訊ねる。


「たしかあんた、ガリオス組だとか言ってたよな。でもってブーザマって男を知ってたよね。そいつについて色々聞きたい事があるんだけど、いいかな?」


 一応、質問の体で言ったけど、実際のところは強制のつもりでの発言だ。チンピラのおっさんは意外にも僕の強気な態度に一切引かず、「どういうつもりで?」と尋ね返す。


 僕は少し考え、正直に言った。「奴を殺した犯人を探し出す。その為の情報が欲しい」


 たぶんこいつはブーザマって男を慕っていた。たしかこいつの仲間がブーザマの兄貴がいてくれたら、とかほざいていたから、それなりに奴を尊敬していたんだと思う。ブーザマはクソみたいな悪党だが、悪党側の人間からしてみれば、カリスマみたいなのがあったのかもしれない。


 なのでブーザマ殺害犯を探すという目的は、こいつにとってこちらに協力する大きな理由となり得ると思っての告白だ。


 少しだけ沈黙が訪れる。


 暫くして彼は言った。


「…………分かった。俺に答えられる内容だったら答えてやる」


 こちらに背を向け、部屋の中に入れてくれる。


 部屋の中はおっさんの見た目同様汚かった。中央に麻雀卓らしきものがあり(おそらくこの世界の麻雀卓なのだろう。ルールは違うと思うけど)、部屋の四隅に日用品やら着替えやらゴミなどが散乱している。独身男性宅のお手本みたいな部屋だ。あとついでに、おっさんの仲間が三人、険しい顔でこちらを見ていた。


「…………いたのか」気付かなかった。探知魔法こそ使ってなかったが、いち冒険者としては、こいつら程度の気配には、気付いておきたかった。


「警戒心にムラがあると言うとるじゃろ」とやや呆れたようにアウルアラが言う。確かにこの体たらくではアウルアラの言葉を否定できない。


「空いたところを適当に座ってくれ」とおっさんが言う。だが、この汚さではあまり腰を下ろす気にはなれない。半ばゴミ屋敷と化してるこの部屋には、おそらく汚っさん達よりも多くのゴキブリが住み着いているだろう。今のところまだ視認してないけど、それは確認するまでもなく確信できる。辛い系のお店に入ったらトイレで後悔するくらい確実だ。とにかく汚い。寝起きの口内くらい。


 なので僕はおっさんの指示をあえて無視して、壁際に立つ。壁に寄り掛かろうとしたが、なんとなくそれも憚れる程の汚らしさ。一端の冒険者なら虫くらいは平気に、お風呂だって一か月我慢できる程度には耐性を持つべきだが、それはそれ。これはこれだ。我慢できても、しないに越したことはない。一瞬、魔法でこの部屋から害虫を追い出す事もできたが、それだと追い出した害虫が僕の方の部屋に移り住む恐れがあるので、やめておいた。っていうか、こんな汚い部屋がお隣さんとかマジふざけんなと思う。


「なぁ、掃除くらいはしろよ」と僕は言う。我ながら口調がやや荒い。「今日は我慢するけど、今度この部屋に来た時、汚かったらマジで怒るし、ガチで追い出してやるから覚悟しとけよ」


 僕の言葉にオッサンはなめた態度で薄ら笑いを浮かべていたが、少しだけ殺気を放つと、即座に態度は改め、真面目な顔で頷いた。このおっさん達、一見頭は悪そうだが、本能的な判断力はやはり高い。


 僕は軽く咳き込んでから、訊ねた。


「それで、まず最初に訊くけど、ブーザマってどんな奴だった?」


 その問いに、僕を部屋に居れたおっさんが答えた。どうやらこいつがこの中でのリーダー格らしい。


「ブーザマさんは恐ろしい人さ。あの人の辞書には容赦も倫理も良心もないね。あの人にとって他人は全て踏み台。自身が上り詰める為には何を犠牲にしたって厭わない心の中まで全て真っ黒な悪人さ」


「…………よくもまぁ、そんな奴を慕う気になれるな。裏を返せば、いつ自分が切り捨てられてもおかしくないって事なのに」


「生粋の悪だからこそ憧れるんだよ。それにあの人に役立つところを見せれば、それ相応の恩恵が与えられたんだ。慕うのは当然だろう」  


 …………考え方次第では、ああいう悪い奴には自分の事を裏切らないって判る駒が最も重要なのかもしれない。それを見越しての事なのか。それともアホだから判りやすくて扱いやすいと思われてたのか。そこら辺はブーザマ本人にしか分からないけど、とりあえずこいつらがガチでブーザマを慕ってたというのは本当だ。なにせ既に死んだ後でもこうして彼を慕っているのだ。ブーザマを語る時のこいつの顔を見たら、プロ野球選手を語る小学生みたいで、嘘はないなと思える。令和だったらユーチューバーか?


 ちなみに他の三人も同じような感じだ。ブーザマに不満を抱いてる様子はない。他人から恐れられる悪人ってのは大抵死んだ後、その死を侮辱されるものだが、意外にもブーザマはそういう目には遭ってない。少なくとも部下からは。


 嘆息する。


 とりあえず今ので分かった事は、ブーザマは部下からは信用されてたって事。それじゃ次にブーザマが恨まれるような理由。誰から恨まれてたかって事について訊いてみよう。


「ブーザマを恨むような人に心当たりはある?」


「ある」「ありまくり」「ありすぎて困る」「マクラについてた抜け毛くらいある」


 四人とも即答だった(涙)。まぁ、そうだろうなとは思う。犯罪者=悪人ではないように、人に恨まれない悪人ってのはそれはもはや悪人ではない。麦わら帽をかぶった海賊王志望の青年を犯罪者と呼べても、悪人と呼べないのと一緒だ。たぶん。


「それじゃその中で実際にブーザマを殺そうと思ってそうな人はどれくらいいる?」


「分からん。さっぱりだ」「散髪後くらいさっぱり」「散髪後くらいさっぱり」「恨みの持ち方は人それぞれだからなぁ」


 そりゃそうだ、と納得。バカと罵られて気にしない人もいれば、怒り心頭の人もいる。悦んで、もっと罵ってとせがむ人だっている。


 実際、散髪後発言の後に仲間内から「切るとこねぇだろ」と呟かれた汚っさん二人のうち一人はガチギレし暴動、もう一人はたいして気にした様子もない。平然と放屁し、鼻の穴をほじっている。どっちも同程度の毛髪量であるにも関わらずだ。この例からしてみても、どれくらい恨まれるかはやはり人それぞれとしか言いようがない。


 ひとまず狭い室内でガチギレして暴れ出した薄毛の汚っさんを拳骨で大人しくさせつつ、僕は考える。


「…………なら、その中で魔法の実力者は?」


「分からん」のトリオ。三重奏。カルテットでないのは、僕が拳骨で気絶させて意識がないからだ。


 と、ここでリーダー格である僕を出迎えたおっさんがこう続ける。


「ただ、ブーザマさんがいたぶるのは大抵弱者だから、魔法の実力者はいないんじゃないかと思う」


 なんとも説得力ある理屈だ。悪人は強者を狙わない。強者を狙うのは革命者で、ブーザマが革命者でない事はあえて確認する必要もない。連休明けに絶望感が訪れるくらいに確かな事だ。


「なら、これはブーザマに恨みがある者の犯行ではない……?」


 と、自分で挙げときながら、その可能性は低いと思う。何故ならムッサイの証言では、黒コートの男はブーザマを狙っていたからだ。ジャントルは本人が己の殺害を懇願したからで、他二名にいたっては目撃証言すら構わず放置している。ターゲットは初めからブーザマだった。しかも逮捕されてすぐの犯行。場所もまだ街外れだったので、偶々見つけて襲い掛かったって可能性も低い。犯人はブーザマを狙っていたのだ。


「なぁ、一度事務所に行かせてもらってもいいか?」


 僕が思案に暮れていると、おっさんの一人が挙手して、許可を請うてきた。


「ガリオス組の事務所になら、あの人がやってきた事の記録が残ってる筈だ。ブーザマさんの性格を考えると、おそらく小さな事まできっちり書いてある可能性が高い。人の嫌がる事を行い、その記録を眺める事が何よりもの楽しみだった人だからな」


「マジで性格終わってんな…………」


 僕は呆れ果てると同時に、今回はその終わった性格が助かるなぁと感謝した。でもブーザマに感謝はしたくないので、代わりにその辺に落ちてるゴミクズに感謝しておいた。ブーザマもゴミクズも似たようなもんだから問題なし。


「それじゃ頼むよ」と僕がお願いすると、汚っさん三名は頷き、早速部屋を出ようとする。僕が拳骨で気絶させた汚っさんは、出て行こうとする内の一人に足を引かれ、後頭部がズリズリと引き摺られている。ただでさえ薄い髪がこれでまた更に薄くなっていくが、些細な事なので気にしない。


 僕も三名プラス一名の後に続き、部屋を出る。このままこの人達について行こうかと考えるが、


「資料の整理に時間が掛かりますよ」という事なので、後で向かう事にした。もしかすると彼等の都合で隠したい情報があるかもしれないが、彼等自身がブーザマ殺害の犯人を恨んでいる事は確かなので、そこまで悪い事にはならないだろうと思い、無理やりついて行く事はやめておいた。僕の目的はあくまでブーザマ殺害の犯人であり、彼等の悪事を晒す事ではない。


 極端な話、悪事の内容じゃなくて、恨まれてそうな人リストがあればいい。そこからは恨みの有無よりも実力の有無で見極めたら大丈夫な気がする。今回の事件は、魔法の手練れじゃないと起こせないのだから。


「それじゃ頼むよ」と言って、僕は彼らを見送る。


 暫くしてから「うぉぉおっ、後頭部の髪がぁぁあっ!」という慟哭が聞こえた気がするが、どうでもいいので気にしないでおく。


 それよりも折角ここにきたので、自分が借りた部屋に寄ってみる事にする。リリスさんの容体も心配だし、軽く覗いてみてもいいだろう。


 そんな訳で、僕はすぐ隣の自分の部屋をのぞいてみる事にする。


 勿論、めだかの学校みたいにそぉーっと覗くのではなく、堂々と正面から部屋に入る。


「見舞いの時間だ、コラァッ!」


 と心の中で叫びながら、扉を蹴らずに、普通に入る。


 部屋の中では、姉と弟が全裸で向き合っていた。


「…………」


 というと語弊が招きそうなので、もう少し詳細に語ると、どうやら二人はお風呂上りで、姉が弟の身体を拭いていたというところのようだ。


 しっとりと濡れた裸体は、肉付きが薄く、肋骨がくっきりと浮かんでいる。貧相な尻肉から覚えるのは扇情さよりも倒錯感。玉の滴が鼠径部から股を通って、太ももへと流れ落ちる。それを幼い弟が惑う視線で追う。未成熟な彼の身体からはまだ雄の香りはせず、性の芽が未だに蕾である事を示している。


 そう、今はまだ。


 しかし、このままではいずれ姉の裸体で歪んだ花を咲かすのは目に見えている。機があれば、隣人のチンピラ達を使って、弟に男の世界を教えるよう手配しておこう。男の穴には男の穴の良さがある事をチンピラ共から教えてもらうのだ。さすれば姉に欲情する弟は存在しなくなる。うむ。


「な…………っ?」


 赤く火照った身体の姉が戦慄の眼差しをこちらに向ける。だが、僕は構わず部屋に上がり、リリスさんの容体を確認する。…………うん。特に問題なさそうだ。っていうかまだあまり変化はない。


「うぃっす。特に問題なさそうだし、またね」 


 僕は驚愕と困惑で絶句し、硬直する姉弟を放って、アパートを出る。随分、間が開いた気がするが、まだ一日も経過してないので、当然ながら変化がない。なんとも長い一日である。山王戦くらい。


 正直、忘れかけてる。


 さて、これからどうしようかと考える。そろそろ酒場が開いてるだろうか。少し迷ったが、飛行魔法ならすぐなので、ひとまず行ってみる。



 ◆



 着いた。言葉にするのも憚られる下品な店名の酒場だ。店は丁度いま開いたばかりのようで、店内に入ると案の定まだ誰も客はいなかった。


 カウンターに居る酒場の店長らしき人に声を掛ける。


「すいませーん」


「あらあら、可愛らしいお客さんね」


 青髭の生えたお姉さんが優しい笑顔で言った。


「どうしたの? ここは子供が来るところじゃないわよ?」


「人を探してるんです」と僕は用件をストレートに言った。「ウェールイっていう男です。この店に入り浸ってるって聞いたから来てみたんですけど、どうですか? 今はまだ来てないようですが……」


「ああ、ウェールイちゃんね。知ってるわ。よくウチに来てるわよ」


 どうやらムッサイの情報は正しかったようだ。


「ほとんど毎日来てるし、たぶん今日も来るんじゃないかしら。いつもならあと一、二時間ってところね。どうする? ここで待ってる?」


「うーん…………また後で来ます。もし来たら繋ぎ止めといてください。アルカって言えば分かると思いますから」


「分かった。ちゃんと責任もって伝えとくわ」


「ありがとうございます」


 僕は青髭生えたお姉さんに頭を下げて、店を出る。


 …………さて、次はどうしよう。


 やるべき事があり過ぎると、頭の中で整理しきれない。ひとまず孤児院にでも行って、また様子を見に行ってみようか。

 


 ◆



 孤児院内は暗かった。


 もうすっかり夜なので、こっそり忍び込んでみようとする。が、


「か、鍵が閉まっている…………」


 なんて事だ。これではこっそり忍び込めないではないか。


 と思ったが、すぐに僕の頭の中の変態女王が、


「ほら、身体を貸してみ?」


 とぬかすので、ひとまず貸してみる。すると、変態女王ことアウルアラは便利魔法を使って、扉を通り抜けた。


 破壊ではなく通過。開錠ではなく扉の透過。ひみつ道具でいうなら通り抜けフープ。


 それこそ今回の事件の犯人、黒コートの男のように。こっそり音もなく。


「へぇ、便利だなぁ………………あ、」


 と、ここでユウとばっちり目が合う。


 昭和の廃校舎みたいな孤児院の廊下の中央で、リリスさんの友達であるユウがこちらを呆けた表情で見ながら立っている。僕から大体五メートルくらい離れたところ。こっちは壁際。ちょうどすり抜け終わったところで、逃げ場はない。


 時が止まったと同時にアウルアラが身体を返した。逃げやがった。


 僕は思考停止の状態でユウの目を見る。顔を見る。すぐ逸らす。


「なにしてんの?」とユウが呆気にとられながら尋ねる。逃げたいが逃げ場がない。アウルアラは壁をすり抜けられるが、僕はすり抜けられない。


「ああ、えっと孤児院の様子を見ようと思って……」


「コソ泥みたいに忍び込んで? っていうか、なにその魔法? 初めて見たんだけど?」


「えっと……」


 僕が返答に窮すると、ユウはぐいとこちらに詰め寄り、こう言った。


「忍び込んだ事については、ひとまず黙認するわ。心配で見に来たって心情も理解できるし。それよりも壁をすり抜ける魔法なんてどこで覚えたの? そっちはマジで気になるんだけど」


「えっと…………それは秘密で」


 僕がしどろもどろに人差し指を唇に当てると、ユウは思いの外あっさり退いた。この世界における魔法は────それも基本魔法ではなく、特殊な専門魔法は────元の世界にとっての企業技術みたいなものだから、退かざるを得ないのだろう。ユウは納得してなさそうだが、こればかりは教える訳にはいかないので仕方ない。そもそも壁抜け魔法はアウルアラしか使えないから僕じゃ教えられない。


 ユウは釈然としない様子で唇をとがらせていたが、すぐに気を取り直し、僕に訊ねた。


「用件は本当に様子を見に来ただけ?」


「うん。皆、元気そうだね」


 僕は周りを見ながら言う。


 孤児院内は思ったよりも明るかった。外から見た時は、既に寝静まってるかと思ったが、皆普通に起きていた。マクラ投げ合戦をして、遊んでいた。忍び込んだ僕に気付いた様子もなく、ぎゃあぎゃあと騒いでいる。


「喧しいな」


「いいじゃない。静かなのよりはマシよ。あんたが借金返してくれたおかげね」


 そう言われると悪い気はしない。


「それに見て。ここのコ達。皆、笑顔よ」


 見るまでもなく笑顔だ。実に楽しそう。素敵な笑顔だ。喧しい事に目を瞑れば、子供の笑顔は見ていて、気持ちが晴れる。僕も昔はそういう素敵な笑顔を持っていたのだろうか。見る者を幸せにする笑顔をしていたのだろうか。


 ユウが言う。


「孤児院に来るコって大概、家や親に問題があって暗いコが多いんだけど、そんな事は微塵も感じさせない、とても素敵で明るい笑顔だわ。このコ達がこんなに明るく振る舞えるのは、あんたが借金を返してくれたのもあるけど、そもそも大前提としてリリスが愛情持って、子供たちに接してきたからよ」 


「それはまぁ、そうだろうけど」


「ねぇ、アルカ・フェイン……たとえあんたに悪気がなくても、その幸せを壊そうとしているのは自覚してる?」


 不意にユウが何か言い出した。どういう意図か判らず僕は黙る。


 もしかして説教か? 風俗でもないのに説教?


 僕が戸惑っていると、ユウは重い口調のまま続けた。


「確かにあんたが、ここを救ったのは間違いないけど。それでも、そこから変化を起こそうとしているのもあんた。リリスが後任を呼んだってのは言ったわよね? 住む場所を変えようとしているのも」


「…………それは」


「勿論、それが悪い事とは言ってないわ。人は変わるもの。ここだっていつまでも同じではいられない。変化は受け入れなくちゃいけないものなの。ただ、そのきっかけを作ったあんたには、せめてこの事を自覚してほしいかなって、思ったの」


「…………」


「話はそれだけ。皆まで言わなくても伝わったみたいだし」


 重い言葉だったが、最後は軽い調子で締めくくられた。


 僕が黙って俯いていると、ちょこちょこと前から女の子が歩いて来た。


 ネアだ。


 僕が買って、連れてきた奴隷の女の子。購入してすぐに孤児院に連れてきた身勝手な僕にも懐いてくれている可愛らしい幼女だ。


「ご主人さま……」


 ネアが不安そうにこちらを上目遣いで見つめてくる。


 僕はネアを抱き上げ、頭を撫でる。ネアの不安を取り除く為というより僕の不安を和らげる為といったがいい。誰かを抱きしめるのはほぼ無条件で気持ちが落ち着く。セロトニンだっけか。オキシトシンだっけか。とにかく落ち着く。ナイルやリリスさんだといやらしい気持ちの方が大きくなるかもだけど、ネアみたいな幼女が相手だとそういう気持ちは一切起こらない。二次元はともかくリアル幼女ではさすがにね。…………一応、同い年ではあるけど、それでも興奮しない事には変わりない。こちらを眺めるユウも、僕をロリコン扱いしてこなかった。


 しばらくネアをよしよしして気持ちを落ち着かせて、僕は孤児院を出る事にした。


「夜、遅くに来て悪かったな」


「そんな事ないですよ」とネア。


「ええ。面白いものが見れたから別にいいわ」とユウ。


 面白いものとはなんだろう。まさか、リリスさんの件で僕が神妙な態度になってるのも面白がってたのだろうか。だとすると性格が悪い。愉悦家だったのか。


 見送りの二人の軽く手を振ってから孤児院を出る。


 さて、これからどうしようかと考え、一つ案を思いつく。



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