無力
血だらけで下半身露出したおっさんと血まみれで上半身露出した女性が、マジュ師匠の前で正座している。
一体、これはどういう事だろう。
目が覚めたら知らない場所で、いきなりマジュ師匠が女性の内臓をぐっちょり取り出したかと思えば、次からはあんたがやるのよと、とんでもない無茶振り。
そんでもって何故か泣きながら抱き合って今にも盛り出そうとしている二人に、マジュ師匠がぶちギレ。先述したように血まみれ半身露出姿で正座させている。
全くもって意味が分からない。
マジでこれは一体どういう事だろう。
理解できないのは僕の理解力が低いからなのか。
IQが高かったら理解できるような状況なのだろうか。
「かくがくしかじか」
混乱する僕を見かねたか、マジュ師匠からこれまでの経緯を説明してくれる。
それでなんとか状況を把握するも、それでも理解が追い付かない。いや、感情が追い付かないと言うべきか。
とりあえず命の恩人を無視して盛り出す二人に腹が立ったのは理解できたので、フォローせずにそのまま正座させておこうと決める。
だが、ひとしきり説教して気が済んだらしいマジュ師匠は、
「それじゃ、後のこいつらの治療はあんたに任せるから」
と言い残してこの場を去ろうとする。
「いやいや、ちょっと待ってって!」
「何?」
「いや、何じゃなくて」
ガチで立ち去ろうとするマジュ師匠に泣きついてなんとかこの場に留めようとするものの、
「別に失敗してもいいわよ」
「あ、ならいっか」
「「え? ちょっと?」」
僕が承諾すると、戸惑うおバカ夫婦を無視し、マジュ師匠は治療の説明を軽く言い残して、ガチで立ち去ってしまった。
「うっし。それじゃ僕も帰ろうかな」
今度は僕が立ち去ろうとする。
「ちょちょ、ちょっと待ってくれ!」
「何?」
「いや、何じゃなくて」
今度はハラリのおっさんが僕に泣きついてこの場に留めようとしてきた。
「なんでそこで帰ろうとするんだよ!」
「いやぁ、寝起きにあんなドギツイものを見せられたら、助ける気も起きないよ……」
「そりゃそうかもしれないけど、だからって本気で帰ろうとしないでくれよ! こっちは命が懸かってるんだから!」
「だったらせめてそれに相応しい恰好でいてよ……」
これまでの経緯聞いたけど、そりゃあマジュ師匠も不機嫌になるわ、って思ったもん。
僕の文句に、二人はちゃんとした服に着替える。
「よし。これで治療してくれるんだな」
「いや、今日はもうしないよ。ってか最低三日は開けないと」
これはマジュ師匠がガチで帰る際、説明として僕に言い残した事でもある。
連続でやったらハラリの奥さん(ホロリさんって言ったっけ)の体力と血がもたないからだ。
「あ、そうなのか……」
「そうだよ」
つうか、僕への説明時にこの二人もいたのだから、それぐらいちゃんと聞いていてほしかったのだけど。
「だから三日は治療しないし、そこまでずっと待ち続けるのも嫌だから、僕も帰るね」
待ってくれというハラリをスルーして、独りでさっさと帰ってしまったマジュ師匠を追いかけようとしたところで、突然、ハラリの家の扉が開いた。
誰だ、と思ったが、直感的にハラリの身内でない事は判った。
扉の開け方からして違った。乱暴すぎる。元気のよい子供が勢いよく開けたとは一線を画す、害意、悪意の籠った開け方。苛立ちをぶつけたにしては、その者の顔が嗜虐的過ぎる。
故に、敵だと思った。
「よぉおっ、帰ってたのかぁ。ハラリさんよぉお」
日焼けした肌とカミソリのようにとがった目つき。肩の筋肉が異様に盛り上がったガタイの良い男だった。
「おやおや、娘までちゃぁんと、用意しちゃってくれてねぇ。実に助かるよぉ」
娘? 娘はこれから会いに…………いや、僕を娘だと勘違いしてるのか。
男はこちらを舐め回すような目で見てから、ずかずか遠慮なく上がり込んで、
「ぐぁあっ!」
いきなりハラリの腹を蹴とばした。
ハラリがその場で蹲る。
どうもマジュ師匠がバットで殴った時とはちょっと印象の違う、ガチの蹴りだ。
ハラリの苦しみ方がちょっとギャグでは済まされない。
「なに、この人……?」
僕の問いに、ハラリ夫婦ではなく、暴力を振るった男の方が答える。
「オレはねぇ、お嬢ちゃん。お父さんにお金を貸してあげたとっても優しいお兄さんなんだよ。だけどお父さんが借りたものをなかなか返してくれないから、ちょぉぉぉっとばかし、お父さんにお仕置きしてるだけなんだよ。お兄さんは優しいから安心してねぇ」
「なんだ、借金取りか」
「…………しゃ、借金は返したじゃないか!」
ハラリの言葉に、借金取りは暴力で応える。
「っせぇなぁ! 利子だよ! 利子ィ! てめぇ、俺から逃げようとしたってそうはいかねぇんだよ、分かってんのかぁ? ぁあん?」
「やめてぇっ!」
ホロリさんが泣きながら旦那の方に駆け寄ろうとするが、借金取りはそれを暴力で阻む。
「っぁあっ!」
グーだった。
拳でホロリさんの顔面を殴っていた。
「おいおい……」
ちょっとさっきから振る舞いがライン越え過ぎる。
ホロリさんの顔が腫れ上がって、血まででてるじゃないか。
僕が借金取りの暴虐にドン引いていると、奴は下卑た笑みをこちらに向け、
「そんでなぁ、親の問題は子供が責任取らなくちゃなぁって事で、お嬢ちゃんにはこれからお兄さんと一緒に来てもらうねぇ」
僕がハラリの方を見ると、
「…………ごくり」
いやお前、身体を張って止めるか、勘違いを否定するか、どっちかしろよ。
ごくりじゃないよ。
仕方ないので僕は自分の言葉で勘違いを否定する。
「あの、悪いんだけど、僕はこの二人の子供じゃないよ。つうか男だし」
「はぁ?」
借金取りがガンを付けてくるので、僕は少々恥ずかしいが、シャツをめくりあげて、己の股間を見せつける。
「ほら、ちんちん。だからこの二人の娘じゃないんよ。人違い」
「…………なら、てめぇは誰だよ」
「ただの知り合い」
「ただの知り合いがなんでこんなとこにいんだよ?」
「…………知り合いが家に居るのは別に変じゃなくない?」
「うん? …………まぁそうだな」
そう言って男が僕の腹を蹴る。
が、辛うじて回避。
まさかとは思っていたが、まさかのまさかだった。
さっきホロリさんがグーで殴られたから、一応警戒しといたのが功を奏した。
「あん?」
蹴りが避けられた事に男が不快感を示す。
「何避けてんだよ、てめぇ、クソガキ」
「いやいや、そっちこそなんで蹴って来るのさ。僕は全然関係ないじゃん。無関係だよ」
それよりも、一応僕は五歳児で、そんな僕に向かってかなり遠慮のない攻撃を仕掛けてきた事に驚きを隠せない。
どうもこの男、性根から腐っているようだ。
「っせぇな。てめぇオレに歯向かうとどうなるのか、分かってんのかよ!」
男がそう言って今度はハンマーみたいな拳を振るう。
真正面からのストレートではなく、横からのフック。身長差があるので腹ではなく顔面に向かってくる。
僕は床を転がってそれを回避し、咄嗟に落ちてたバットを拾って、そいつで男の脇腹を叩く。
が、効かない。
五歳児の未熟な身体じゃ、かなり筋肉質な男の腹筋を貫いてダメージを与える事ができなかった。
というのも、まだどうも僕は本調子ではない。
体内の魔力が感じられず、魔力で筋力を底上げする事ができてないのだ。
なので、今の僕はそこらに居る普通の五歳児となんら変わらない。
バットも米俵を持ってるかのように重く、振っても遠心力のない初動の攻撃じゃ、ビクともしない。
こいつはかなり困ったものだ。
しかしながらそれでも、僕には三歳の頃からラキ師匠に教わってる剣術があり、全くの無力ではない筈だ。
剣のようにバットを構え、男に相対する。
「はぁん?」
嘲笑する男に僕はバットを振る。
筋力の無い華奢なこの腕では、予め振りかぶらないとバットを振るう事ができない。
バットが重すぎる。
これまで習ってきた剣術を使いたいのに、これではまともに使えない。
だが、それはそれでやりようがある筈だ。
まずは防がれる前提での攻撃。大事なのはダメージを与えるよりも、振ったバットを掴まれない事だ。
掴まれたら単純な筋力勝負となり勝ち目はない。
なので振った後は、すぐに引く。
幸い、バットは掴まれずに済んだ。
ダメージも与えられなかったが、それは今回は問題ない。
男に、僕のバットではダメージを受けないと思わせる事が重要だ。
「カッカッカッ! 坊主の力じゃ痛くもかゆくもないぜ!」
「うるさいっ!」
そう言って僕は二度目の攻撃を行う。
さっきと同じ軌道。脇腹へのフルスイング。
男は一応、腕を脇腹の横に置き、防御をするつもりだ。
だが、僕は咄嗟に軌道を変え、脇腹からその下、脛へと目標を変える。
ふくらはぎに当たらないよう、三次元的な軌道の変化。
男は油断しきっていた為、見事、脛に命中。
人体で最も肉の薄い弁慶の泣き所にバットが当たって思わず蹲る男。
蹲って頭部が下がったところに、思い切り力を籠めたフルスイング。
顔面に直撃。
男が勢いよく倒れたところに、更なる追撃。上からバットを振り下ろす。
連打。
遠慮のない全力の振り下ろしを男の顔面目掛けて繰り返す。
…………が、二度、三度目の振り下ろしでバットが掴まれた。
僕は咄嗟にバットを離し、未だ床に付いたままの下半身、それも局部を蹴り飛ばす。
が、これも防がれる。
「…………このガキャァ」
鼻血を流した男の顔には怒気を越えた殺気が溢れ出ている。
「ぶっ殺してやんよぉおおおッ!」
僕は逃げた。
一目散にハラリの家を出てどこか安全な場所に身を隠そうと試みるも、扉を開けたところで腕を掴まれた。
肩が抜けそうなくらいの力で引っ張られ、壁にぶん投げられる。
「がぁっ!」
トラックに轢かれたかのような衝撃。
部屋中の物が散乱し、僕は床に落ちる。
そこに男からの蹴り。サッカーボールを蹴るように腹を思い切り蹴られる。
しかも壁のすぐ傍なので、衝撃を受け流せない。
肋骨が折れ、内臓も破裂し、何も抵抗する事ができない僕に男は何度も何度も蹴りを入れる。
十数発蹴ったところで、息を荒げた男は、ようやく我に返ったか、ため息を吐き、
「…………オレに逆らうとどうなるか分かったか? 今度はてめぇらの本物のガキがこうなる番だから覚悟しとけよ」
そう言って立ち去って行った。
辺りは静まり返っていた。




