バニー
魔力を使いすぎて魔力欠乏症となったアルカを二階のベッドに寝かせて、俺は一階に降りた。
一階にはアルカの師匠であるマジュさんが物の溢れ返った一階店内をふらふら歩き回っていた。
ここはかつての彼女のお店らしいが、昔の記憶を懐かしんでいるのだろうか。
外見はそれほど年を取ってるようには見えないし、なんならアルカの母親というより姉に見えるくらいの年齢に見えるが、物腰が若者のそれではないので、おそらくはある程度の年なんだろう。
そしてこの店もそれなりに古い店なんだろうと思わせる。
店内に置かれたままになっている商品からも年代を感じさせる。
ただ、その割にはあまり埃っぽくない気もするが。二階含めて。
「おや、ハラリさん」とマジュさんがこちらを見て、声を掛けてきた。「アルカをベッドに寝かせてきた?」
「はい。それでこれからどうしましょう」
俺は年下であろう女性に敬語で尋ねる。
「俺はあのコが購入した奴隷が俺の娘だと聞いてるので、あのコが目覚めるまで動けないんですが、マジュさんはいかがなさるおつもりですか?」
「そうね……」
マジュさんはため口でこう答える。
「本来だったらあのバカ弟子を連れて真っ直ぐ街に帰るつもりだったけど、折角、久しぶりにこの街に来た訳だから、ちょっと街の中を見てこようかなぁと」
「いいんじゃないですか。あのコを病院に連れて行く必要がないなら、ずっと暇でしょうし」
「それで悪いんだけど、あのコの看病を見ててもらえないかしら? 看病って言っても特にする事もないし。そうだ。どうせだから街の中を探索がてら点滴とか用意しておくわ。ついでにハラリさんのご飯も一緒に」
「いいんですか? できれば早めにお願いします。実は今朝から何にも食べてなくて……」
俺がそう言うと同時に腹の音が鳴った。それを聞いてマジュさんがクスクスと笑う。
「分かった。それなら先に買ってから探索してくるわ。代金も別に請求しないから安心して」
どうやら見た目のみすぼらしさから、俺に金がないと見破られてるらしい。
確かに、暫く奴隷として捕まって所持金は没収された────といっても元々あまり持ってなかったが────から、完全に素寒貧だし。
この街を出て次の街に向かう為の馬車の代金すら用意できない経済状況だから、マジュさんの申し出は非常に助かる。
「す、すいません……ありがとうございます」
「いえ。あのコを見てくれてるだけでもこちらが助かるから」
そう言ってマジュさんが店を出る。
俺はその間、建物内を見て回った。
二階の住居スペースには風呂やトイレなどの設備が備えられている。
ずっと放置されてる割にはだいぶ綺麗だ。埃なども溜まってない。
それから少ししてマジュさんが戻って来た。
彼女両手には点滴とこちらのご飯が入った紙袋がぶら下がっている。
かなりの量っていうか、見た感じ結構な値段のしそうな飯だ。
食べた事はないが、高級レストランで見た事ある印。
それが一日三食フルに食べても一週間分くらい用意されている。
「とりえあえずこれで三日分ね」
マジかよ。食い放題じゃないか。
「点滴は…………私が最初に刺しておくから、中身がなくなったら適当に入れ替えておいて。やり方は一緒に入ってる紙に書かれてる。てか、見なくてもなんとなく判る仕組みだから大丈夫と思う」
「もしかして暫く戻ってこないつもりですか?」
「ええ。やる事ができた……というより思いついたから。お店のモノは好きに使ってもらって構わないわ。もし何かあったら、えっと…………そこにある石でも割ってちょうだい。それを一個割るだけでこっちに伝わる仕組みだから」
「商品の魔道具ですね」
「ええ。完全な失敗作。伝わる対象が私にしか設定できないから、どうしようもないの」
そんなものを商品として陳列するのはどうかと…………いや、お店を閉めてるからいいのか。分からん。
「とりあえず今日含めて一、二、三日目の朝に戻って来るつもりだから、遅くても四日目までね。それまであのコをお願い。建物内の設備は今も動くようになってるから、好きに使ってちょうだい。お風呂とかトイレとか、ね。それじゃ」
そう言ってマジュさんが店を出て行く…………が、すぐに戻ってきた。
何かと思ったら、点滴を刺し忘れたそうだ。俺も忘れていた。
二階に上がって点滴を固定する為の道具をあれこれ準備して、それからアルカに点滴を刺す。
「あ、ミスった」と言って、数回刺し直してようやく成功した後、マジュさんは今度こそ店を出て行った。
そういう訳で俺は三日ほど、この店に閉じ込められてしまった。
まぁ、昨日まで閉じ込められていた檻の中に比べたら天と地の差だ。
飯もあるし、風呂やトイレだって備えられている。
さすがに酒は用意されてなかったが、それ以外の飲料水も日数分は余裕で用意されている。
至れり尽くせりだ。
二階に上がると、本もあった。
難しそうな学術本から、初心者用に魔術教本まで。結構な数。
どうせ三日間は何もする事がない。
折角だからこれを機に、と俺は魔術教本に手を伸ばしてみた。
◆
それから三日間は本当に何も起きなかった。
初日の騒動が嘘であるかのように静まり返っていた。
一応、二日目の昼にアルカが目を覚ましたが、まだ眠いとの事で屁をこいて二度寝に入り、そのまままた深い眠りについてしまった。
まだまだ本調子じゃなさそうなのは見て取れたから、仕方ないと思ったし臭かった。
というか臭いのは放屁のせいではなく、俺がトイレの世話をしてなかったせいだった。
それに気付くのは三日目の朝で、俺は遅まきながら世話をしてやった。
ついでに服も着替えさせようと全部脱がせたところで、マジュさんが帰ってきた。
マジュさんはその光景を見るなり、無言で俺に攻撃を仕掛けてきた。
見ようによっては、俺がアルカに性的な悪戯をしようとするようにも見えなくもないと理解できたので、致し方ないと思った。
ただまぁ、俺の両腕を斬り落としといて、「ごめんちょ」だけで済ませるのはいかがなものかとも思った。
「別にいいじゃない。こうやって腕も生やしてあげたんだし」
確かにマジュさんが回復魔法を唱えて、俺の失われた両腕は見事に元に戻ったから、大丈夫と言えば大丈夫なのだが。それでも文句の一つや二つは言いたくはなる。怖いから言わないけど。
「…………しかし凄いですね。まさか回復魔法で腕を生やせるなんて思いませんでした」
見たところ、これまで俺がこさえてきた腕の傷すらも消えている。
ぴかぴか新品の中年の腕だ。
ちなみに中古の腕は床を転がっている。
何も知らない人が見たら、ここで人が殺されたのだと勘違いするだろう。
どうしよう、これ。
「別にこれくらいの回復魔法なら世界に五十人以上は使えるからそうでもないわよ」
とマジュさんは言いながら、平然と俺の中古の腕を燃やす。
俺は世界に百人も使えないレベルの回復魔法にツッコむべきか、それとも平然と斬り落とした方の俺の腕を燃やした事にツッコむべきか悩んで、怖いからひとまず流す事にした。
マジュさんは俺の腕を骨まで燃やし尽くした後、平然とこう言った。
「とりあえずバカ弟子の風呂とトイレの世話は私がやっとくから、それまでにここを出る準備をしといてくれる?」
「え? ここを出るんですか?」
「ええ。この街でしたい事はもうし終えたし。私が魔法であんた達を運んであげるから、馬車の用意とかもしなくていいわ」
「魔法で運んであげるって、まさか飛行魔法ですか?」
「ええ。そういえば一度バカ弟子に飛行魔法で運んでもらった事があるんだっけ?」
ある。
他人の魔法で身体が宙に浮く感じはどうも心細くて仕方なかった覚えがある。
「本当ならそのまま私達の家まで帰りたいところだけど、一気にそこまで運ぶのはしんどいから、途中でどこか別の街に寄りたいんだけどいいかしら」
「構いません。どうせなら、ゲルル街に寄ってもらってもいいですか? あそこが本来俺が暮らす街なんです」
「いいわよ。というか通り道で寄れる街っていったら、そこぐらいしかないものね。丁度よかったわ」
そういう訳で、俺はここを出る準備をした。
と言っても、俺自身はそう特に用意すべきものなどない。
強いて言うなら三日間で汚したモノを片付けるくらいだ。
あと、つい今しがた巻き散らした血痕も。
全て片付けたところで、マジュさんが裸Tシャツ姿のアルカを抱えて出てきた。
「そろそろ行きましょうか」
「あ、あのアルカは俺が抱えましょうか?」
「どうして? これからハラリさんも私が魔法で運ぶことになるのに?」
「…………すいませんでした」
謝罪以外に返す言葉もないので、素直に従う。
何故か表からではなく裏口から出て、きっちり鍵を閉める。
裏口の方は路地裏に繋がっており、人気がほとんど感じられない。
「行くわよ」と言ってマジュさんが飛行魔法を唱え、俺の身体が宙に浮く。
雑に浮かせているのか、頭よりも尻の方が上にきている。空中で四つん這いみたいな態勢だ。しかも進行方向が逆向きで、尻を前に飛んでいる。
「あの……もう少しまともな飛ばし方はできないんでしょうか?」
「勝手に私の昔の衣装を着た罰ね」と飛びながらマジュさんが言う。ちなみにアルカはお姫様抱っこされている。
「建物内にあるのは好きに使っていいって言ったじゃないですか」と俺が言うと、
「確かにそう言ったけど、よりにもよって、ハイレグ水着を選ぶ事なかったじゃないの。性器がこぼれ出てるじゃないの」
「…………」
確かにその通りだった。
俺は今、マジュさんが昔着ていたであろうハイレグ水着を着ている。兎耳と尻尾付き。尻尾は肛門に刺すタイプだ。
おっさんのバニー姿なんて目に超有害物質だろうに、マジュさんはいざ空を飛ぶまで文句を言わなかったのは何故だろう。もしや満更でもないのではないか。
こちらとしては、マジュさんが若い頃、着ていたというだけで興奮しまくりなのだが。
「私の服じゃないしね。ここの管理をお願いしていたおっさんの持ち物よ。お尻に刺してるのも含めて」
「ぐぉおおおおおっ!」
俺は泣いた。
人生で三番目に泣いた。
一番と二番は妻が病気になった時と、娘を奴隷商に売った時だ。
…………比べるのが申し訳なくなったので、俺は泣くのをやめ、代わりに鳴いた。
「大人のオスがこんな情けない声で鳴くのね」とマジュさんに言われてしまった。
感謝。




