別れ
「今回の事は本当に感謝してます。ありがとうございました」
「いえいえ別にあたしは何もしてません。やったのはそちらの彼ですから」
「いえいえ。俺も特に何もしてませんから。やったのはそこのセミちゃんですから」
「うぅ…………ひっぐ…………うぅ…………ひっぐ…………」
亜人親子から礼を言われて、謙遜するナイルとハラリ。
「つうかアルカはなんでセミになってんの?」
ハラリがナイルに訊ねると、
「あたしとの別れを惜しんで泣いてるだけ。あたしあの船に乗って出る予定だから」
「へぇ、意外と子供らしいところあんだな」
ハラリが何故か感心したような反応を見せる。
「そうね。ここまで子供らしい態度を見せるのはあんまりないわ。最初からこうだったら可愛いのに」
ナイルがしがみ付く僕を優しく抱きしめる。
僕がこれでもかと涙と鼻水をナイルの服に引っ付けるが、彼女は全く意に介さない。
今の彼女は母性の塊。慈愛の態度で僕を慰めてくれる。
「元々、お別れしたところに、慌ててこいつが街を出て追いかけてきたの。そんでこいつがあたしを探してる途中で奴隷商に捕まって今回の件に辿り着いた感じかな」
「そうだったのか。この年で一人で動くのは少し変だと思っていたが、そういう事だったのか」
ナイルの説明に、ハラリが納得を示す。と、ここで、
「あの……貴女様は、この船に乗る……という事は、ミトバツ国に向かうという事でしょうか?」
「え? あ、うん。そうですけど、それが何か?」
「実は私達もミトバツ国に向かおうとしたところなんです」
「あ、そうなんですか」
「なのでよければ貴女様について行ってもよろしいでしょうか? 娘も貴女様に懐いているようですし」
確かに亜人ママの言う通り、亜人少女のメアンは、ナイルに懐いてるそぶりがある。
今は僕がしがみ付いてるけど、僕がいなかったら、僕と同じようにナイルにしがみ付いてそうなくらい、ナイルを慕ってる感じが見て取れる。
一応、助けたのは僕とハラリの筈なんだけど、結局どちらにもあんまり懐かなかった。
ハラリのおっさんはまぁ、大人の男だからたった一日で懐かないのも無理はないけど、同年代の僕に懐かないのはちょっと納得がいかない。
…………テラをぶっ放した辺りから、致命的に心の距離が離れた気がするんだけど、もしかしたら怖がられてるのかもしれない。
それはともかくとして。
「まぁいいですよ」とナイルが許可する。
「あたしはマーゾフ区のトエフス学園ってところに行く予定ですが、そちらはどこまでですか?」
「…………えっと、ミトバツ国に向かおうとはしましたが、実は特に行く当てもなくてですね…………最後までついて行きたいと思うんですが、駄目でしょうか?」
さすがにナイルが困惑する。
「ついてこられても、あたしにはどうする事もできませんが……」
「別に構いません。私達は、誰か信用できる相手がいればいいだけですから」
「ああ、亜人だから、孤独なのか」
ハラリのおっさんが納得を示す。
「私は、そのトエフス学園の近くで何か仕事を探そうと思います。娘は一人で留守番する事になるかと思いますが、仕方ありません。偶にで構いませんから、娘の遊び相手になっていただければと思いまして……」
ナイルは困惑を続けるが、メアンちゃんのウルウルした瞳に根負けして、
「…………分かりました。いいですよ。さすがに生活の保障とかまではできませんが、偶にこのコと遊ぶくらいなら構いませんよ」
「あ、ありがとうございます!」
亜人ママが深く頭を下げる。
つられて、メアンちゃんも頭を下げる。
結構、可愛らしい。
何故かハラリのおっさんが「えがった、えがった」と号泣しているが、それに触れるものは誰もいない。
ともあれ、こうしてナイルの船旅にメアンちゃん親子が参加する事となった。
「ところで旅費は大丈夫なの?」
「ええ。少しだけ蓄えはあります。それに今回の件で迷惑を掛けたからと、ハーバー様が船代ならまけてくれると仰ってくれました」
「へぇ。アフターフォロー万全じゃん。さすがおじさん」
ナイルが感心したように笑う。
考えてみれば、今回のメアンちゃん親子の追従はナイルにとってそこそこ良い事かもしれない。
ナイルは学校で虐められていたから、一度実家に戻って来た訳だし。
ここで自分を慕ってくれる者が近くに居るとなると、ナイルの心の安定が増すだろう。
さすがに、この親子がナイルを見限るなんて事はないと思うから、ナイルが独りになる事はなくなった。
期せずして僕の懸念が消えた事になる。
これなら快くナイルを送り出す事ができるだろう。
しかし、それはそれとして、僕の寂しい気持ちが消える訳ではない。
ナイルが寂しくなくなったとしても、僕が寂しい。
僕がナイルにしがみ付く力を少し強めると、ナイルがそれに感付き、優しく僕の頭を撫でる。
「むぅ」とメアンちゃんがむくれるが、ナイルがメアンちゃんを宥めてくれる。
「アルカとはここでお別れだから、メアンちゃんは少し我慢してね」
「むぅ……」
不満そうなメアンちゃん。
しかしメアンちゃんには僕に反抗する勇気は持ち合わせていないので、いくら不満でも僕を引き剥がす行動は示さない。
もとより、メアンちゃんは僕を怖がっているので、ここで引き剥がしたりするような行動をするくらいなら、もう少し僕に懐いてたと思う。
気が合わないから懐かなかった訳ではない。
閑話休題。
「それでは船旅の支度を済ませますので」と言ってメアン親子が離れて行った。
離れてしまった後で、ハラリが
「それじゃ、俺も行こうかな」と言い出した。
「何処に行くの?」とナイルが尋ねる。
「帰るんだ。妻のところに」
「結婚してたの? てっきり童貞だと思ってた」
「娘がいるんだ。アルカやメアンちゃんと同じくらいの娘がな」
「…………へぇ。そうなんだ」
「俺は、妻の病気を治す為に、娘を奴隷に売った」
「…………」
突然の告白に、ナイルが黙る。
「だから、娘と同い年ぐらいのコがいるとどうも助けずにいられない」
「今回、あんたが動いたのはそういう理由だったんだ」
「きっかけにしかならなかったけどな」
「充分でしょ」
「…………俺が娘を売った事を知ると、妻は烈火のごとく怒り、俺と別れた」
「…………そりゃまぁ、そうかもね」
「刺青を見て判る通り、俺はしょうもない人間だった。そんなクズの俺を愛してくれた妻を見捨てる事はできずに、娘を金で売った。結果、妻は延命できたが、今なお完治していない。寝たきりの状態だ」
「…………」
「俺は今、娘を探している。売った奴隷商の話では、この辺りの地域で生活しているとの事。はっきりとは分かっていない。絶対に見つけ出さないと、妻にあわす顔がない」
「…………なんでそんな話をあたしに?」
「ただの懺悔…………いや、独り言だよ」
「あっそう」
「娘を見つけ出すまで、俺はこのままどこにも行けやしない……だから俺は必ずネアを探し出してみせる…………!」
僕とナイルは揃って顔を見合わせた。
「…………すまないな。こんな事を聞かせて。なんとなく言いたい気分だったんだよ」
「よかったわね」とナイルが言う。「ここでそんな気分にならなかったら、あんたはまだずっと苦しんだままだったわ」
「うん? どういう意味だ?」
「とりあえず、あんたは暫くこのおバカと一緒にいなさい。理由はこいつが教えてくれるから」
「…………あぁ、まぁ、うん。分かった。後で教えるから」
ちょっと予想外の衝撃に、さっきまでナイルとの別れにボロボロ流してた涙が引っ込んでしまった。
「解決したら手紙で教えてちょうだいね」
「あはは。分かった」
事情を全く理解できてないハラリが頭上に『?』を複数浮かばせていた。
◆
そのまま僕とナイルは時間いっぱいおしゃべりし、そしてとうとう出港の時間になった。
既に船に乗ってる亜人親子が船の上からこちらを見ている。
入り口前でナイルが微笑みながら言う。
「そろそろね」
「うん。そうだね」
「どうせ半年後にはまた会えるんだから。そんなに泣かないでよ」
「な、泣いてないし」
ナイルが笑う。
「それじゃ、元気でね」
「うん。そっちも気を付けて」
ナイルが船に入っていく。
僕はそれを見送る。
それからしばらくして、亜人親子の隣にナイルが顔を出す。
それと同時に船が出港し、港から離れて行く。
僕は大きく手を振って、ナイルを見送る。
ナイルは笑顔で手を振り続けた。
船はどんどん遠ざかり、やがて見えなくなっていく。
その間、ナイルはずっと手を振り続けていた。
僕も船が見えなくなるまでずっと手を振り続けた。




