姐さん女房
「マジュ師匠だよ」と僕が教えると、ナイルは「あぁ~」と声を上げた。
ヤクザに喧嘩売りそうなくらいガチな態度だったけど、今のでたぶん納得したっぽい。
「あんたの師匠ってあの人達よね? どっちだっけ?」
「運動が苦手な方」
「性格と体臭がキツイ方ね」
妙な覚え方をされていた。
「それで、そのマジュさんとはどれくらいの付き合いなの?」
「僕が子供の頃」
「今も子供でしょ」
「えっと……ギリギリ一歳にならないくらいの頃から」
「赤ん坊じゃない」
「うん。ぶっちゃけこれまでの人生で一番一緒にいると思う。たぶん母親よりも長い」
「いやいや、それって母親は親としてどうなのよ」
「まぁ、幼い頃、僕が魔法の修行ばっかしてたからかな」
「だから今も幼いでしょ」
ナイルのツッコミに、そうだった、と返す。
「赤ん坊の頃からだったなら、もしかしてオムツとかも替えてもらってたのかしら?」
「うん。最初からトイレは覚えてたから、そんなに回数はないけど。どっちかというと僕がマジュ師匠のオムツを替えた方が多いかな」
「ちょっと待てや」
ナイルがガチのトーンでツッコんだ。そういえばさっきから口調が素に戻っている。
お姉ちゃんぶってるのはどうした。
「なんで逆パターンがあるのよ。あんたの事だからオムツ卒業が早いのは分かるけど、だからってあんたがマジュさんのオムツを替えるのは意味が分かんない」
「マジュ師匠がオムツを替えるのが下手でね」僕は遠くを見つめながら語る。「やり方がよく分かんないからって、手本見せろって言われたんだ。それで」
「分かったけど、理解はできないわね」
低いトーンでナイルが呟く。
態勢の関係で彼女の顔は見えないが、振り返らずとも青ざめているのがなんとなく判る。
「練習の為にと排尿、脱糞を目の前でさせられたし、僕もマジュ師匠の排尿を見せつけられたな。流石に脱糞は断ったけど」
「ちょっと話題変えましょうか」
これまでとは一転して、ナイルが明るいトーンで言った。
どうやら彼女の許容範囲を超えたらしい。そりゃそうだ。
「…………アルカの性癖捻じ曲げる為に体張ってみたけど、こりゃ勝てそうにないわ……」
なにやらナイルが物騒な事を呟く。
僕の性癖を捻じ曲げるて。今日、様子が変だったのはこれが目的だったか。
はっと我に返ったナイルが、「今の聞こえた?」と尋ねてくる。
耳元で呟かれたらそりゃ聞こえるわ、と思いつつ僕は素直に首肯する。
「聞かなかった事にしてね? アルカ君?」
「態度を普通に戻すなら」
「お姉ちゃんとのお風呂、気持ちいい?」
「無視しやがった」
「お姉ちゃんがもっと気持ちいい事してあげよっか?」
「捕まるよ」
「今更じゃない」
「それはそうだけど、開き直りやがった」
「ぎゅーっ」
唐突にナイルが僕を抱きしめる。
背中から抱きしめられてしまって、身動きが取れなくなる。
「しまった! 後ろを取られたか!」
「いや、そういうのはいいから」
冷静に返されてしまった。
「好きよ、アルカ」
「唐突に告白してきやがっ…………え?」
「あたし、あんたの事が好き」
「…………うん」
突然、告白されてしまい、思考が止まってしまう。
ナイルは湿っぽい空気のまま、次の事を言った。
「────あたし、復学しようと思うの」
「へ、へぇ、いいんじゃない? あ、そういやいつか、休学してたって言ってたような……」
記憶を遡ろうとしたところで、ナイルは言った。
「だからアルカとはお別れになるわ」
「…………え? どうし……って、学校はどこにあるの?」
「トエフス学園。ミトバツ国のマーゾフ区にあるわ。ここから東の方ね。船で二週間掛かるとこ」
「二週間? 寮って事?」
「そう。だからアルカとはお別れになるわ。二週間の距離をそう気軽に行き来できないし」
「…………」
両手で顔を覆い、落ち着け、と自分に言い聞かす。
思考が混乱している。まずは冷静に話を聞こうと、考える。
「いつから?」
「明日、街を出る予定」
「いきなりすぎない?」
「船の便がそうたくさんある訳じゃないからね」
「なんでそんな……」
「アルカに振られたからって言ったら?」
「僕と付き合ってくださいっ!」
ほとんど反射的に僕は言った。しかしナイルは首を横に振り、
「ごめんね。アルカとは付き合えない。もう決めた事なの。だからパパ達にはちょっと家を出てもらって、あんたと二人きりで過ごそうかと思って」
「そんな……」
「確かに振ったけど、別にアルカの事を諦めた訳じゃないからね」
ナイルは微笑みながら言う。
「だから今のうちにアルカの性癖を捻じ曲げておこうと思ったの。ちなみにママのアドバイスね」
「いや、それは…………それはどうなの?」
ナイルが笑う。
「一応ママには実績があるしね。年の差があるパパも捕まえたし」
「いや、それは性別が逆でしょ」
男の僕が年下で女のナイルが年上。
ハゲデブのナイル父と若くてあらあらが口癖のナイル母とでは性別が逆である。
「逆じゃないわよ?」とナイルが言う。
「え?」
「え?」
「いや、逆でしょ?」
「だから逆じゃないって。ママの方が年上。姐さん女房だもの」
「…………マジで?」
「大マジ。年の差が十あるわ。あたし達と一緒ね」
「…………」
あのハゲデブのおっさんよりも十も年上の姐さん若奥様。
あまりの衝撃で、ナイルの復学の話が吹っ飛びそうだ。
「いや、ナイルのお母さんの話は置いておこう」
それよりもナイルが離れてしまう方が大事だ。
「本当に出て行くつもり?」
「うん。そろそろ学校に戻らなくちゃいけないなぁ、って前から思ってはいたの。これまでずっと踏ん切りがつかなくて」
「…………そうなんだ」
「うん。だからこれは悪い事じゃないの。あんたのおかげでやっと踏ん切りがついたから」
「そう言われると…………でも寂しい」
「あたしだって寂しいわよ」とナイルが若干涙目で言う。「だから今のうちにあんたの性癖を捻じ曲げて、他の女に心変わりしないようやってるんじゃないの」
「それは正しい選択なのか……」
しかしナイル母が実践してせいこうしている事からあまり否定し辛いところである。
「そんなに寂しがらないで。年に一、二回くらい帰ってこようと思ってるんだから」
「二週間の航行を年に二回も?」
それだと一年に一か月は船の上で過ごす事になる。
「あんたに忘れられるのも嫌だし」
「忘れないよ」
「どうだか。子供の一年は大人の一年よりも長いから」
「それはそうだけど」
確かジャネの法則だったか。
六十歳の一年は人生の六十分の一で、六歳の一年は人生の六分の一に感じるとか、そういうやつ。
子供の方が一日一日をしっかりと生きているという事。
この世界にジャネはいないけど、似たような事を考える人はいる訳だ。いや、感じる人はいる訳だ。
それもたくさん。きっと年を取った人は全員。
「とにかくお別れといっても、ずっと会えない若じゃないし。それに、今日はあんたにあたしの事を刻み付けてやろうと思うの。心にも身体にもたっぷりたくさん。絶対忘れられないように」
「それで今日は最初からあんな態度だったんだ」
「うん。そう。男はおちんちんで物事を考えるから、おちんちんに刻み付けなさいってママが言ってたの」
「娘になにを教えてるんだ、あの人は……」
……ナニをか。
あらあらぁ、とすっとぼけた態度をしといて、実際はとんでもなく恐ろしい人だ。
なんとなく只者ではないとは思ってたけども。
それはともかくとして、ナイルは言う。
「だから、今日は一日ずっと一緒にいましょう。勿論、夜も」
「泊まれって事?」
「うん。一緒に寝ましょ」
「…………まぁいいけど」
ナイルとお別れになるこのタイミングで断れるほど、僕も非情ではないし、それに僕自身ナイルと別れる事が寂しくてたまらない。
告白されて振って、告白して振られてしまったけど、それでもできるだけ一緒にいたいのは、僕も同じだ。
股間に刻むとかはともかく、できるだけ心には刻んでおきたいと思う。
遠距離恋愛ができるような通信技術も移動手段もないし、それにそれを覚悟できるような年齢でもない。
ナイルは僕に己を刻み付けようとしているけれど、実際のところナイル自身、僕の事をずっと想い続けるという保証もない。
それも若さで、それを非難する気持ちを僕は持ち合わせていない。きっとナイルも。
僕は振り向き、ナイルに抱きつく。
本当だったらナイルを抱きしめてあげたいのだけど、体格差のせいでしがみ付くみたいな感じにしかならない。
それが少し歯がゆくもあるけど、それでも僕は必死にナイルに抱きつく。
「ほらほら、泣かないの」とナイルが僕を宥める為に、優しく抱擁する。
「泣いてないし」そうは言いつつも、僕は自分が涙声になっていると認めざるをえなかった。
◆
お風呂から上がった後は、ナイルに身体を拭かれて、彼女が最初から用意していた服に着替えた。
…………女児用の服だ。
おそらくナイルのおさがりだ。
「安心して。コズミのおさがりじゃないから」
お金持ちの家だから、それぞれの娘に新品を買い与える事ができたのか。いやそれはともかくとして。
「…………スカートなんだけど?」
「パンツも履かせたがいい? 私のおさがりだけど」
ノーパンか女児用パンツの二択か。
「僕のは? 今日、着てきたやつ」
「そう言われるかと思って、既に洗濯済み。というより水に浸し済み」
逃げ道を塞いでやがる。
「別に、今のアルカは男の子にも女の子にも見えるから、変じゃないわよ。パンツだって、女の子用だけど、おちんちんがちっちゃいから、普通に収まるでしょうし」
「ちっちゃくねぇよ!」
「おっきくなっちゃうの?」
「そういう意味じゃねぇよ!」
「おっきくしてもいいのよ」
「しねぇよ」
「なら、履きましょうか。向こうで嗅ぐ為にも」
「待て。僕の履いたパンツを学校に持っていくつもりか? それはやめろ」
「あたしの履いたパンツあげるから」
「いらっ…………いらねぇよ!」
「今、少し迷ったわね」
「迷ってないし!」
「一応、これでもあたし、向こうではモテモテの美少女扱いだったんだよ? パンツの一枚で半年は暮らせるくらいの値段が付けられた事もあったんだよ?」
「美少女がパンツを売ろうとするな!」
「美少女じゃなければ売ってもいいの?」
「どういう事だよ!」
「…………」
「?」
「とりあえずパンツは履いてね」
「え、あ、うん」
話を戻して、ナイルが僕にパンツを履かせる。
自分で履こうとするのをナイルが止め、彼女の手によってパンツを履かされる。
「…………それで、ナイルはいつまで裸でいるの?」
「ああうん。そうね。ちゃんと着るわよ?」
そう言って彼女が手に取ったのはエプロンだった。
裸のままエプロンを着用して、
「それじゃあ次はご飯にしましょ。あたしが作ってあげるから」
その恰好で?




