ユウ
僕は無宗教だ。神様を信じてはいない。
前世では仏教、現世ではたぶん近所の教会と同じセリアス教だが、昨今の日本人と同様、お盆とか葬式とかそういう時以外に宗教を意識する事はなく、本質的には無宗教といっていい。
現世では前世よりも生活やら精神面における宗教の割合が多いみたいだが、五歳児に宗教を強制するほど両親は狂信的ではなく、一応はセリアス教に属するが、あくまでそれは一応で、本質的には前世と変わらず無宗教である。
だが、僕は転生する際、女神様と出会い、神様の存在を知る事となった。
しかしそれでも僕が神様を信じていないのは、神とはあくまで概念であり、祈る対象であり、こちらの都合の良いタイミングで救出してくれる万能な存在でないと思っているからだ。
神様を信じるかだって? それはお前、運命を信じるかと言ってるようなもんだぞ、と本気で考えている。
あるいは、コミュ障ぼっちに友達の存在を信じるか、みたいな。
もしくは、事件停止系AVの本物の一割を信じるか、みたいな。
勿論、僕は他人の信仰を否定するつもりはない。
信仰する事で救われる事があるだろうから、信仰を馬鹿にもできない。
あくまで考え方の一つだ。
だから実際に女神様と出会い、会話のやり取りを経た僕でも神の存在は信じていない。
信仰をあくまで考え方の一つと捉えており、幸せに生きる為の精神マニュアルだと捉えており、物事を自分で考えてもいいが、突き詰めて考えても特に何の得にもならないからどうせならそういう風に考えたらみんなと一緒で楽だしそっちでいいんじゃね、みたいな感じで捉えている。
いやまぁ善悪の定義を深く考えても結局、皆と同じに合わせる方が楽だと思うんだよね。
正義と悪かもしれないけど。
ともあれそんな感じで、昨日会った女神は、女神であって女神でなくて、要は宗教とは関係ないただの上位存在だって事。
男がいないと半泣きになってしまうポンコツ酔っ払いを、神として崇めるのはちょいと難しいって話。
崇めるとしても精々、性対象としてくらいか。
五年前は美人だったし、そういう女性を性対象として抜けるから崇めるのは、おそらく日本ではよくある事。
でも、未だ精通もきてない五歳児の僕にはそういう崇め方は難しいので、やっぱりアレはただのポンコツ上位存在として認識するしかない。
上位存在としての認識はちょっと情報不足だからなんともいえないけど、そのうち色々考察してみるのも面白いかもしれない。
とりあえず今は目の前の事。自分の事。日常について考えてみよう。
昨日は誘拐やら戦闘やら告白やら色々あったせいで、随分と日常から遠ざかっていた気がする。
たった一日の出来事なのに、普通の日常が遠い過去のようだ。
漫画の主人公とかならよくある話。
閑話休題。
朝、目覚めるとアウルアラがいなかった。
昨日あれだけ活躍したから、おそらく深い眠りについたのだろう。
元々、昨日の時点でまだ寝足りない二度寝するとか言ってた気がするし。
また数日かもしくは数か月くらい寝てしまうかもしれないが、どうでもいいので放っておこう。
それよりも、いつものように十五歳姿に変身して孤児院に来てるのだけど、どうも今日はいつもと様子が違う。
いつもだったら僕が来るなり、ネアが懐いた飼い犬の如くすぐに駆け寄ってくるのだが、今日は来ないし、シスターのところに行っても、いつものところにシスターがいない。
教会の掃除やら、孤児院内の家事とかしていると思ったけど、そういうところには見当たらない。
「うぅむ。もしやこれは異変なのだろうか」
そう危惧した僕は、ひとまず偶々近くにいた男のクソガキに話を聞いてみる。
「てめぇのせいでシスターもネアも様子が変なんだ! 責任取ってくたばれ!」
嫌われてる……?
そういえばこの生き汚そうなクソガキには見覚えがある。
以前、僕に蹴りを入れてきたクソガキだ。
一応同世代としてジャントルに放ったパンチと同程度のパンチを喰らわせて報復でもしとこうかと考えるが、そんな価値はないと思って適当に扱う。
「シスターとネアがどこにいるか教えてくれるかな?」
「○ね!」
落ちてたぞうきんを顔に投げつけられた。ゲロの臭いがする。
ここでお返しに近くに住んでるホームレスのクソを食わせてやろうかと考えたが、大人げないと判断し、再度訊ねてみる。
「シスターとネアの場所を訊いてるんだけど、どこかな? ゲロみたいな臭いのぞうきんを食べさせられたくなかったら教えてくれる?」
「ひぃぃっ」
逃げ出そうとしたのをまわり込んで再度訊ねる。
「何をしているの?」
と思ったら、後ろからナイフを首に当てられた。
「え?」
「こんな子供相手に何をしようとしているのかしら? 死にたくなかったらさっさと失せなさい」
「えっと…………誰?」
声は少女みたいだけど。
「貴方みたいな犯罪者に教えてあげる義理なんてあると思う? 次はないわ。さっさと失せなさい」
「犯罪者って……なんか誤解があるみたいなんだけぐわぁっ!」
殴られた。
ナイフで頸動脈を斬られるかわりに殴られた。
痛いが、いきなりガチで殺しにかかるような悪者ではないみたいだ。
殴られた衝撃で僕は倒れるがすぐに起き上がり、構える。
「いきなり物騒だね。誰だって顔にゲロ臭いぞうきんを投げつけられたら怒ると思うけど、そんなのも許してもらえないのかな?」
「…………ん?」
と、互いに顔を合わせて、違和感を得る。
僕は脅してきた少女が予想以上に幼い事。
少女は…………分からない。おそらく僕が犯罪者でないことに気付きかけたってところか。
ともあれ相対して、硬直する。
「貴方……もしかしてここの孤児院の借金を帳消しにしたっていう…………アルカってやつ?」
「あ、うん。名前は知ってるんだ。キミはここの孤児院の子供じゃなさそうだね」
今まで見た事ないし、見たらこんな子供絶対気付くだろうし。
それに身なりも孤児院の子供にしては随分と綺麗だ。
貴族っぽくはないけど、それと同じくらいお金を持ってそうな感じがする。
「そうね。私はここの子供じゃないわ。どうも今、シスターの調子が良くないみたいだから、ちょっと様子を見に来ただけの通りすがりよ。貴方はどんな用件でここに?」
「特に用件らしい用件はないよ。シスターとネアの顔を見に来ただけ。普段は毎日通ってるし。昨日は行きそびれたけど」
「あ、そう」少女はあっさりナイフを仕舞う。「殴ってごめんなさいね。てっきりならず者が入り込んだのかと思って」
「別にいいよ。…………たぶんだけど、キミには一度助けられた覚えがあるからね」
「…………やっぱりあの時の青年だったのね」
「うん」
前に、ギルドでクソみたいな輩に絡まれた時に助けてくれた少女である。
変身中の僕より幼い。たぶん十歳くらい。
変身前の僕よりは年上だけど、それでも十歳くらいの喋り方じゃないし、身のこなしも十歳のものではない。
あの時はクソみたいな輩が少女の顔を見ただけですぐに逃げ出したから、おそらくは何かしらの偉い身分がありそうだ。
「あの時はありがとう」
「礼はあの時、既に受け取ったわ。それよりもここの孤児院を助けてくれてありがとう。私の目の届かないところでクズの魔の手に掛かるところだったわ。感謝してる」
「別にいいさ。あれは僕の都合で動いただけ。それよりもキミはここの関係者?」
「友達を関係者と言えるなら」
「名前は?」
「ユウ・デウスマキナ」
エクスはないのか、じゃなくて。
「僕の名前は」「アルカ・フェイン。知ってるわよ」「そうだった」
アルカってやつ、と言ってたからね。
「シスターとネアちゃんが調子を崩してるんだけど、なんとか元気づけてくれないかしら」
「僕にできるならいいけど」
「貴方にしかできないわ」
「ふうん?」
ユウの意図は分からないが、とりあえず行ってみよう。
「それじゃ頑張って」
ユウに見送られて僕は二人のところに向かった。
◆
ユウから聞いたところ、どうもシスターもネアもそれぞれ自分の寝床にいるらしい。
孤児院の子供は複数人共用の寝床だが、シスターは専用の個室がある。
まぁ、大人が個室を与えられなかったらかわいそうだもんな。
とりあえずここからはネアの方が近かったので、まずはそっちに行ってみる。
ネアがいつも寝ている部屋を訪れると、少女は口をポカンと開けて虚空を見つめていた。
確かに変だ。クソガキが、様子が変だと言っていたが、その通りだった。
まるで薬か何かで脳が破壊されたような有り様だが、僕はあえて気付かない振りをして、ネアの前で手を振ってみた。
「おーい、ネア―。大丈夫ー?」
返事がない。屍ではないようだが。
少し考え、僕はネアを抱きかかえてみる。
脇の下に手を入れて、高い高いの要領で持ち上げ、そこから抱っこする。
それでようやくネアは我に返って、「ごごごごご主人様っ?」と驚きの声を上げた。
「大丈夫? なんかぼぉーっとしてたみたいだけど」
「だ、大丈夫です! ご主人様に抱っこされたら復活しました!」
「あ、そう? なら降ろすね」
「ま、待ってください! もう少し……もう少しだけこのままで…………」
「うん? いいけど」
僕はネアが抱きついてくるのを受け入れ、そのまましばらく抱きかかえていた。
暫くそうしたまま待って、やがて手がしびれてきた頃にネアが、
「ありがとうございます」と言って、降ろしてほしい意志を動きで示した。
「それじゃ、顔を見に来ただけだからもう行くね。何か困ったことがあったら、いつでも言ってくれていいから、遠慮しないでね。またね」
少し名残惜しそうなネアを置いて、僕は次にシスターの部屋に向かった。
シスターの部屋は孤児院の方ではなく教会の裏方にあり、そっちは人の出入りがほとんどないせいか、空気が少し埃っぽかった。
若干入り組んだ廊下を歩き、以前に部屋の前まで案内された事のある扉まできて、ノックを行う。
「…………はぁい」
と砂漠で数日歩き続けたかのような掠れた声が扉の奥から聞こえてきたので、僕は扉を開ける。
「失礼します」
部屋の中は物が少なく殺風景な部屋だった。
十代の娘が暮らしてるような華やかさはほとんどなかった。
実際、子供の世話と教会の管理などで多忙なシスターには、この部屋でゆっくり寛ぐ暇なんてないのだろう。
顔だけで生きていけそうな美人さんなのに、大変な苦労を背負ってしまったものだ。
ただ、アイドルも裸足で逃げ出す凄い美貌を持っているシスターだが、今日はその美貌も何故かくすんでいた。
さっき見たネアの態度とほとんど変わらない。
いや、ネアより酷い。
違法な薬を摂取し続けて廃人になってしまったかのよう。
成程。こっちもあのクソガキの言う通り、様子が変だ。
てか、僕に気付いた様子がない。
ノックの時に返事をしてくれたというのに。
「どうもー。特に用件はありませんが、様子を見に来ましたー」
「…………はぁい」
やっぱりガスガスに掠れた声。
いつもの可愛らしい声じゃなくて、喉を潰されたプロレスラーが出すのに近い声だ。
「大丈夫ですか?」
顔を覗き込んで訊ねてみるが、
「…………はぁい」
さっきからそれしか言ってない。
たぶん僕の質問に応えたのではなく、無意識のまま外部の音に反応しただけだと思う。
意識がどこか遠くに行ってしまったかのようだ。
「おーい」
目の前で手を振っても反応がない。
とりあえず僕は先程のネアと同じように、脇の下に手を入れて高い高いの要領で持ち上げてみる。
ここまでしてようやくシスターに反応があった。
「ふぇっ? なななな何ですか、いきなり」
高く持ち上げた後は、流石にこのままの態勢じゃ苦しいので片方の手を尻の下に挟んで、抱きかかえる姿勢に変える。
正面から抱き合うような態勢となって、シスターの困惑が心臓の音を通して伝わってくる。
密着して胸と胸が当たってるので、互いの鼓動は聞こえるし、体温も融け合ってるような感じがする。
シスターの華奢で柔らかな感触に少し心地よさを感じながら、僕は耳元で「起きましたか?」と囁いてみる。
「アアアアア、アルカさん? どうしてこんな状況に……っ?」
「ついさっき、ネアにも同じような事をしたのでつい。すいません。迷惑でしたね。今、離しますから」
僕がそう言ってシスターを放そうとするが、どうも様子がおかしい。
シスターは僕から離れようとしない。
「…………すいません。もう少しこのままで」
デジャヴかな?
ネアと比べて重くはあったけど、その分、触れ合ってる面積が多くて、シスターの女性特有の肉感が気持ちいい。
痩せてはいるけど、それでも女性って柔らかい感触をしているのが判る。
これまた暫くしてシスターが我に返って、「すすすすすいませんでした。つい」と謝ってきたので、
僕は「別に構いませんよ。いい匂いがして気持ちよかったですから」と素直な気持ちを返した。
「あわわわわわああわわ」
シスターの顔が真っ赤になり、頭から湯気が出てきた。
「大丈夫ですか?」
「だだだ大丈夫です! げげ元気出ましたから! はいっ!」
シスターはそう言って、慌てながら自室から出て行ってしまった。
残された僕は、
「んー、よく分からないけど、元気が出てなによりだな」
と呟き、シスターに続いた。
部屋を出るなりユウが呆れた様子でこちらを見ていた。
「随分とすけこましな男ね。今のうちに退治しておいた方がいいかしら?」
「まさか。きっと身体が大きくなってから抱きかかえられる体験は珍しいから、我に返っただけだよ」
「まあいいわ。確かに元気づけてくれたようだし。あんまり彼女を泣かせないであげて」
「泣かせるつもりはないけどね」
ユウに見送られて僕は孤児院兼教会を出る。
ユウがいるなら、孤児院の仕事などは大丈夫だろう。
シスターも元気になったようだし。
そんな訳でいつもの日課は終わり、今度は今日のメイン課題に取り組もう。
今日やるべきことは、昨日のナイル告白への返事だ。
早速、ナイルに会いに行こう。
ユウは十三話の任務に出てます




