ラキ
「…………あれ?」
気付いたら僕は荒野にある大きな岩の陰で寝転んでいた。
「ここは?」
「気が付いたかい?」
と、シャキシャキした声。
振り向くとそこには、体格のいい筋肉質の女性が岩辺に寄り掛かるように腰かけていた。
彼女の前には焚火があり、パチパチと音を立て、煙を上げている。
「気分はどうだ? どこか痛むところはないか?」
「ないです」と僕は答える。
「そうか」と女性。
「それじゃ質問だ。キミは一体何者だ?」
「んあ?」
僕は女性の質問を聞き返す。
「キミは一体何者だ?」
女性は同じ質問を繰り返す。
「えっと、僕はアルカです。アルカ・デウスです」
とりあえず名乗る。
「そうか。ワタシはラキだ。ラキ・ゴーグル。流れの剣士をやっている」
ラキという女性はそう言って、そして更に、
「それでもう一度聞く。キミは一体何者だ?」
「…………?」
僕は首を傾げる。これ以上、何を言えばいいというのだろう。
分からないので、首を傾げるしかない。
僕が戸惑っていると、ラキさんがいきなり剣を抜いた。
「一応、キミは命の恩人だが、それでも正体を明かさないというのなら、キミを斬るしかない。できればワタシにそんな恥知らずな真似はさせないでくれ。キミは一体何者なんだ? キミみたいな子供があんな強力な魔法を放てる訳がない。キミの正体について教えてくれ」
僕は両手を上げて言った。
「ま、魔法使いの見習いです……」
ラキさんが渋々と言った様子で剣を収めた。
「年齢は?」
「三歳です……」
「魔法を覚えたのは?」
「ゼロ歳です……」
「……………………」
ラキさんがものすごく難しい顔をしている。
「…………まぁいいか。少なくとも害意はないみたいだしね。アル君はどうしてこんなところに?」
「なんだか騒がしいのが判ったので、様子を見に来ました」
「空を飛んでか?」
「はい。そうです」
まぁいいか、と言いつつもラキさんの尋問は続いている。
僕は涙ながらに、
「た、助けてください……」
と懇願すると、ラキさんは、ハッとした表情を浮かべ、
「す、すまない。怖がらせるつもりはなかったんだ。それより、キミはあっちの街に住んでるのかい? 帰り方は分かるかい?」
「わ、分かります」
と僕は言い、飛行魔法を発動させ、身体を宙に浮かす。
「…………無詠唱か」
「は、はい。魔物を倒した時のは、すごく長い詠唱が必要ですけど」
「逆に言えば、あれぐらいすさまじい魔法じゃないと詠唱が必要じゃないって事か……恐ろしいな」
「お、恐ろしいのはラキさんです……」
僕がそう言うと、ラキさんは、ハハハっと笑って、
「質問だが、キミの魔法はワタシも一緒に飛ばす事ができるかい? できればキミの保護者と話をしてみたいんだが」
「保護者っていうと、お母さんの事? それとも師匠の事?」
「師匠は、魔法の師匠って事かい?」
僕は頷く。
「そうか。それなら師匠の方で頼むよ。それでワタシを一緒に飛ばす事は?」
「で、できます」と僕は言う。
嘘を言うのはどうも苦手だ。
最初から、自分は転生者という秘密を抱えている以上、これ以上の嘘などで秘密を増やしたくないって気持ちがあるからだろうか。
とにかく嘘は苦手だ。
「それじゃ、一緒に飛ばしてくれるかい? 頼むよ」
僕は首肯し、ラキさんの身体も魔法で浮かす。
そして、
「────行きますっ」
飛行魔法を発動させ、一気に街へと帰還する。
◆
勢いよく街へと帰り着いた時、ラキさんは心底驚いた様子でこちらを見つめていた。
「すごく速いんだな」
感心したような台詞だったが、どこかこちらを責めるような口ぶりにも聞こえた。
少し速く行き過ぎたか、と反省しつつ、僕は師匠の家に戻った。
扉を開くと、扉の真ん前にこちらの帰りを待ちかねていたと言わんばかりに師匠が立っていた。
「…………遅かったわね」
だいぶおかんむりのようだ。
「何処に行ってたのかしら?」
「ごめんなさい」
僕は頭を下げ、謝った。
拳骨が振り下ろされた。
「んぎゃっ!」
「ちょっと待ってくれ」
僕が怒られるのを見て、僕の後ろにいたラキさんが声をあげた。
「彼はワタシを助けてもら────、」
「関係ないわ」
ラキさんのフォローを師匠が一蹴する。
「私はこのコの親から責任もって預かってる立場。危険だから行っては駄目だと言ってる場所に、勝手に行った子供には、きちんと叱らないといけないのは判ってもらえる?」
「……………………すまない。勝手に口出ししてしまった」
ラキさんは素直に謝罪した。
「分かってもらえればいいわ」
師匠はそれ以上ラキさんを責める事もなく、すぐにこちらを睨んだ。
「勝手に行った罰として、今日はもう瞑想以外の訓練は禁止」
「そ、そんなぁ……」
「文句ある?」
「…………いえ、ありません」
師匠がため息を吐く。
「素直ではあるんだけどね……」
「あ、あの……」
恐る恐るといったかんじに、ラキさんが小さく手を上げる。
「ワタシについて何か聞きたい事は……なかったりするのかい?」
師匠は憮然とした態度を崩さずに、
「ない事もないけど、それよりもこのコへのお説教が優先だったから。それに一応、遠視の魔法であなた達の事は見てたから、全く見当もつかない訳じゃないの」
「…………遠くからの視線は、貴女だったのか」
見られてたのか、と僕は内心驚いていた。
というのも、視線なんて全く気付かなかったからだ。
しかし考えてみれば、師匠が僕の行動を予測してない訳がないし、それに危険な場所に放置して平然としてるほど無関心でもない。
師匠は怖いし、煩いし、暴力的だけど、それはあくまで保護者としての行動であり、こちらに全くの無干渉という訳ではない。
それよりも僕が気付かなかった視線を、ラキさんは気付いていたというのか。
師匠もラキさんの感覚の鋭さには若干驚いた様子をみせた。
「…………でも、一応、自己紹介くらいはしてもらおうかしら。声までは聞き取れなかったし、それにあれだけの大量の魔物を無傷で全て倒しきった技量は気になるわ。貴女、一体何者なの?」
と師匠が尋ねる。
ラキさんはうっすら微笑を見せ、
「ただの流浪の剣士さ」
「答えるつもりがないなら、最初から話を振らないでくれる?」
ごもっとも。
師匠の辛辣な反応に、カッコつけてポーズを決めていたラキさんが肩を落とす。
ラキさんが少し可哀そうにもみえるが、こればかりは師匠の言う事の方が正しいと思うので、何のフォローも入れずに、師匠と同じように少し軽蔑した視線を送る。
ラキさんはますます落ち込んだ。
◆
「ワタシの名前はラキ・ゴーグル。剣士兼冒険者さ」
「私の名前はマジュ・シークレット。魔女で、このコの保護者代理よ」
「ぼ、僕の名前は────っ、」
「知ってる」
「知ってるからいいよ」
二人からいらないと言われた。
ちょっとショック。
三歳児の自己紹介を無下にすんなよ、と思いつつ、
「ラ、ラキさんは大量の魔物を────、」
「だからそれは見たって言ってる」
うーむ。なにやら師匠の機嫌が悪い。
僕が勝手に行ったのがそんなに尾を引いてるのかと思ったが、どうやら違うようだ。
「あの大量の魔物は一体、どうして現れたのかしら?」
「それについては、終わった事だからもはやどうでもいいんだが、一応説明すると、あそこに救いようのないクズな狩人もどきが十人くらいいてな。そいつらがワタシの制止も聞かずに、魔物の巣を刺激しまくってたんだ。そしたら雪だるま式っつうか、とにかく魔物が増えまくってな。あそこまで増えるのはワタシも予想外だったが、まぁ、そのコのおかげもあってなんとかなったんだ。あ、ちなみに、今回の原因であるクズ共は魔物が暴れ始めて五分くらいで全員魔物の餌になったな」
「…………納得したわ。言われてみれば、魔物の中に別の魔物を寄せ付ける種がいたから、確かにあんな光景になるのも理解できる」
「ホント死ぬかと思ったよ」
「それじゃ次の質問。戦いの後、どうして私のところに来たの? このコの魔法に乗ってまで」
「それは単純に、そのコの実力の正体が知りたかったからだよ。三歳であんな強力な魔法を放てるなんて普通じゃない。どうやったら子供にあんな強力な魔法を教える事ができるのか聞いてみたくて、ここに来たんだが、教えてくれるかい?」
師匠は肩をすくめた。
「残念だけど、貴女の期待に応えられるような答えはないわ。別にアレは、私の教え方が理由ではないわ。アレは純粋にこのコの実力と才能。特別なのは私じゃなくてこのコよ」
師匠の答えにラキさんは特に落胆した様子もみせずに、
「…………やっぱりか」と納得を示す。
「あんなのをたくさん用意できるような教育方法があれば、それこそ世界は滅亡してしまう。心から安心したよ」
「…………褒められてる?」
「これっぽっちも」
師匠は辛辣だった。
◆
「それじゃ用件は果たせたけど、これから貴女どうするの? 街の方に行く? 一応、宿はあるけどあんまりお勧めしないわよ。ぼろっちいから」
「…………その忠告は、ここに泊めてくれるという意味で捉えてもいいのかい?」
「ええ」と師匠が頷く。
「ええっ?」と僕は驚く。
「人嫌いの師匠が、自分から進んで他人を自宅に泊めさせようとするなんて…………っ!」
「失礼ね。そこまで驚く様なこと?」
遺憾だと言わんばかりに師匠が唇をとがらせる。
僕は驚きつつもラキさんの方を見る。
大きな剣。それを平然と抱える屈強な肉体。戦士として鍛えられた筋肉。女性ながらに逞しく、引き締まっている。
確かにすごいけど、それが師匠の信頼を得るのに繋がるとは思えない。
一体、師匠の中で何があったのだろう。
「確かにこんな街外れに家を構えるのだから、人嫌いなのは頷けるな。アルくんじゃないけど、どうしてだい?」
「別にいいでしょ。単なる気まぐれよ」
「ふぅん……」
何故かここでしたり顔になるラキさん。
僕としては何が何やら、訳が分からない。
「アル。もう日も暮れ始めるし、そろそろ家に帰りなさい」
ふと、師匠が帰宅を促す。
確かに師匠の言う通り、もう日も暮れ始めている。そろそろ帰宅する時間帯だ。
だけど大丈夫なのだろうか。
…………まぁいいか。
僕が心配するような事ではないと判断し、僕は言われた通り、家に帰る準備を行う。
と言っても、特に荷物なんかがある訳ではない。
飛行魔法を発動する為の気持ちの準備だけだ。
「はぁい。帰ります。それじゃ今日もありがとうございました。また明日よろしくお願いします」
僕は師匠にいつも通りの礼を言い、それからラキさんに手を振る。
「それじゃあね。バイバイ。また明日」
「うん。また明日だね」
ラキさんが手を振り返すのを確認し、師匠の家を出る。そしてその場で浮遊魔法を発動させ、宙に浮く。
「気を付けて帰りなさい。特に今日は魔力切れ起こしたんだから」
「はぁい」
師匠に注意に返事をして、僕は飛行魔法を発動させる。
びゅん、と真っ直ぐ空を飛び、帰宅する。
「ただいまーっ」
◆
次の日、好奇心やら不安などが胸の中に入り混じったせいで、僕は年寄りでもないのに早起きをして、さっさと朝飯を食べて、家を出た。
遠足の日の小学生みたいな行動に、我ながらガキだなぁと自嘲しながら空を飛び、師匠の家に向かう。
こなれた飛行魔法は徒歩三時間の距離をあっという間に消し去り、街外れの師匠の家まで送ってくれる。
到着し、ノックもなしに入る。鍵が掛かってるが、合鍵を貰ってるので問題なし。
入ると、まだ家の中は暗かった。
まだ起きてないらしい。
ふと、嫌な予感が脳裏を過ぎり、僕は急いで二階に上がり、寝室の扉を開ける。
そこには師匠の死体が────なんて残酷な展開が待ち受けている訳もなく、師匠はいた。
普通に起きていた。ベッドに腰掛け、ゆっくりくつろいでいる。
「うわっ! びっくりした。なんであんた、ここに居るの? 来るにしても、朝早すぎない?」
「あ、いた。よかった……。昨日、ラキさんが泊まったみたいだから、ちょっと心配で……」
「…………あー」師匠は少し気まずそうに視線を逸らし、
「うん。まぁ、大丈夫よ。別にラキは悪い奴じゃないわ」
「ケンカしなかった?」
「してないわよ。なんであんたに心配されなきゃいけないのよ」
師匠は苦笑しながらベッドから立ち上がり、僕の背中を押す。
「ほら、出た出た。ちょうど今から朝ごはんを用意するから、あんたも食べなさい」
「あ、うん。ありがとう」僕は礼を言いつつ、「ところでラキさんはどこにいるの? まだ寝てる?」
「…………いえ。ラキはもう起きてるわよ。なんか汗かいたって言って、今、シャワーを浴びてるわ」
「ふぅん。そうなんだ」
僕はほっと息を吐く。
「あれ? 師匠、なんか首のところに赤い痕が……」
僕が指摘すると、師匠が慌てて首のところを抑える。
「あ、あははっ。なにかしらねぇ? たぶん虫刺されじゃないかしら?」
「…………うん? 違うの?」
「い、いえ、違うくないわ。虫刺されよ。間違いなく虫刺され。ええ。だってかゆいもの。あーかゆいかゆい」
ぼりぼりと師匠が首をかきむしる。
そういえば、今、気付いたのだが、今日の師匠は何故か妙にお洒落なパジャマを着ている。
いつもはやぼったいシャツとパンツだけど、今日着ているのは黒いベビードールというやつ。生地が薄くて、透けている。おへそとパンツが丸見えだし、そのパンツさえも黒のレースでスケスケである。
少し気になったので師匠の後ろに回り込んでみると、ベビードールは背中ががら空きで、パンツの方は荒い網目状になっていて、お尻の割れ目が丸見えだった。
「……………………」
◆
「おやアル君? いつもこんなに早いのかい?」
一階に降りると、シャワーを終えてフェイスタオル一枚で前を隠した状態のラキさんと出くわした。
「いいえ。昨日、貴女が泊まったから、心配で早起きしてきたみたい」
「そうなのか」
ラキさんは苦笑しつつ、こちらの背を向ける。
師匠と同様、おしりが丸見えだ。こっちはまだ服を着てないので、当然と言えば当然。
一応、湯上りという事で肌が赤く上気し、髪はしっとりと濡れて、肌に張り付いている。
「こらこら、あんまり見るんじゃない」
僕が思わず凝視していると、ラキさんがいたずらな笑みを浮かべて注意する。
「ご、ごめんなさい……」
謝罪。こつんとおでこに拳があてられる。
これが大人の余裕というやつか。
…………まぁ、三歳児に裸を見られて慌てる方がどうかしているとは思うけど。