ロケット
三日後、宿題をこなした僕は指定された時間通りにマジュさんの家に向かった。
一人で。
母には内緒でだ。
宿題をこなしたおかげで発動できる魔法を駆使して、僕はマジュさんの家までひとっ飛び。
どういうことかと言うと、マジュさんは、僕が一人でこの家に来られるよう飛行魔法を教えたのだ。
こなした魔法を全て組み合わせれば、とある一つの魔法が完成する。
それがこの飛行魔法だ。
しかしながらマジュさんもかなり危険な提案をするものだ。
人として何かが欠けているとしか思えない。それを実行する自分も自分だが。
というのもマジュさんが意図して伝えた飛行魔法は、武空術みたいな自由自在な飛行魔法ではなく、ロケットをぶっ放すだけの、とても人間が行うような代物ではない魔法だったからだ。
こっそり家を出て、周りに何もない広場で魔法を発動させる。と、
「…………っうぉおっ!」
ぶっ飛んだ。
文字通り、僕の身体がぶっ飛んだ。
ロケット大砲の如く。
凄まじい加速度で小さな身体が宙を飛ぶ。
視界が凄い勢いで流れていく。
SFアニメで宇宙船がワープする時に見えるような集中線みたいな光景が、何の変哲もない街中で見える。
つうか走馬灯まで見えた。
発動した瞬間、恐怖よりも先に、あ、死んだわ、と思った。
やってみて、自分の無鉄砲さに気付き、こりゃ駄目だわと己の死を悟った。
全てが線として流れゆく景色の中に、ふとマジュさんの家らしきものが見えたので、すぐさま逆方向に風魔法を唱えた。
急ブレーキ。
だが、思うように止まらない。
「ぁああがががががっ!」
態勢が崩れ、身体が先程とは別のベクトルで宙を舞う。視界がぐるんぐるんと縦方向に回転し始めたところで、
「何やってんの、このバカッ!」
と怒鳴り声が聞こえてきた。訳も分からぬまま、僕が地面に激突しそうになったところで、強い衝撃を受けた。
が、それは硬い感触ではなかった。
柔らかいクッションにすごい勢いでぶつかったような奇妙な感触だった。
「…………んぁ…………あれ?」
起き上がる。
どうやら死んでないようだ。
見ると、マジュさんが僕をキャッチしてくれたのだと判る。
「え?」
「何やってんのよ! このバカ!」
「ご、ごめんなさい」
とりあえず謝る。
しかし釈然としない。いや、腑に落ちない。
出された宿題は、このロケット魔法を発動させる為のモノだった筈。僕はその意図を汲み取り、きちんと実行に移った筈だ。それなのに文句とは。
「一週間後って言ったでしょ! それに、その時は私が見守るつもりだったっていうのに!」
「…………あぁ、そういう事ですか」
どおりですんごい無茶振りをかますものだと納得した。
あれはそういう意味だったか。
「あんたの母親にめちゃくちゃなところを見せて、もう二度と来させないよう思わせるつもりだったって言うのに…………あぁもう、肝心の当人が更なる無茶をかますんじゃないよ! まったく!」
「ごめんなさい」
再度謝る。
どうやら彼女には彼女なりの予定があったらしい。
しかしそうは言っても、そこまでの意図を含めてるとか、こちらには分かる訳ない。
…………と、思ったが、いざ時間になれば、マジュさんが来て、彼女の予定の沿うよう誘導するつもりだったのだろう。
それが、僕の早とちりで全てパァになった訳だ。
まさか何の安全策もなしに、この身一つでぶっ飛んでくるとは思ってもみなかったらしい。
そりゃそうだ。
僕だって、自分の事ながらよくもまぁ、こんな無鉄砲をかましたものだと呆れそうになる。
元の世界の僕だったら絶対にやらなかっただろう。
赤ん坊になったせいで、感覚が狂ってしまったのだろうか。
確かに子供の頃は、そういうリスクは全く考えずにあれこれやっていたものだ。
その反面、変なところでビビりだった覚えもあるのだけど。
我がことながらよく分からない。
「…………ったく」
と、マジュさんは疲れたようにため息を吐き、
「まぁいいわ。こっちもろくな説明もせずにやらせたようなもんだから。ほら、とりあえずあがりなさい」
そう言って、マジュさんが自宅にあげてくれた。
「本来、あの女のガキなんて面倒見る訳ないんだけど、あんたは特別よ」
「…………よろしくお願いします」
僕は背筋に悪寒を感じつつ、マジュさんに頭を下げた。
◆
前回マジュさんの家に来た時はとんでもなく散らかっていたのだが、今回はそこまで散らかっていなかった。
掃除したのだろうか。
しかし、本来僕が来るのは、あと四日後だったはず。
「少しずつ片付けてたんだけどね。まさか今日来るとは思わなかったから」
確かに言われてみれば、完全に綺麗にはなっていない。しかし前と比べれば雲泥の差。たった三日でよくもまぁ、ここまで片付けたものだと、感心したくなる。
「それで、あの魔法を使って来たという事は、宿題は完全にこなしたって事よね」
「はい。頑張りました」と僕は手を上げる。
我ながら子供らしい仕草である。
「それじゃ、今度はもう少し余裕のある空の飛び方を教えようかしら。とりあえずこれとこれ、それとこれを読んでみて」
そう言ってマジュさんが何冊かの本をこちらに手渡す。その本には付箋が張られており、見ると、確かに空を飛ぶのに関係しそうな風魔法が載っていた。
「うーんと」
呪文を唱える前に、頭の中でその魔法による魔力の流れをイメージする。
それからその呪文のひとつひとつの単語が意図する言葉の意味を頭に叩き込み、イメージを具体的にさせる。
「ふうん」と、マジュさんが感心したように息を吐く。
「何にも考えずにやる訳じゃないのね」
「そうですね。まずは頭の中でイメージした方がやりやすいって気付きましたから」
「今、何歳?」
「もう少しで一歳です」
「言葉も一年で覚えたって訳?」
「はい。頑張りました」
「ケッ」
マジュさんが悪態を吐く。
確かにもうすぐ一歳のガキがこんな事を言ってたら、悪態の一つでも吐きたくなるものだ。
八歳でも悪態を吐くだろうし、十五歳でも吐くかもしれない。
ガキはガキらしい態度を見せるべきなんだろうか。
「ごめんなさい」
とりあえず謝る。
「なんで謝んの?」
マジュさんが不機嫌そうになりながら尋ねる。
「な、なんとなく」
確かに謝る理由は自分でもよく分からない。
天才でごめんなさい、なんて言える訳でもないし。
「そういえば」と僕は前から気になってた事を尋ねてみる。
「ママとはどういう関係なんですか?」
「先輩と後輩。前に言ってなかったっけ?」
「言ってましたけど、本当にそうなのかなって思って」
「本当にそうなのよ。男の取り合い…………って程でもないけど、近い事はあったわね」
ドロドロした不倫みたいな関係というよりは、ラブコメのヒロイン同士みたいな関係だったのかもしれない。
お互い嫌い合ってるけど、それでも母は息子を預けるくらいには信頼してるみたいだし、マジュさんもなんだかんだで、母を憎み切れてない感じがする。
知らんけど。
「無駄話はそこまでにしといて、とりあえず課題に集中しなさい。どうせあと一時間もすればあんたのママが慌ててこちらに来るだろうから」
「あ」
そういえば、一人で勝手にここまで来た事を忘れていた。
普通に考えれば、あの母親なら心配するだろうな、と反省。
どうして今までこの発想に至らなかったんだろう、と疑問にさえ思う。
とりあえずしこたま怒られるだろう。
「でも、ま、やっちゃったもんは仕方ないか」
やらかした事よりも、今できる事を考えよう。
マジュさんから出された課題。それをこなす為に、僕は意識を切り替えた。
◆
それから二年が過ぎた。
僕は三歳になった。
師匠ことマジュさんのもとで色々と魔法を鍛えているところだ。
勿論、家を出て師匠のところに住んでる訳でもなく、毎日徒歩三時間の距離を飛行魔法でぶっ飛んできている訳だ。
あ、最初にやったロケット魔法ではなくて。
普通の飛行魔法。
武空術みたいにあれこれ自由自在に飛び回れるわけではないけど、それでもまっすぐ直線方向になら、結構安全に飛ぶことができる。
この二年で僕も成長したという事だ。
「ほら、また集中切れてるわよ」
瞑想中に師匠が僕の肩を叩く。
坊主などがやりそうな座禅のアレだ。
「ねぇ、師匠。なんかあっちの方が騒がしくない?」
僕が言うと、師匠ことマジュさんは怪訝な顔を僕が指さす方に向け、
「…………確かに騒がしいわね」
「見てきていい?」
「駄目よ。危険だから」
「でも、僕ならそんじょそこらの魔物になんか負けないよ」
「確かにそうかもしれないけど、駄目なモノは駄目。あんた、実戦した事ないでしょ。実戦は本来の実力の半分も出ないものよ」
「むぅ」
僕は頬を膨らます。
だが、確かに師匠の言う事は間違っちゃいない。
僕は実戦を経験した事はないが、それでも実戦が思うようにいかない事を前世の知識で知っている。
漫画などの知識でもそうだし、学校の劇やら運動会なんかでも本番が上手くいかなかった覚えがある。だから納得せざるを得ない。
しかし、それでも……、という想いはある。
「だとすると、僕はいつまでも本番に臨めないよ……」
師匠がため息を吐く。
「ふぅ、仕方ないわね」
「え? って事は……?」
「いや、駄目なモノは駄目だからね」
「あれ? 今の流れはオッケーの流れじゃなかったの?」
「そんな訳ないじゃない。あんた、私と何十年来の付き合いだと思ってるの?」
「二年です」
人生の大半ではあるけれども。
でもたった二年。
だって僕はまだ三歳なのだ。
「諦めなさい」と師匠が言う。
「だってあんたはまだ三歳なのよ。実戦を経験するにはまだ早すぎるわ」
それは確かにその通りだった。
◆
そんな訳で、僕は瞑想が終わった後、師匠の目を盗んで、さっき言ったなんだか騒がしいところへ向かう。
どうやらまだ騒がしさは続いてるようだったし。
今ならまだ祭りに間に合うだろうと、思ったのだ。
目的の場所は街外れの師匠の家からまた更に郊外の方へ行った、完全に人気のない場所。
向かうと、確かにまだ騒がしい。
どうやら大量の魔物が争ってるようだ。
何と?
人と。
数百匹を超えるとてつもない数の魔物が、たった一人の人間と争いを繰り広げている。
その人の周りには大量の屍が散らばっている。
数百匹の魔物とはいったが、どうやらその大半は既に死体と成り果てているようだ。
「…………っすっごいな、なんだ、あの人」
遠目から見てもその凄まじさは一目瞭然。
斬っては次、斬っては次を延々と繰り返している。
その動きは素人目に見ても達人級。美しさを覚えるくらいに洗練されている。
「ほえぇ」
僕は思わず感心してその光景を眺めた。
空から。
呆然と。
だけどよく見たら、そのすんげぇ人は、少しばかり疲れているようだった。
あ、このままだとまずいかな、と思った僕は、咄嗟に攻撃魔法を放った。
集団戦用の大型魔法。
未だ詠唱が長く、とても無詠唱では発動できない強力な上級攻撃魔法。
「来たれッ神の雷、トールハンマーッ!」
魔物の中心にいる謎の剣士には当たらないよう、端っこに向けての発動。
勿論、中心に向けて放つよりは全然効率的ではないが、かといって助けようとしている本人に魔法が当たっては何もならない。
やや非効率的ながらも、呪文詠唱が長いだけあって、魔法は絶大な効果を発揮した。すごい数の魔物が消し飛んだ。大体、生きてる魔物の三割くらいだろうか。
僕は圧巻の光景を見ながら、くらりと意識が落ちかけるのに気付いた。
慌てて頭を振り、なんとか意識を保とうと根性を振り絞る。
「…………っ」
謎の達人剣士は、僕が空中から魔法を放ったことに気付き、こちらを見上げていた。
その間も、洗練された剣は止まらなかった。
水泳後の数学くらいの凄まじい眠気に襲われながらも、僕は必死に意識を保ち続けた。
◆
それから一時間ほどが経過し、ようやく剣士が全ての魔物を屠り去ったところで、僕はその人のもとに向かった。
既に魔力は切れてしまって、空を飛ぶこともできない。
だけど、魔物はもう全員事切れてるから、動く事もない。
「ありがとう、助かったよ」と剣士が言った。
女性の声だった。
僕は霞む視界を必死に保ちながら、
「お疲れ様」と言おうとした。だが、言葉が喉から出てこない。
ぁぅぁぅぁ、みたいな感じで口をパクパクさせたところで、僕は倒れた。
何やら遠くで声が聞こえてくるが、もう僕の耳には届かなかった。
意識が途切れた。