良いケツの小娘
ナイルの懇願を聞き、僕は意を決して言う。
「ごめん……っ」
僕の謝罪を聞いたナイルは、信じられないといった目でこちらを見る。
「な、なんで……?」
「えっと……」
「あ、こんなところじゃ嫌だった? ごめんっ。そうだよね。あたしったら、自分の事ばっか考えてたわ。ホントごめん。それなら、今からでも別の場所に行きましょ? あたし一応、そういう宿も知ってるから。ここからそんなに離れてないし」
「いや、そういうんじゃなくて……」
「じゃあ何で?」
ナイルの顔が蒼に染まる。
「あたしじゃそういう気分になれない?」
「いや、だからそういうのじゃなくて……」
「ならなんでよ。体調が悪いんじゃないよね? 今はたまたまそういう気分じゃない?」
「だから違くて……」
って、しまった。
たまたまで肯定しとけばよかったか。
偶々、タマタマの気分がそうじゃなかったって。
しかし、今のナイルの、記念日忘れた彼女みたいな半ギレムーブを見たら、そういう軽い言葉での誤魔化しは通用しなさそうだ。
なら結果的に否定でよかったかもしれない。
「じゃあなんで?」とナイルが詰問する。
僕が返答に窮すると、いよいよ我慢できなくなったナイルが、
「もういいっ!」
そう言って、一人で立ち去ってしまう。
僕はそれ以上何も言えず、夜闇に消えていく彼女の背中を見送り続けた。
◆
後悔先に立たずとはよく言うが、だったらどうしたら後悔しないのだろう。
行動すればいい? だけど行動した結果、後悔する事だって沢山ある。
これまでしなきゃよかったって思った失敗の思い出が溢れんばかりにある。
じゃあどうすればいいのか。
それはきっと誰にも分からない。
だから人は後悔し続けるのだろう。
あるいは『人』はじゃなくて、僕だけが後悔し続けてるのだろうか。
そんな風に考え込んでいたら、
「────どうして抱かなかったんじゃ?」
不意にそんな声が頭に響いてきた。
「うぉっ?」
「形の整った良い尻だったじゃろう。抱かない理由がどこにあったんじゃ?」
思わず振り返ると、そこには野外にも関わらず、一糸まとわぬ姿で堂々と立っている美女が居た。
「ア……、アウラっ!」
「アウルアラじゃ、たわけ」
全裸女はそう言って、こつん、と僕の頭を叩く。
「な、なんでここに…………?」
「お主に憑りついておったからじゃろう。何を言っとるんじゃ」
さも当然のようにアウルアラが言う。
「ああいや、そうじゃなくて……」
僕は頭を振りながら言い直す。
「憑りついてからずっと姿を消してたじゃんか。なんで今更?」
「お主の頭がうるさいからに決まっとるじゃろうが。バカか、お主は」
「…………」
すぐには言葉が出てこない。
いきなりの再登場に、ちょっと頭が真っ白になっている。
出会ったと思ったらすぐに引っ込んで、僕の中でグースカ惰眠を貪ってた存在のくせに、やたら尊大で偉そうなアウルアラ。
そんな彼女はこれみよがしにため息をつき、
「安心せい。まだまだ寝るつもりじゃ。今は猫の夜泣きがうるさくて、目を覚ましたようなもんじゃ。どうせだからちょっとトイレに行ってまた寝ようかと考えてるところじゃから、このままずっと起きとるなんて真似はせぬ。安心してあの良いケツした小娘と交尾するがよい」
「いやいやしないから」
僕が首を横に振って否定すると、アウルアラは初めて鏡を見た赤ん坊のような心底不思議そうな顔をしてから、
「だからどうしてしないんじゃ? お主の辞書に、据え膳食わぬは男の恥という言葉は載っておらんのか?」
「だって僕はまだ五歳で……」
「中身は違うじゃろう」
ふと、当然のように言われて、今度こそ頭が真っ白になる。
「転生体じゃろう? 既に見たから知っとるぞ」
「み、見たって何を……」
「お主の記憶。まぁ、お主が前世でどんな人生を送ってきたかについては口出しせんから安心せい。こちらも口出しできぬ理由がある」
「うん?」
僕が首を傾げると、アウルアラは何事もなかったかのように話を戻して、
「今は、あの良いケツした小娘を抱かなかった件について考えるが良いじゃろう。童の事情は特に緊急性がない。今はどうやってあの良いカタチの尻の小娘の機嫌を取って、どうやって交尾までがこぎつけるかが最優先事項じゃろう」
「交尾にこぎつけるかはともかくとして、確かにこのまま嫌われた状態なのは嫌だな……」
色々と言いたい事、訊きたい事はあるが、確かに優先すべきはナイルの件についてだ。
「このままだったらもう二度と口を聞いてもらえないかもしれない…………うん。どうやったら機嫌を直してもらえると思う?」
「ぶっちゃけあの小娘はお主の事がしゅきしゅき過ぎるから、適当に謝れば簡単に機嫌直すと思うぞ?」
「そんな適当な……」
「いや、これは結構、的を得た意見じゃぞ。既にあの小娘の好感度は限界突破しとるから、こちらから折れてやるだけですぐに抱ける。なんなら、うるせぇ抱かせろの一言で股を開くじゃろう」
「いや、だから別に抱きたい訳じゃなくて……」
「抱かないならなんじゃ。まさか、精通してないのが抱かない理由になると思っとるのか?」
「充分理由になると思うけど……」
僕はアウルアラの倫理観にやや引きつつ、
「それじゃ、抱かずに機嫌を直すのはどうすればいいと思う?」
「抱かない女の機嫌を取って何の意味があるんじゃ? まさかお主、女に肉穴以外の価値があると思っとるのか?」
「他ならぬ女のあんたがそんなこと言っちゃうんだ……」
「童は、男も女もイケる口じゃからな」
全裸のアウルアラが胸を張って言う。
「駄目だこいつ。話にならない」
どうやらアウルアラは、普通の人間とは価値観が著しく異なるようだ。
魔王を自称するだけあるか。
少なくとも精神性は人間離れしている。
あと戦闘力も。
…………もしかしたら本物の魔王なのだろうか。
まぁ、どっちでもいいと思ってるけど。
魔王の称号の価値がどれくらい高いか分からないから、反応し辛くはある。
…………。
「帰ろ」
帰った。
◆
唐突なアウルアラの復活にやや戸惑いはあったが、結局は何事もなかったかのように帰宅することなった。
日常というのは簡単に変わるものではないらしい。
帰宅すると、鬼のような顔をした母が腕を組んで待ち構えていた。
「遅かったわね」
「あ、やべ」
ただいまを言う事もせずに、僕は土下座した。
「すいませんでした」
「謝れば済むと思ってる?」
めんどくさい女みたいな台詞だ。
できれば母親から聞きたくない台詞でもある。
「すいませんでした」
僕は再度頭を床に擦り付ける。
いくら異世界とはいえ、五歳児が行う謝罪方法ではない。
「…………ふぅ」
母はため息を吐く。
「まぁいいわ。それよりご飯は? 食べてきたって事?」
「うん」
「その恰好は?」
「自分で買った。お金はダンジョンで手に入れたアイテムを売って用意した」
「マジュ達はなんて?」
「? どうして師匠達が出てくるの?」
僕が尋ね返すと、母はさも当然のように、
「だってあのコ達が倒したのを売ったんでしょ? それならあのコ達にアイテムを手に入れる権利はあるじゃないの」
「あー、えっと……」
どうやらほとんど僕が倒してる事は知らないようだ。
師匠達のおこぼれを勝手に拝借してるように思われてるのか。
もしくは師匠達からの小遣い貰ってるみたいな感じで。
確かに今回売ったアイテムはラキ師匠と戦ったボスから手に入れたものだが、そのうち一番価値が高いモノをラキ師匠が、それ以外を僕がというカタチとなっている。
ラキ師匠のは、売らずにギルドに寄付という冒険者ランクを一時的に上げるカタチで使用している為、実質的には全部僕の為に使ったようなものだけど。
…………明日、代わりのアイテムを渡しておこうかな。
どうせ九十層台なら一人でも攻略できるだろうし。
「それより明日はあの丸尻小娘の機嫌を取るために動いたがいいのではないか?」
僕が考えこもうとしていると、アウルアラからの口出しが入った。
言われてみれば確かにアウルアラの言う通りだった。
ラキ師匠にアイテムを渡すのはいつでもできる。
あの人はこれぐらいの事じゃ怒らないし、むしろ全て僕にあげるくらいのつもりで動いている。
懐が深いっていうか、僕が子ども扱いされてるんだろう。
…………そういえば、ナイルに僕の年は教えたんだっけか。
たぶん教えてないからこんなことになってしまったと思うけど、どうだろう。
「ふぅ、まぁいいわ。お風呂入ってきなさい」
僕があれこれ考えていたら、何かを諦めた母が風呂を入るように促した。
なんかいつもより元気がないな、と思ったが、そういえばゴルドフの件があった事を思い出した。
ゴルドフとは母が一番縁が深そうだった。
僕なんかじゃ比べ物にならないくらい。
僕が息子じゃなければ、こうやって何事もなかったかのように振る舞う事もしなかっただろう。
息子に心配かけないよう、平然と振る舞ってるにしか過ぎない。
母がこんな状態なのに、飯の事も伝えず、夜遅くに帰宅するのは流石に考えなさ過ぎたか。
もう少し家族に思いやりを持って動くべきだった。
と、僕は内心にて反省し、母に言われた通りお風呂に入る。
風呂では、アウルアラが僕のちんちんを見てやたらはしゃいでいた。
◆
次の日、僕はいつものようにダンジョンへ行く道を通った。
ダンジョンに行くのではなく、ダンジョンへ行く道だ。
そこでナイルに会う事が多いからだ。
思えばナイルはいつも僕を待ってたのかと、今更ながらに気付く。
待ち合わせをしていたのではなく、いつもナイルが待っていた。
今まであんまり深く考えなかったから気付かなかったけど、アレは偶々会ってた訳じゃなかったのか。
ナイルが僕を待ってたのだ。
好きな人である僕に。
「随分、鈍い男じゃのぉ」
「うわっ、起きてたの?」
振り返ると全裸のアウルアラが僕を嘲笑うような目をして立っていた。
「起きとったぞ。お前さんの視界に入らんところでハァハァしとったわ」
「…………ノーコメントで」
でも、視界に入らないぐらいじゃ気付くと思うんだけどなぁ。
一応、冒険者だし。気配には敏感なつもりなんだけど。
幽霊だから?
「それでこれから何処に行くつもりじゃ? あの尻の丸いおなごのところに行くつもりじゃないのか?」
「…………違うけど」
本当はそのつもりだったけど、何故だかアウルアラの言う通りにするのが癪で、ついそんな事を言ってしまった。
我ながらなかなかどうしてひどい天邪鬼っぷりである。
自分でもこの機微はよく分からない。
とまぁ、そんな訳で急遽予定変更して、別の道を行く事にした。
ただ、別の道といっても何処に行くかまでは決めていない。
適当に歩くとしよう。
◆
頭の中に木の枝をイメージして、別れ道にきたら木の枝がどちらに倒れるかをなんとなくで決めた。
そうすると今まで来た事のない道までやってきた。
まぁ、できるだけ知らない道に行こうと、頭のどっかで考えてたからだと思う。
迷ったところで、空を飛べばすぐに現在位置が分かるし、帰る事だってできる。
それならこういう道の決め方でも何の問題もない。
自由度の高いオープンワールドのゲームで、気の向くままにキャラクターを歩かせてるような気分だ。
目的地がないというより、歩く事が目的みたいな。
もしくは、目的地を探すこと自体が目的みたいな。そんな感じ。
そうしてぼんやり歩き続けると、気付けば僕は港の方まで来ていた。
ここはギルドのクエストで来たことがあるような気がするが、記憶の中の港と今ここにある港が同一とは限らない。
それは違うよ、と言われるだけで、へぇそうなんだとあっさり納得できそうなくらいの曖昧な記憶。
そういえばこの辺りに父の職場があるらしいので、あまり近付かないでおこう。
僕は身内の職場には行きたくない思春期タイプである。
そんな感じで適当に歩いてたら、何やら気になる話し声が聞こえてきた。
労働者がそこら中にいるので話し声自体は十年の一人の逸材くらい珍しくないが、内容がちょいと気になるものだった。
この辺で死んだ人の話。てか率直に言うとゴルドフの話。
ガリオス組の抗争だか内乱だかで、偉そうな上司が部下らしきガタイのいい男を銃で撃ち殺したとかなんとか。
この辺りの川に流れついたのはたぶんその人だろうって話。
まぁ、正直ゴルドフの件、犯人はあの残念で無様な自称幹部だろうなってのは予想していた。
おそらく奇を衒って実は別の人が犯人でしたってオチもないだろうとも。
孤児院の件で信用やら威厳やらを失った無様幹部さんが、僕の母と再会して改心して仕事を辞めようとしたゴルドフに腹を立てて、殺してしまったんじゃないかと思っている。
細かいところは違うかもしれないが、おおよそは当たってると思う。
ゴルドフが仕事を辞めたがってたのは、あの時話してなんとなく察していたから。
今にして思うと、あの時、自分が死ぬ可能性も考えてたんじゃなかろうか。
だから最後に昔の片想いの相手に会いに来たとか。そんな感じ。
あの時、そういう事に気付いてやれば、ゴルドフのおっさんを助けられたかもしれない。
そんな風に考えてたら、不意に全裸の変態女が呆れるような態度で僕に口出ししてきた。
「おい小僧。なにやら駄目な考え方をしとるぞ。貴様に責任のない事は貴様が責任を感じる必要はない。当然の事じゃぞ」
「だとしてもやっぱりなんか責任を感じちゃうっていうか……」
「だから童が言っとるんじゃろうが。自分でも分かってて尚そういう風に考えてしまう事は、他人に否定してもらうのが一番じゃからな」
「…………まぁ、そうかもしれないけど」
「安心せい。童は、お主を慰めるために嘘をついとる訳じゃないぞ。童が本心で、お主には責任がないと思っとる。確かに、わざわざ言葉にしてお主に聞かせてやるのは、お主の頭の中が煩くなるのを防ぐ為ではあるけども」
「…………」
「誰もお主の事を責めとらん。今回は童があえて口に出してやったが、基本的に何も言わぬ奴は、お主の事など責めとらん。お主を責める奴はいつも少数じゃ。誰かを傷つけたくてたまらんクソが大きな声で、大きな主語を使って、己が主張を繰り出しとるだけじゃ。その大半はお主を責めてるからではなく、己の感情を発散したいだけだから、気にするだけ無駄じゃぞ」
「なんか話ズレてない……?」
「お主の記憶を読んだことがあるからの。そういう事を含めてきちんと言ってやった方が良いと思っただけじゃ。実際、言ってほしかったじゃろ?」
「…………言ってほしかったけど」
朝から野外全裸でハァハァしていた奴のくせに、なんとも頼りになる奴だ。
しかし責めてる訳じゃなくて、感情の発散の為か…………。
もしかしたらアウルアラが言いたいのは、ナイルの件についてかもしれない。
そう思った僕は、港から離れて、アウルアラの家に向かった。




