知りたい
「あのさぁ、股間が痒いなら僕の手じゃなくて自分の手でかいてくんない?」と言う僕の要求に、
「別に痒かった訳じゃないわよ」とナイルが答える。
ならなんで股間に手を持っていったんだ、と思いつつ孤児院を出る。
「それで、孤児院には何の用だったの? 結局、何もしてないように見えたんだけど?」
「いいえ。ちゃんと目的は果たしたわ。しっかりとね」
「うーん……? まぁ、果たしたなら、それはそれでいいけどさ。それより、、なんでシスターはぼぉっとしてたんだろうね。やっぱり孤児院の管理を独りでやるのは大変なのかな。今度、手伝いに行き────むぎゅ」
喋ってる途中で、いきなり口元を抑えられた。
厳密には両頬を片手で挟まれた状態。
おかげでポテチも咥えてないのに、口がアヒルみたいになってしまった。
「デート中に他の女の話をしないで」とナイルが言う。
めんどくさっ。
でも、今日はたくさん慰められたので文句は言わないでおこう。
ならばと僕は足りない頭と経験でお洒落な話を考え、
「…………そういえば昨日殴られて壁に埋まった時、めちゃくちゃむっさいおっさんが僕の生尻を、」
「だからって男の話もしないで」
「…………この前、家の前で猫がウンコしてて、そのウンコの臭いが、」
「メスの話もやめて」
「むむむ…………なら何を話せばいい?」
「あたしの話をしてよ」とナイルが言う。
「…………ナイルの鼻毛って一本一本が太く、毛根からしっかりしていてすごく、」
「他ので」
「…………個人的にナイルって自分の足の臭さに吃驚するタイプだと、」
「他の」
「…………この前、脂ぎったおっさんの二の腕のラインがナイルの太もものラインと酷似している可能性に気付いて、」
「他」
「…………ナイルが虫を食べてるかと思ったら、実はそれは交尾中のカラスで、」
「もうちょっとまともな話はないの?」
焦れたようにナイルが言う。
「なんだよさっきから。僕の話のどこがいけないっていうのさ」
「いやまぁ、自分でもめんどくさいのは自覚してるけど、あんたもあんたで大概よ?」
そうだろうか。
自分ではお洒落な話題を選別していたつもりだが、どうやらナイルには不評だったようだ。
デート中だって事で頑張って選んだのに。
こういうのは考え過ぎたらダメだから、そのせいか。
お喋りって難しいな。むぅ。
ナイルはぷんぷんと腰に両手を当てながら言う。
「今のあたしについて、何か言うことないの? たとえばこのドレスとか」
「つまり服の感想ってこと? 服屋で言わなかった?」
「言ったけど、言ってないわ。早く服屋を出たいからって、すごいおざなりだったもん」
「…………半ケツ出てるね」
僕がそう言うと、ナイルは両手でサッと尻を隠した。
「も、もう少しなんとか」
「そのドレスの色。おじいちゃんの乳首みたいでとっても似合うね」
「半分いらない」
「おじいちゃんの右乳首みたい。あ」
「逆」
「左乳首」
「さっきからわざとやってるわよね?」
「え? わざと見せてるの?」
「は?」
「ん?」
「えっと……何が? あたしは、あんたがわざとふざけた事を言ってるって怒って……」
「いや、そうじゃなくて、僕が言ってるのは乳首が見えてるって事。ほら、左乳首」
僕が指摘すると、ナイルはドレスの左胸がはだけてる事に気付き、顔を真っ赤に染めた。
あとはお約束。
◆
「そろそろ日も落ちてきた事だし、帰ろうか」
顔面をしこたま殴られた僕は、帰宅の提案をする。
「いいえ。まだ行きたいところがあるわ」とナイル。
「どこ? もう辺りは真っ赤だよ?」
「それはあんたの血よ。行きましょ」
ナイルは行き先を教えずに、僕の腕を引く。
「どこに行くの?」
「どこでもいいでしょ」
まさか地獄にでも連れられてしまうのかと思ったが、全然違った。
連れられた先は飯屋だった。
いや、これはレストランっていう方が正しいか。
レストランはレストランでも頭に高級が付くタイプのレストラン。
この世界の建築技術がまだそれほど発展してないせいか、煌びやかな夜景を楽しめるほどの高層ビルにある訳じゃないけど、それでもまぁ、そこそこ高い四階にある。
内装は豪華絢爛、赤い絨毯が敷き詰められた床と、光り輝く調度品があちらこちらに置かれている。
一般市民の両親が見たら卒倒するかもしれない。
一応、お金はたくさんあるから大丈夫だとは思うけど、それでも一般階級に育ってきた僕にはちょいとばかり馴染みにくい場所だ。
居るだけで胃が締め付けられる。
周りに陽キャしかない時の感覚に近い。
「…………それじゃ帰ろっか」
「いや今きたばかりだけど?」
こんな装飾過多な部屋に居といて、特に何の緊張もしてない様子のナイルに、僕は彼女の家がやたら綺麗だった事を思い出した。
掃除が行き渡ってるとか、そういう意味じゃなくて(いやまぁ、掃除もちゃんと行き渡っていたけど)、そこに置いてあるものがやたら高そうな物ばかりの家。
広さよりも部屋の質にこだわってたような、高いお家。
ナイルが実はお嬢様である事を今更ながらに思い出した。
「いらっしゃいませ。どうぞこちらに」
スマートなイケメンの店員に案内され、席に着く。
「予約はいらなかったの?」
「メニュー次第じゃ予約はいらないわよ。あと、貸し切り状態にしたい時は上の階ね。そっちはVIP専用。一回だけしか来た事ないけど」
耳打ちしながら尋ねると、ナイルは何でもない事のように答える。
「一回はあるんだ……恋人と?」
「んな訳ないじゃないっ」
ナイルが僕の頭を軽く叩く。
「家族とよ。両親と妹。妹とはまだ会った事なかったかしら」
「たぶんないと思う」
いや、一度あったか。
眠るナイルを運んだ時。あんまり顔も覚えてないけど。
「妹はあたしの事をやたら慕っててね。可愛い妹よ」
「ふうん。僕みたいに顔面が焼きたてのパンのように膨れ上がるまで殴ったりはしないの?」
「する訳ないじゃない。あたしをなんだと思ってるのよ」
「逆に僕の事をなんだと思ってるか聞き返したいけどね」
これまで何回僕を殴ったか。
ボクシングクラブのサンドバック並みに殴られ続けた身としては、それぐらいの嫌味は言っていいと思う。
「…………悪かったわよ」
意外にもナイルは素直に謝った。
「あんたといると、どうも気持ちが落ち着かなくて、つい手が出ちゃうの」
「手っていうか拳だけどね。鋼の拳」
「茶化さないで」とナイルが言う。
「こんな風に一緒にいて、ドキドキし続けるのもあんただけだし、それなのにあたしがあたしらしくいられるのもあんただけよ」
「ふうん」
なんか恋の告白みたいだな。
一応美人のナイルの言われると、不覚にもドキドキしてしまう。
「と、とりあえず注文しようか。何、食べる?」
「ふふっ。耳、真っ赤よ」
「うるさいな。そっちがこっぱずかしい事を言うからだろ。そんな事、美人に言われ慣れてないんだよ」
正確には、美人どころか誰にも言われ慣れてないけれど。
精々、画面越しの女の子くらい。三次元はナイルが初だ。
「ふふふっ。照れてる照れてる」
ナイルの機嫌がよくなったところで、僕達はメニュー表を広げて、注文を行う。
正直、メニューを見てもどんな料理か分からなかったので、注文はナイル主導で行われた。
暫く適当に雑談を行い、注文が来るのを待つ。
あまりお洒落な話題を意識しなければ、それなりに会話も弾む。
「あ、きた」
他愛もない会話の途中でようやく注文した料理が来た。
薄い皿の中心に乗っかったお洒落で小さな料理。
円形でその中にいろんなものが敷き詰められている。
フランス料理みたいなやつ。
おそらくこれ一品だけじゃないだろう。
たぶんこれは前菜だ。
異世界なのにナイフとフォークが置かれている。
この世界も元の世界も、人間の身体は変わらない。
ほぼ左右均等の身体に、関節のある四肢。五本指の手足に、肩の上にある頭部。
大きな差は魔力の有無くらいか。
その魔力も、もしかすると大気中に漂う魔素の成分で生まれただけの要素かもしれないし、肉体そのものは、元の世界の人間と大差ない。
なんなら運動能力も、もしかすれば文明の差で生まれただけかもしれない。
魔力強化がなければ、冒険者もスポーツ選手と同レベルの可能性もある。
だからだろう。
身体が変わらないなら、それに合わせて作られた道具もあまり変わらない。
環境や文化の差で差異が変わる物もあるだろうけど、変わらない物もある。
偶々フォークやナイフ、それとフランス料理的なモノは変わらない部類にあっただけだ。
いや、違う物があったら同じ物もあった。それだけの話だ。
…………。
だからといって、僕が上手く使える訳じゃないけれど。
「うわっ、食べるのヘッタクソね、あんた」
「うるさいな。慣れてないんだよ、こういうの」
「ごめんごめん」と笑いながら謝罪するナイル。「そうよね。初めてならそんなものよね。大丈夫よ。気にしないわ。失敗は誰にでもあるもの」
そう言ってナイルが赤い舌をちろりと出す。
蛇のような長い舌が艶めかしく動くのを見て、僕はなんだか息苦しくなった。
高級店に入った時のモノとは別種の息苦しさだ。
動悸が始まり、鼓動が高まっていく。
熱が下腹部に集まるのを感じて、僕は咄嗟に目を逸らす。
暫くはまともにナイルを見ていられない。
「なんで目を逸らすのよ」とナイルがやや不満そうに抗議するが、僕はその意見を無視する。
暫し抗議し続けていたナイルだったが、ふと何かに気付き、それまでの文句を全て引っ込める。
僕が目を逸らしたままの状態を許容し、話を別のモノに切り替える。
丁度そのタイミングで次の料理が届いた。
◆
「あたしはこれでも優等生だったのよ。だけど嫉妬してくる連中や、あたしの事を色目で見続ける奴が後を絶たなくてね。それがものすごく嫌だったの」
食事をとりながら話をする。
話の内容はいつの間にかナイルの過去の話になっていた。
ナイルは一応学生で、今は実家に戻って休学中。
美人で優秀だから色々と軋轢があるらしい。
過去の愚痴を語るナイルは、僕の知らない人に見えた。
「あんたは昔の話とかないの?」
僕は前世、元の世界の自分の事について少しだけ考え、
「いや、特にないね」と答える。
ナイルとは仲のいい友達になったが、それでも僕が異世界転生した事を語る気にはなれなかった。
これはナイルとの関係が問題ではない。
僕自身の問題だ。
両親にも師匠達にも隠し続けるつもりだし、おそらくこの先もずっと、墓の下まで持っていくつもりの秘密だ。
まぁ、今はそのつもりでも案外この先あっさり考えを改めるかもしれないけれど。
未来の事は誰にも分からない。
たとえ自分自身の事でも。
「別に面白い話じゃなくてもいいわよ」とナイルが言う。
「あたしはあんたの事が知りたい」




