ゴルドフの死
夢を見た。
ダンジョンのボスと戦う夢だ。
ダンジョンに潜るようになってから、こういう夢はそこそこ頻繁に見る。
今朝見た夢もそうだった。
巨大なペストマスクの阿修羅像。
マスクな筈の顔面に大きな口が開かれ、こちらの頭部に齧り付く。
ぱっくり食われたかと思ったところで目が覚めた。
…………最悪の目覚めだ。
でもまぁ、こんな風になるのも仕方ない気がする。
あんな事を聞かされたら、そりゃぁ気持ちが不安定になるし、夢見が悪くなるのも仕方ない。
ところであいつは何層で戦ったんだっけか。
六十層? でも六十層は大蛇な筈だし……。
夢の中の出来事をぼんやり考えながら、ふらふらした足取りで一階に降りる。
リビングには既に母がエプロン姿で朝ごはんを作っていた。
「おっはよ、今日はちゃんと起きたわね。偉い偉い」
僕を見るなり、母は何事もなかったかのように笑顔を見せる。
「あ、うん……」
一見、いつもの笑顔ではあるが、息子だから母が無理してるのが判る。
昔の話とはいえ、片想いだった相手が亡くなったのだ。
落ち込むのも仕方ないといえよう。
「お父さんは?」
「もう仕事に行ったわよ」
「そうなんだ。早いね」
いや、僕がお寝坊なだけか。
あんな事を聞かされたら、寝付けなくなるのも仕方ない。
というか、昔の友達が亡くなっても仕事に行かなくちゃいけない父がとても可哀そうだ。
でも、状況が状況だし、仕方ないか。
彼の死は普通とは言えないものだった。
僕は席に着きk、母が作ってくれた朝食を食べる。
朝食の間、母がゴルドフの件に触れなかったので、僕もあえて彼の死に触れる事はなかった。
元々、僕はそういう事を気軽に喋るタイプではない。
口が軽くなるのは精々、魔法についてか。
それ以外はそこそこ口が重い。
前世だったら漫画ついて口が軽くなったが、この世界に漫画が分かる人はいない。
そういう意味では、僕は独りだ。
ちょっと寂しい。
でも、河に浮かんでるところを発見されたゴルドフはもっと寂しかっただろう。
◆
ゴルドフの死体はやや街外れの川にて発見された。
第一発見者は近くに住む素朴な青年で、彼は最初、捨てられた家具かなんかだと思ったそうだ。
近くで見てみるとそれが大きな男が流されてるのだと気付き、急いで救出しようと試みたのだが、その時すでに男は亡くなっていたとの事。
川から引き上げた時には、助けを呼ぶ必要もないのは明らかで、素朴な青年が呼んだのは医者ではなく、憲兵だった。
引き上げられた死体にはなんと十八発もの弾痕が残っており、そのうち十発が胴体、腕と足にそれぞれ三発ずつ、そして残りの二発が頭部にあった。
おそらくは河の上流で撃たれて、そのまま川に流されたのだろう、とされている。
尚、この時はまだ死体がゴルドフである事は判っていなかった。
死体の身元が判明したのは、何を隠そう僕の父が原因だった。
死体発見現場と父の仕事場はそれほど離れておらず、父は仕事中に死体が発見されたという噂を聞いて、仲間と一緒に少しだけ様子を見に行った。
その時、死体を見て、それがゴルドフだと気付き、驚きの声を上げたのがきっかけだ。
一応、事情聴取は行われたそうだが、父は現在のゴルドフが何をしていたかまではよく知らず、意外とあっさり解放された。
事件の関与もほとんど疑われていなかったそうだ。
もしかすると、憲兵はゴルドフがどういう仕事をしていたかについて、薄々察していたのかもしれない。
…………。
◆
朝食を終え、いつものように変身した僕は、目的地も決めぬまま街に出た。
とはいえ、あてもなく彷徨い歩くとどうも通い慣れたダンジョンへの道を選んでしまう。
習慣というのは恐ろしいものだ。
これからこのままダンジョンに潜ろうか。「あ」
そういえば最奥層と思われていた百層の下に古代遺跡、そしてその先に新たなステージとも言うべき百一層目を見つけたんだっけか。「よくもまぁ平然と顔をだせたものね」
借金の件で忘れていたけど、折角だし気分を切り替える為にも、これからそこに行ってみるのもいいかもしれない。「…………ねぇちょっと」
…………いや、やっぱやめよう。なんか気分が乗らない。「話聞きなさいよ」
それじゃあどうしようか。このまま何もせず帰ろうか。「ねぇってば」
それもいいかもしれない。「なんで無視するの?」
いや、やっぱりそれはよくない。このまま引き摺り続けても、何の得にもならない。「いい加減こっち向いてよ」
だけど…………。「ねぇってば!」
バチコーンと頭を叩かれた。
思わず振り向くとそこにはナイルがちょっと涙目で拳を振り上げようとしていたところだった。
「あ、やっほ」
と僕は軽く会釈する。
「それじゃあね」
そしてそのままナイルと別れようとする。
「だからちょっと待ちなさいよ!」
「ぐえっ」
襟首を引っ張られた。
「なんでさっきから無視するの? 昨日のこと怒ってるの?」
「昨日の事?」
言われて昨夜の食事会の事を思い出す。
「…………ああ、いや別に。全然怒ってないよ」
そう言って僕はそのまま別れようとする。
「だから待ってってば!」
「ぐえぇっ」
再度、襟首を引っ張られる。
「怒ってるじゃん」
「怒ってないって」
「じゃあなんでそんな…………」
と、ここでナイルが怪訝な顔をする。
「どうしたの? 何か、落ち込んでる?」
「そんな事ないよ」
僕は咄嗟に誤魔化す。
「嘘よ」
即バレされた。
「もしかして昨日、あたしが怒ったから? それともあたしのパパに嫌われたから?」
「別にそういう訳じゃないよ」
「それもそれでなんか癪だけど……それじゃあ何かあったの? あたしでよければ、話、聞くわよ」
「…………あぁ、うん。それじゃちょっとだけ聞いてくれる?」
嘘をつく気力もなかったので、僕はゴルドフの件を話す事にした。
近くのベンチを探し、そこでゴルドフとの関係や、彼の死についてなど、全てを吐きだした。
◆
全てを洗いざらい話した僕は、軽くため息を吐き、ナイルの反応を待った。
全てを聞き終えたナイルは、
「…………そうだったのね」と深いため息を吐いた。
「別に、ちょっと喋っただけだから、落ち込むのも変なんだけどね」
「別に変じゃないわよ」
僕の言葉をナイルは即否定する。
「付き合いが短くたって、落ち込むものは落ち込むわよ。当然じゃない」
「そうなのかな」
「そうよ。実際、あんた落ち込んでるじゃない」
「だけど……」
「だけどもへちまもないわ。別に落ち込む事が悪い訳じゃないわよ」
そう言ってナイルがおもむろに僕を抱きしめる。
「え、ちょっと……」
「泣きたいなら泣いてもいいわよ。別に馬鹿にしたりしないから」
「いや、そういうんじゃなくて……」
「そういうのよ」ナイルは断言する。
「悲しいんだったら、素直に悲しみなさい。辛いんだったら、素直に辛いと言いなさい。無理に感情を胸の中に押し込めないで、ちゃんと外に吐き出しなさい。いいのよ。ちゃんと全部聞いてあげるから。全部聞いて、慰めてあげるから。吐き出さずにずるずる引き摺られる方がよっぽど迷惑だわ」
「…………」
「あんただって、逆の立場ならそうするんじゃない? 苦しんでる人がいたら、つい助けてやりたくなるでしょ? そういう事よ。だから変に我慢せずに、素直に泣きなさいよ。あんたが辛いとあたしも辛いんだから」
「…………うん」
僕は素直に頷きつつも、泣きはしなかった。
だけど、ナイルに抱きしめられ、彼女の体温を感じていると、視界がぼんやりとしてきた。
徐々に瞼が重くなり、意識も遠くに行きかけている。
そういえば今日は夢見が悪かったんだっけか。
たぶん熟睡できなったのだろう。
やたらと眠くなってきた。
眠りに落ちる前、最後に感じたのは、ナイルの柔らかさと温かさ、そして頬を伝う謎の熱だった。
◆
目を覚ますと、僕はベンチでナイルに膝枕されていた。
「あ、起きた?」
とナイルが声を掛けてくる。
僕はぼやけた頭で、
「…………うん?」
曖昧な返事を行い、状況を確認、思い出す。
「…………あぁ、そっか。眠ってしまったのか。どれくらい寝てたの?」
「一、二時間くらいよ」
「そんなにか。ずっと膝枕してくれてたの? 悪かったね」
「別にいいわよ。あんたの寝顔を見るのは退屈しないから」
「そんなに面白い寝顔だった?」
「面白いっていうか可愛かったわね。結構好きよ、あんたの寝顔」
「そんな風に言われるとなんだか気恥ずかしいな」
「いいじゃない。あのままずっと見ていたいくらい可愛かったんだから」
「ランクアップが早過ぎない?」
退屈しない、から、結構好き、からの、ずっと見ていたいくらい可愛い、へのランクアップ。
僕のツッコミに、ナイルが顔を赤く染めた。
このままいつものように殴られるかと身構えたが、ナイルは殴らず、優しく微笑んでから、チュッと僕のおでこに唇をつけた。
「…………」
「ねぇ、今からどこか遊びに行かない?」
「…………えっと」
「まだお昼だし、今からでも充分遊べるわよ」
ちょっと唐突だったので、頭がうまく回らない。
「ほら、起きて起きて」
腕を引っ張られて、身体を起こす。
「…………ああ、うん……その…………」
「何処か行きたいところある? ないならあたしの行きたいところにするから、今のうちに言いなさい」
特に何も思いつかないので黙っていると、
「よし、決まり。まずはあそこに行きましょ」
そう言って、ナイルは僕の腕を引いて、どこかに向かってしまった。
どこへ行くつもりだろう。
◆
行き着いた先は劇場だった。
普段、僕が居る街中の人と比べて、劇場周辺にいる人達は、スーツやタキシードなど、身なりが良い。
上流階級というやつだろうか。
皆、穏やかな笑みを浮かべているが、どれも胡散臭い。
唯一、純粋そうなのが親が連れてる子供たちで、彼らは素直に劇を楽しみにしている。
いや、おそらく大人たちの大半も素直に劇を楽しみにしているだろう。
だけど人を値踏みし、見下し慣れている彼らは、何の裏もない日常時でも胡散臭さが取れない。
身体にこびり付いて、剥がれないのだ。
なんて、こんな事を言ってる僕もある意味、人を値踏みしている訳だから、彼らの事を悪く言えない。
まぁ、あんまり見下し慣れてないのが、唯一の救いだろう。
一応、能力には恵まれている訳だから、そのうち他人を見下し始めるかもしれない。
そういう風にはならないよう注意しておこう。
人はともかく、劇場自体は元の世界のとさほど変わらない。
と言っても、前世で劇場に行く機会に恵まれていた訳じゃないから、あんまり信憑性はないかもだけど。
でも、こういう高級感溢れる場所は元の世界のクラシックな感じで、文明の差があまり出てこない。
ここでの先鋭的な場所が、元の世界での古典的な場所になるせいだろうか。
知らんけど。
とにかく、元の世界と然程、変わらない。
そこに居る人達の服装が、古典的だから、むしろそっちの方に注意がいってしまう。
「…………ってか、僕の今の恰好って、あんまりよくないんじゃない? めっちゃ冒険者の服だよ?」
「別にいいわよ」とナイルが平然と言う。「社交を求める場合はあまり効率的じゃないけど、あたし達は別にそんなの求めてないでしょ。精々、薄っぺらい貴族共に変な目で見られるだけよ」
問題ではないが、やや悪目立ちはするらしい。
そういえば、周囲の人達のいくらかは、こちらを馬鹿にするような目で見ている。
ついでに言うと、そういうのが判る奴は大体、頭と性格が悪そうだ。
頭が良さそうな奴はそういうのを表に出さない。
内心見下してるかもしれないが、そういう感情自体は上手く隠している。
視線自体はそこそこ感じるが、これは僕が冒険者だからだろう。
ダンジョンに潜って、気配とかに敏感になってしまったせいだ。
「…………っと」
きょろきょろしてたら、誰かと背中がぶつかった。
「あぁ、すいません」と謝られる。
振り向くと、いかにも紳士なおじさんが、シルクハットを脱いで、軽く会釈をしてきた。
このジェントルからは、特に嘲笑的なモノは感じられない。
「あ、こちらこそすいません」
僕も素直に頭を下げる。
「それでは」
シルクハットの似合うジェントルはそのまま優雅に立ち去って行く。
僕は黙ってそれを見送る。
「…………」




