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魔王の器  作者: 北崎世道
32/86

ナイル父

 ナイルの親父さんから鬼のような形相で睨まれた。「殺してやる」とまで言われた。


 我ながら、どうすればほぼ初対面の身でありながらここまで怨嗟にまみれた言葉を吐かれるものなのか、不思議でならない。


 なんかもう夕食に呼ばれて、親交を深めようとかそういう次元ではなく、まるで愛娘を勝手に奪いにやって来たどこの馬の骨かも分からないクズ野郎をぶち殺してやろうか算段している最中みたいだった。


 確かに前回は失礼な振る舞いだったとは思うが、ここまでされる覚えはない。


 こうまでして嫌われるものだったか、と頭を捻るが自分には分からない。


 うーむ。 


 まったくもって分からない……。


 ────とまぁ、そんな訳で、地獄のような空気の中、ナイル家での夕食が始まった。



 口火を切ったのはナイル母だった。


「どうぞ座ってぇ」


 と促され、席に着く。


 見た目は変わらないが、クッションの感触が僕の家のよりも数段座り心地が良い。


「ほんとはねぇ、ナイルちゃんの妹のコズミちゃんがいるんだけど、コズミちゃんは急用で出掛けちゃってねぇ」


 そりゃぁ、まともな感性を少しでも持ってたら、こんな地獄のような空気の中で夕食を食べる気にはならないだろう。


 どうやらそのコズミちゃんとやらは常識人の部類に入りそうだと思った。


 不意にナイル父が言った。


「ゴミクズは……確か、アルカ君と言ったね……」


 おい、今、ゴミクズって言ったぞ。


「ほら、挨拶」 


 隣に座ったナイルから肘で小突かれ、僕はやや戸惑いつつも、自己紹介を行う。


「はい。アルカ・フェインと申します。どうぞよろしくお願いします」


 ついでにさっさと本題の謝罪をしておこう。


「この度はナイルさんに多大な────、」


「ゴミクズは普段なにをしているのかな?」


 話を遮られた。


 僕は一旦閉口するも、ナイル父の質問に答える。


「えっと、魔法の訓練をしたり、あとはダンジョンに潜ったりしてます」


「未熟な冒険者という事かね」


「…………え、ええ。まぁ、そうです」


 確かに未熟かもしれないが、他人から言われるとちょっと腹立つな。


「私も昔は冒険者をしていた時期があったよ」


 そう言ってナイル父がやや遠い目をする。


「残念ながら私には冒険者の才能はなかったがね。だが、本物には何度か会った事があるよ」


 本物? 偽物がいるという事か?


「本物の冒険者というのは、どうも根本的なところから違うんだね。金を稼ぐためにダンジョンに潜ってる訳じゃないんだ。己の可能性をどこまでも追い求める為にダンジョンに潜るんだ。実を言うと今日もその本物の冒険者らしき人物と、間接的にだが関わったよ」


 ナイル父はコップのお茶に口をつけつつ、


「今日、ウチの系列の店に大口の商談が来たんだ。希少なアイテムを売りに来た一人の冒険者だ。その人物は、百万近くする希少なアイテムを、その店にすぐ払える現金がないという理由で、ほぼ無償で寄付してくれたというんだ。しかも、自分はこの程度のアイテムでは満足していない。もっと希少なアイテムを手に入れる事だってできると言ってたらしい。どうだい? 君みたいな底辺の冒険者もどきが同じような真似をして、後悔しないかい?」


 するに決まっている。


 そんなん、後悔するに決まってる。間違いなく。


 実際、今日アイテムを売る際に見栄を張ってタダ同然でアイテムを渡してしまって、めちゃくちゃ後悔しているところだ。


 今にして思えば、アレを売り払うのをやめとけばよかっただけの話だ。


 なんで全部売り払わなくちゃいけないと思ったんだろう。


 我ながら真正のアホである。


 だけど、まぁ、ナイル父の言うような本物ってマジでいるんだと感心してしまう。


 同じ事をしていても、こうも気持ちの持ちようが違うのか。


 ホント、僕にはとてもできそうにない。


「いやはや、確かにその人には商人の才能はないが、それでも昔、冒険者を志していた身としては、その意識の高さは羨ましい限りだ。男として尊敬するよ。キミだって、そういう人間を見たら敬意を払うんじゃないかい?」


「そうかもしれませんね」と僕は言う。「正直、自分にはできない考え方です」


 僕は目の前のコップで唇を湿らせながら、


「ダンジョンは金を稼ぐ為だけのところだ、までは言いませんが、やはり希少なアイテムをタダで他人にあげるまで開き直る事はできないでしょう。勿体ないです」


「だが、そういう事を平気でやってのけるのが本物の冒険者というものだ。そして本気で冒険者としてやっていくなら、それぐらいの覚悟がないと駄目なんだ。キミにはどうやらその資格がなさそうだね」


 と、ナイル父は言って、話は終わりだといわんばかりに、目の前の夕食を食べ始める。


「……………………」


 うん?


 えっと、これは、なんと言えばいいだろう。


 何故か冒険者失格の烙印を捺されてしまったが、それはつまりどういう事か。


 僕とナイルは一緒にダンジョンに潜る仲間だ。


 いわば冒険者仲間だ。


 冒険者失格の烙印を捺されたという事は、ナイルと一緒にダンジョンに潜るのを禁止されたという事か。


 ナイルと仲間になるのは駄目だという事か。


 いやいや、いきなりそれは辛すぎる。


 確かに僕とナイルにはそこそこの実力差があって、ナイルと一緒に潜っても、彼女はただの足手まといにしかならないし、彼女の実力に合った層にしか潜れないけど、それでも僕はナイルと一緒にダンジョンに潜るのは好きだ。


 ナイルと一緒に潜るのを楽しんでいる。


 これは独りでは決して味わう事のできない楽しさだ。


 いきなりその楽しみを奪うのは酷すぎる。


「だ、だとしても、僕はナイルと一緒にいたいんです……!」 


 と僕はナイル父の目を見て言った。


 彼の目は怒りに満ちていた。


 ふと隣から視線を感じたので見ると、ナイルが顔を赤らめながら、うっとりとこちらを見つめている。


 我ながらちょっと恥ずかしい事を言ってしまっただろうか。


 でも、ナイルだって一緒にダンジョンに潜れないのは嫌だろう。


 ここは意を決して言うところじゃないか。


 僕がやや照れていると、


「あらあらぁ、二人とも仲がとってもよろしいことぉ」とナイル母がどこか嬉しそうに言った。


 続いて、


「ところでアルカ君は、ナイルとどこまでいったのぉ?」


 どこまでとは、どういう事か。ダンジョンの層か?


「えっと……四十層だっけ?」

「────は、裸で抱き合ったわ!」


 僕の言葉に被せるようにナイルが言った。


 ナイルさん? なんで今、このタイミングでそれを言ったの?


 確かに四十層前に、水で濡れてしまって、服を乾かすまで裸で抱き合った事があるけど。


 でもアレは暖を取るために仕方がなかった事で。


 娘の告白に、ナイル父の顔に亀裂が走った。


 いや、亀裂じゃなくてものすごいレベルの血管だ。


 メロンみたい。


 巨乳以外にメロンの比喩が出てほしくないなぁ、と思いつつ、僕はそっと目を伏せる。


 うん。


 僕は何も見ていない。何もしていない。


 目の前のご飯に集中しよう。


 美人のナイル母が用意してくれた夕ご飯を食べてよう。


「ゴミクズ…………アルカ君、ちょっといいかな?」


 現実逃避してたら名指しされた。


 僕が恐る恐る顔を上げると、ナイル父は笑顔でフォークを構えていた。


 一つでも返事を間違えれば今にも僕の頭に突き刺しかねない勢いがあった。


 狂気。


「違うんです。誤解です」と僕は言った。「アレは、海に落ちて、服が濡れて、体温が下がるを避けるために致し方なく。実際、あの時は一切手を出してません!」


「あの時はァ……?」


「いや、最初から今に至るまで、まだ一回も手を出してません」


「まだァ…………?」


「いえ、これからも一切手を出しません!」


「いや、それはそれでどうなのよ」


 ナイルから変なツッコミが入った。


 そのツッコミだと、いつかは手を出してもいいみたいに聞こえるじゃないか。


 何を言ってんだ、この女は。


「チューはしてないのぉ」と、今度はナイル母が尋ねてきた。


「してませんよ」と僕は答える。「する訳ないじゃないですかって、痛い痛いっ」


 何故かナイルが僕の腿をつねってきた。


 なんで怒ってんだ、この女は。


「なんでする訳ないのよ」とナイルが言った。


「いや、当然でしょ。さっきから何を言ってんだよ」

と僕は言う。


「大事にしてるのねぇ」とナイル母がズレた事を言った。


 マジで意味が分からない。


「いやまぁ、ナイルは大事なパートナーですし、大事にはしてますけど」


 冒険者仲間をパートナーというのは特におかしなことじゃないよな、と思ってたら、ナイルが目を細めて、


「そんなこと言って、他の女には手を出してるんでしょ」


「出してないよ」てか何の話だよ。


「キスもしてない?」 


「キスは…………今朝したけど」


「は?」「え?」「ぬ?」「ほぇぇ」


 途端、時が止まった。


 あれ? 僕は今、何を言った?



 ◆



 という訳で回想。


「もしかしてネアの事が好きだったりしてな」


「えぇ……いやだぁ……ネアはご主人様がいい……」


「ほぉ。そうかそうか。可愛いなぁ」


 僕はネアにほっこりしつつ、


「ねぇ、ネア。シスターは今、どこにいるか分かる?」


「教会を掃除してる」


「そっか。ありがと」


 僕はネアを降ろして、シスターのところに向かう。


「それじゃまた後でね」


 元気よく手を振り返すネアを背に、教会に行く。


 ここの孤児院は教会と同一だ。


 教会兼、孤児院。


 教会が行き場のない子供を引き取ってる感じだ。


 一応、教会と孤児院は建物が別々だが、敷地は一緒のところにあるし、ほとんど同じ施設のようなモノだと僕は認識している。


 実際、管理しているのはシスター一人であり、他に大人はいない。


 十代後半ぐらいの女の子一人によくもまぁ、こんな大変な仕事を任せられるよなぁと思いつつ、教会に入り、目的の人物の姿を見つける。


「どうも、おはようございます」と僕はシスターに声を掛ける。


 シスターはどこかぼんやりと箒を機械的に動かしていたが、僕が声を掛けた途端、身体を飛び跳ねさせて、こちらを見た。


 その表情はまるで生き別れの家族に出会った時のような感激に満ち溢れたものだった。


「アルカさん……!」


 そう言ってシスターが駆け寄って来る。


 丈の長いスカートが足に引っ掛かり躓きそうになるのを、僕が慌てて支えてやる。


「あうっ…………ご、ごめんなさい」


 潤んだ瞳で見つめられると、どうもすわりが悪い。


 特にシスターはかなりの美人さんだから、いくら年が離れてるとはいえ、気が変になってしまいそうだ。


 シスターがゆっくりと、どこか名残惜しそうに立ち上がる。


 妙に顔が赤い。


 地肌が白いせいか、少し赤くなっただけでも、真っ赤に見える。


 だからつい、この人僕に気があるんじゃね、なんて思ってしまう。


 おそらく真実は、転んでしまったのが恥ずかしかっただけだろう。


 たったこれだけで、こちらの気持ちを揺さぶってしまうのだから、シスターはなんとも恐ろしい魔性の女である。


「大丈夫ですか?」と僕は声を掛ける。


 シスターは「ええ、大丈夫です」と庇護欲のそそる声で返答する。


「えっと、あの件はその後どうですか? 何も問題は起きてませんか?」


 僕は気持ちを切り替える為に、借金の件について尋ねる。


「ええ、大丈夫です」シスターは前と同じ言葉で返答する。「事後処理も、アルカさんのお師匠様二人がきちんとやってくれたので、特別私がする事なんてなにもありませんでしたし」


「ああ、事後処理」


 それについては頭からすっかり抜けていた。でもまぁ、


「マジュ師匠がやってくれてるなら、何も心配いらないよね」


「はい。テキパキ片付けてくれたので大丈夫でした」


「マジュ師匠は仕事できるからなぁ。カッコいいよね」


「はい。同じ女として憧れます……」


 うっとりした顔を見て、僕は念の為に予防線を張っておく。


「あの人、ラキ師匠と恋人同士だからね」


「あ、はい。ラキさんって一緒にいたあの人ですよね。知ってます。あの人もカッコいいですよね。マジュさんとは違ったかっこよさっていうか」


 知ってたようだ。


 って事はガチ恋の憧れではなかったという事か。


 とんだ早とちりで、ちょっと恥ずかしい。


「ところでアルカさんはお二人とはどれくらいの付き合いで?」


 思わぬ方向から質問が飛んで来た。


「うーんと、マジュ師匠はゼロ歳の時、ラキ師匠とは三歳の時からかな」


 つまりマジュ師匠とは五年でラキ師匠とは二年の付き合いだ。


「ふぁあ、それじゃあとても長い付き合いなんですね」


「まぁ、そうなるのかな。師匠というか完全に保護者だよね。もう一組の両親みたいで」


「あはは。そんなこと言ったらお二人から怒られますよ。こんなに大きな子を産んだ覚えはないって」


「そうかもね」


 シスターの笑いにつられて、僕もつい笑ってしまう。


 ひとしきり笑った後、シスターが真面目な顔をして、


「……私、アルカさんに会えてよかったです。まさかここの借金が全て片付くなんて夢にも思いませんでしたから……本当にありがとうございます」


「礼なら僕じゃなくて、師匠二人に言って。結局、僕は何もできなかったから。後処理だって師匠二人に丸投げだったし」


「だとしても、アルカさんが最初に動いてくれたから、あのお二人も動いてくれたんでしょう。それにお聞きしましたよ。アルカさんがここの借金を返す為に身体を張ってダンジョンに潜ってくれた事を」


「意味なかったけどね。結局、ラキ師匠の力で先の階層に潜って、そこでボスを倒したから。アレは僕一人の力じゃ、どうにもならなかった」


「それでも…………! それでも私はアルカさんを…………っ!」


 熱のこもった瞳で見つめられ、僕はまたしても変な気分になる。


 どうしよう。


 このままじゃ僕、どうにかなってしまいそうだ。



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