殺してやる
マジュ師匠の家に行って魔法の修行を行う。
まずは瞑想を行い、集中力を高めてから魔力をあれやこれやしようとするのだが、この頃はどうもその瞑想がうまくいかない。
瞑想は自分の呼吸、それのみに意識を向けるのだが、その意識が特定の方向にいってしまう。
ありていに言うとつい別の事を考えてしまう。
原因は分かっている。アウルアラが自分に憑りついているせいだ。
とはいえ彼女は未だずっと深い眠りについている。
普段は憑りついてる自分でさえついその存在を忘れてしまう程に、彼女の存在が感じられない。
瞑想で己の感覚を鋭敏にした状態になってようやく気付くのだが、それでもその存在感は薄い。
そして、薄いからこそ瞑想の邪魔となってしまっている。
まる出しもろ出しのパンツよりも、ちらちらとスカートから覗くパンツの方がエロく感じられるようなものだ。
そのもどかしさがこちらの集中を阻害する。
「どうしたの? 最近、集中力に欠けてるんじゃない?」
偶に様子を見に来るだけのマジュ師匠でさえ、僕の注意力散漫に気付くくらいだ。
「心配事が消えて緊張感がなくなった?」
「そうじゃないけど……」
原因は分かっているが、魔王の幽霊に憑りつかれただなんて言える訳もないので、黙っている。
「まぁいいわ」とマジュ師匠が言う。
「瞑想はやめて、魔法を覚える訓練でもやりましょうか。気分転換になるかもだし」
「うん。そうする」
マジュ師匠の言う通り、僕は別の訓練に移る。
◆
「それじゃ行ってきます」
そう言って僕はマジュ師匠の家を出る。
修行が終わったからではない。魔法の訓練をする為だ。
今回行うのは達人級の攻撃魔法。
一応空に向けて放つつもりだし、いくら師匠の家が街外れにあるとはいえ、それでも周囲への被害は避けられない。
一発だけならまだいいかもしれないが、何度も放つとなるとやはりキツイ。
そもそも師匠宅が危ない。衝撃で窓とか割れるかもしれない。
達人級とはそれぐらいのレベルだ。
なので街を出て、かなり離れたところにて訓練を行う。
具体的には、初めてラキ師匠と出会った荒野。
周囲に人はいないし、ここならたくさん魔法を発動させても問題ない。
流石に地面に放てば、地形が変わってしまうので、空に向けて放つ。
しかし雲の上には時々ドラゴンが飛ぶ事があるらしいので、何も考えずに連発するのは危険だ。
ドラゴンなら当たっても死にはしないだろうが、それだと逆に僕の方が危険になる。
ドラゴンを怒らせるのはよくない。
ダンジョンにいるドラゴンとは違い、天然もののドラゴンは戦闘力がピンキリで、弱いやつならそれこそナイルでも相手する事ができるぐらいだが、強いやつになるとそれはもう、世界の終わりを覚悟しないといけないレベルになる。
ダンジョンのはそういう意味では安定している。
強さはほぼ固定だし、その層を越えたところまでは追ってこない。
あくまでそこの番人みたいな感じだ。
ダンジョンのモンスターってある意味、生き物じゃないみたいだ。
死体が残らず光の粒子となって消えてしまうし。
逆に死体が残るやつもいるけど。
あれって違いはなんなんだろう。
どうでもいいけど。
ともあれ、魔法の訓練を始める。
…………と、思ったけど、ちょっと方針転換。
僕に憑りついてる魔王アウルアラ。
アレが本当に魔王かどうかは確証ないけど、実力は一度見たので疑いようがない。
その一度見た戦い方で、奴が使った魔法の感じ。
魔法そのものも見た事のない種類だったからいつかは覚えたいけど、今回はそっちじゃなくてもっと根本的なところ。
魔法っていうか魔力。
魔力の流れ。
今回は魔力の流れに目を向けてみようと思う。
アウルアラの魔力の流れは洗練されて、無駄がなかった。
自分の身体だったからよく分かる。
僕がやってる魔力の流れとは根本から違った。
アレを真似してみたい。
アレを身に付けたら、僕はより一層強くなるだろう。
今でもそこそこ強いつもりだけど、更に上があるのをこの目で見せられたら、やっぱり挑戦してみたくなるのが人の常。
僕ってここまで強さへの渇望があったんだと思いつつ、試してみる。
魔力の流れ。
大気中の魔素を使うのもあったけど、その前にまずは魔力の流れを意識する。
一度己の身体で体験したから、感覚は判る。今までは骨に魔力を流していたと考えると、アウルアラのは血液に魔力を流していたような感じ。
ほんの少しの魔力で身体の隅々まで行き渡らせてる感じ。
感じ、感じばっかりだけど、実際、僕の中には論理はなく、今のところアウルアラがやった感覚だけが残ってる状態なので、感じとなるのは仕方ない。
だけど、その感じこそが一番大事なので、これから身に付けようとする立場としては、むしろ好都合。
こういうのは言語化した情報を聞かされるよりも、自分で体験した方が身になるからね。
できればアウルアラに起きてもらって、もう何度か魔法を使ってもらいたいのだけど、まだぐっすり眠ってるから、それは諦めよう。
自分で試行錯誤するのもいい経験になるだろう。
そんな訳で魔力の流れの効率化の訓練を行う。
…………これなら、わざわざ人気のない荒野に来なくてもよかったんじゃないかと思わなくもないけど、今更言っても仕方ないので、気にしない事にする。
修行修行。
◆
一通り修行を終えたので、今日は帰る事にする。
できればもう少し修行していたかったのだけど、今夜はナイルの家に行くという用事があるので、早めの帰宅だ。
空を飛んで一旦マジュ師匠の家に帰ると、そこにはラキ師匠が若干恨みがましそうな目でこちらを見てきた。
「やあ、今日は随分とゆっくりだったね」
その言葉で、今日の分の剣術の修行を忘れていた事に気付いた。
一応、どれも毎日やった方がいいので、時間は均等に分けるつもりだったのだけど、新しい事に挑戦してみた時はついついそっちに意識が向いてしまって、他の事を忘れてしまう。
一度に二つの事をするのは難しい。
「ごめんなさぁい」
とラキ師匠との修行をすっぽかした事を謝罪し、今日のところは用事があるから帰ると伝える。するとラキ師匠は、
「いいよ」と一転して笑顔で答える。
「アルカぐらいの年は修行よりも遊ぶ事の方が重要だからね。あんまり根を詰めないくらいがちょうどいいのさ」
どうやら本気で怒ってた訳じゃないと分かって一安心。
僕は師匠二人に別れを告げて、一度帰宅する。
そのままナイルの家に行こうかとも考えたが、そういえばお腹を空かせておいで、というナイル母の言葉を思い出したので、母に晩御飯がいらない事を伝えに戻らねばならなかった。
先に言っとけばよかったと思って家にいる母に伝えると、案の定母から叱りの言葉を貰った。
「そういうのは早く言いなさいっ」
頬を引っ張られるというおまけつき。
「ごべんばばい」
ぎちぎちと皮膚の伸縮性の限界が近づくにつれて、涙腺への刺激が強くなる。
ぶちぃっ。
ひとしきりこちらを虐めて、憤りを嗜虐心で解消させたのか。母は、涙ながらに己が頬を擦る僕に優しい言葉を掛けた。
「楽しんでらっしゃい。あまり向こうの家に迷惑は掛けないのよ」
実に母親らしい言葉ではあるが、一分前までこちらの頬をアコーディオンの如く引き延ばされた身としては、母がサイコパスの誹りを受けてもおかしくないんじゃないか、とそこそこ本気で思った。
いや、マジで痛かったんだって。
第三者から見れば仲睦まじい親子のやり取り(当人、それも虐められた側からしてみれば紛う事なき虐待である)を経て、僕は家を出た。
やや薄暗い街の中空を飛び、見覚えのある建物の前にて着地する。
と、そこには目的の物件の住人であるナイルが、放尿を我慢しているかのように立っていた。
股間を抑えてはないものの、せわしなく辺りをきょろきょろ見渡し、その場で足踏みを続ける仕草はまさしくおしっこ我慢だ。
自宅の真ん前なのだから、さっさと用を足せばいいのにと思った。
「やっほ。どしたの? そんなにキョロキョロして」
僕が声を掛けると、ナイルは途端に足踏みをやめ、「ああぁぁっ、もぅ、遅かったじゃないのっ」
と扉も通過できない事もないくらいの掠れ気味な小声で叫んだ。
誰にも声を聴かれたくないのは明白だった。
「もしかして待ってたの?」
「そうよ。なんか文句ある?」
「いや、別にないけど……むしろ助かるけど。でもトイレに行かなくていいの?」
「は? なんで?」
「さっきからなんかもじもじしてるじゃん?」
「してないわよ! このバカ!」
殴られた。
でも思ったよりもなんか軽い。
ぐちゃ(妻が旦那を殴る音)ぐらいいくかと思ったら、ぽか(女の子が男を叩く音)程度で済んだ。
「どうしたの? 具合悪いの?」
心配になったので尋ねてみたら、バキ(彼女が彼氏を叩く音)くらいに強くなった。
具合よりも機嫌が悪くなってそうだ。
それでもまだ、心配してしまうくらいには弱い。
大丈夫だろうか。
「この状況で本気で殴る訳ないでしょ」
そりゃそうか。
ここで頭蓋骨を砕くレベルで殴ったら、家族に何を言われるか分からない。
保身の為なら納得だ。
「でも、なんで待ってたの? 家族には聞かれたくない事でもあるの?」
「こ、こういうのは二人で行った方がいいかなって思って…………ほら、一応、ある意味、二人での共同作業みたいなものじゃない?」
「…………よく分からないんだけど。まぁいいや。一緒に行ってくれるなら心強いわ。たぶんナイルのお父さんにはだいぶ心象悪いみたいだし。フォロー入れてくれると助かるよ」
「う、うん」
何故かナイルはもじもじと照れながら頷いた。
さっきからナイルの様子がホントおかしい。
なにかしら間違いが起きてる気がする。
気のせいだといいけど。
「それじゃ行こっか」
僕がそう言うと、ナイルが関節を決めてきた…………かと思ったら、どうやら腕を組んできたようだった。
やはりおかしい。
さっきからナイルが年頃の乙女みたいだ。
年頃の乙女とか、ナイルから一番遠いジャンルなのに。
「ねぇ、なんかさっきから失礼なこと考えてない?」
「別に考えてないよ」
僕は素で答えた。
三秒後に、実は失礼だった可能性に気付いたが、その間にナイルは僕の腕を引っ張るように導いて、家の扉を開いた。
「ただいまー」
まるで勝手知ったる我が家の如く…………って、実際にナイル本人の家だから、そのまんまだった。
「ほら、上がって」
靴のまま家に上がる。
この世界は基本洋風なので、靴のまま家に上がったりする。
偶にその例から洩れるタイプの家もあるが、ここはごく一般的なタイプの家だ。
家自体は結構大きく、中間層の上くらいだろうか。
何気なく壁に飾られてる絵や廊下に置かれてる壺とか見ると、もしかしたら中の上じゃなくて、普通に上流階級じゃないかと思わされるが、そこら辺の見識は持ち合わせてないので、はっきりとは判らない。
ただ、センスいいなぁとは思わされる。
「あらぁ、いらっしゃぁい」
相変わらず間延びした声のナイル母が出迎えてくれる。
「どうも。お邪魔します」
僕は足を閉じ、しっかり一礼する。
まるで結婚の報告でもしにきたかのような挨拶だ。
なんでこんなに緊張するのかと思いつつ、ナイル母に先導され、リビングに入る。
リビングは広く、テレビがないのを除けば、まるで元の世界でよく見る、お金持ちのリビングそのものだった。
ペットの猫までいやがる。
よく見たら、キッチンとかは元の世界レベルの文明はないのだけど、それでも全体的な雰囲気はそれとほぼ遜色ない。
清潔で、洗練されている。
中の下辺りの僕から見ると、ある意味で生活感がない。
どうやら清潔感が溢れると生活感が失われるらしい。
前回家に上がった時はリビングを通らなかったし、そもそもそう言うのを見る余裕がなかったから、気付かなかったけど、どうやらナイルはかなりのお嬢様のようだ。
迷惑を掛けた件について謝りに来たけど、なんかそれ以前に、一緒にダンジョンを潜るのから考え直した方がいい気がしてきた。
僕が自分とナイル家の格差に愕然としていると、ゴホンっ、と咳き込む声が聞こえて、我に返った。
リビングとキッチンの境界線辺りにテーブルと椅子が並んでおり、その上座に見覚えのありそうななさそうなおっさんが座っていた。
おそらくはこのおっさんがナイルの父親なのだろう。
こっちは年相応なオヤジさんだが、ナイル母との年齢差を考えると、どうにも首を傾げたくなる。
ちなみにダンディーさはあまりなく、どちらかというとハゲデブの称号が似合いそうなおっさんだ。
美人でスタイルのいい奥さんと、ハゲデブな旦那さん。
絵面がエロ同人で見た事ありそうな夫婦である。
ナイルはお母さん似でよかったなぁ。
閑話休題。
ナイルの親父さんがリビングにあるテーブルに座っている。
僕が入室すると、こちらを睨み、そして言った。
「…………殺してやる」




