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魔王の器  作者: 北崎世道
30/86

ウェーイ

「なんであの女と抱き合ってたの?」


 ナイルにそう訊ねられて、僕は首を傾げた。


「話がみえないんだけど…………? っていうか、さっき僕、お前の家に行ったんだよ。ほら、僕のせいでナイルがダンジョンのとこで何泊もした件。あれについて謝ろうとしに行ったんだけど、ナイルのお母さんしかいなくて、一旦出直す事にしたんだ。だから今晩、また家に行くからよろしね。

……………………って、話聞いてる?」


「あんた、あの女と付き合ってるの?」


「だから何のことだよ。あの女が誰かは知らないけど、別に僕は誰とも付き合ってないよ」


「じゃあ何で抱き合ってたの?」


「んんん? 誰とも抱き合った覚えはないけど……」


「嘘をつきなさい! あたしが、この目で見たもの! 孤児院でシスターと抱き合ってたじゃない! しかも相手は涙目になってまで」


「ああ、あれね」合点がいった。「そりゃそうでしょ。人生が終わりかねないような状況で、それから救い出されたら、歓喜極まって泣いたり、抱きついたりくらいする方が当然だと思うけど?」


 僕はそう言ってから、孤児院の借金の件について説明した。


 前に説明したような気もするけど、忘れてるかもしれないので念の為、一から十まで説明する。


 しかしそれでもナイルはまだ怒りが収まらないといった様子で、


「そしたらあんたは、あの女の為にあそこまで身体を張ってたって事? そんなにあの女が大事なの?」


「なんなの、お前……」思わず僕はぼやくが、「大事かどうかは、正直よく分からんな。一応あの人にはネアの件で恩があるし、大事じゃないとは言わないけど、だからといって大事な人って言うと、なんか語弊がある感じなんだよね。ナイルだって知り合いが困ってたら助けようと思うでしょ? 実際、僕が危ない時ずっとダンジョンのワープゾーンのところで待ってた訳だし。それと一緒だよ」


「あれは…………あんたが…………」


 ナイルは何か言おうとしたが、すぐに目を逸らして、「別になんでもないけど…………」


 なんでもないとは思えない反応だが、追及したら面倒くさそうなのでやめておく。


「…………考え方次第じゃ、あれはシスターを助ける為というより、シスターを助けない人間にはなりたくない僕の為という見方もできるかもな」


「んん?」


 ナイルが怪訝そうな顔をする。


 僕はたった今思いついた事をそのまま言葉にしてみる。


「ほら、もしも今回の件を知った後、僕がそのままシスターを助けずに見過ごしたら、僕は絶対後悔するよね。そうはなりたくないから助けたんだよ。誇れる自分でありたいから、と言えば恰好がつくかな」


「…………」


 ナイルはそれでも納得しない。


 理解はしてくれたようだが、それでも感情が収まらないようだ。


「どう言えば満足なの……っていうか何が不満なの…………?」


 僕はやや疲れを感じつつもナイルに訊ねるが、どうも納得しないようなので、


「これでどうか穏便に…………」


 そう言ってお金を手渡した。


「ふざけんな!」


 ぶん殴られた。


 殴られた際に飛ばした紙幣を空中でかき集め、


「もう、それじゃあどうすればいいんだよっとぉぅっ!」


 追撃が来たので、反射的に躱す。


 鋭い拳が頬を掠める。


 皮膚を裂きそうな鋭さに思わず息を飲む。


「ちょちょちょっ、マジで殴りに来てんじゃん」 


「うるさいっ!」


 矢のような連撃がくる。


 ボクサー顔負けのラッシュがナイルのような美少女から繰り出されると、どうも頭がバグりそうになるが、それでも幼い頃からラキ師匠に剣術を習ってる僕にはまだ回避するだけの余裕がある。


 顔を動かし、ナイルの連撃を避け続ける。


 これが試合ならこちら側から攻撃を仕掛け、ナイルの呼吸を乱す事もできるのだが、今は試合ではなくただの喧嘩、それもナイルが一方的に癇癪を起こしてるだけなので、攻撃は仕掛けない。


 あくまで回避に専念し、ナイルのヒステリーが収まるのを待つ。


 攻撃しないとは言っても、ナイルの攻撃も大振りなモノが多く、フェイントなどもしてこないので、そこまで大変でもない。


 しかしながら、思ったよりも速い。


 これにフェイントや緩急を付け出したら、手に負えなくなりそうだ。


 あくまで、こちらが攻撃しないという前提ではあるが。


「何、笑ってんのよっ!」 


 若干デンプシーロールになりかけのナイルが怒鳴る。


 その言葉に僕は、自分がナイルの攻撃を楽しんでいる事に気付く。


「……ナイルが思ったよりも強かったから、つい楽しくなっちゃって」


「なめてんじゃないわよ!」


 ナイルの攻撃が一層鋭くなる。


 とはいえ、やはり攻撃は単調なので、まだまだ大丈夫。


 あくまでこれはナイルのヒステリーであり、理性も戦闘技術も働かない単なる感情の爆発なので、どれだけ速度が上がろうと避けられると思う。


 ナイルの左拳が僕の顎を横から打ち抜こうとしてきたので、背を逸らして、スウェーのような態勢で回避する。


 荒々しい半円の軌跡が眼前を通過。


 回避のせいでナイルが態勢を崩し、その隙に僕はナイルの手首を掴んで、そのまま背後に回る。


 チョークスリーパー。


 極まったか、と思ったら頭突きされて思わず手を放す。


 判断が早い。


 パンツが見えた訳でもないのに鼻血が出そうになり、手で押さえる。


 その隙を狙ってか、ナイルの攻撃が再開、激しさを増す。


 息をつかせぬほどの攻撃。


 十、二十、三十とナイルのパンチが繰り出されるが、僕はそれを一つ一つ確実に避けていく。


 正直、ナイルの攻撃力じゃ僕の魔力で強化した防御は貫けないから、別に避けなくても問題ないのだが、それでも僕はあえて回避をし続ける。


 さっき笑ってしまったのもそうだが、ナイルと戦うのは楽しいのだ。


 ラキ師匠とは違った攻撃パターン。


 それをきちんと対処するのは、楽しいし修行にもなるので一石二鳥。


 危機感がないのは修行として効果薄かもしれないが、それでも楽しければオッケーです。


 と、そんな感じでナイルのヒステリー暴力を楽しんでいたら、いきなり後ろから声を掛けられた。


「あのぉ、すいません。ここらでケンカが行われると聞いたのですが……」


 憲兵だ。


 元の世界で言うなら警察的なやつである。


 憲兵がこちらの戦いを見て、やや躊躇いがちに訊ねてきた。


 いきなり間に割って入るみたいな対応じゃなくてよかった。


 僕は憲兵側に振り向いて、「ああ、すいません。ちょっと興奮してしまって……」


 僕が後ろを向いている間もナイルは攻撃の手を休めないが、それを適当にあしらう。


 ちょっと頑張れば、後ろを向いたままでも受け流せるのだ。


「痴話喧嘩ですか?」と憲兵がやや飛躍した発想の問いを行う。


「…………まぁ似たようなモノです」


 説明が面倒なので、適当に頷いておいた。


「違うに決まってんでしょっ!」


 直後、ナイルの蹴りが僕の股間にクリーンヒット。


 僕は思わず蹲る。


 …………油断した。さっきまでずっとパンチばっかりだったから、蹴りが来るとは思ってなかった。


 視界が明滅し、意識が遠ざかる。


「異常なしですね」


 そう言って憲兵が立ち去っていく。


 この状況を見て異常なしと判断できる憲兵はただモノじゃねぇと思うが、今はそれどころじゃない。


 魔力で防御力を固めたところで、ここだけはどうしようもない。


 男の急所だけはどれだけ鍛えようとも無理だ。


 精神や魔力を鍛えたところで、どうしようもない事は存在する。


 これはその一つだ。


 脂汗が噴き出て、血の気が引く。口から内臓がまろび出そうになるが、喉につっかえて出てこない。


 こいつはヤバい。とにかくヤバい。マジでヤバい。


 僕が秋のセミよりも死にかけていたら、流石のナイルも攻撃の手を止めた。足も止めている。


「…………」 


 無言でこちらを見降ろしているのが判るが、だからといって僕がそれに反応できる訳もない。


 本当にヤバいのだ。


 男ならこんな事わざわざ説明しなくても判るだろう。


 そんな訳で僕が苦痛で蹲っていると、またしても僕達以外の第三者が現れた。


 しかも今度は物分かりのいい憲兵ではない。


 チャラ男だ。


 ウェーイ、オタク君見てるゥ―? みたいなビデオレター送って来そうな小麦肌の男である。


「ウェーイ。キミ、かわいいねェー。よかったら俺と一緒にあそばなーい?」


 足元に脂汗流して蹲ってる男がいるというのに、それを完膚なきまでに無視してナンパする胆力はある意味尊敬に値するが、それでも空気が読めないという評価は避けられない。


 案の定ナイルが即座に迎撃行為に移った。


 自衛というより過剰防衛、いやむしろ単なる暴力としかいえない素早い判断だったが、意外にもチャラ男はそれをあっさりと受け止めた。


 どうやらチャラ男は見た目に反してかなりの実力者らしい。


「ウェーイ。なかなか過激な子猫ちゃんだねェー。そんなとこもかわうぃよぉー」 


 鈍器で殴っても許されそうなチャラい言動。


 しかしながら、己の攻撃を易々と受け止めたチャラ男にナイルは息を飲んでいた。


 チャラ男がナイルの攻撃を受け止めた手でそのまま彼女の腕を掴む。


「ウェーイ。それじゃ今から俺とシーメ喰いに行こうねェー」


「い……いや…………っ」 


 ナイルが怯えた声を出す。


 思いのほかチャラ男が強かった事で戸惑っているのだろう。


 確かにナイルは強いが、それはあくまで同年代での話。


 戦いを生業としている輩にはまだまだ敵わないのは、なんとなく判る。


 おそらくこのチャラ男はその類の輩なのだろう。


 プロじゃなくてアマかもしれないが、それでもナイルを簡単に手籠めにするくらいはできる。


 その実力を見せつけ、ナイルが恐怖していた。


 ナイルが男の手を振り払おうとする。だが、


「おい、いきなり殴ってきといて、拒否すんのは認めらんねーよ」


 途端、チャラ男の口調と態度が変わった。


 ドスの効いた声。


 先程までの軽い雰囲気を一蹴して、いよいよ牙を剥いてきたようだ。


 僕はいつまでも蹲ってられないと判断し、股間を抑えながら立ち上がる。


「…………ああ、すいません。いきなり殴ろうとしたことは謝ります。ですが、一緒にご飯を食べるのは遠慮願いたいので、お引き取り願えませんか?」


 僕の呼びかけにチャラ男は無視をした。


 それどころか怯えるナイルの腹に拳を入れて、


「いつまでも泣いてんじゃねぇよ。気分わりぃな。犯すぞ」


「おい」


 僕は男の腕を掴んだ。


「なにしてんだ、てめぇ。ぶち殺すぞ」


「なんだクソガキ。お呼びじゃねぇんだよ。痛い目に遭いたくなければ、さっさと失せろ」


 僕はナイルの腕を掴んでる男の手を無理やり引き剥がす。


 男が僕の顔を殴る。


 躊躇ない攻撃。だが、僕はあえてそれを避けずに顔面で受け止める。


「…………なっ」


 男が驚くと同時に、僕はお返しと言わんばかりに男の顔面を殴る。


 身長一七五センチ体重六五キロくらいの肉体が、水平方向に約十メートル吹っ飛んでいく。


 近くの家の壁にぶち当たり、一秒ほど張り付いた後、ずるりと落下。


 少しだけ手加減していたので、壁に大の字の穴を開ける事はなかったが、それでも男の意識が家出しちゃうくらいには力を籠めていた。


 男は白目を剥いて、鼻は潰れ、口からは大量の血を流していた。


 歯も何本か折れ、ピクピクと痙攣している。


 手加減はしたが、それでも明らかに過剰暴行である。しかしナイルの腹を殴ったのだから、これぐらいはしておかないと僕の気がすまない。


 というかやり足りない。


 もっとぶん殴ってやろうと思い、意識のない男に近付こうとするが、ナイルが腕にしがみ付いて僕を止めた。


「や、やり過ぎよ……それ以上したら死んじゃう……」


 僕はまだ怒りが収まらなかったが、ナイルの泣きそうな顔を見て、一度冷静になろうと深呼吸を行う。


「…………スゥ…………ごめん。もう落ち着いたから、放していいよ」


 ナイルは少し迷っていたが、腕を放してくれる。


「お腹は大丈夫?」


 僕はナイルのお腹に回復魔法を放つ。


「あ…………うん。今ので大丈夫になった。もう痛くない」


「それはよかった。…………一応、あの男にも少しだけ回復魔法をやっとくか」


 僕は男に近付き、できるだけ少ない魔力で回復魔法を放つ。


 ほんの少しだけ男の顔色がよくなったので、これで死ぬことはないだろう。


「お待たせ。あんなクソ野郎にも回復魔法をやって、ごめんね」 


「ううん。大丈夫。それより助けてくれてありがとう。まさかこんなのが、あたしより強いと思わなくて」


「ナイルはまだまだ伸び盛りだからね」と僕はフォローを入れる。


「…………ねぇ、どうしてあんなに怒ったの?」


 ナイルが少し意味不明な質問をしてくる。


「今のこと? そりゃあ怒るでしょ。ナイルは大切な存在なんだから」


 言ってから、仲間を存在と言い間違えた事に気付いたが、大して意味が違わないと思って、特に言い直したりしなかった。


「…………た、大切な存在…………?」


 とナイルが何故か顔を赤らめた。


「だ、大丈夫? 顔が赤くなったけど、まだ調子悪い? 回復魔法やっとく?」


「ち、違う! 大丈夫だから! 別に全然平気だから。何の問題もないから! だから何もしなくていいわ」


「そう? それならいいけど」


「ね、ねぇ」


 とナイルが頬を赤く染めながら言う。


「あ、あたしもあんたが好きよ……」


「え、マジで? そんじゃ結婚しようか」


 ふと、頭の中にネアが思い浮かんだきたので、僕はついそんな事を言う。


「は?」


「おっきくなったらね」 


 と念の為に付け加えておく。うむ。これなら大丈夫だろう。


「な、なに、変なこと言ってるのよ!」


 ナイルが僕の頭をバシンと叩く。


 もしかして下ネタに聞こえたのだろうか。


 ナイルもなかなか下品な奴だな。まぁいいや。


 って、そういえば…………。


「なぁ。今晩、ナイルの家に菓子折り持って伺うから、その時はよろしくね」


「は? 菓子折り? なんで?」


「えっと挨拶に?」


 いや、挨拶じゃなくて謝罪か。まぁ、どっちでもいいか。似たようなもんでしょ。


 と、僕が自分の言い間違えを訂正しないでいると、何故かナイルは顔を更に赤く染めて、プルプル震えていた。


 頭からは湯気が出ている。


「…………あ、あ、あ、挨拶に? あたしの家族に?」


「うん。挨拶っていうか、謝罪になるのかな?」


 嫌な予感がしたので、僕はやっぱり訂正する。


「ほら、僕がナイルの事を奪ってしまった訳だし……」


 僕は、父と娘の時間を奪ってしまった事について言う。


 この前、ダンジョンで死にかけた時、結果的にナイルを無断外泊させてしまった件について。


 そのつもりがなかったとはいえ、ナイル父には悪い事をしてしまった。


 なのでナイルとの時間を奪ってしまった事を謝罪しようと思っているのだが…………、なんだ、ナイルの反応は?


 見るとナイルの顔がまた更に赤くなって、もはやトマトと見分けがつかないくらいになってる。


 目も回してるし。サウナで酒を飲んでもこんな風にはならないだろう。 


「…………ねぇ大丈夫? さっきから様子が変なんだけど、体調悪い? 熱がある感じ?」


 僕がナイルのおでこに自分のおでこを重ねると、ナイルが鼻血を出して倒れた。


「うわっ鼻血。てかすごい熱。人間の限界超えてるんじゃね?」


 人間の体温は最高四二度の筈だが、今のナイルの体温は百度近い気がした。


 マグマで人体溶かした僕だから平然といられるが、そんな経験なかったら今頃ナイルの体温で火傷してしまっていたかもしれない。


 それぐらい熱く感じられた。


 とりあえずそのまま放置するのもよくないので、背負って彼女の家まで運ぶ。


 家にてさっき会ったばかりのナイル母から「あらあらぁ」と生暖かい目で見られて少し恥ずかしい思いをしつつ、ナイルをベッドに寝かせて、そのまま家を出る。


 今晩、ナイルの家に行くのが憂鬱だと思いながら。


「それじゃ、これから師匠の家にでも行こうかな」



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