ナイル母
「え? お母さんってゴルドフのこと好きだったの?」
その夜、母の告白に僕は驚きの声を上げた。
「お父さんには秘密だからね」
少し気恥ずかしそうに言う母は、乙女の顔をしていた。
「なんで告白しなかったの?」
てことは、ゴルドフのおっさんとは両片想いだった訳だから、なんか寂しい気がする。
「そりゃあ、ゴルドフは他に好きな人がいたからね」
「え? 誰?」
思わず訊いてしまう。
それが母の勘違いだと分かっていたけれど、つい。
「マジュよ」と母が言う。
「あの人、無口ながらもマジュとならよくお喋りしてたからね。敵わないなって思って諦めたの」
「うわぁ」
おそらくそれは互いに恋のライバルだと分かっていたからが故の態度だったんだと思う。
マジュ師匠も、母に想いを寄せてたし。
女だけど。
母は罪な女なんだなぁ、と思いつつ、僕は母から昔の話を聞く。
ゴルドフは寡黙ながらも優しい男で、こちらが気付かない所で密かに助けてくれる強い人だった事。
対する父は優しいけど泣き虫で情けなく、それでも身体を張って他人を助けようとしてくれる強い人だった事。
そういう話。
ちなみに母は、誰とも分け隔てなく話し、ムカついた奴は後先考えずに殴ってしまう、主人公属性のある人だったみたいだ。
────とまぁそんな感じで、その日の晩はダンジョンに勝手に潜ってしまった時にやらかしたいざこざの仲直りとして、母と色々と語り合った。
いざこざっていっても、悪いのは僕だし、母も心配してただけだから、仲直りというのも変かもしれないけど。
まぁ、これ以上ぎくしゃくしたくないので、仲直りの一環として、そういう儀式みたいな感じ。
自分でもよく分からないけど。
結果的にはやって良かったと思う。
◆
それから数日後の朝、僕はこれまで通り変身して孤児院に向かった。
「ご主人様っ」
孤児院の庭。
僕の姿を見るなり、僕が購入した奴隷のネアが、てててっ、と駆け寄って来る。
「ネア、久しぶり」
駆け寄ったネアが僕にしがみ付いてくる。
少しずつ懐きだした感じだ。
ここら辺は子供らしくて可愛らしい。
同い年だけど。
でも、ある意味年下だし、可愛がるのも変じゃないだろう。
「あははっ」
僕はしがみ付くネアを抱きしめ、高い高いと持ち上げる。
五歳児だけどネアは子供らしく素直に喜んでくれる。
何歳まで喜んでくれるだろう。
「ナイルは僕と結婚してくれる?」
「うん。ご主人様と結婚するぅ」
うぅ。何歳まで結婚してくれるって言ってくれるだろう。
しばらく高い高いしてネアとはしゃいでいたら、不意に後ろから蹴りが飛んできた。
「あいだっ」
振り返ると、ネアよりも一つ二つ年上のガキ(男)が僕を睨みつけ、すぐに走り去ってしまった。
「…………なんなんだ?」
嫌われるような事でもしただろうか。
孤児院の借金を帳消しにしてやったんだから、感謝こそされど、嫌われたりしない筈だ。
何が気に入らないんだろう。
まぁいいか。
男のクソガキ(一応この場合も年上になるのか)に嫌われたところで、特に傷つきはしない。
「もしかしてネアの事が好きだったりしてな」
僕がそう言うと、ネアが心底いやそうな顔をする。
「えぇ……いやだぁ……」
ドンマイ。クソガキ。
今のところ恋の芽はなさそうだぞ。
「ネアはご主人様がいい……」
「ほぉ。そうかそうか。可愛いなぁ」
頭を撫でる。
でもよく考えたら、同い年だし、将来的にはあり得るのかもしれない。
ま、五歳の時点でマジに考える事じゃないか。
こういうのもロリコンになるのだろうか、と考えつつ、
「ねぇ、ネア。シスターは今、どこにいるか分かる?」
「教会を掃除してる」
「そっか。ありがと」
僕はネアを降ろして、シスターのところに向かう。
「それじゃまた後でね」
ネアは元気よく手を振り返してくれた。
◆
ネアやシスターとあれこれした後、僕は孤児院を出た。
さて。
普段なら、これからマジュ師匠宅に行って修行をするのだけど、今日は他に行くところがある。
ナイルの家だ。
前にナイルの家で色々と失礼を働いたので、菓子折りでも持って謝りに行こうと思っている。
菓子折りはこの世界にあるかどうか分からないので、なかったらそれに近いやつにしておこう。
街中を適当に歩いたら、おそらく見つかるはずだ。
そんな訳で、ナイルの家に行く前に適当に街の中を歩き回る。
普段それっぽい店に行く事がないので、どうしようかと迷う。
いやそもそも、今の懐はかなり寒い。
南極大陸よりも寒い。
中年男性の頭皮よりはまだ温かいと思うが、それでも勝手の分からない菓子折りを買うとなると、かなり心もとない。
なので懐を温める為、この前ダンジョンに潜った時に獲得したアイテムを売ろうかと思う。
ギルドに行こうと思ったが、ちょうど目の前にアイテム屋があったので、試しにここで売ってみようかと店に入る。
外観は大きめだったが、店内は外観よりも広々と感じられる。
ごちゃごちゃしておらず、スッキリした雰囲気。
おそらく個人経営じゃなくて、チェーン店なんじゃないかと思う。
この世界にもチェーン店なんてあるのかな、と思いつつ店員のいるカウンターに向かい、そこで空間魔法からアイテムを取り出す。
九一層から九九層までのドロップアイテム。
ボスラッシュで手に入れたクリムゾンアイテムの品々。
百層のクリムゾンドラゴンのドロップアイテムはまだ念の為に保留。
他のやつらはともかく、こいつだけはまだ僕だけの力じゃ倒せないので、一応手元に保管。
ちなみ普通のドラゴンの方のドロップアイテムはラキ師匠がSS冒険者の資格を手に入れる為に寄付したから既にない。
あれは期限付きの一時的な資格らしいが、切れそうになったらまた倒しにいくのだろうか。
いや、そんなの関係なしに倒してしまいそうだ。
僕が。
閑話休題。
真っ青な顔の店員に、クリムゾンボスのアイテムを売ろうとしたら、何故だか謝られた。
「すすす、すいません…………じつはこんなに貴重なアイテムを全て買い取れるほど、ただいまレジにお金がなくてですね……」
「あ、そうなんですね。それじゃ、どれまでなら買い取れます?」
訊ねると、九一層から九八層までと言われた。
「九九層だけ買い取れないんですね」
「はい。その分だけ足りないんです……」
「ならもう、それもタダでいいですよ」
僕は思わずそう言ってしまった。
我ながら勿体ないと思うが、つい見栄を張ってしまった。
五歳児のくせに見栄を張る事を覚えてしまったら、この先どうなるんだと思わなくもないが、言ってしまったものは仕方ない。
吐いた唾は飲み込めない。
「え? いいんですか?」
「いいよ」
しまったぁあっ!
今ならまだ飲み込めたチャンスあったのに。
でもまぁ、仕方ない。やはり吐いた唾は美少女以外のは飲み込めないのだから
「本当にいいんですか?」
「いいよ!」
んがぁあああああっ!
◆
という訳でチップの習慣もないのになかなか勿体ないアイテムの売り方をしてしまった僕である。
あの後も店員さんは、本当に本当にいいんですか? と何度も念押ししてくれたのだけど、今更引っ込みのつかなくなった僕は、
「いやまぁ、僕はこの程度で満足する冒険者じゃないからね。もっともっと上を目指すべき冒険者だからね。だからこの程度のアイテムを惜しむような価値観は持ち合わせてないのさ。遠慮なく受け取ってくれたまえ。へへーん」
なんて若干口調がラキ師匠みたいになってまで見栄を張り続けてしまった。
でも自分で言って気付いたが、やろうと思えばまた簡単に手に入るのだった。
然程、苦労せずに簡単に手に入るのだ。
二時間足らず、いや、もしかしたら一時間足らずで簡単に突破できる事を考えると、それほど勿体なくない。
むしろ後悔の念を引き摺り続ける方が、時間的にも精神的にも勿体ないぐらいだ。
どうも元の世界での貧乏性がまだこびり付いているようだ。
折角、修行しまくって強くなったのだから、この程度で落ち込まなくてもいいのだ。
むしろ成金の如くバンバン使っちまえぐらいの気持ちでいけばいい。
だから気持ちを切り替えよう。
えっと、お金は必要なのは何でだっけか。
そうそう、菓子折りだ。
ナイルの家に謝罪し行くのに菓子折りを持っていこうと思って、その代金を用意する為にアイテムを売りにいったのだった。
それで、菓子折りなんて普段買い慣れてないから、どうすればいいんだって、ちょっと悩んでたのだった。
でもまぁ、こういうのは基本的に外れはないだろう。
なんなら、金にモノをいわせて選べば、おそらく大丈夫だ。
むしろわざわざ謝りに行くだけでも充分ではないか。
僕ぐらいのクソガキがわざわざ菓子折り持って謝りに行くとか、普通ないだろう。
それこそ、ウンコぶつけられても文句言えないくらいの悪事を働きでもしないと、ないと思う。
だから適当に。
テキトーでいいんだよ。テキトーで。
こういうのは気持ちが大事なんだよ。気持ちが。
ちなみに、その気持ちがないから、テキトーでいいやとか思ってるんじゃないか、というツッコミはナシの方向で。
…………と、歩き回ってたらようやくそれっぽいお店を見つけた。
ここはえっと…………お菓子屋さん、か。
クッキー屋とかケーキ屋そういうのじゃなくて、お土産屋さんっぽい雰囲気のお菓子屋さんだ。
お菓子屋さんのくせに、レジ前に居るのがお菓子作りが趣味の美少女、もしくはお姉さんではなく、銀行員っぽい堅物そうなおっさんなのが若干気になるが、汚っさんではないので大丈夫だろう。
…………うん。ここならきっと大丈夫。
こんな観光地でもないところにお土産屋さんとかあるもんだなぁ、と思いつつ入店し、そこで少しお高めのお菓子を購入。
特に何事もなく店を出て、その足でナイルの家に向かう。
◆
そこから徒歩十五分でナイルの家に到着。
ドアをノックし、応答を待つ。
「はぁぁい」とやや間延びした声と一緒に、おっとりした女性が出てきた。
「どちら様でしょうかぁ?」
「えっと、僕はナイルさんの仲間のアルカという者です。この度はナイルさんとナイルさんの家に多大なる迷惑をお掛けしたので、そのお詫びとして謝罪しにまいりました」
そう言って、用意していた菓子折りを渡す。
「あらあらぁ、これはどうもご丁寧にぃぃ」
おっとりした女性は僕の差し出した菓子折りを受け取り、
「えぇっとぉ、アルカさんとおっしゃいましたっけぇ?」
「はい、そうです」
「ナイルちゃんのお友達のぉ?」
「友達…………まぁ、そうですね。お友達です」
仲間も友達も、この場合、同じようなものだろう。
「あらあらぁ、これは困りましたねぇ」
僕が首肯すると、女性は掌を頬に添えて言った。
「実はぁ、ただいま、お父さんはぁ、お仕事に出て行っておりましてぇ、家には私しかいないんですよぉ」
「あ、そうなんですか」
この場合、出直した方がいいのだろうか。
出直して、わざわざ時間を取らせてしまう方が失礼な気がしないでもない。
でも、一応また顔を出しておいた方が無難か。
「それじゃあ、また出直します。何日に参ればよろしいでしょうか」
「うーんと、それじゃあ今日の夜なんていかがでしょぉ?」
…………何日と訊いて、今日の夜と返ってきた。
まさかの今日か。
まぁ、いきなりアポもなく尋ねてきた僕が悪いから、何の文句も言えないけど。
「分かりました。今晩、また参ります」
「えぇ。ちゃぁんと、お腹空かせてきてくださいねぇ」
それはどういう意味なんだろう?
「あ」
と、おっとりお姉さんが少し困ったように言う。
「ここだけの話なんですが、実はあの人、ナイルちゃんと遊びに行く為、休みを作ろうと、急いで仕事を片付けてたのぉ。でもその日からしばらくナイルちゃんが帰ってこなくていろいろ心配しちゃってぇ。なので今晩、あの人がちょっと不機嫌になっちゃうかもしれないけど、あんまりお気になさらずにお願いねぇ」
「それはそれは…………本当に申し訳ない事を」
あの人というのはおそらくはナイルの父の事だろう。
つまり僕が娘との時間を奪ってしまった事になるのか。
一応、そこら辺は覚悟しておこう。
…………てか、今更だけど、このおっとりした女性は一体、誰なんだろう。
見たところ二十代後半くらいで、ナイルのお姉さんのように見えるが、色気が明らかに既婚者のそれである事と、これまでの話し方から姉というより母のように思えてくる。
どちらにせよ一筋縄ではいかない感じがする。
念の為、「えっと、すいませんが、ナイルのお姉さんですか?」と尋ねてみる。すると、
「あらあらぁ、お上手ねぇ。私はこう見えても、ナイルのお母さんですよぉ」
嬉しそうにナイルのお母さんがバンバン僕の肩を叩く。
やっぱりか。
正直、そうかもしれないとは思ってたけど、きちんと聞くと驚きは免れない。
十五くらいの娘がいるにしては若い。どう見ても若すぎる。
というか計算が合わない。
色気は確かにすごいが、それでも二十代後半ぐらいにしか見えないので、ナイルが十五と仮定すると…………うーんやっぱり計算が合わない。
僕はこんなに算数が苦手だっただろうか。
「……え? お母さんいくつですか?」
と、僕は思わず訊いてしまう。
女性に年を聞くのは元の世界ではタブー、こっちの世界でも、ハンマーで頭をカチ割られても文句が言えない禁止行為だが、突発的に算数ができなくなった僕には、そういう配慮まで頭が回らず、ついついやってしまう。
「女性に年齢を聞くのは野暮ですよぉ」
案の定、ナイル母にダメだしをされてしまった。
「それじゃあ逆に訊ねますがぁ、アルカ君はいくつですかぁ?」
「五歳ですけど、男に聞くのはいいんですか?」
「五歳……?」
ナイル母が不思議そうに首を傾げる。
…………あ、しまった。
僕は己の失言を悟るがもう遅い。
でも考えてみたら、ナイルの母親にバレたところで何の問題もないかと思って、誤魔化しもしない。
「はい、五歳です!」
肯定すると、若干、本物の五歳児っぽく元気よくなってしまった。
いや、一応本物なんだけどね。
「へぇぇ、五歳なのに、すごいしっかりしているのねぇぇ」
一度は不思議そうにしていたものの、ナイル母は特にこちらの事を疑いもせずにあっさりと信じてくれた。
「その恰好はもしかして魔法で変装してるのぉ……?」
「変装じゃなくて変身ですけど、まぁそうです。魔法で十五歳の姿に変身してます」
本当に十五歳になった時にこの姿になってるかは不明だけど。
将来の事は誰にも分からんって事で。
「そうなんだぁ。すごいねぇ。そんな魔法も使えるんだぁ」とナイル母。
感心したように、というかどこか嬉しそうにこちらの頭を撫でる。
ごく自然に頭を撫でられたのですぐには反応できなかったが、撫でられたと気付いても、こうもドストレートに褒めてくれた事に対して、僕はついつい、「えへへっ」と喜んでしまった。
五歳児というよりは三歳児くらいの反応かもしれない。
まぁ、普段はすごい事をしても、周りからは「うわぁ、すごい……っ!」みたいな反応ではなく、「うわ……っ、怖…………っ」みたいな反応ばかりなので、こういう風にドストレートに褒めてくれる反応は結構珍しかったりする。
だから「えへへっ」なんて子供にしか許されない反応をしてしまったとしても、全然仕方のない事だと思う。
っていうか、一応、僕、子供だし。
ともあれ、ついつい流れで年をバラしてしまったが、これなら特に何の問題もなさそうだ。
撫でながら、ナイル母が尋ねてくる。
「でも、これってナイルちゃんは知ってるのぉ?」
「知ってますよ」と僕は即答する。
「…………あれ? たしか教えたような…………たぶん教えたと思うけど…………どうだったっけ? なんか不安になってきたや…………」
僕は少し考え、
「ま、どっちでもいっか」と結論する。「たとえ知っていようと知らないでいようと、ナイルなら別に何も変わんないと思いますし」
反応もそうだし。こちらへの態度。扱い。そういう感じのが変わると思えない。
ナイルならきっとありのままの僕を見て、ありのままの僕を受け入れてくれるだろう。
精々、「マジで? ヤバいじゃん」ぐらいのリアクションを示すくらいか。
年を誤魔化したところで反感をくらうのはアイドルか恋人くらいのものだろう。
ダンジョンを一緒に潜る仲間に、年齢を重要視する理由は見当たらない。
「あらあらぁ、それはどうしましょうかねぇ」
しかし何故かナイル母は困ったような反応をみせた。
「何かまずかったですか?」
「…………いえいえぇ、特に何もないですよぉ」
絶対何かある反応ではあるが、ここで深く追及しても仕方ないので、特に気にしないでおく。
初対面で深く突っ込むほど僕は肝が太くない。
ちなみにナイル母の太ももは意外と太い。やはり経産婦。
話をもどして。
「それじゃ、今夜またお宅に伺ってもよろしいですか?」
「そうねぇぇ。できれば日が沈む前にお願いねぇ。待ってるからぁ」
そんな感じのやり取りをして、僕は一旦ナイルの家を出た。
出たといっても、中には入らず、ずっと玄関でお喋りしてただけだけど。
でも、ナイル母はおっとりしてて優しかったので、玄関で立ちっぱなしだったにもかかわらず、結構居心地がよかった。
それじゃあ、次はマジュ師匠宅に行って修行でもしようかと思った矢先、ふと、ここから離れたところから悍ましい程の殺気を感じたので、そっちに向かう。
というのも、そこはいつもダンジョンに潜る時に使う時空間のヒビみたいなところだったからだ。
飛んで向かうと、そこにはいつもとは違う格好のナイルが立っていた。
ブレザーとスカートで、まるで普通の女子高生みたいだ。
殺気を巻き散らしているせいで、空気中にやたらと塵が舞っている。
行き場のないト〇横女子なんじゃないんだから、なんでいっつもそこに立ってるんだよ、と言いかけたがやめた。
別にナイルの殺気なんか怖くないけど、それでもそこには僕の口を閉ざしてしまう程の何かがあった。
「どうして……」とナイルが呟いた。
「うん? なんて?」
「どうしてあの女と抱き合ってたの…………?」
はて? 何の事やら?




