ロリコン
血のように真っ赤な色をした巨大馬が、驚くべき速度で走り出す。
僕は咄嗟に前回と同じ中級魔法を発動させる。
青い雷の槍。ライトニングスピア。
────が、効かない。
僕の放った電撃の槍は紅くしなやかな皮膚に触れた途端、煙のように霧散する。
前回はこれで一蹴できたが、今回はまるで効いた様子がない。馬は全くの無傷だ。
僕は慌てて、ナイルを抱え空を飛んだ。
そこを巨大馬が列車の如き勢いで突っ切っていく。
通り抜ける際に、凄まじい暴風が巻き起こる。
まるで風自体が質量を持ったかのような圧倒的突進。音でさえも、鼓膜を破ろうとせんほどに暴力的だ。
飛ぶのが一瞬でも遅かったら、今頃暴風に巻き込まれて、跡形もなく消し飛んでただろう。なんと恐ろしい魔物だ。やはり前回とは比べ物にならない。
対峙する魔物に戦慄しながらふと、僕は下を見た。
慌てて飛んだせいで、やたらと地面が遠い。まるで建物の屋上にいるかのようだ
しかしながら、視線の高さは巨大馬とほぼ同じである。
単純にそれだけデカいって事だが、マジでなんなんだ、この馬は。
僕が馬のデカさにさえ慄いていると、僕の腕の中にいるナイルが戦慄しながら呟いた。
「…………なに、あの色…………?」
色か。
「まぁ、そうだね。前回と色が違うよね」
強さはそれ以上に違うけど。
「そ、そういえば聞いたことがあるわ」とナイルが言う。
「ボスの中には血のように真っ赤な個体がいて、そいつはボスの中でもとんでもない強さを持つんだって」
「ほう」
僕は上級魔法を放ちながら、ナイルの話を聞いた。
「今までどういう条件でクリムゾンカラーのボスが出てきたか、はっきりしなかったんだけど、どうやらボス部屋を反対から開くのが条件だったみたいね」
「今まで知られてなかったの?」とボスを倒しながら僕は訊く。
「…………おそらく、生きて帰ってきた人がほとんどいなかったからじゃないかしら。だから都市伝説みたいな噂でしか残らなかったんだと思う」
「ふうん。そうか。成程」
「だから気を付けて。あいつとんでもない強さよ。前回と同じだと思ってたら間違いなく負けるわ」
「あ、うん。もう勝ったけど」
「って、えええええええええええええっ? もう勝ってるぅ? あ、ホントだ」
ナイルが驚愕するのを見ながら、僕は地面へと降り立つ。
「ふぅ。いやぁ、前より強くなってるからびっくりしたよ」
「…………いやいや、こっちはびっくりなんてモノじゃないんだけど」
ナイルが呆然としながらこちらを見つめてくる。
よく見たら、彼女の目にはうっすらと涙の痕が残っている。
「…………ごめんね」
とりあえず謝罪。
それから、ボスを倒した事で出てきたアイテムを拾う。ドロップしたのは、前回と同じ巨大な蹄の欠片。ただし、色がクリムゾンカラー。
…………蹄の色もこんなだったっけ?
◆
蹄を拾った後は、ナイルを慰めつつ、ワープで街に戻る。そして、そのまま蹄の欠片を売りにギルドへと向かう。
換金所で、職員から「なんじゃこりゃぁっ」と驚かれつつも、僕は適当に流して、蹄を売る。
売った後、ギルドを出ると、外で待ってたナイルが「いくらになった?」と、興味津々に尋ねてきた。
なんで一緒に入ってこなかったんだろう。
「……十万ゴルド」と僕が答えると、ナイルは嬉しそうにして、
「おぉ、すごいっ。なら半々で一人五万ゴルドね」
「え?」
僕はナイルの頭に拳骨を落としてやった。
それから僕とナイルはもう一度、ダンジョンに潜って、四十層のボスに挑んだ。
予想はしていたが、やはりボスの色はクリムゾンだった。
僕は前回倒した魔法で巨大馬を一蹴し、再度アイテムをゲットする。
クリムゾンカラーの蹄の欠片。
「…………なんか味気ないね」
ナイルがぼそりと呟く。
確かにその通りだが、こいつに言われると妙に腹が立つ。
再度、ワープで街に戻って、ギルドに売りに行く。
蹄を見る際、換金所の職員が、
「ほぎゃぁあああっ?」と意味不明な叫びをあげていたが、無視して蹄を売却。職員は悪魔に憑りつかれたかのように発狂し続けていた。
「なんなの、あの人。頭おかしいんじゃない?」
今度は普通にギルドに入ってきたナイルが真っ当な感想を呟く。
確かにナイルと同意見だが、今回はどうして普通に入ってきたのか、と疑問が湧く。
きっと、特に意味はないのだろう。
僕も偶に自分ではよく分からないこだわりが出てくる時がある。
そういう時はあまり深く考えず、適当に意識の外へと流してやればいい。
そうする事で人生が上手くいく事もある。
ともあれ、これで目標額を達成。
早速、目的の奴隷館に向かうとする。
向かう道中、「どこ行くの?」ナイルが尋ねてくる。
僕は正直に「奴隷館」と答える。
途端、ナイルの表情が闇に染まった。
◆
地獄へと続く大穴を覗き込んだかのような暗黒。
深淵。
僕は彼女の豹変ぶりを見て、
「…………ん? どうしたの?」
と様子を尋ねてみるが、彼女は反応しない。
暗黒のままだ。
仕方ないのでそのまま放っておいて、目的地の奴隷館に向かい、中に入る。
「…………あぁ?」
入るなり、見覚えのあるクソデブが怪訝な顔を見せた。
店内は奴隷が売られてるとは思えない程、スッキリした内装。まるでホテルのロビーみたいだ。
「てめぇは…………今朝のクソガキじゃねぇか」
クソデブが思い出したように言う。
一応、今は十五歳に変身中だが、それでも目の前のクソデブの中ではクソガキという扱いらしい。
「ここに来たって事は、金は用意できたって事か?」
「その通りだ」
僕はそう言って、三十万ゴルドをクソデブの前に出す。
クソデブはそれを見て、大きく目を見開き、
「…………まさか本当に用意するとはな」
感心したように呟いて、気色悪い唇を笑みの形で歪める。
「ちょっと待ってろ」
そう言ってクソデブが店の奥へと入っていく。
おそらく奥に、目を覆いたくなるほど酷い光景があるのだろう。
人身売買。
「…………ねぇ、あんたは女奴隷を買うつもりで、あんなに必死にお金を稼ごうとしたの?」
待ってる途中、ナイルが驚くほど冷たい口調で尋ねてくる。
「うん。まぁ、そうなるかな?」
何故、奴隷が女だと決めつけてるのかは分からないが、なんとなくここで、ナイルを刺激するのはマズいと思い、それ以上何も言わないでおいた。
…………そういえば、あれは女の子だったよな?
髪の長い男の子だったらどうしようかと思ったが、女の子でもどうすればいいか分からない事に気付き、僕は頭を抱えた。
…………どうしよう。
この後の事を全く考えてなかった。
クソデブが子供に乱暴しているのを見て頭にきて、それ以上深く考えずに、ここまで突っ走ってしまった。
いやホントどうしよう。
今の僕の生活環境じゃ、奴隷は飼えない。飼える訳がない。
マジどうしよう。
てか、奴隷って飼うって言うのはおかしいよな。養う? そこら辺の価値観もしっかり根付いてないのに、どうして僕はこんな事になっているのだろう。
僕が頭を抱えてると、奴隷屋のクソデブが子供を連れてきた。
クソデブは今までにない笑顔だ。
こんな優しい顔をしてると、クソデブと罵り辛くなるじゃないか。
「よかったな。こいつがお前のご主人様だぞ」
男はそう言って、子供の頭を優しく撫でる。
…………おい。今更なんでそんな優しい態度になってんだよ。
どういう事だよ。
説明しろ。
「…………ロリコン?」
僕が混乱の極致にいる中、僕の背後で背筋が凍り付きそうな程、冷たい口調でナイルが呟いた。
怖いって。
いや、それよりも、なんだ、これは。
一体、どういう事だ。
誰か。
誰か説明してくれ。
僕は今、どういう状況に陥ってるんだ。
誰か。
誰かぁあああああああ────ッ!
◆
僕は流されるまま、奴隷購入の手続きを行い、店を出た。
僕の右手には髪の長い子供がこちらを見上げ、僕の左手には恐ろしい形相の女がこちらを睨みつけてくる。
マジで、一体何がどうしてこうなったのだろう。
今日一日で、一体何が起きたのか。
今朝、家を出た時は、こんな事になるとは夢にも思わなかった。
だが、気付けばこうなっていた。
一体どうして。
…………まぁ、ここで色々悩んでても仕方ないので、ひとまずこれからの事について考える為、適当に話が出来そうなところに向かう。
────で、考え付いたのが、マジュ師匠の家。
現在、ここに住んでる師匠二人は旅行中なので、家には誰もいない。
魔法で虫除けしているので、ゴキブリもいない。
なので静かに真面目に話ができる場所としてはこれ以上ない程うってつけである。
空を飛んで、街外れの師匠の家へ向かう。
飛ぶ際、奴隷が小さな悲鳴を上げたが、僕の脳みその方がヤバい悲鳴を上げ続けているので、気にならない。
家に着いたら、合鍵で扉を開けて、中に入る。
何故か、ナイルも一緒にいる。
抱えてなかった筈なのにどうして。いつの間に来たのか。
まぁいいか。
「…………ふぅ」
気持ちを切り替え、とりあえず一息。
「────さて、これからどうするかについて考えようか」
僕が真面目に切り出すと、ナイルが僕以上に真面目な顔で、こう言った。
「ロリコンは社会的に害悪なので、憲兵に突き出すのがいいと思う」
「…………あの、そろそろ怒るのをやめてくれると助かるんだけど。正直、僕もう処理能力いっぱいいっぱいで、どうしようもないんだから」
「なら、あんたがどういう目的でこのコを買ったのか説明してくれる?」
ナイルの意図は分からなかったが、ひとまず僕は彼女の言う通り、今朝の出来事を説明した。
◆
「…………あんた、それ騙されてるわよ」
事情を説明した後、ナイルは疲れたような態度でそう言った。
どうやら誤解は解けたようで、怒りが収まり、暗黒に染まった顔は元に戻っている。
だけど、僕には彼女の言う意味が分からない。
どういう意味か尋ねると、
「おそらく人の好さそうな間抜け面を見つけては、そいつの前でそのコを蹴り飛ばしてたんだわ」
とナイルは言った。
「そのコに同情して買ってくれる間抜けを探して、あの男は動いてたんだと思う」
「ど、どういう証拠があってそんな真似だというんだ…………?」
我ながら、発言が追い詰められた犯人みたいだと思う。
ナイルは細めた目を子供に向けつつ、
「だって虐待されてる割には、そのコ、血色がいいもの」
僕は子供を見た。
確かに、奴隷で虐待を受けている割には顔色が良い。白くはあるが、病的なモノは感じない。むしろ健康的だ。
「ねぇガキ。もう買われたんだから、白状しちゃえば?」
「…………」
子供は終始俯いたままだったが、ナイルの指摘を聞いて、やがて覚悟を決めたように頷き、
「────はい。あの人はとても優しい人でした」と言った。
「確かに奴隷屋という非人道的な商売をしてますが、少なくとも奴隷相手に酷い真似をする人ではありませんでした。むしろ私の両親の方が────、」
「ちょっと待った」
僕は慌てて子供の言葉を止めた。
「まだ、心の整理が追い付かない。とりあえずキミには色々な事情があって奴隷になったが、奴隷になってからはそこまで酷い扱いを受けなかった。それでいい?」
子供はこくんと頷いた。
「そうか」と僕は、ひとまずある程度の事情を理解する。
正直、この状況で闇の深い話と複雑な事情は聞きたくない。聞けるだけの心の余裕がない。
悪い奴は悪い奴のまま。クソデブはクソデブのままでいてほしい。じゃないと文句を言いづらい。
「そういえば、あんた、名前は?」
いくらか興味を失った様子のナイルが、子供の名前を聞く。
そういえばまだ名前を聞いてなかったか。
子供は言った。
「……ネアです」
「ファミリーネームは?」
「奴隷なんだからある訳ないじゃないっ」
ナイルに殴られた。
そうか。奴隷ってそういうものなのか……。
「それじゃあ、ネアは男の子? 女の子?」
「見たら分かるでしょ、このバカっ」
またしてもナイルに殴られた。
「って事は、女の子でいい? 髪の長い男の子みたいなオチじゃないよね?」
ネアはまたコクンと頷き、おもむろに立ち上がると、奴隷服をまくった。
奴隷服はワンピースみたいな構造をしており、なおかつ奴隷服の下には何も着てなかったし、履いてもなかった。
だから僕はネアが確実に女の子だと理解した。
「このド変態ロリコンがっ!」
と、ナイルに三度殴られた。
僕はたんこぶのできた頭を擦りつつ、
「よし。そっちの事情は分かった。それじゃこっちの事情を説明しよう。────正直、僕はこれからの事を何にも考えずにネアちゃんを買った。ネアちゃんと一緒に暮らせるような環境にはいないくせにネアちゃんを買ったんだ」
ネアが驚きの眼差しをこちらに向けた。
ナイルは苦虫を噛み潰した様な顔でこちらをチラ見している。
僕は言った。
「だから、これからどうすればいいか分からない。どうしたらいいと思う?」
僕が二人に尋ねると、二人が答える前に、
「────っしゃあぁあっ! 久しぶりの我が家! ただいまぁああっ! 疲れたぁぁ! でも楽しかったぁああっ! …………って、あれ?」
家主が帰ってきた。
この家の主で、僕の魔法の師匠であるマジュ師匠が、最悪のタイミングで帰ってきてしまった。
さて、どうしよう。




