ボス戦
ダンジョン三十七層。水中ステージ。
探索領域がほとんど水没しているにもかかわらず、その層の攻略はものすごく楽ちんだった。
というのも僕がナイルを抱えて、空を飛んでいたからだ。
大半の魔物が水中にいるおかげで、襲われる危険はほぼないし、それに次の層への入り口まで水没している訳でもない。
なので、僕はゆったり攻略していたのだが、突然、水面からピラニアみたいな魔物が水面から飛び跳ねてきて、思わずぶつかってしまった。
そしてその際、飛行制御が崩れて、ナイル揃って水面にダイビング。
まさに油断大敵。
そんな訳で、僕とナイルは、揃ってびしょ濡れになった状態で、ダンジョン探索を再開する運びとなった。
…………水中に落ちたからといって、命の危機に陥るみたいな展開にはならなかった。
魔物が弱かったのもあるし、ナイルがカナヅチという事もなかったので、そこら辺は特に問題なく復帰できた。
ただまぁ、だからといって本当に何も問題がない訳でもない。びしょ濡れになったせいで、新たな問題が三つも沸き上がってしまった。
まず、動きにくい。
濡れた服というのは、ぴったりと肌に貼りつき、着用者の動きを阻害する。
水を吸った分、重さも増すし、渇いた状態と比べたら雲泥の差。
マジでめっちゃ動きにくい。
次に体温。
自然の水というのは基本的に冷たく、濡れたままでいるとこちらの体温を奪ってくる。
だからめっちゃ寒い。
唇が紫色になり、顎がガクガク震える。
そして最後、濡れ透け。
服が濡れたせいで、至るところが透け透けになってしまった。
こちらの肌は勿論、ナイルの肌も下着も透け透けである。
腹立たしい事にナイルは顔も良いし、スタイルも良い。
なので、全身ずぶ濡れだとどうにも扇情的になってしまう。
腹立たしい事に。
ホント、腹立たしい事に。
「ねぇ、寒いよ」とナイルが僕の腕の中で震えながら言う。
「悪かったね。落っこちちゃって」
「責めてるんじゃないよ。そんなこと言ったら、あたしの方がずっと足引っ張ってたじゃん」
「自覚してたんだ……」
「むぅ、いじわる」
ごめん、と僕は謝る。
「それじゃ何? 文句以外に何か言う事があるの?」
「アルはあたしをどんな風に見てるのよ……」
ナイルは恨めしそうにこちらを見つつ、
「そうじゃなくて、あそこに休めそうなところあるでしょ? あそこで一旦、休まない?」
ナイルが指さす方向。そこには入り江の洞窟があって、確かに休めそうだった。
土魔法で少し地形を変えるだけで、それこそ見張りを立てずに熟睡しても問題なさそうな感じである。
「……そうだね。一旦、休もうか」
ナイルの言う通り、僕は洞窟の方に向かう。
◆
「はい。ファイヤーボールで火を起こしてっと」
洞窟の近くには少ないながらも木が生えており、その木の枝を何本か折り取って、焚き木にする。
魔法があれば火を起こすのは朝飯前だ。
枝は若干湿気ってたように思えたが、魔法だと、案外簡単に燃えてくれた。
「湿気てると思ったけど、大丈夫だったね」
「たぶん木の中の魔素が豊富だったんじゃないかな」
「あ、そっか」
ナイルの推測に、僕は強く納得する。
ここは異世界であり、元の世界とは全然別の原理が働く事もある。全く同じ環境で全く同じ物理法則だったら、そもそも魔法なんて存在しない。
「これで身体を温められるね」
「裸で抱き合うと更に効率よく温められるわよ」
…………ここは元の世界と同じ発想になるのか。
原理や法則が異なっても、そこに住む人は変わらないって事か。
「…………別に僕は構わないけど、そっちは嫌じゃないの?」
「望むところよッ!」
威勢のいい返事が来た。
…………まぁ、そっちがいいならいいのだけど。
そんな訳でナイルと火に当たりながら裸で抱き合い、服が乾くまで、暖をとった。
◆
「ふぅ。ようやく乾いたね」
乾いた服を着ながら、僕はナイルに言った。
ナイルは恨めしそうな顔で、
「…………なんで手を出さなかったの?」
「え? 出す訳ないでしょ」
僕がそう言うと、何故かナイルは腹立たしげにこちらを睨んでくる。
よく分からないので、とりあえずお手の形で手を出すと、
「違うわっ!」とはたかれてしまった。
「あ」
それで気付いた。
今更ながらにナイルの意図を理解する。
そういう意味だったか。
どういう訳か、裸で抱き合ってる間、僕は全くいやらしい気持ちにはならなかった。頭からその発想が抜けていた。
普段の僕ならエロい事で頭の中がいっぱいになって、ヤバいと思ってもおそらく我慢できなっただろうに、どうも肉体が五歳児のせいか、偶にエロい発想が頭から抜けてしまう時がある。
びしょ濡れになった時は扇情的とか思ってたぐらいだしね。
これが、肉体が精神に引っ張られるというやつだろうか。
ともかく今回、僕はナイルに手を出さなかった。
後になって考えれば、これはこれでよかったと思う。
現状、ナイルと付き合う事はできないし、責任取れって言われても絶対無理だ。
いくら顔が可愛くても、中身がちょっと……ね。
つうか、年齢を考えたら、ナイルの方が捕まるんじゃないか、これ?
だから、ほっと安堵しつつ、僕はダンジョン攻略を再開する。
僕の腕の中で、「チキンチキンチキンチキン」とナイルが呪詛を呟くように罵ってくるが、無視する。
構ったらめんどくさそうだし。
◆
前と同じようにナイルを抱えながら空を飛び、次の層への入り口を探す。
当たり前だが、今度は油断しないよう、周囲の警戒を解かずに、集中して探す。
すると、ものの数分で発見した。
すぐに次の層に降りると、そこは乾いた荒野だった。ここならわざわざ服を乾かさずとも、すぐに乾くだろうし、濡れたままでいても体温を奪われる心配などなかった。
「…………なんだったんだ、さっきまでの時間は」
とはいえ、こういう事は人生ではよくある事。
これを悲しい失敗と捉えるか、面白い思い出話として捉えるかで、人生の彩りが変わると思う。
ともあれ、ここで気にしても仕方ないので先に進む。
そんな感じで三十八層はあっという間に突破し、続く三十九層も難なく突破する。
そして大台の四十層。
ボス戦の扉前でナイルが感慨深く呟く。
「まさか今日、四十層まで来れるとは思わなかったわ……」
「こっちとしては、まさか今日の内に五十層まで行けないとは思わなかったんだけどね」
僕が皮肉を言うと、ナイルが「うるさいっ」と言って僕の頭を殴る。
強くはないのでダメージはないが、少し痛い。
「それじゃさっさとボスを倒して今日の攻略を終わらせようか」
「あ、ちょっと待って。話を聞いて」
ボス戦に意気込んで行こうとしたら、ナイルが割かし真剣な顔で止めてきた。
「四十層のボスは、これまでとは違うから気を付けたがいいわ」
「ふむ?」
ナイルが説明を開始する。
彼女の説明によると、四十層のボスは巨大な馬で、なんでも、数ある神話のうちの一つに出てくる聖なる暗黒馬だそうで、これまでのボスとは格が違うようだ。
頭にはユニコーンのような角が生えており、そこから神の雷を落とすと、周囲数キロメートルが焦土となって、全ての生命は跡形もなく消え去る程の威力があるとされている。
更にダイヤモンドよりも硬いとされてる蹄は象よりも大きく、一歩踏み出せば、そこを中心に地割れが起き、また一歩踏み出せば、海をも割ると言われている。
「────だからね、ちゃんと準備しましょ」
と、ナイルがこれまでにない真面目な調子で言う。
僕は、説明を聞いた後、全力で頷き、
「よし。分かった。行くぞーっ、うぉおーっ!」
第一波の雑兵のように突撃する。
「あ、ちょっ、馬鹿、待ちなさいよ!」
僕が突っ走って、ナイルが泣きそうになりながら後に続く。
四十層のボスは成程、確かに巨大な馬だった。
体高が約二十メートルほどで、全長は約三十メートルほど。
その圧倒的な存在感に僕は思わず、
「うわ、でっか」と言った。
「…………っ」
ナイルは、そのあまりの巨大さに唖然とし、腰を抜かしかけている。
足がプルプル震えて、まるで生まれたての小鹿みたいだ。
「────来たか、矮小なる存在よ」
と巨大馬が厳かな態度で言った。
「うわ、喋った」
「我は偉大なるヒュリンポスの末裔、神馬の導きし革命児でありながら、聖なる蹄の誇りを継ぎし荘厳なるサラブレッド。貴様ら如きが相対するには百年遅い。頭を垂れるどころか、跪きすらしない無礼千万な輩には相応の罰として、この聖なる暗黒馬たる我が直々に────、」
デカい馬の堅苦しい話を聞き流しつつ、僕は適当に魔法を放つ。
「くらえっ、中級魔法」
「ぽぎゃぁっ」
巨大馬が僕の放つ電撃の槍で跡形もなく消し飛んだ。
こうしてボス戦は呆気なく終了した。
「ふぅー。お疲れさま」
「……………………ッ」
なんか偉そうなことを言ってたけど、まだまだ四十層程度じゃ、僕の敵じゃない。
ぶっちゃけ、聖なる暗黒馬という頭の悪い通り名で大した事ないのはなんとなく察してたからね。雑に行って正解だった。
僕は魔物が落としたアイテムである蹄の欠片を拾い、愕然とするナイルの頬を引っ張ってワープゾーンへと移動する。
「…………あんた、ホント何者なのよ」
苛立つようにナイルが呟く。
勿論、転生者とは言えないので、僕は曖昧に肩をすくめて誤魔化した。




