水の音
恵美は歩き続けていた。疲れたという感覚さえマヒしていた。
「行かなきゃ」
時折そう呟く。その言葉に後を押されて足を進める。
その足はすでに傷だらけで内出血でまだらになっている。
恵美の耳には水のせせらぎの音がいつまでも響いている。
「何をしている?」
恵美はいきなり腕をつかまれた。
カーキ色の作業服を着た中年男が恵美の腕をつかんでいた。
その周囲にも同じような中年男たちが驚いた顔で恵美を見ていた。その周囲にはザイルに鋸や鉈、チェーンソーなどがまとめておいてあった。
「行かなきゃ、行かなきゃ」
うつろな目でそう呟きながら恵美はもがく。
「おい、どうしたんだ」
市街地を出歩くような格好で森林の奥にいる恵美を奇異なものを見る目で見ていたが間違いなく生身の人間なのだ。
二人が仮で恵美の身体を押さえつけて男たちは下膳準備を始めた。
すでに自宅に戻っていた雅弓は恵美が一応生きて救助されたという話を聞いて胸をなでおろしていた。
二人で下山した折、恵美の両親にたっぷり恨み言を言われたのだ。恵美を置き去りにするなんて情がなさすぎると口汚く罵られた。
実際は雅弓が止める間もなく恵美は二人を置き去りにしていってしまったのだが。
「なんか警察の話では林業の人が保護してくれたそうだけど。なんか錯乱して暴れてたって」
順子が何とも言えない顔をして言っていた。
「林業の人がいたって、ずいぶん離れたとこにいたのね」
あの根気のない恵美が歩きにくい山道をよくその距離歩き続けられたものだと信じられない気持ちになる。
「にしてもそこまで川が続いていたのかな」
「それが、そんな川なんかあの辺りにはないって言っていたそうだよ」
順子はそう言った。そのあたりは警察に何度も聞き返したので間違いない。
「なのにあの子川がって譫言みたいに言ってて」
雅弓は思い出した。同じ場所にいたのに、雅弓は水音なんて聞いていないと。




