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病弱ワガママ令嬢ですが、実は祖父仕込みの暗殺者でした

作者: 紅月リリカ

今回は「病弱なのに横暴」という一見矛盾した悪役令嬢を書いてみました。彼女の全ての行動には深い理由があったのですが、誰にも理解されずに追放されてしまいます。でも最後はちゃんとハッピーエンドになりますので、安心して読んでくださいね。


王宮の大広間は、静寂に包まれていた。


しかし、その静寂を破ったのは、アリシア・ド・ベルモントの甲高い声だった。


「疲れましたわ。誰か、椅子を持ってきてくださいな」


貴族たちの視線が一斉にアリシアに注がれる。その視線は、憐れみではなく、明らかな軽蔑の色を帯びていた。


「アリシア様、現在は貴女の行いについての会議の最中です。お座りになるのは——」


「あら、空気が悪いですの。窓を開けて。それから、皆様の話し声が頭に響きますから、もう少し小さくしていただけませんこと?」


アリシアは薄い唇を歪ませ、いつものように薬瓶を握りしめた。


病弱な体質のせいで、いつも持ち歩いている薬。


それを見た貴族の一人が、ついに声を上げた。


「いい加減にしろ!」


王子エドワードの怒声が広間に響いた。


「病気を言い訳にした我儘も限度がある!


 お前は宰相令息が外国から入手した貴重な健康薬を取り上げたたそうだな」


「あら、いいじゃないですか」


アリシアは肩をすくめた。


「この国の貴族で一番健康を欲しているのは私ですわ」


貴族たちがざわめいた。


侯爵夫人が立ち上がる。


「先日も、うちの娘を突き飛ばしたそうですね。怪我をしたというのに、謝罪の一つもなかったとか」


「あら、あの子がぼんやりしていたのが悪いんですのよ。それより、この会議室の空気、本当に悪いですわね。換気していただけません?」


アリシアは咳き込んだ。


いつもの、か細い咳。


しかし今日は、誰もその咳に同情を示さなかった。


「アリシア・ド・ベルモント」


王子の重々しい声が響く。


「貴女の数々の悪行、もはや看過できない。


王家としてベルモント家への恩義があるといっても限界だ。


私との婚約は破棄し、王都への立ち入りを禁じる。辺境の領地へ帰り給え」


「まあ」


アリシアは薬瓶を握る手に力を込めた。


「それは残念ですわね。でも、領地への道中、馬車の揺れで体調を崩しそうですの。できれば、もう少し良い馬車を——」


「黙れ!」


エドワード王子の剣が鞘から抜かれかけた瞬間、アリシアの瞳が一瞬だけ鋭く光った。


しかし、すぐにいつもの弱々しい表情に戻る。


「あら、怖いですわ。こんなに驚かされたら、また発作が」


そう言って、アリシアは薬瓶の蓋を開けた。


* * *


馬車の揺れが、アリシアの体を左右に振った。


追放の馬車は、王都から遠ざかっていく。


アリシアは窓の外を眺めながら、ふと祖父のことを思い出していた。


アルフレッド・ド・ベルモント。


表向きは温和な老侯爵だったが、その正体は王家直属の暗殺組織「シャドウムーン」の最高幹部だった。


アリシアが八歳の時、祖父は彼女にこう言った。


「アリシア、お前には特別な才能がある」


祖父の書斎で、アリシアは様々な薬草を見せられた。


「これは毒キノコ、これは睡眠薬の材料、これは......」


祖父の教えは徹底していた。


毒の調合、暗殺技術、気配を消す方法。


しかし、それは両親には秘密だった。


「お前の両親には残念ながら毒を扱う才能がない。


しかし表の世界で生き続けられるのであれば、幸せなことだ。


お前も、組織に入る必要はないぞ。


この知識は、お前が本当に危険な目に遭った時だけ使うのだ」


祖父が亡くなったのは、アリシアが十二歳の時。


その頃から、アリシアは自分の異様な知識に恐怖を感じるようになった。


薬草を見るだけで、それがどんな毒になるかが分かってしまう。


人の急所が、まるで光って見えるように感じる。


その恐怖から逃れるため、アリシアは「病弱な令嬢」を演じることにした。


体調不良を理由に人との接触を避け、危険な知識を使わずに済むように。


しかし、演技を続けるうちに、アリシアは本当にわがままになってしまった。


いつの間にか、周囲への配慮を忘れ、自分の都合だけを考えるように。


「……どうすればよかったのかしら」


アリシアは馬車の中で呟いた。


あの時、侯爵令嬢の足に毒虫が迫っていた。


咄嗟に突き飛ばしたのは、彼女を守るためだった。


しかし、説明すれば自分の異様な知識が露見する。


毒虫はどこから来たのか、すぐ消えてしまったので証明もできない。


結局、アリシアは何も言わなかった。


「あの薬は、どこから手に入れたのかしら......」


宰相令息が持っていた薬には、致死量の毒が混入されていた。


王子に奉じたいと言っていた彼は、そのことを知らなかったようだ。


アリシアにはそれが分かったが、やはり説明できなかった。


彼が


「みんなを部屋から追い出したのも」


空気中に微量の毒ガスを感じ取ったからだった。


全て、周囲を守るための行動。


しかし、誰にも理解されなかった。


「私のやり方が、間違っていたのね」


アリシアは薬瓶を見つめた。


この中に入っているのは、普通の頭痛薬ではない。


数種類の解毒剤を調合したものだった。


いつ毒を盛られても対応できるように。


馬車が突然止まった。


「お嬢様、野盗です!」


御者の叫び声が聞こえる。


アリシアの瞳が、一瞬だけ鋭く光った。


* * *


森の中で剣戟の音が響いていた。


護衛たちが野盗と戦っているが、数で劣勢だった。


アリシアは馬車の中で震えているふりをしながら、状況を冷静に分析していた。


野盗は八人。


護衛は三人。


この状況なら、護衛の敗北は時間の問題。


その時、森の奥から新たな人影が現れた。


黒い外套を着た男。


しかし、その男は血を流しながらよろめいていた。


「助けて......」


男がアリシアの馬車に近づいてくる。


アリシアは瞬間的に、その男の風貌を記憶の奥底と照合した。


祖父の書斎で見た写真。


組織の幹部会議の記録。


「クロード......?」


アリシアが小さく呟いた瞬間、男の瞳が見開かれた。


「貴方様は……」


クロードがアリシアの顔を見つめる。


「アルフレッド様の......」


「しっ」


アリシアは慌てて口に指を当てた。


「病気の私には、何も......」


しかし、クロードは苦痛に歪んだ顔で言った。


「お嬢様......いえ、『ペイル・ロータス』。貴女は組織の裏切り者に狙われています。


不甲斐ないことに、私では力不足でした。


どうか、お嬢様自らのお力で、身をお守りください」


アリシアの体が硬直した。


ペイル・ロータス。


祖父がつけた、アリシアのコードネーム。


「青い睡蓮」という意味で、美しく見えて実は毒を持つ花を指していた。


「私は、もう......」


アリシアは病弱な演技を続けようとした。


しかし、クロードの傷は深刻だった。


このままでは死んでしまう。


それに、野盗たちの動きも気になる。


彼らの武器に毒が塗られているのを、アリシアは見抜いていた。


護衛たちが危ない。


「ごめんなさい」


アリシアは小さく呟いた。


「体調が悪いので、何もできませんの」


そう言いながら、アリシアは馬車から降りた。


森の薬草を見回す。


トリカブト、ベラドンナ、ヒガンバナ......


毒草の宝庫だった。


アリシアの瞳が、一瞬だけ暗殺者のそれに変わった。


「でも、この薬草たちは......使えそうですわね」


咳き込みながら、アリシアは薬草を採取し始める。


その手際は、病弱な令嬢のものではなかった。


瞬時に毒を調合し、煙毒、接触毒、飛散毒を作り上げる。


野盗たちが馬車に近づいてきた時、アリシアは既に準備を整えていた。


「あら、お疲れ様ですのね」


アリシアは薬瓶を振りながら、にっこりと笑った。


「体調の悪い私からの、お薬のプレゼントですわ」


次の瞬間、森に紫色の煙が揺らいだ。


野盗たちが次々と倒れていく。


アリシアは咳き込みながら、倒れた野盗たちを見回した。


「みなさん、よく眠れそうですわね」


クロードが呆然と見つめる中、アリシアは彼の傷に解毒剤を塗る。


馬車から倒れている護衛たちに毒霧がかからないよう、スカーフに偽装した防煙布で覆う。


「これで大丈夫ですわ。でも、あまり無理をしてはいけませんのよ」


「お嬢様......あなたは確かに、アルフレッド様の孫娘だ」


クロードの瞳に、尊敬の色が浮かんだ。


「『毒の魔術師』の血を引く、真の暗殺者......」


アリシアは薬瓶を握りしめた。


祖父の教えが、ついに表に出てしまった。


もう、病弱な令嬢の仮面は剥がれてしまったのだろうか。


* * *


——王宮の地下。


アリシアは、隠し棚に並べられた薬瓶を一つ、また一つと手にとっては戻している。


組織本部に迎え入れられた彼女を待っていたのは、悲しい事実だった。


「組織の一派が、王子エドワード様を狙っていたのです」


クロードは静かに語った。


「絶対的トップであったアルフレッド様の死後、組織内部で権力争いが起きました。新しい幹部たちの中には、王家への忠誠の代わりに、王家を操りたいと思う者がでてきた」


アリシアが王子を避けていたのは、単なるわがままではなかった。


祖父から受け継いだ本能が、危険を察知していたのだ。


「お気付きだったかもしれませんが」


クロードは続けた。


「お嬢様の周りで起きていた『事件』の数々......全て、暗殺の前触れだったのです」


アリシアの瞳が見開かれた。


侍女エマが触ろうとした毒キノコ。


リリーが持参した毒入りの薬。


部屋に充満していた毒ガス。


全て、アリシアを標的とした暗殺計画の一部だった。


「お嬢様は無意識のうちに、それらを全て阻止されていたのです」


クロードは、組織の命ではなくアルフレッドの愛弟子として、密かにアリシアを見守る任務についていたという。


「国外追放となったことで、お嬢様の知識や能力が他国にわたるのを恐れ、組織の裏切り者たちはついにお嬢様にも矛先を向けたのです」


その時、扉が勢いよく開かれた。


「クロード、大変だ、ついにあいつら——」


その言葉を遮るように、後ろから黒い影が現れ、短剣を振り上げた。


アリシアは咄嗟に薬瓶を投げた。


薬瓶は短剣を弾き、その中身が持ち主にかかる。


「あら、腕が鈍っていなくて良かったわ」


アリシアは咳き込みながら言った。


「大丈夫、数時間麻痺するだけのお薬よ」


暗殺者は驚愕の表情を浮かべながら倒れた。


「咳が出ちゃいますわね」


アリシアはいつもの調子で呟き、いくつかの薬瓶を手に取る。


クロードが示す道を辿ると、王子宮まではあっけないほどすぐに着いた。


護衛と反乱者が一進一退の攻防を繰り広げている。


壁にかかる巨大な宗教画を突き破って現れたクロードとアリシアの姿に、一瞬の隙が生まれた。


煙毒で視界を奪い、接触毒で動きを封じ、飛散毒で意識を刈り取る。


アリシアの戦い方は、まさに祖父直伝の暗殺術だった。


攻守のバランスが崩れ、反乱者たちが取り押さえられる。


「君は......一体......」


エドワード王子が呆然と呟く。


アリシアは振り返ると、いつもの弱々しい笑みを浮かべた。


「病弱なアリシア・ド・ベルモントですが、何か?」


いつも首に巻いているスカーフが、口元を覆うように持ち上げられている。


「ただ、少しだけ......祖父の趣味を受け継いでいるだけですのよ」


王子は誤解していた。


アリシアの祖父アルフレッドが、王家の守護の要であったことは聞かされていた。


しかし、アリシアの両親は一介の貴族であり、その任務からは外れている。


アリシアも無能力だと信じ込んでいた。


しかし、彼女は祖父の知識と能力を引き継いでいたのだ。


アリシアの全ての行動には意味があった。


彼女がいつも持ち歩いていた薬は、咳止めなどではなかった。


空気の悪さを嫌がっていたのは、単なるワガママではなかった。


クロードから真実を明かされて、王子はようやくそれを理解したのだ。


「アリシア......君は、ずっと僕たちを守ってくれていたんだね」


王子の瞳に、涙が浮かんだ。


「僕は......君を誤解していた」


アリシアは薬瓶を握りしめた。


長い間隠し続けてきた秘密が、ついに明かされてしまった。


もう、病弱な令嬢の仮面を被り続けることはできない。


でも、それは本当に悪いことなのだろうか。


初めて、アリシアは自分の本当の気持ちと向き合った。


* * *


真実が明かされた後、アリシアには多くの選択肢が与えられた。


王宮に残って王子の護衛を務めること。


残党の殲滅作戦に参加すること。


しかし、アリシアが選んだのは、まったく違う道だった。


「辺境の領地で、薬草園を営みたいと思いますの」


王子は驚いた。


「薬草園?」


「ええ。今まで人を害するための薬ばかり作ってきましたから」


アリシアは窓の外を見つめた。


「今度は、人を救うための薬を作ってみたいんですの」


王都から馬車で三日の距離にある辺境の村。


そこでアリシアは、小さな薬草園を始めた。


祖父から受け継いだ毒の知識を、治療薬の調合に活かす。


毒と薬は、実は紙一重だった。


同じ植物でも、分量と調合方法によって、人を殺すことも救うこともできる。


アリシアは毎日、薬草と向き合った。


咳き込みながらも、村人たちのために薬を作る。


今度は本当に体調を崩すことが多かったが、それは演技ではなかった。


過度の薬草接触による体調不良だった。


しかし、アリシアは幸せだった。


初めて、自分の知識を人のために使えている実感があった。


ある日、元侍女のエマが薬草園を訪れた。


「お嬢様、私もお供させてください」


エマの瞳には、決意の光が宿っていた。


「お嬢様がいつも私たちを守ってくださっていたこと、やっと理解できました」


エマだけではなかった。


リリーも、他の侍女たちも、次々とアリシアの元を訪れた。


彼女たちは皆、アリシアの本当の優しさに気づいていた。


クロードも組織を抜け、薬草園の警備を担当するようになった。


「お嬢様の新しい人生を、守らせてください」


クロードの瞳には、祖父への敬愛と同じ光が宿っていた。


王子からは定期的に手紙が届いた。


「いつでも戻ってきてほしい」という内容ばかりだったが、アリシアは毎回丁寧に断った。


「体調が悪いので、遠慮させていただきますわ」


しかし、今度は本心からの微笑みを浮かべながら。


薬草園は次第に有名になった。


「奇跡の薬を作る謎の薬師」として、遠方からも患者が訪れるようになった。


アリシアは相変わらず咳き込みながら薬を調合していたが、その表情は穏やかだった。


* * *


一年後の夕暮れ。


薬草園は夕日に照らされて、金色に輝いていた。


アリシアは咳き込みながら、今日最後の薬を調合していた。


村の子供が熱を出したという知らせを受けて、解熱剤を作っているところだった。


「お嬢様、今日はもう休んでください」


エマが心配そうに声をかけた。


「無理をしすぎです」


「大丈夫ですのよ」


アリシアは薬草を見つめながら答えた。


「この子たちと向き合っていると、とても落ち着くんですの」


トリカブトを見つめる。


祖父から教わった時は、これは恐ろしい毒草だった。


しかし、適切に処理すれば、優秀な鎮痛剤になる。


ベラドンナも、ヒガンバナも、全て同じ。


使い方次第で、毒にも薬にもなる。


「前世では毒で命を奪った。今世では毒で命を救う」


アリシアは薬草に向かって呟いた。


「同じ手で、同じ知識で......これが私の贖罪なのかもしれませんわね」


その時、薬草園の入り口に馬蹄の音が響いた。


エドワード王子の護衛隊らしき一行が、こちらに向かってくる。


またお見舞いに来たのだろう。


最近は月に一度のペースで訪れている。


アリシアはいたずらっぽく微笑んだ。


彼の訪問は嬉しかったが、まだ王宮に戻る気はなかった。


この薬草園での生活が、アリシアには合っていた。


人を救うために毒の知識を使う。


これこそが、アリシアが本当に望んでいた生き方だった。


夕日が薬草園を照らし、アリシアの影が長く伸びる。


咳き込みながらも、アリシアは確かに微笑んでいた。


祖父もきっと、この生き方を認めてくれるだろう。


護衛隊が近づいてくる足音を聞きながら、アリシアは最後に呟いた。


「あら、また『体調不良』を理由にお断りしなくちゃいけませんわね」


薬草園に、アリシアの穏やかな笑い声が響いた。


夕日が沈み、一日が終わる。


しかし、アリシアの新しい人生は、まだ始まったばかりだった。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。アリシアのように、一見わがままに見える行動の裏に隠された真実があるという設定にとても愛着があります。毒と薬は表裏一体というテーマ、書いていてとても楽しかったです。もしよろしければ、感想やお気に入り登録をいただけると、次回作への励みになります。


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