籠の断絶
注意も啓発も
それが自分に言われていると思うことがない
明らかな断絶がそこにある
“自分はもっとマシだから”だからすれ違いが止まらない
あらゆる人に“それ”は届けられようとしている
無論あなたにも
だけれどあなたはそれに完璧に気づかない
“だって私は間違ってなどいないのだから”
断絶があなたを守っている
まるで籠の中のよう
“それ”に気づいたら自分が壊れてしまうから
自分が他人にものを言われるのが許せないから
一番届けたい人に届かない
あなたは決して自分の非を認めない
自分も間違っているのかもしれない、という可能性を変えない
誰が何をどうしようが響くことはない
“わからない”が怖いから、最初から拒絶する
そしたらいちいち悩まなくて済むから
攻撃は攻撃のためではなく防御のためだ
自分は差別などしていないと思っている
わかりやすく石を投げたりはしていないから
だから自分は差別などしていないと思っている
そして差別は悪だと思っている
だから、“それ”は実は差別なのだと
あなたは実は悪いことをしているのだと
そう訴えられたら全力で抵抗する
“そんな馬鹿な”と
パニックになるのだろう
これだけのことを言い続けているのに
“これは差別などではない、ただ意見しているだけだ”
客観性がないのではなく本気でそう信じている
“だって、俺は石を投げたりはしてないもん”
わかりたい、と思っているなら
その時点で問題の大部分は解決されてるわけで
そんな発想自体が浮かばない人にこそ
届けなければならなくて
差別を差別だと認識できない人には
一体どうすればいいんだろう
どうかこの詩が
あなたに届きますように