“いいひと”が人を殺す
差別にはメリットがある
だからちょっとやめられない
ごく少数の人たちのことなんか気にせず
みんなでワイワイできるんだもの
でも差別を悪だと思っている
とんでもない、俺が悪だなんて!
だから俺は差別なんてしちゃいない
だって、俺は悪者じゃないもん
だからこれは差別じゃなくて区別
差別とは醜悪な人間が意図して行うもの、ではなく
普通の人間が無自覚に習慣で行うもの
いつだってそうだ
だから「差別の意図はなかった」という謝罪をする
別に悪さをしたなんて思っちゃいないけど
世間が“謝れモード”になってるから、とりあえず
いや本当に何が悪かったのかわからなくて
無知な人、嫌な人に嫌われるよりも
好きな人に嫌われていたのだと知った時の方が
辛い
差別は日常生活に根づいている
いい人であることと差別者であることは矛盾しない
いつだって俺を傷つけるのは
嫌な奴やどこかの誰かじゃなく
大切な身近な人たちだ
事実婚でいいじゃない
事実婚“で”いいじゃない
つまり差別自体は存在を維持する
差別をしていることに気づいてない
だからいとも簡単に酷いことを言う
自分の中ではあくまでも常識の範囲内だから
だから差別がそこにある
俺は差別なんて酷いことはしていない
だって俺には彼という友達がいるもん
あまりにも日常的であり、それは彼にとってすら
親友同士でも差別は存在する
ただあなたの無垢な善意が人を殺す
良かれと思って人を殺す
そしてそれを差別だとは認めない
だってあなたは“いい人”だから