神様
パリパリと、音がなるほどに枯れた榊をもち、母屋の横のボッチへと捨てに行く史郎が重い溜め息をついたのは、心労による物だけではなかった。
父が二年前に死に、残された家と共に、ある仕事を担うことになった。
その仕事とは、家にある神棚と氏神様をきれいに維持し、それを守ることだ。朝一番に雑巾を濡らし、母屋の天井近くにあるお社のてっぺんから磨きをかける、その寒さにまして、話しかけるやつがいるのである。
「ほらもっと綺麗にせんか。昔から人間はいつもそうじゃ。自分の都合の良いときばかり神頼みやら、生け贄やら寄越すくせに、普段はすっかり忘れて生きておる。それでなぜ、ご利益があると思うのじゃ。それはもはや傲慢ともとれるのう」
その神様は、物心ついたときからそこにいて、いつ見ても小さな子供の姿だった。年を取らず大きくもならない。存在を知ってから、もう30年近くそのままの姿だ。そして今も、古くさい着物に身を包んで神棚に腰かけてふんぞり返っておられるのである。今は、テレビの教育番組で英語を勉強しておられる。
史郎がその神様を神様と見れなくなったのは、なにがしかの恨みによるものか、あるいは呪いによるものかと思われたが、それが、その小さな足を史郎の肩に乗せて床に降りる時などにも、足場になることになんの嫌悪感も無くなっていた。むしろ、そうされることが当たり前のように感じていたし、世話をすることが楽しく感じるようになっていることが、非常に心苦しいのだった。
史郎はいつしか自分がロリコンなのではないかと思うようになっていた。(ロリコンというのは、児童に対してそういうような感情を持つ大人のことだ。)
史郎を見る神様の目は冷たく、まるで、テレビ視聴を邪魔する存在程度の扱いであるが、それでも全然構わないと思ってしまうのだった。
田舎ゆえに、友達も少なく、そのほとんどの交流も途絶えてしまっている。家の周囲も酷い草原で、畑をやっている人も年を取って土地だけが手入れされずに残っているような場所である。母屋の神棚のある、応接間回りにはぐるりとしめ縄がはられ、結界のように囲っているのだ。
町での仕事が終わって家に戻るころ、いつも母屋の縁側の窓が、ガタガタ音を立てて揺れている。あの、結界のなかで、出ることも出来ぬ小さな神様が、話し相手を求めて暴れているのを思うと、胸の中でモヤモヤとしたものが史郎には浮かぶのである。
「はい、今行きます」神社にあるようなしめ縄には意味があり、それは神様の住む世界とこちらを隔てるために必要なのだった。それが彼女の自由を奪っていることが分かるために、史郎は急いで部屋に入る。
母屋の二畳ほどもある大きな長机が揺れていた。その上にはお茶うけのお菓子が置かれていたが、その器は空っぽになり、乱暴に引き裂かれた包装紙が机のしたに投げ出されていた。
机の下を覗き込むと、朱色の着物に身を包んだ幼子が転がっており、ずいぶんとむすっとした表情で、睨んでくるのである。雪を押して作ったような、真白な手が机をバンバンと叩き、トンボ玉のような目が見てくるのである。
「おそいのじゃ!」
「今日はまた荒れておりますね」
「遅いんじゃ!毎日毎日なにをやっておる!」
「ですから、仕事をしています。あなたの食べるおやつも、そのお金で出ているのですよ」
史郎は言い聞かせるように身を引いて語気を強めた。うんうん、と聞いているような素振りを見せる女は首をかしげると、うなじの当たりに浅黒い傷痕がみえた。右耳は無く、穴があるだけの状態となっているがずっと昔からこうなので、もはや不便と言う事もないようであった。
「……他の女のとこ行ったのかの?」
「彼女いませんよ」
「年頃の男が夜遅くまで外に出ていて女の一人もいないのはおかしいじゃろう!」
神様は涙を浮かべ、少ない語彙のなかから必死に罵詈雑言を並べ立てた。
史郎は笑いながらケータイの通話履歴を見せた。
だが神様は検索履歴までチェックして、そこになにもないのをいぶかしんで余計にへそを曲げ、部屋の隅の方にこちらへ背中を向けて落ち着いた。話さなくなり、そのかわりに、白足袋を乱暴に脱ぎ捨てて放ってくるのだった。
こう言うとき、決まって史郎はほんのちょっと誓いを破ってしめ縄をはずすのだった。結界がとかれ、神様がその外に行けるようになる。
神様を抱き上げて、そっと誰もいない夜の縁側に連れ出した。すると、目尻のキリリと上がった目がトロンとして、満点の星空を焼き付けるように見るのだった。史郎がそうするのは、彼女とデートをしているような気分に浸れるし、また、秘密を共有することが二人の関係をより強固なものにしてくれると思っての行動だった。この箱入り娘を、触れることのない外の風に当てて自分の思いどおりにしたいと言う下心もあった。
ただ、女の方もあまり感じたことのない男の体温と、夜風の寒さと空の美しさに息を飲んで、吐くことも出来ずに、頭を笑顔に染めている。その姿を見ると史郎はいつも、もやもやとした言い知れぬ気持ちが胸にわくのだった。
史郎は思うことをぶつけるように⬛⬛⬛⬛⬛、⬛⬛⬛⬛⬛。