婚約者に浮気をされた令嬢は決意する。
『浮気するようなサイテー男なんて捨てちゃえばいいのよ!』
突然聞こえてきた声に私は周りを見回した。しかし、その声の主の姿はなく。ただ、人目を憚ることなく学園の中庭のベンチというとりわけ色々な場所から見られる場所で、仲睦まじく抱き合い口付けを交わすマルシアス様とシュリアル様が見えるだけだった。
私と二つ年上のマルシアス様の婚約が調えられたのは私が六つのときだった。
王妃腹ではあるが第四皇子で、女性も継承権のある我が国では数えて五番目の他の兄弟より遅くに生まれた子。継承権は第三位ではあるものの、すくすくと健やかに賢く育つ正妃腹の第一、第三王子、側妃腹の第二王子、第一王女を思った時にその方々より年の離れたたいして優れた才があるように思えないマルシアス様が「この子は余程のことがない限り王籍から外れるのだ」と判断された時だった。
私は筆頭侯爵家の第一女で、私を産んだ後、体を悪くされた女侯爵であるお母様の唯一の子。
王家以外一夫一婦制をかされる我が国において総領娘と言われる立場である。
国一番と言われる肥沃な穀倉地帯を領地とし、侯爵というには財を持ちすぎるカトリエール侯爵家だが公爵に陞爵するには王家との縁が遠すぎる。しかし機会があればその財を王家の縁戚としたい、と言う王家の思惑にまんまと乗せられるよう丁度よく生まれた年頃のいい娘。それが私だった。
初めてマルシアス様と顔合わせをした時の感想は「何て楽しくなさそうな顔をする子だろう」だった。
王妃様譲りの天使の輪が広がる金の巻き毛もロイヤルブルーと言われる王家特有の碧眼も何もかもが色褪せるかのようなつまらなそうな顔をした子ども。それがマルシアス様だった。
きっと彼にしたら不本意で望まぬ婚約だったのだろう。しかしそれでも、これは『王命』だった。私たちが嫌だと言ったところで履行される運命の婚姻。
それなのに彼はまるで私が彼との婚姻を望んだかのように振る舞い、婿に入る立場でありながら私に冷たく当たってきた。
夫婦となるのだからいつか私に優しくしてくれるのではないか。王命なのだから私を大事にするのではないか。と思っていた時期もあったが、そんな幻想は十歳の頃には打ち砕かれ、王命を履行しなければならないという貴族としての矜持だけが支えだった。
マルシアス様は人前であろうがなかろうが私の小さな失敗を論って貶して貶める。二言目には『王族にたいして不敬である』と威張り散らす。自分の失敗を、まるで私が失敗するようにお膳立てしたかのように言い募る。
それはもう、寄子である伯爵令嬢やはては騎士爵の令嬢、王宮のメイドまで心配するほどの冷遇振りをあちらでもこちらでも発揮してくれた。令息達は従兄である伯爵令息を除いて『私は何も見ていません!』と言う態度だったが私は見ている。私は君達を好まないのが世の定石となった。私は受けた恩を忘れることはないが、受けた謀りも忘れない。覚えていろよ!
そんな令嬢にあるまじき思考回路がなぜか時折もたらされるという謎にピタッ!と答えが合致したのが冒頭の声が聞こえた時だった。
どうも仔細は曖昧なのだけれど、どうやら私は別の国で生きた魂が生まれ変わってこの国に生まれたらしい。
かの魂がいささか残っていたために貴族令嬢らしくない思考が生まれるのでは?と欠片のような前世の知識で導き出した。
断片的に思い出される鉄の馬車だとか、空飛ぶ人を乗せる鳥だとかの仔細は思い出せないが、前世での記憶が言っている。
『浮気野郎はマジで滅びろ』
と。
そうなれば話は決まっている。
マルシアス様を許せない今の気持ちと前世の気持ちが合わさった私の心は一つ。
マルシアス様絶許。
私は女子校舎から中庭へと踏み出そうとしていた足を引っ込め、女子校舎入り口の守衛に今すぐ我が家への馬車を手配して欲しいと頼んだ。まだ午後の授業が残っている、と守衛が驚いているがそんな事は今の私には関係ない。一分一秒でも早く私は浮気野郎との婚約を解消したいのだ。
と思って突撃したお父様がまさかの浮気肯定派で私、流れる予定だった涙も枯れ果てました。
「そのような些細なことで悋気を起こすな。婚姻する頃には熱も冷めているだろう」
なるほど。ならば戦争だ!と思い立った私が向かった先はお母様のお部屋だった。勿論言葉のあやであって戦争を起こすつもりはこれっぽちもない。今は。
「マルシアス様の不貞を訴えましたらお父様に我慢するように言われたのです…やはり男性は男性の味方なのでしょうか…私には、とうてい理解が…。せめて私だけを愛してくださる方と婚姻を結びたいと、それが過ぎた願いだとはわかっているのです。ですがお母様達のように愛し合える夫婦になりたいと、ただそう思って私は…」
私の母は控えめに言ってとても嫉妬深い人です。それはもう、お父様に話しかけるメイド頭(推定お父様の20歳年上。既婚。お母様が幼少の頃より仕えている。もうすぐ初孫誕生)を見ただけでついうっかり手に持った扇をギチッと鳴るほどに握りしめる程度には。過激に素敵にお父様一筋の方なのです。
そんなお母様がカッと目を見開いたかと思うと止める間もない程の素早さでお父様の元へと向かわれました。いつもの嫋やかに淑女の鑑のように行動されるお母様との差に思わずポカンと口を開けそうになりました。半開きのところでお母様付きのメイドと目が合って慌てて閉じたので事なきを得ましたけれど。
可及的速やかにお父様の元へ行ったお母様の話し合いは私のあずかり知らぬところでとても激しかったと聞いています。お母様を見送った後メイドに促されて自分の部屋へ帰った私は仔細は知りませんが。
思ったよりお母様過激に反応したなぁと思ったのでこっそりとメイド頭に聞いたところ、どうやらお父様も学園在学中にいい仲になりそうだった令嬢がいたらしい。もちろんその時点でお母様がお父様の婚約者である。しかもお父様は入り婿(予定)である。今現在が昔に比べたら丸くなったと言われるお母様がそんな女の存在を許すか?
答えはもちろん否。
今でも同年代の方々の昔話として話にのぼり、件のご令嬢(今は夫人だが)はお母様を見たらそっと姿を消し、お父様は学園にいた頃の事を語りたがらない。
つまりはまあ、そう言うことだ。世の中知らない方がいい事だって沢山ある。『旦那様はお家に閉じ込められてないだけ良かったと思うんですけどねぇ』と物騒な事をのんきに言うメイド頭の口を私はそっと閉じさせたのだった。
事件が起こったのはお母様がお父様をギッチギチに締め上げて話し合って王宮に送り出した日の晩餐だった。つまりはギッチギチ事件の翌日である。
「婚約の件だが、陛下に相談したところ『若いうちの気の迷いだろう』という事で話はついた。陛下が直接ご注意頂けるとのことで継続になった」
「…今、なんとおっしゃいました?」
まるで明日の予定を言うかのように、ついでというていで言ったお父様の言葉を聞いたお母様は…控えめに言って般若だった。
思わず食後のデザートを持ってきたメイドと手を取り合って震えるくらいには、とても、般若だった…。
「ちょっと、夫婦で話すことが出来てしまったみたいなの。ミニー、食べられそうなら私の分も食べてちょうだい。無理そうならメイド達に分けなさい」
ふふっと淑女的な微笑みを浮かべながら去っていくお母様の後ろを絞首台に向かう罪人のように使用人に抱えられて着いて行くお父様。
私は隣にいるメイドと視線を交わし、何も、なかったのだと思ってしずしずとデザートを食べた。もちろんお母様のデザートはメイドたちに分け与えた。食べたかどうかは定かでは無いけれど。
その後の事は「私は何も見なかった」と早々にベッドに入ったから知らなかったのだけれど、そっと聞いたらメイド達が教えてくれた。とても、峻烈でした、と。
細かいところについては私に教えるべきではない、と詳細は伏せられたが、峻烈な話し合いが始まる前に王宮へと送られた使者の帰りを待って話し合い後のお父様を連れて登城したお母様は王妃様ととても、それはとても微笑ましく話し合いをしたらしい。付き従った侍従頭によると二度と経験したくないくらいの微笑ましい話し合いだったそうな。同じ空間にいたはずなのにもはや空気と化していたお父様と国王陛下は肩身が狭そうだったとかなんとか。
そして王妃様の後押しもあり私とマルシアス様の婚約は即日に解消された。
白紙撤回ということも考えられたらしいけれど、マルシアス様の非を明文化し、きっちりと慰謝料を払うために必要だったらしい。この国の法律は中々に王族に優しく出来ているのだ。王制なので仕方がないことではあるけれど。
そんな国において王家の今後のために成されたと言っても過言では無いこの婚約を蔑ろにするようなマルシアス様のことを王家の子育ての仕方故か何なのか王妃様がなんでも許すほど溺愛していなかった、というのも要因らしい。幼き頃より王家の一員となって国のためにあれ、と育てられた公爵家出身の王妃様はなによりも国を愛していた。国に対する悪であれば我が子であっても切り捨てる程に。
しかしその前提があってかつ私の涙の訴えがあったとはいえ、王妃様もよく婚約破棄を後押ししたなぁと思ったら、思いの外マルシアス様の浮気は学園内では有名で教師から王家へときちんと報告されていたらしい。私はそういった噂がある、と聞くだけで直接的な場面を見たのは前世の声が聞こえたあの時が初めてだったが、多数の生徒や教師が私が見たのと似たり寄ったりの場面を目撃していたらしい。
憂鬱になるだけだからとなるべくマルシアス様に関わらないようにしていたために事態を知らなかった私が気付いて行動するまではマルシアス様に注意はするが婚約に関しては触れない、という国王陛下の意向だったらしい。国王陛下の意向もあってマルシアス様の件は国王陛下と数名の重臣のみしか知らなかったらしく、そのことに関して両陛下の間で何やらあったらしいが…それこそ私の与り知らぬところである。
もしあのまま私が知らずにいたならそのまま婚姻していたのかと思うと、あの日気まぐれに中庭に行こうとした自分の行動をとても褒めたいと思った。
前世の声が聞こえたタイミングと合わせると、もしかしたらあれは神のお導きだったのかもしれない。今日から就寝前のお祈りの時に感謝を捧げなければ。
そして婚約破棄からいくらか日のすぎた今日。
国からの賠償金の算定をしている段階であって慎ましく過ごさねばならないマルシアス殿下とシュリアル様に午後の英気を養うランチを邪魔されているのはどういう事なのだろうか?
これまでも「この人、婚約解消されたって知らないのかしら?」というくらいうっとおしいほどに微に入り細を穿つように貶してきたり、嫌味を言ったり、わざわざ私の前でシュリアル様とイチャついてみたりしてきた。
その度に賠償金メーターがチャリンチャリンと音を立てて回っていたというのにこの人達はなんの説明を聞いていたのだろうか?
きっとマルシアス殿下付きになってしまった財務庁の人間が寝込むくらいには何も聞いていなかったのだろう。
因みに若かりし日に手を出したメイドの忘れ形見、とつい情に絆されてシュリアル様を引き取った男爵は王宮の使者からの一連の説明を聞いて貧血で倒れたあと寝込んでいると聞く。それを取り敢えず甲斐甲斐しく世話する奥様はずっと「あんな学も品もない娘を引き取るなんて言った時に私の反対を押し切ったから!」と言うような事を言っているらしい。どこの家庭も一番現実的なのはお母様なのかもしれない。
「聞いているのかミニエット!」
冷めていくランチを勿体ないと見ながらなんとなし数名の行く末や母は強しを思っていた私の思考を現へと戻したのはテーブルを叩きながら叫ぶマルシアス殿下の言葉だった。その反動でランチのスープが跳ねて少し零れてしまった。勿体ない。
「お前は自分が侯爵令嬢である事を鼻にかけて私の友人であるシュリーを虐めていたであろう!シュリーが恐れず訴えてくれたから分かったものの、今までどれだけの私の友人をいじめてきたんだ!そんな性根の悪い奴に王子妃が努められるとは到底思えんな!」
重ねられる言葉は意味のわからないものであって、運の悪いことにマルシアス殿下に叩かれているテーブルのすぐ近くに座っていた友人に目配せしても「私も分からない」と言うように首を傾げられるだけであった。
殿下の言葉を正しく理解するならばシュリアル様以外にも似たような女性が複数名いたという事になるのだが、殿下はそのことをお分かりなのだろうか。
視界の端に居る王宮から遣わされた書記官がいい笑顔を浮かべながら文を書き付けているのを見て、やはりそうかと思った私は微笑みながら立ち上がってひたりと二人を見据えた。
ただ立ち上がっただけだと言うのにまるで私に害されるとでも言うようにシュリアル様を背に隠すマルシアス殿下を見てもなるほど分からんと言う感想しか抱けない。初めて二人を見た時のような心を引き裂かれるような痛みも、悲しみも、怒りも一滴として私の中には存在していなかったのだ。それのなんと清々しい事。
「お二人の言いたいことはよく分かりませんけれど、私は王子妃になるのでは無く母の跡を継いで女侯爵になりますし、そちらの方とはお話した事もございません。それと、私と殿下はもう繋がりのない関係となりました。名前で呼ぶのはお止めください」
「貴様はそうやって私達を煙に巻くつもりだろう!」
即座に噛み付いてくるマルシアス殿下を見て思う。これは頭痛が痛い案件ではないか?と。
つまりは相手をしたらこちらが馬鹿を見るやつである。
視線をやれば寄子の令嬢達をまとめる令嬢と寄子の令息達をまとめる従兄が軽く頷く。
寄親の一大事を少なくともこの二人が大なり小なり把握しているならばあとは任せてもこちらが困ることはないだろう。ならば私は馬鹿の相手などするだけ損である。
「そちらにとってはその様に思うのかもしれませんが、私にとっての事実は事実でございます。では、あとは法廷にてお話しいたしましょう」
軽くカーテシーをして周りに目配せをすれば数名の寄子の令嬢が立ち上がる。それは私とマルシアス殿下の婚約が調ったことで王族派との婚約が成った令嬢だった。
その令嬢達の婚約者である令息達は驚くもの、仕方ないと苦笑するもの、令嬢と頷きあうものと反応は様々で、いくつか婚約を見直さなければならないな、と思案を巡らしそうになるが今はその時ではない。
立ち上がった子女に驚き抱き合う二人に一瞥もくれることなく私達は女子校舎へと帰っていった。
そう、女子校舎である。
鉄の馬車が走っていた前の世では簡単に男女が同じ空間にいたようだけれど、今世の貴族社会ではそれはとても難しい。
紳士淑女教育が始まる三歳頃から父母兄妹であっても異性であれば二人きりで会うことは出来ず、傍らには常に侍従や侍女がいた。
もちろん学舎は隣接していれどきっちりと分けられ、男女が入れるのは食堂か中庭のみ。そこであっても婚約者以外と共にあるのははしたないという倫理観の社会である。
それならば男子校舎と女子校舎を物理的に離してしまえばいいと思うのだが、あまりにも男女を分け過ぎていたがために政略結婚だとしても看過できない程の色々な事の不一致による離婚も含むお家騒動が多々発生し、学生という婚姻前の最終期間に交流という名の擦り合わせをすべきでは?となったらしい。時の女王陛下がこの問題に関してとても力を入れていたとの記述がある歴史書もあるので色々と重大な問題だったのだ。
そんなわけで本来ならば婚約者との仲を深める場とすべき学舎において、なにやらあって仲を深めたらしい婚約関係では無い二人のことを知る者達が心良く思っていないという事に気付かないのは本人達だけであろう。
火遊びをして婚約破棄をされながら、元婚約者に火遊び相手を虐めたとありもしないことを論う浮気男。
世間がどちらの味方をするかは火を見るよりも明らかではあるが、私はもう彼らと関わりたくないのだ。だからこそ王前裁判ですべてを詳らかにしてもらおうと思った。
校舎に向かってから軽く令嬢達に今後について指示を出し帰宅した私はその足でお母様の元へ向かった。
この時間、お父様が王宮へ出仕していたというのもあるが度重なる浮気男擁護発言でお父様への信頼度が地を這っていたのだ。今回のこともよく分からない若気の至りですまされる可能性がある。
もちろん私はそんなものですますつもりは無いのでお母様に全てをご報告し、余所事に思いを馳せていた時の事については書記官の報告書も交えて話した。
「まったくよくは分からなかったのですけれど、マルシアス殿下は未だに私が婚約者であると思われているようですし、シュリアル様を虐めていると思われているようです。さっぱり分からないのですけれど」
「貴女と殿下の婚約についてはしっかりと解消されましたし、殿下には王妃様がしっかりとお話しくださるとおっしゃっていたのだけれど…。やはり王家にのみ許された側妃という制度が…いえ、愛人や妾を持とうなどという殿方の考えが…そもそも火遊びとはどういう事なの…?ああ、でも応じる娘がいるという事よね。いっそそういった気質の者を根絶やしに…」
「分からないので前お話しくださった王前裁判についてお話を進めてください!」
結構大人数の浮気者根絶やし計画を呟き始めたお母様の声を遮るようにして話を進める。このままでは始める予定のなかった粛清という名の戦争が始まってしまう。それはよくない。
元々裁判については浮気する者絶許派のお母様と王命軽んじる奴絶許派の王妃様が『事の次第をつまびらかにし今後このような事が無いようにしたいしなんなら厳罰を与えたい』と猛烈にプッシュしていたのだ。それを殿下なのか我が身なのかは分からないが、まあ何かが可愛いおっさん達(国王陛下とお父様)によって止められていた。
二人の悪行については学園に通っている子女から親へ伝わり、そこから茶会や夜会で広まって…という現在はあくまで噂話程度のさざ波ですんでいる。もちろん婚約式まで済ませている私達の婚姻が成されなかったとなれば何かがあったことは明白であるし、あからさまに我が家を手に入れたがっている王家が手を引いて我が家に咎めがないということはそういう事なのだとほとんどの貴族が思うようになるが、それは婚姻が成されなかったと分かる数年後である。
対して王前裁判はその内容から結末まで全て王家発行のお触れとして国中の貴族領地本邸の告知板に貼り出されるのである。余すことなく端から端までの貴族領地である。
基本的に何かがあっても当事者より上の者が仲介することで丸く時には過激に収められる我が国において王前裁判沙汰になるものは余程の罪を犯しての見せしめ的なものか、余程こじれてどうにもならず王家の仲介を必要とする場合だけである。近年だと長年にわたる横領がばれて領地没収となった子爵家の件と伯爵家の他家も巻き込んだ泥沼の後継争いくらいである。
そんな王前裁判にかけられたら爪弾き者を通り越して社会的に抹殺案件である。
止められなかったと一族の者や寄親寄子は後ろ指を指されるし、本人達はえてして領地に引っ込んで残念ながら病にかかられることが多い。
市井で紛れて生活しようにも娯楽の少ない今世において王前裁判は滅多にない娯楽事項である。
日頃溜めている貴族へのうっ憤を晴らすように市井の人々はお触れをみて色々な事を噂するのだ。自分の事を面白おかしく噂されるような場所でプライドのやたら高い元貴族が平穏に暮らせるか?と言えばもちろん無理である。
王前裁判にかけられたならばそれはもう暗い未来しか約束されていないのと同義なのである。
もちろん私側にダメージがないわけではないが今回の事に関しては『王命を蔑ろにしたものがどうなるか』という事に焦点を当てた裁判となり、お触れには我がカトリエール侯爵家の名は出さないよう王妃様が取り計らってくださると聞いている。市井の者たちはマルシアス殿下が誰と婚約しているかだなんて貴族と繋がりのある者しか知らないし、知っている者達はそのように取り計らわれるとはどういうことなのかを分かっている者達であり、我が身可愛さに口を閉ざすであろう。貴族も然りだ。
なので今回の事で諸々の雑事はあるが私側にダメージはあってないようなものなのである。
そんな大事すぎる裁判が終わってお触れが交付されてどうにか落ち着いた日々がやってきた。
もちろん二人の有責で全ては結審し、有史始まって以来の王族が王命を破ったことで裁きを受けるというとんでもない判決が出た。
マルシアス様は継承権を剝奪されそれによって心を病まれて緑と新鮮な空気が存分に味わえる離宮で静養。シュリアル様は王家が肩代わりした賠償金を払う為に女性向けの強制労働所送り。シュリアル様の実家は降爵して領地を取り上げられ準男爵に。王家は数年の外交以外の社交の制限とそれに伴う税の引き下げなど色々ととんでもないお触れが交付された。
ついでのように調査の報告としてあげられたシュリアル様以外の浮気相手達は相次いで急な結婚が決まったり病にかかったりして退学していった。あの方は一体何のために学園に通っていたのか疑問は募るが考えても仕方ない事である。
私とマルシアス殿下の婚約に関連して決まっていた寄子の令嬢・令息の婚約も何件か見直されることになって各家の当主が頭を悩ませているようだが詳しい内容までは分からない。少しでも幸福な婚姻が増えるのを祈るばかりである。
次の婚約者はまともな方であればいいと思いながら過ごしていた静かな日常を打ち破ったのはお母様から渡された一通の手紙だった。
「レティシア殿下からのお茶会のお誘い、ですか…」
しっかりと押された封蠟の紋章は間違いなく第一王女殿下を示すカトレアで、半信半疑ながらも促されて取り出した手紙に施された透かしは王族のみが使用を許された王家の紋章であった。
「先日王宮に伺った時にたまたまお会いしたのだけれど、ミニーの状況に心を痛めておいでだったわ」
「そんな…殿下には王宮に伺った際には良くしていただきました。マルシアス殿下に理不尽になじられている時にもさりげなく庇ってくださって…。直接お声がけいただいたことはありませんが殿下にはとても感謝しているのです」
「だからかもしれないわ。殿下がおっしゃっていたの。『わたくしは女子を蔑ろにする者にほとほと愛想が尽きたのです』と」
「それは…」
思わず手に力が入りそうになり慌てて手紙を握りつぶさないよう持ち直した。
その言葉はあの日置いてきたはずの胸の痛みにそっと手当をされたような心持にさせた。ずっと見て見ぬふりしてきた、あの声が聞こえる前の、ずっと虐げられ踏みつけられながらも家のために王命に従うのだと耐えていたあの頃の自分を、ようやく憐れむことが出来た。受け入れることが出来た。
私にとって殿下からの言葉は王家からの何よりの賠償のように思われた。
「ミニーの婚約者はミニーがいいと思った人が良い、と私は考えています」
「お母様…」
「お父様は色々と考えているのでしょうけれど、断れなかったとはいえマルシアス様との婚約を調えたのはあの人ですもの。嫌とは言わせません。私の体調も安定してきたし、ミニーに引き継ぐためにもそろそろ外向きの仕事も私がしようと思っているの」
「それは、そう、ですね」
うっかり飛び出そうだった「お父様を屋敷に閉じ込めるためですか?」という言葉を飲み込んだがために何とも言えない返事をしてしまったがお母様の言葉は純粋に嬉しかった。もう王命だからと、カトリエール家のためだからと自分の心を押し殺さなくてもいいのだと。あの時の私の決断は間違っていなかったのだと、そう思えた。
「殿下とのお茶会、どのような装いがいいか一緒に考えてくださいますか?」
「もちろんよ。この前仕立てたデイドレスはどうかしら?庭園でとのことですから明るい色がいいでしょう?」
「あのドレスは気に入っているので殿下にお見せできるならとても嬉しいです」
「小物もせっかくですから新調しましょう。オーダーするのに時間が足らないのが残念だわ…」
レティシア殿下とのお茶会がどのようなものになるのかは分からない。
しかしあの言葉をくださった殿下とのお茶会が憂鬱なものになることはきっとないだろう。そう思うと、ただのお茶会が希望への扉のように思えて心躍る気持ちになっていく。
私の人生がどうなるのかはわからないことの方が多い。
女侯爵としてきちんとやっていけるのか。新しい婚約者と幸せな未来を築けるのか。良かったと微笑みながら旅立てるのか。
思い描く幸福な人生になればいいとそう思っているけれど、例えどんな人生になったとしてもこれだけは自信を持って言える。
私があの時、婚約者の浮気を許さなかったのは人生で一番の英断だった、と。