クロイツァー嬢の異変
9/10.2023改稿済み
イーサンは、いきなりとんでもないことを口走るアレックスを、ローザの部屋から引きずり出すと、クロイツァー家の使用人の目を避けて廊下の隅に移動する。
「アレックス、何を言い出すんだ。お前は彼女を嫌がっていたではないか?」
「しかし、僕が彼女をエスコートしていたのは事実です。だから、僕は責任を取らなくてはなりません」
苦悩に満ちた表情でアレックスがイーサンに訴える。
「クロイツァー卿から何か言い含められたのか?」
イーサンが柳眉を寄せる。
「クロイツァー嬢がどこにも嫁にいけない傷を負ったと」
二歳下の甥の言葉を聞いて、イーサンがあきれたような顔をする。
「そういうことか……。しかしいずれにしても、責任をとって妻にするなどやめておいた方がいい。独身の私が言うのもなんだが、そういう結婚は往々にして不幸になることが多い」
イーサンがアレックスを気遣うように言う。
「しかし、額に傷のある令嬢など、誰がもらうというのです?」
「大丈夫だ。クロイツァー家ならば、いくらでも貰い手はある。この家には権力もあり、財力も有り余っているのだから。彼女はある程度、好きな殿方を選ぶことができるはずだ。お前が心配することではないよ」
きっぱりと甥に言い放つ。
「そうおっしゃられても」
困惑するアレックスを見て、イーサンはため息をついた。
「お前は少し真面目過ぎるぞ」
「そんなことはありません。それより、叔父上、少しクロイツァー嬢の様子がおかしくありませんでしたか?」
アレックスが顔を曇らせる。
「まあ、元から彼女はあのような感じではないか?」
何かと騒動を起こす令嬢だが、イーサンはさしてローザに興味はなかった。
「そうだな。頭を強打したことにより、記憶の混乱がみられる。念のため彼女の周りの使用人たちから、話を聞いてみたが、以前とはだいぶ様子が違うらしい」
イーサンは淡々と答える。
「そう……ですよね。僕は、逆に彼女の方から、責任を取ってくれと言われるかと思っていました」
アレックスが困惑したような顔で答える。
「目覚めたばかりだからかもしれないが、今のところは、おとなしく指示に従う、いい患者だ」
イーサンも今までの彼女のイメージからして、腑に落ちないでいる。
だからと言って憶測だけで語りたくはない。
それほどローザを知らないからだ。
「おとなしい? クロイツァー嬢が?」
アレックスが目を見開いた。
「ああ、患者としては模範的だよ。早く治したいようだ」
実はローザの悪名は社交界に轟いている。実際にイーサンも何度か色目を使われたことも幾度かあった。
しかし、それはローザ以外の女性も一緒で、取り立てて彼女が違うわけでもない。
「クロイツァー嬢に何か魂胆があるのでしょうか?」
アレックスは依然として困惑しているようだ。
「いずれにしても、本人が責任を取ってもらわなくてもいいと言っているのだ。お前の方から。わざわざ言う必要もなかろう」
「いえ、それでは、誠意というものがありません」
アレックスは生真面目な表情を浮かべる。
「相変わらず真面目だな。彼女はいまのところ何の問題もない。けがの回復も順調だ」
イーサンは先走るアレックスを説得して城に帰らせた。
◇◇◇
そのころ、ローザは二人がいなくなった部屋でくつろいでいた。
アレックスにプロポーズされたときには焦ったが、きっとローザのことが気に入らないイーサンがうまくアレックスを説得しているだろう。
「お嬢様、お茶をお持ちしました」
ヘレナが軽食と紅茶の乗ったワゴンを押して部屋に入って来た。ちょうど喉が渇いていていた。
相変わらずヘレナは仕事ができる。前世の日本でなら、出世コースに乗っていたことだろう。
「お嬢様。殿下のプロポーズ断ってしまってよかったのですか?」
ものすごく不思議そうに、ヘレナが直球で尋ねてくる。
今までにはないことだ。最近のヘレナはずいぶんローザに打ち解けている。
「ああ、あれね。いいのよ。責任取って結婚するだなんて。たいていそんな結婚はろくなことにならないから」
あっさりと言うローザに、ヘレナはぎょっとした表情を浮かべた。
「あの……、お嬢様は今おいくつでしたっけ?」
「ふっ、私は十七歳よ。いやあねえ、主人の年齢も忘れたの」
ローザは改めて、自分の若さを嚙みしめた。
(若いって素晴らしいわ! お肌もつやつやだし)
「いえ、私のご主人様はお嬢様ではなく、旦那様なので」
きっぱりと言うヘレナにローザは遠い目をした。
「はあ、あなた、そんなんじゃあ、出世できないわよ」
ローザの言葉にヘレナは不思議そうな顔をする。なぜなら、メイドにあるのは先輩と後輩だけだからだ。そしてヘレナは平民でこのままえらくなることはなく、せいぜいが古株になるくらいだろう。
「私は、元気で働ければ、それでいいのです」
ヘレナが答えると、ローザは頷いた。
「そうよね。人間健康が一番。それに命あっての物種よね」
ローザの言葉に再び彼女は驚いたような表情を浮かべる。
「お嬢様、なんだか、最近変わりましたね。ひどくお年を召したようなことを」
なにげに失礼なことを言うメイドである。
「そりゃあ、一度死にかけたから。なんにせよ、これからも末永くよろしくね。私、嫁に行かないかもしれないから」
「え? お嬢様それは問題では?」
ぎょっとしたようにヘレナが問う。
最初は表情の乏しいメイドだったのに、ここのところ表情豊かになってきた。
「問題ないわ。私、気づいちゃったのよ。殿方にもてないって。
結局、私に近付いてくる殿方は皆財産目当てなのよ。そんな奴らと下手に結婚して、財産を奪われた挙句、用済みとばかりに殺されたらたまったものではないわ」
ローザはヘレナの淹れる熱い紅茶に口をつける。
そんなローザの変貌ぶりにヘレナは目をぱちくりとした。