推しの登場。だから何?
「まさか私が、愛読していた漫画の脇役悪役令嬢になっているだなんて! 毒殺も没落も絶対にいや! 前世社畜の私が、せっかくお金持ちに生まれたんだから、いっぱいお金を使って、絶対に幸せになってやるんだから!」
ローザは右手に手鏡を握りしめ、左手でガッツポーズを決める。
「お嬢様、さっさと寝てくださいませ」
ヘレナが妙に目をぎらつかせたローザに、気の毒だとでもいいたげな視線を送ってくる。
「ヘレナ、私寝すぎてもう眠たくないのだけれど」
「あれは寝ていたのではなく、昏睡状態だっただけです。今のお嬢様には休息が必要です。それに旦那様も奥様も心配されていますよ」
そう彼らは、額に傷を持つ娘を見ても「生きていてよかった。愛しているよ、ローザ」と叫ぶほどの親馬鹿たっだ。
両親に愛されているって幸せ。
ローザの前世がどうだったかは定かではない。
なぜなら社畜で過労死した記憶しか残っていないから。
かくしてローザは、問答無用でヘレナに手鏡を取り上げられ、寝かしつけられたのだった。
◇
「お嬢様、閣下が診察にお見えになりました」
ヘレナ声を夢うつつに聞いた。
前世を思い出していたせいか、昨晩は興奮して目がさえていた。明け方ごろから爆睡して、目が覚めたら昼下がりだった。
ローザは今、閣下ことイーサン・グリフィスに、馬にけられた傷の治療をしてもらっている。
目の前のイーサンは超絶美形である。
切れ長な目は翠玉をはめ込まれたように美しく、さらさらな銀髪をしている。漫画内での出番は少なかったが、
前世のローザの推しキャラで、密かに人気のあったキャラクターだ。美貌が眩しすぎて頭痛が増す。
イーサンは国一番の治癒師であり、王弟でもある。側室の子で王位継承権第七位であった。しかし、優秀なイーサンは数々の功績が認められて、現在肥沃なグリフィス公爵領を得ている。
現在独身の彼は、貴族令嬢垂涎の殿方である。
しかし、ローザはそんな超絶美形な彼も気にならないほど、せわしなく思考し続けていた。
どうすれば、自分は助かるのかと。
物語の中では、この馬に蹴られた大きな傷がもとで、ローザはアレックスと婚約することになったのだ。
確かローザとクロイツァー家が責任を取れと、ごり押しした気がする。
そんな大切なことを、つい先ほど思い出した。
このままいけば、アレックスと婚約し、挙式の半年前に毒殺されてしまう。
冗談ではない。
悪役令嬢とはいえ、今世は社畜でもなく、財政豊かかつ権力のある名門侯爵家の令嬢に生まれたのだ。
貴族令嬢としての生活を謳歌しなければ気が済まない。
(この地位と金を利用して自身の力で人生を切り開くのよ! 会社のために身を粉にして働くのではなく、自分のためだけに有意義な人生を送るわ)
だから絶対に毒殺されるわけにはいかないのだと、ローザは決意を新たにする。
◇
治療が終わり、イーサンが辞去した部屋にはローザとヘレナが残された。
「ねえ、ヘレナ、私、アレックス殿下の婚約者になること、あきらめようと思うの」
今までの行動をあらため、自分を疎ましく思っているアレックスの婚約者には絶対にならない。
「それは本当でございますか! あれほど追い回していらっしゃったのに!」
ヘレナが大きく目を見開いて驚いて叫ぶ。
このメイドの口の利き方はどうにかならないものだろうかと、ローザは痛む額に手を当てた。
「だって、恨まれたくないもの」
「お嬢様。どうなさったのですか? 今までそんなこと、まったく気にもなさらなかったのに」
ヘレナが衝撃を受けたようにわななく。
彼女のその反応で、いかに今までの自分がアレックスにしつこく付きまとっていたかが想像つく。
そういえば、何かしら用事を作っては、せっせと王宮に行ってアレックスの姿を探していた気がする。
前世でいえば、ストーカー。いや、財力と権力がある分それ以上にたちが悪いと言えよう。
そして残念なことにローザはクールな悪役令嬢ではなく、狡猾で陰湿な悪役令嬢だ。
だが、悪役令嬢だけあって、さすがに見た目だけはよかった。いやむしろ見た目以外が性格も含めてすべて悪すぎる。
ふとへこみそうになるが、ここで負ければローザが父の金を使って贅沢三昧の生活を送るという夢は潰えてしまう。
今までも十分贅沢をしてきたが、どちらかというとアレックスをストーキングしていた時間と、取り巻きと楽しくお茶を飲んでいた時間の方が長かった気がする。
基本ローザは人から持ち上げられたり、ほめられたりすることが大好きなのだ。
(私、どれだけおめでたい悪役なのよ。狡猾というより、馬鹿なの? 絶対、馬鹿でしょ?)
過去を思い出しげんなりする。
「ヘレナ、これからの私は違うわ。変わるのよ」
殺されない未来のために決意も新たに宣言する。
「ええ、今日は閣下を前にしても、お静かでしたものね」
ヘレナが感心したようにうなずく。
そこで、ローザはハッとする。
イーサンにも秋波を送っていたことを思い出した。
(ああ、なんて恐ろしいの。私ったらとんでもない女だったのね! 世の中のすべての男は皆自分のことが好きだと思いこむなんて! そりゃ、確かに美女だけれど。かわいさのかけらもないわ)
ローザは頭痛と共に、よみがえった今世での己の黒歴史に身もだえた。
「ああ! どうすればいいの、私! 恥ずかしくて、外も歩けないわ!」
バンバンと枕をたたいているとヘレナが慌てローザを止める。
「ええ? お嬢様、いったい、どうなさってしまったのですか!」
前世の記憶が戻るまで、アレックスに疎まれているなど、これっぽっちも気づいてなかった。
だが、今ならばはっきりとわかる。
そして漫画の中では、アレックスはすでにエレンと出会っていて二人はひかれあっている。
(私はアレックス殿下から嫌われていた。ついでに推しのイーサン様からも)
ローザは二人から冷たい視線をちょいちょい送られていたのを思い出す。
「つらいのよ。ヘレナ。つらすぎるわ」
ヘレナはすっかり情緒不安定になったローザをどうにかなだめすかした。