天才美少女科学者レベッカちゃん~ゴミ箱から自称アインシュタインの子孫が出てきたんだが~
空き缶を投げ捨てた先が異空間だった。あなたにはそんな経験があるだろうか?
俺にはある。……いや、厳密に言えば、今この瞬間、目の前でそんな現象が起こっている。
そして、さらに正確に言うならば、冷蔵庫の横に置いたゴミ箱に空き缶を投げ捨てた瞬間、
「あ痛っ!?」
という少女の声が聞こえてきたのだ。
その声に驚いて覗き込んでみたら、そこには真っ黒な空間が広がっており、たんこぶのできた頭がひょっこりと出てきた。
ゴミ箱にシュートされるはずだった空き缶は弾き飛ばされ床に転がっていった。
「な、なんだこれは!?」
そう叫んだのは俺、平賀源太。どこにでもいる理系の大学生だ。
そして、ここは俺が借りているアパートの一室であり、手狭ながらも俺だけの城であったはずだ。
にもかかわらず、女性はおろか、男友達すら連れ込んだことのないこの部屋で、見知らぬ少女の声が聞こえてきたわけだ。そりゃあ驚く。
やがて頭だけではなく、小さな右腕も伸びてきて、ゴミ箱のふちをがっと掴むと、ぐいっと全身を引っ張り出した。
それはまるでB級ホラー映画のワンシーンを観ているかのような光景だった。
そうして出てきた少女は背も小さく小学校低学年くらいの体格に見えるが、それにしても明らかにゴミ箱のほうが小さい。
どういう物理法則なのかまったく理解ができず、俺はただ目を白黒させるばかりであった。
「もー、誰ですか!? 空き缶のポイ捨てをしたのは!?
ちゃんとゴミはゴミ箱に捨てなきゃダメじゃないですか!?」
「いや、それは俺の家のゴミ箱なんだが……」
少女はぷんすか怒りながら、ゴミ箱から抜け出すとスカートについたほこりをぱっぱっと払うと、俺のほうに向き直った。
ややウェーブのかかった肩くらいまでの短いブロンドの髪と宝石のようにきれいな青い瞳は、その少女が日本人ではないことを雄弁に語っていた。
そして、洋服の上には白衣を着ており、右手には何やらアニメに出てくる魔法少女が使うようなキラキラしたステッキがあった。
「あなたですね!? かわいいボクの頭にたんこぶを作ってくれた人は!
ボクをキズ物にした責任、ちゃんと取ってください!!」
「いきなり現れて人聞きの悪いことを言うんじゃねぇ!!
お前こそ不法侵入だぞ!? 一体なんなんだよ、お前は!!?」
「ほっほーう? ボクの正体が気になると? いいでしょう、教えて差し上げましょう!!」
そこまで言うと少女は右手のステッキを掲げ、左手を腰にあて、身体をやや右に傾けながら高らかに宣言した。
「ボクの名前はレベッカ・アインシュタイン!!
あの相対性理論を発見したアインシュタインの子孫にして、天才美少女科学者!!
将来は歴史の教科書にも載るであろう、この天才のボクを!! 今のうちに知ることができたあなたは幸せ者ですよ!!」
「ア、アインシュタインの子孫んんんんんんッ!!?」
俺は驚きのあまり叫び声をあげてしまう。アインシュタインと言えば『20世紀最高の物理学者』とも言われる天才物理学者だ。
あえて説明するまでもないほどに有名な偉人であると言っても差し支えないだろう。
レベッカはふふーんと得意げに胸を張って満足そうにしている。
「どうですか、驚きましたか!? 今ならサインをしてあげてもいいですよ!?」
「いや待て……、異空間から出てきた以上、お前がなんらかの不思議な力を持っているだろうことは認めるが……。
それにしたって、アインシュタインの子孫は盛り過ぎじゃないか? 妄想は頭の中だけにしておいたほうがいいぞ?」
「ななな!? なんですって!?
これだけの発明を見て、どうしてそこは信じてくれないんですか!?」
俺の言葉に頬を膨らませて憤慨するレベッカであったが、俺としてはまともに取り合うつもりはなかった。
そもそも俺としてはゴミ箱が異空間につながっている現状も夢であって欲しいというのが本音だ。
そのうえアインシュタインの子孫などと、妄言もほどほどにしてくれと言いたい。
「じゃあ、天才のお前に簡単な質問をしてやろう。
アインシュタインの下の名前はなんだ? 子孫だったら答えられるよな?」
「えっ!?」
何故そこで驚くんだ……。俺の質問に目を丸くしながらレベッカは答えた。
「ええっと、ア、アイザック……」
「それはニュートンだろ!!」
「ト、トーマス……」
「エジソンだよ!! 逆になんでアルベルトが出てこないんだ!!?」
「そんなのいちいち覚えてませんよー!!」
やれやれ、ついには逆ギレか。見た目通りのおこちゃまだな。
俺は勝ち誇ったように、ふんと鼻で笑ってやった。
「むっかー!! いいですよーだ!!
そんなこと言うなら、ボクはもうドイツに帰ります!!
天才のボクの発明を間近で見る機会を失ったこと、一生後悔するといいですよ!!」
そう言ってレベッカは出てきたゴミ箱のほうに向き直って、そこに足をかけて入ろうとする。
右手には魔法のステッキを持ったまま。あれがこいつの発明品なのか……?
その背中に俺は言ってやった。
「ま、待てよ……。その発明については、その、まあ見てやらんこともないぞ……?」
「ほ、本当ですか!?」
レベッカはゴミ箱に足をかけたまま振り返り、ぱぁっと明るい笑顔をこちらに向けた。
な、なんだよ……。笑うと結構かわいい顔してるじゃねぇか……。
だが、俺はこいつがアインシュタインの子孫だなどと信じたわけではない。
ただ「発明」とやらを見ずにこのまま帰してしまうのは惜しい気がしたのだ。
それが本当に素晴らしい発明品であれ、ただのインチキであれ、確認してみても損はないだろう。
「ああ……、そのゴミ箱の異空間もお前の発明によって生み出されたんだろう?
一体どうやってやったんだ? それには興味があるな」
「ふふーん、いいでしょう!! では特別にボクの天才的頭脳による発明を見せてあげましょう!!
……ええっと、あなた! あなたが行きたい場所を言ってみてください!!」
「ああ、自己紹介がまだだったな。俺の名前は平賀源太だ。……行きたい場所か。
そうだな、大雑把だが、日本海が見たいと言えば、そこに連れていってくれるのか?」
「分かりました、平賀さん! 舞鶴でもどこでも連れていってあげましょう!!」
「だから、なんでそういう地名は知ってて、アインシュタインのフルネームは知らないんだよ……」
俺のツッコミをスルーして、レベッカはステッキを掲げてくるくると何度も回しながら言った。
「かわいい魔法のステッキさん、『舞鶴』につながる異空間を出してくださいな!
はい、しゃららんきらりんてってけてん! 願いを叶えたまえー!!」
その謎の呪文を言い終えると、レベッカはステッキをゴミ箱に向けて振り下ろした。
そして、ゴミ箱はそのステッキの先端から出てきたビームのような光に包まれた。
「うおっ!? まぶし!?」
やがて光が収まり目を開けると、そこには……。ただのゴミ箱があった。
いや、相変わらず中を覗き込むと真っ黒な空間が広がっているのだが、それは先程から変わらない光景だった。
「これで本当に、日本海につながったのか……?」
「もちろんです! ボクの発明に間違いはありません!!
……いや、今日もスイスの友人の家に行くつもりが、何故かここにつながってたんですが」
「うん? 何か言ったか?」
最後のほうは小声で何を言っているのかよく聞こえなかった。
……何か不穏なことを言っていた気がするが、多分気のせいだろう。うん、気にしない気にしない。
「とにかく! 案ずるより産むが易しです!
どどーんと男らしく、ゴミ箱に飛び込んじゃってください!!」
「そのことわざの使い方は若干間違えているが……、まあいい。
当たって砕けろってやつだな! よし、行くか!!」
俺は意を決してゴミ箱に足を入れて異空間に飛び込んだ。レベッカもそのあとに続いて来てくれたようだ。
そうして俺の身体が真っ黒な空間に包まれた、……のは一瞬のことだった。
滑り台のように滑っていく感覚がしたかと思うと、次の瞬間には外の風景が見えてきた。
そして、そのまま俺の身体は、……外に放り出されてがつんと尻餅をついてしまった。
「いってえ! 着地できるようになってないのかよ!」
と俺が文句をつけた次の瞬間、続けて出てきたレベッカは見事に足からの着地を決めていた。
お前、運動神経良いんだな……。それとも俺が鈍っているだけなのか……? 少しはジム通いでもするか……。
――いや、そんなことよりも、俺の尻は痛みだけではなく途轍もない冷たさも感じていた。
周りの空気も異常なほど冷たい。いや、冷たいなんてものじゃない! これは極寒だ!!
周りを見渡すと、確かに海は広がっているが、地面は雪というか氷の塊だった。
その風景は何かの映像で観たことがある。それは、……いや、これは! この場所は!!
「ほほほほ北極海じゃねぇか! さささささみぃ!!
おい、このままここにいたら死んじまうぞ!!」
俺はその場所の正体に気付いた瞬間、文字通り震え上がった。
ここが本当に北極なら、その気温はマイナスにも達するはずだ。
なんの準備もなしに人間がいられるような環境じゃない! 一刻も早く元の俺の部屋に戻らないと!!
「あっれー、おかしいですね。確かに転移先を舞鶴に設定したはずなんですが」
「おおおおお前はなんで平然としてるんだよ!」
「ボクの白衣は目には見えない風を発生させて、周囲の環境に合わせて温度調整してくれるんです。
ボクの周りの空気ごとですね。これもボクの発明品のひとつで――」
「そ、そんな説明はあとだ! 一旦俺の部屋に戻るぞ!!」
俺は腕を組んで考え込んでいるレベッカを片手に抱えて、元の異空間に急いで飛び込んだ。
また別の変なところに飛ばされるかもしれないなどと考えている暇はなかった。
たとえどこだろうと、地球上のどこかならこの極寒の地よりはずっとマシだろうさ。
そして、どういう仕組みなのかは分からないが、再び滑り台で滑るような感覚のあと、俺たちは元の部屋に戻っていた。
「はあはあ……、死ぬかと思ったぜ……。
おいこら、お前! あれのどこが日本海なんだよ!!」
レベッカは俺に怒鳴りつけられても考え込むような仕草をするだけでまるで動じていなかった。
「うーん、おかしいなあ。こんなこと、今まで一度もなかったんですが」
「一度だってあってたまるかよ。もしこれが海のど真ん中だったら、本当に死んでいたぞ……」
謝りもせずにうんうんと唸っているレベッカに俺は苛立ったが、まあこいつはまだ子供だ。
あまり文句を言っても仕方がないだろうと思い、俺は怒りを鎮めた。
「でも本当に、このステッキは素晴らしい発明なんですよ。
なんと言っても東ドイツと西ドイツを隔てるベルリンの壁だって関係なく、異空間を通じて移動できるわけですからね。
それにこのステッキには他にも機能があって――」
「ベルリンの壁なんてもうないだろ」
「たとえば遠く離れた物体を手元に引き寄せ、……はい? 今なんて言いました???」
「いや、だからベルリンの壁なんて、とっくの昔に崩壊してるだろ。
いつの時代の話をしてんだよ」
「は、はいぃいいいぃいいい!!???」
今度はレベッカのほうが驚きの声をあげる番だった。しかし、こいつは一体、何をびっくりしているんだ?
いくら非常識な奴だと言っても、ベルリンの壁の崩壊を知らないわけがないだろうし……。もしこいつがドイツ人なら尚更のことだ。
レベッカはしばらくの間、口をぽかんと開けていたが、やがて我を取り戻したように喋り始めた。
「……あの、ちなみにその、ベルリンの壁の崩壊ってどれくらい前のことですか?」
「どれくらいって、……どれくらいだっけ?
少なくとも俺が生まれるよりもずっと前のことだよ。それこそもう歴史の教科書に載るくらいな」
「ちょ、ちょっと待ってください……。それじゃあ、ここは未来の世界ってことですか……?
ボクのいた世界では間違いなくベルリンの壁はあったはずです……。実際この目で見たこともありますし……。
ど、どうして……? このステッキには時間移動の機能なんてないはずなのに……」
レベッカはぶつぶつと呟きながら、頭を抱え込んでしまった。なんだこいつ、まさか過去から来たって言うのか……?
それはさておき、こいつが本当にアインシュタインの子孫かどうかはともかく、ひとつはっきりしたのはまだひよっこの科学者だってことだ。
俺はこれ以上、こいつの危険な発明に付き合わされるのはごめんだった。
「まあ、それは家に帰ってから考えてくれよ。元の異空間に飛び込めば帰れはするんだろ?」
「い、いえ……、ボクがドイツからここに来たときの異空間は、さっき上書きしてしまったので……。
もう帰る手段はありません……。何故時間移動までしてしまったのかは、さすがに天才のボクでもすぐには分かりませんし……。
研究と実験を何ヶ月も繰り返せば、はっきりと原因が分かるかもしれませんが……」
「……つまり?」
「し、しばらくここにいさせてもらってもよろしいでしょうか……?」
「マジかよ……」
つまりは、こんなトラブルメーカーを何ヶ月も俺の部屋に住まわせなくっちゃならないってことかよ。
とは言え、こんな幼い子供を無責任に外に放り出すわけにもいかない。
そんなことをしたら、こいつに変な噂を流されて、それこそ俺は社会的に死んでしまうかもしれない。
俺には選択の余地など残されてはいないようだった。
「ああ、くそ! 分かったよ! 好きなだけここにいろ!!」
「あ、ありがとうございます! これからよろしくお願いします!!」
レベッカは俺に向かって頭を下げて、ウェーブのかかったブロンドの髪を大きく揺らした。
それに対して、俺はやれやれとこめかみを押さえるばかりであった。
――こうして、俺の平穏な日常は終わりを告げた。
この日から、俺は過去からやってきたという天才科学者少女、レベッカ・アインシュタインとの奇妙な共同生活を始めることになったのだった……。