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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

日の沈む国

作者: 降り坂


配給を目の前のーー目の落ちくぼんだーー配給員から受け取る。

この男の目にも生気がない。きっと私も同じ目をしているのだろう。

だが目下私の関心ごとは我々の不幸ではなく、この配給品である。

プラスチックの容器に入ったシチュー、と説明があったはずではあるが内容物はそれとは程遠い。

薄い乳白色の液体に油が浮き、人参とジャガイモ(サツマイモかも)が申し訳なさそうに浮いていた。

シチューとゆうていでこそあったが、実情は水と少量の牛乳に油を注いだものに過ぎなかった。

そもそもこのシチューとやらはもうすでに寒空のもと何時間も加熱されずに放置されたものであり、非常に冷たく油は表面で凝固している。その一点をもってしても避けるに十分あたいするものであった。


だが、と思う。

こんな生活も食事もあり方も、全て私が望んだものなのである。


高架下に置かれていた配給所の上でモノレールの駆ける音がした。

うるさいな・・。

でも悪くない。なにせこの町では、この国では私は一人ぼっちなのだから。

うるさいぐらいで、ちょうどいい。

私は緩慢な足取りですみかに歩き出した。




日本とゆう国が(正確には国民が)一斉に沈黙と盲を美徳とし始めたのはいつからであったろう。

記憶が定かではないので正確なところは分からないが、恐らく第三次世界大戦が終結したころではなかっただろうか。あの時こそまさしく発狂とゆう言葉の相応しい使いどころはなかった。

世界が金切り声を挙げたのである。

その頃の日本は未だに憲法を改正しておらず平和を甘受していた。

そんな折ことは起こった。

最初は些末なテロであった。ひと月ふた月ニュースの冒頭を飾ってからすぐ忘れられるような、そんなもの。


いつも通り、被攻撃国が報復を決定し、報復先の国の後ろ盾がそれをさせじと牽制する。

そんな風であったはずなのに今回だけは決定的に違ったのだ。

報復のための軍の駐屯地、そこをテロを働いた国の後ろ盾となっていた国が『直接』強襲したのである。


宣戦布告はなかった、と聞いている。

だが、ぼやは大火と化したのである。江戸や京都なんかは比べ物にならない大火。

国一つが焼土と化し、百万の人が死ぬ。そんな火ぶたは確かにその時切られた。


実情、百万では到底足らなかった。国一つなんかでは止まらなかった。

なぜならかつてケネディ大統領とフルシチョフによってすんでのところで回避されたハルマゲドンがあっさりとためらいなく戦争のツールと化したためである。ヒロシマは無数の事例の一つとして埋没し、地獄はここに現界した。


みんな、眺めていた。

遥かにリアルでありながら実感はなかった。

日本人もやっぱり眺めていた。

だってみんな思っていたのである。こんなこと起こりえない、と。


イデオロギーとイデオロギーのぶつかり合いだなんてナンセンス、フィクションの中だけだろう、と。


その時もメディアは惨状を報告し、その役割を必死に果たそうとしていた。

ジャーナリズムによって世界は変わると信じていた。

だがそれよりも先に限界を迎えたのだ。

何が?国民が。

知る権利を付与され知る義務を与えられた者たちは耐えられなかったのだ。

世界の惨状とそれを変えるために必要なエネルギーの膨大さに。

だから、折れた。


権利を放棄した。

思考することを。

目で直視することを。

身体の自由を。

為政者を選ぶ権利を。


そして幸福を得た。

心地よい調整された甘言にひたることを。

世界の汚れを見ないことを。

悩まないことを。

傀儡となることを。


当然それをよしとしない者はいた。

意思の強い人たちである。見たものを受け止めそれでなお、前に進むべしと。


だが私たちはそれを突っぱねた。そうして彼らは我々を見捨てて海外に飛び立っていった。

未来なし、と断じたのかも知れぬ。

そうして正しい人というストッパーの外れた私たちは望んで独裁者を迎えたのである。


そこまでが私たちの選択した道。

そこから先は何も知らない。正確には正しい出来事を掴むすべがない。

あのあと私たちは考えることをやめたからだ。

国家の命令に従い仕事をし、全体像を知らぬまま事業に協力する。


あの戦争がどうなったのかは知らない。

いつだったか徴兵があった。

とゆうことは我が国は戦争に参加したのだろう。

だが何も変わらず、望まれた支配は続いた。

とゆうことは我が国は勝利したか、引き分けたのだろう。


私は何も知らないことを選択する。

選挙がないこと、税率の高さに疑問は抱かない。

メディアは当たり障りのないことを報道し続ける。

社会の悪行を見ることはない。

中央通りで民間人が官憲に拘束されどこかに運ばれたらしい。

だが私には気にもならない。

日に日に配給が少なくなっていることも何一つとして問題はない。

なぜなら私は生きているから。


家に帰りつく。倒壊寸前のアパートだが鍵を回して家に入る。

味のしないシチューを塩素の匂いしかしない水道水で流し込む。

明日も早いのだ。寝なければならない。


布団にもぐりこむ。泥のように柔らかく、私はそれに沈み込んだ。

いずれ私はこんな思考すら放棄するだろう。

幸せの意味を忘却ととらえ、その意味すら忘却する。

そこに残るのは私ではない傀儡である。


だが私は幸福だった。


友と呼べるものはあの発狂の時代に失った。

友だったものとなったのだ。

向こうも同じことを考えているのだろう。


だから一人ぼっち。


それでも私は幸福だった。


そして私は私を犠牲にしながらこれからも幸福であり続ける。


もう、朝は来ない。


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