エイの肝の煮付け~おつとめ品58円だった俺は脅威のポテンシャルを秘めていたらしい~
その日、私はある食材と睨み合っていた。
白色トレーから溢れんばかりの灰色っぽい物体。ラップで封されたその姿は『新種の妖怪だ』と言い張ればワンチャンスありそうなフォルムをしている。
――エイの肝。おつとめ品でお値段驚きの五十八円。
エイ。
エイとは水族館でお魚の間を泳ぐあの魚でも鮫でもない……上からみたら未確認飛行物体のような見た目をしているくせに、下からみたら妙にひょうきんで柔和な口元を見せてくれるあのエイだ。因みにエイはトビエイ目アカエイ科なのだそうだ。やはり、魚でも鮫でもなかった。
しかしまさか肝まで食えるとは。いや飲み屋には『エイヒレ』というオツマミもあるし、肝が食えても不思議ではない。
流石は雲丹を割って喰い、こんにゃく芋を灰に漬け込んで喰い、何かよく分からないけど毒が無くなったし美味しいと言いフグの卵巣漬けを喰う民族。もれなくエイも喰らうその逞しさには少し引く。
……好奇心に負けてエイの肝を買い物カートに放り込む私も、ご先祖様のことは言えないが。
でもスーパーにあったのだから、少なくとも毒はないだろう。
しかし好奇心に従って買ったはいいものの、私はエイの肝を調理したことなどない。むしろ手につくあの生臭さや内臓、骨の下処理がめんどう過ぎて魚を捌くのを避けまくっている人間である。そんなのが初見でこの謎の食材を美味しく調理できるはずがない。
と言う訳で、今回も文明の利器に頼ることにした。ぐぐったのである。
それによれば、メジャーではないもののエイの肝の評判というのは大変よろしいらしい。栄養豊富で食感も蕩けるよう、煮付けにすると美味しいとのことだ。
ありがとうインターネット、そしてありがとう某巨大レシピサイト。先人達の知恵をお借りしつつ、私はこの謎の物体X――ではなく、エイの肝を睨み包丁を構えたのだった。
◆◇◆
まずエイの肝をトレーから取り出して水で洗い、キッチンペーパーで水気を拭き取ってからぶつ切りにしていく。両手に乗せてもはみ出すほど大きな肝は、意外にも包丁をするりと受け入れてくれた。
皮が時折刃にひっかかるものの、感触としては白子や鶏レバーを調理した時に近い。どぅるっとした内容物が出るが――ここで怖気づいては勝てない。どぅるどぅるを果敢に千切ってよけ、ぶつ切りを続ける。
ぶつ切り終わった肝はボゥルに入れ、塩を小さじ1を揉み込んでから料理酒にどぼどぼと漬け込む。所謂『臭み消し』。これをするのとしないのとで、内臓系の臭みが段違いになる。ソースはかつて臭み消しを面倒臭がって大失敗した過去の私だ。ありがとう、お前の犠牲は決して忘れてはいない。
三十分ほど漬け込んでいる間に、煮汁の準備をしていく。だし汁一カップ、酒二分の一カップ、醤油と味醂大さじ一を鍋に入れて煮立たせるのだ。
……かつては一カップがどれぐらいなのか分からず一々ぐぐり回していた私だが、今は違う。そう、100円均一店で買った計量付カップ(電子レンジ可)があればね! 何とこれにはmLはもちろんの事、一カップにコップのマークでメモリが記載されているのだ!!
人類は進化する、私もこれで一カップやmLの表記に決して惑わされぬ力を手に入れたと言う訳である。
謎の勝利感を味わいつつ、軽量カップに『だしの素』とお湯を注いで一カップのだし汁を錬成した。これもまた文明の勝利だ。
鍋の煮汁が煮立つ頃、三十分のタイマーが鳴ったらここからが本番だ。
すかさず肝をボゥルからザルにあけ、流水でよく洗う――するとどうだろう。先程までどぅるどぅると内臓めいていたエイの肝は、何故かぷるぷるに変化していた。塩のおかげか酒のおかげか、内臓部分が締まっていて生臭さも少なくなっている。どういう理屈でこうなっているのか、未だに分からない。
あとはこれをもう一度キッチンペーパーで水気をよく拭き取り、煮汁に投入して煮るだけだ!
……とはいえエイの肝とは、どのくらい火を通すべきものなのだろうか。
参考にしたレシピにも『火が通れば完成』としか書かれていなかった。
『適量』『お好み』『火が通れば』
それが分かれば苦労はないのだ。せめて基準を教えてほしい。あと狐色って何だ。狐が身近にいない地方の人間にそれを言うのは怠慢ではないか。つまり何色なんだ。何分焼けばいいんだ。待っている間に墨色にしたことは一度や二度ではないんだぞ。
私の思考が煮詰まるにつれて、エイの肝が煮詰まっていく――!
ピピーっ! ピピーっ!
IHのタイマーが十五分をお知らせしてくれた。……これぐらい煮れば火は通っただろう。駄目押しで火を消してから鍋蓋をし、予熱でじっくりと火を通す。
ついでに一晩置いておくことにした。何となくだが、煮汁がよく染みる気がする。煮物は二日目からが美味しいし、エイの肝だってきっと例外ではない。
◆◇◆
運命の翌日である。私の目の前には、煮物になったエイの肝が小皿に鎮座ましましていた。
色が……灰色だ。とても肝っぽい。それにしても生姜は入れなかったが良かったのだろうか、母は煮魚や鳥肝には薄切り生姜をどこすこ入れるタイプであったので、生姜がないと心許無さが半端ない。
だがレシピ通りに作ったのだ。信じよレシピの人を、信じよ序盤の塩と酒の力を!!
意を決し、私は小さいスプーンを灰色の物体に突き刺した。
――音が、ない。
なんの抵抗もなく肝はスプーンを受け入れ、スプーンの上に滑り込んできた。相当な柔らかさである。オノマトペが幅をきかせるこの国でその姿勢はある意味驚嘆に値する。
ともあれ柔らかいのは良い事だ。それだけ舌触りが滑らかならば、仮に失敗していても流し込んでどうにかなるはず。
スプーンを口の中に入れ、舌でそろりと灰色の肝をすくい取った瞬間――――衝撃が走った。
肝だ。煮魚の肝だ。
具体的に言うとカレイとかヒラメの煮付けを食す時に運が良いとちょっとだけ出会えるレア食材。普段はお箸でひとつまみ程度しか味わえない煮魚の肝、舌先で潰せるほど柔らかくまろやかな食感とこっくりとした味わいが口全体に広がっていく……!!
しかも醤油と味醂がさらに良い仕事をしている。肝の脂に塩気と甘味が絶妙に絡み合い、しつこい味になりそうなものを甘じょっぱい……飽きのこない味わいに仕上げてくれていた。
おまけに鼻に抜ける微かな磯の香りもまたいい。これがあるからこそ、この肝が陸ではなく海からきたものだと分かる――
何だエイの肝
お前おつとめ品五十八円で売られていい奴じゃないだろ
割烹料理屋とかちょっとお洒落なバーとかレストランにいけるポテンシャルあったろ!!
素人であるこの私が見様見真似で調理してなおこの旨さである。プロが調理したらどんな風になるのか想像もつかない。それぐらい美味しかったのだ。
もはや気分は実力があるのに謙遜し田舎でほのぼのと暮らしているなろう系主人公を見かけたモブである。私が幼馴染なら今すぐ両肩を揺さぶって「お前は今すぐ王都へ旅立て!!」と叫んでいるに違いない。何度も言うがおつとめ品五十八円で売られていいやつじゃない。お前の舞台はきっとある、お前はもっと羽ばたける……!!
興奮しすぎて一匙でエイの肝の幼馴染面をしてしまった。
それくらいに美味しい煮付けだった。
少なくとも白子やレバーなどの食感や味が好きな人には深々と刺さる。下処理は白子と同じだし、恐らくこれは味噌汁に入れても美味い。衣をつけてフライにしたら……怖い、美味しくて頭がおかしくなるかもしれない。
だってばかほどデカイ煮魚の肝なのだ。
栄養と旨味と仄かな苦味がたっぷり詰まったクリーミー美味いやつ。ビタミンAも豊富で疲れ目にも優しい。なろう系主人公にも引けを取らないチートぶりである。
大きめの皿に盛り付けてカレースプーンに切り替えて口いっぱいに頬張りつつ、私は昨日売れ残っていたエイの肝の――もう一パックのことを考えてた。
――買っておけばよかった。買っておけば味噌汁や揚げ物だって試せたのに。
エイの肝など、またいつ出会えるか分からない。あんなにも値下げされていた食材だ、次回は仕入れられない可能性だってある。一縷の望みをかけてお客様の声的なアンケートに後日熱意をぶつけにいくが、恐らく望み薄だろう。
だからもしエイの肝をお近くのスーパーで見かけたら、恐れず買って帰ってほしい。
どぅるどぅる下処理のその先に、なろう系チート主人公が潜んでいるから。