浪漫のカバロチーズ
カバロチーズには浪漫が詰まっている。
まず、あの到底チーズとは思えない袋型。そのまろいフォルムは、角ばったチーズになれきった私の心に旋風を巻き起こした。
浪漫だけではない。きっとあの袋の中には、夢と希望も詰まっているに違いない。
しかしそんなに憧れている癖に、私は未だカバロチーズに手を出せずにいた。それは何故か。
その理由は二つほどある。勿論どちらも情けないことこの上ないものだ。
第一に、チーズ売り場で見かけるカバロチーズは、握り拳ほどもある大きさだ。この時点で自他共に認める腰抜けである私は腰が引けてしまう。
だが考えても見てほしい。『チーズ』といえば四角くて薄いお徳用とろけるチーズ、そんな我が家の冷蔵庫に、拳大の袋型をした謎のチーズが突如出現したらばどうなるか――そう、大混乱である。
食べ方が分からない。
食べきれるかも分からない。
万が一食べきれず放置して岩石のように固くしたり、まかり間違って黒カビなんぞを生やしたりしてしまったら生産者と加工業者の皆様に申し訳が立たないではないか。チーズ狂の矜持として、この腹掻っ捌くしかない。
第二に、そのお値段。
この浪漫を一つを買うとした所、あの四角くて少ししか入っていないホロっと食感な箱入りナチュラルチーズが約二箱買えてしまう。因みに、あの十勝産箱入りホロ旨系チーズも私の中では高級品だ。
それが二箱分。この衝撃は推して知るべし。
――私がカバロチーズに手を出す時。それは、清水の舞台から飛び降りる覚悟が出来た時だ。
そんな風に考えながら、いつも通り奥歯を噛み締めチーズ売り場を横目でチェックしていたある日のこと。
出会ったのだ。
運命のカバロチーズに!
それは団子のごときフォルム。
親指と人差し指で囲えるほど慎ましやかな丸いチーズが三つ、竹串にぷすりと刺さっていた。
そして、その表面には実に態とらしい焼き目が付けられ、『私は焼くと美味しいんですよ』と全身で訴えている。しかし、袋パッケージには丸っこい文字でレンジでチン!と書かれているのだ。 私の手は、考える前にもうこの串カバロチーズを買い物カゴに放り込んでいた。
その名も【もっちもち~ず(串カバロチーズ)】
驚きのお値段三百八十円!!
これなら絶対に勝てる。この量なら、初めてのチーズでも食べ切れる!ワクワクと未知への不安に胸膨らませ、いざ浪漫に飛び込もう。
まず袋のパッケージに従い、串カバロチーズを皿に置いてレンジでチンする。600wで三十秒、様子を見つつ温めていく。
ここで焦ってはならない。何故ならレンジは食べ物を内側から焦がしてしまう事もあるのだ。一つの気泡も見逃せない。最良の浪漫体験の為に、私は神経を尖らせながら橙色の空間を睨んだ。
ピッピッピッピッピ……
仕上がりの電子音に導かれ、ガラスの扉が開かれる。ほのかに温まった串カバロチーズは、先ほどと変わりない様子にも見えるが、さて。
竹串の先っぽをもち、白く丸いチーズにゆっくりとかぶりつく。
――――いざ往かん、浪漫の彼方へ――――
もっっっっっち!
もっっっ……ちもち!!
もっっ………もっちもちもち!!!
その瞬間。
私の目の前にはアルムの山々が見えた。カバロチーズは長沼産だし彼らが食べていたのは山羊のチーズだというのに、確かにその時私の目の前には青く茂るもみの木と雪を頂くアルムの山脈がそびえ立ったのである。
これあれだハ○ジのやつ!!
暖炉の火で炙られた後トロリもっちり蕩けていた美味しそうなあれ!!
その時私はカロリー計算すら忘れ冷蔵庫に走り、食パンを取り出していた。迷い無く千切った食パンの上に、もっちりと伸びるカバロチーズを乗せてオーブントースターに投入する。焼き時間は1000wで四分、もう焦げるとか焼目とかそんな事を考える余裕すらない。
このチーズは蕩けさせるべきだ。このもちもちはパンに乗せるべきだ――――…………!!
チーーーーーン!
じうじうと悩ましい音を立てながら、こんがりと焼けたカバロチーズトーストが御開帳である。もうこんなの見た目から美味しい以外の何物でもない。見よ、蕩けたチーズの艶やかな佇まい、泡立つ脂の神々しさ。約束された美味が確かにここにある。
私は熱々のトーストに火傷しながら、また大きく口を開けて齧り付いた。
ガリッじゅわ……もっっっちぃい……!
『至 福』。
この二文字が私の脳裏を埋め尽くした。
美味しいカバロチーズトーストを頂く私の心は、もう完全に無垢なるアルムの少女である。ありがとう大地、ありがとう自然、ありがとう生産者の皆さん、この小さなカバロチーズを造りたもうた全ての人に感謝を捧げたい。
ああこのもっちりとした食感。癖のない、それでいて濃厚なチーズの旨味。そして何より少し冷めようとも伸びる事を止めないこの弾力!
チーズ、これこそ私の求めていた『理想のチーズ』である。カバロチーズには、やはり浪漫が詰まっていたのだ。
……しかし幸福な時間はいつか終わる。小さな串カバロチーズなら尚更だ。あっという間にカバロチーズトーストは無くなって、白い皿にはチーズの跡すら残っていない。冷蔵庫から麦茶をとってきてコップに注ぐこの物悲しさはなんなのだ。
小さなカバロチーズですらこんなにも美味しかったのである。あの袋型の大きなチーズはきっともっと食べ応えがあって、もっと美味しいに違いない。
――次は絶対にあの袋型の、大きなカチョカバロチーズを買ってくる……!
舌先の火傷を麦茶で冷やしながら、私はそう決意したのだった。
余談だが、あの袋型カバロチーズは切って焼くのが一番美味との事だ。
薄めに切って焼けばカリカリに。
厚めに切って焼けば外はカリッと、中はもっちり仕上がるらしい。
流石は浪漫、もう美味しい気配しか感じない。