《ギリシャ向け輸出艦》(仮)
―――輸出艦
・戦艦『アルテミシオン』(1921年末ギリシャ海軍に移籍)
ビザンティオン級巡洋戦艦3番艦『アイガイオン』は第一次世界大戦の勃発で建造が停止され、調達した主砲も1番艦と2番艦に流用された。
戦後に再び建造が再開されるも、ユトランド沖海戦の戦訓もあり装甲の増厚などが行われたが、高騰する建造費を抑えるためビザンティオン級本来の4基砲塔にはされなかった。
それどころか3連装砲塔の散布界の悪さと砲身建造の簡略化を理由に、1番砲塔も3番砲塔も連装砲にしたために砲門数は連装3基6門となっている。
1920年に竣工、1921年末にギリシャ側より購入打診交渉があり、対トルコ強硬派のパパドプーロスと反共主義者のシメオン1世双方の合意もあり売却された。
排水量は2万7500トン。速力は石炭・重油混合缶搭載で26ノット。舷側装甲は機関部水平線部が305㎜まで増圧され、主砲弾薬部は254mm、艦尾にかけてのテーパー部は102㎜。
一方で主砲塔は前面に30㎜の追加装甲が張られたのみで変更は少なく、前部259㎜、側面152㎜、バーベット部は229㎜だが甲板下部においては76㎜に減少している。
主砲はイギリス設計の13.5inch砲で重量弾の使用可能な改良型であり、これを連装砲塔で3基搭載し6門となっている。
副砲としてエルズウィック社製のBL4インチMk IX海軍砲を3連装砲架で両舷3基ずつ、艦中央後方に1基で合計7基21門搭載。
艦橋は常識的な三脚楼であるが、後部マストは籠マストが採用されており、その頂部に見張り台を設け、空中線用のT字型金具が伸びていた。
第二次世界大戦にはほとんど近代化改装もされずに投入されたが、装甲巡洋艦『イェギロフ・アヴェローフ』とともにアレキサンドリアへ脱出。
自由ギリシャ海軍旗艦としてイギリス海軍と行動をともにするが、1940年時点ですでに速力は20ノット近くまで低下しており、船団護衛に用いられることが多かった。
1942年にはアメリカでオーバーホールを受け、副砲のほとんどを5インチ両用砲に入れ替え、防空銃座が多数設置され艦橋も大型化した。
・重巡洋艦『アドリアス』(1919年ギリシャ海軍に移管)
エリュテア海軍が第一次世界大戦前にイギリスに建造を依頼した『一万トン級軽装甲巡洋艦』の一隻。
ホーキンス級と酷似しているのは要求された諸性能が似通っていたためで、武装面では主砲に19.1㎝連装砲2基、同単装砲4門、MkI 14cm(50口径)単装速射砲10基を備えている。
これにより片舷においては19.1㎝砲6門、14㎝砲5門を指向することができ、通商破壊に投入されるような防護巡洋艦クラスであればイニシアティブをとることができた。
排水量は1万2000トン、装甲は76㎜の装甲が機関部水平線に張られており、弾薬庫は30㎜の装甲で囲まれている。
当初はエリュテア海軍が建造を依頼したものだったが、第一次世界大戦の勃発によりイギリス海軍が接収しこれを『ブーディカ』と『カルガクス』として運用した。
内、『カルガクス』はドイツ海軍のUボートの雷撃により撃沈され、『ブーディカ』のみが大戦を生き抜いた。
戦後にエリュテア海軍に購入が持ちかけられたが、政治的駆け引きの末にエリュテア海軍が購入予算を補助する形でギリシャ海軍が購入し、『アドリアス』として自軍に編入した。
第二次世界大戦ではイタリアの宣戦布告後の近海パトロール中にイタリア海軍の潜水艦に捕捉され、雷撃を受けて二発が船体中央部命中して船体が真っ二つに裂けて轟沈してしまった。
・軽巡洋艦『カトソニス』『コントゥリオティス』(1936年ギリシャ海軍に就役)
エリュテア海軍の『カタフラクト級軽巡洋艦』のサブグループに分類される、ギリシャ海軍向け軽巡洋艦。
前方集中配置という特徴はそのままに、後部の航空機運用設備を撤去してさらに連装砲形式を1基追加したもの。
これによりエリュテアの軽巡洋艦で一般的なMk.I 1915年型14cm(50口径)速射砲を8門持つ。
速力は34ノットで変わらず、砲塔も一つの砲架に二つの砲を取り付けた連装砲塔式で、実際には砲塔ではなく、波浪除け程度の機能しかなかった。
二隻はナチス・ドイツのギリシャ侵攻に際して急降下爆撃を受け『カトソニス』は大破着底、『コントゥリオティス』も大破し沈没を免れるために浅瀬に座礁した。
『コントゥリオティス』は後に修理曳航されたが、イギリス空軍の爆撃によってドッグ内で真っ二つにへし折れてしまった。