②大晦日画面を見ずに針を見る
ソワソワとした胸騒ぎが、身体をムズムズさせる。
年を跨ぐまでの間、目はほとんど時計の針を、必死で追い続けていた。
特別感を感じさせるテレビ画面を見るわけでもなく、特別な存在の彼をじっと見つめるわけでもなく。
年が明けるまでの間、ずっと時計の針ばかり見ていた。
あの日からは、一年という月日が流れた。
しっとりと歌い上げるベテラン演歌歌手の、深みのある歌声が鼓膜に響く。
窓越しに浮かぶ月でさえも、普段と違った顔を見せてくれる。
今年はいつにも増して、新鮮さに溢れた一年だった。
新鮮さを彼が沢山与えてくれていたから、長く感じたのだろう。
秒針が一歩ずつ前に進んでいく映像が、しっかりと目に焼き付いていた。
「時計ばかり見てどうしたの?」
「年が変わる時はいつも落ち着かなくて」
「そうか」
「なんか今、時間がゆっくり流れている気がしてる」
「人によって感じ方は違うからね」
「うん」
「ねえ、今までは、どんなときに時間が長く感じてきた?」
【夏祭り 変化したのは 周りだけ】
毎年、地元では夏祭りがあってね。
地元にいた頃は毎年、欠かさず行っていたの。
それで毎年毎年、その夏祭りのなかを歩く度に思うことがあるの。
私は一年前から何にも変わってないなって。
夏祭りは去年と似ているようで、人の波とか、天気とか、出店の種類とか、色々違うでしょ。
でも、そのなかを歩く私は、毎日同じ作業を繰り返していて、何の成長もしていない。
最初は時が過ぎるのが長く感じていたけど、年を重ねるごとに短くなって来ている気がする。
成長してなかったり、代わり映えがないと、時の流れも早く過ぎるのかなって。
「僕も夏祭りは好きで、毎年、家族や友達と行っていたことを思い出したよ」
「そうなんだね」
「あまり大規模ではない、こじんまりとしたお祭りだったけど、鮮明に覚えているよ」
「うん」
「キンキンに冷えたラムネとか、鉄板でジュージューと音を出す焼きそばとか」
「うんうん」
「やっぱり心が煌めいている方が、時間は長く感じるものなのかもね」
「そうだね」
「ねえ、心が煌めいたこととか、代わり映えがないなって思ったこと、他に何かある?」
【新じゃがは 古いものにも 新鮮味】
新じゃがの季節は毎回楽しみでね。
やっぱり、新、という漢字一字が付くだけでガラリと変わるよね。
普通のじゃがいもとは弾力が違うし、皮も食べられるし、味も深みがある。
新じゃがを食べずに、そのまま時間の経過に任せて残しておいても、古さは不思議と感じなくなる。
新じゃがは、時間が経過しても新のイメージが消えない。
普段食べているジャガイモと新じゃがは、収穫時期が違うだけで同じ種類なわけだから、イメージってすごいよ。
僅かなことだけで、結構な違いを生むんだなって。
心の変化も少し違うだけで、大きい差になるんだよね。
「僕もじゃがいもは大好きで、新じゃがの季節になるとワクワクするよ」
「そうだよね」
「新じゃがを食べているときは、時間も忘れて堪能しちゃうよね」
「うん。新じゃがを食べているときだけは、毎年、私の時間もゆっくり進んでいる気がするな」
「そうだね。他にゆっくりと時が進んでいっているように感じる時って、何かあるかな?」
【風が鳴く 草木が踊る 春が退く】
春は穏やかで、ゆったりとした時が流れる。
だから、心も身体も、なんだかのんびり出来るの。
でも、そんな春に騒々しいほどの風が吹いたことがあってね。
その時は、もう一瞬で時間が進んだように感じたの。
春が風に吹き飛ばされてしまうような、感覚に満ちたの。
ゆったりが、急にソワソワに変わったり、自然に操られているような感覚って、たまにあるよね。
「僕は春が好きだから、ずっと居てほしいと思ってる」
「そうだよね」
「でも、好きなものでも感覚は様々だよね」
「幸せな気持ちのときの方が、時間が流れるのが遅いと思っていたけど、そうとも限らないんだよね」
「代わり映えがない苦痛の時間の方が長く感じたり、やっぱり人それぞれなのかな」
「今、話をしているこの時間はどっち、早く感じる?それとも遅く感じる」
「少しゆったりとしている感じかな」
「こういう話も良いよね。もっと時の流れの感覚について話そうよ」
【アイスクリーム頭痛よりも 痛い歯】
夏は暑いから、やっぱり冷たいものは欠かせないよね。
冷たいものを食べると、生き返るっていうか。
だから、常に冷蔵庫にはアイスクリームが常備されてるんだ。
でもね、痛みという敵が私を苦しめたの。
アイスクリームとか、かき氷を食べた時に頭がキーンってなるでしょ?
それはアイスクリーム頭痛っていうのね。
私はそのアイスクリーム頭痛を、感じない身体みたいでね。
その代わりに、なんか知覚過敏みたいなの。
ヒンヤリ冷たくて、幸せな時間が楽しみだったのに。
ある日突然、苦痛に耐える日々が加わったの。
美味しいという利点と、痛いという欠点。
二つが重なると痛いが勝って、その苦痛は時間を長く感じさせてきたよね。
「僕もアイスは大好きだよ」
「美味しいよね」
「アイスは一年中食べちゃうかな」
「私もそうかもしれない」
「僕は、一口食べただけで、頭がキーンってなるタイプかな」
「嫌だよね」
「無い方がいいかもしれないけど、まあ、それもアイスの醍醐味みたいなものだからね」
「まあ、そう思う人がいてもいいよね」
「ちなみに僕は、朝起きてすぐにアイスクリームを食べるのが好きなんだ」
「少し変わってるね」
「でも毎回、アイスクリーム頭痛で目覚める感じになるんだけどね」
「それが無いと、一日が始まらないみたいな感じ?」
「いや、そこまでではないけど」
「そうだよね」
「色々と話してくれてありがとう」
「うん」
「またあなたのことを、深く知ることが出来たよ」
【一日は アイスクリーム頭痛から】
それが彼のルーティンなのだ。
【大晦日 画面を見ずに 針を見る】
それは、早く未来で彼と幸せになりたい、という本能の表れなのだろう。
色々なことを振り返っていると、俳句が次々に沸いてきた。
【冷房の 臭いに耐えた 甲斐がある】
【蝸牛 動いてないように動く】
【新じゃがの 洗練されていない形】
【ゆったりと 焼いてあげたい 秋刀魚かな】
【広げれば 読書の秋の森の中】
【梨が他の果実に見えることはない】
【歯入らぬ南瓜 進まない復興】
【両腕を 包む痛みは あの新米】
【青い空 名字二文字が 住む水着】
【秋分の日 吠えるエアコン 鳴く太陽】
未来がはやく流れようと、遅く流れようと、その未来を彼と共に、楽しく歩んでいきたいと願っている。