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変幻の兵

変幻の兵

作者: 来生ナオ

 あるところに語り継がれる伝説の傭兵がいた。曰く傭兵は男女の2人組であり、ただ1度の敗北もなく、古今東西あらゆるお尋ね者を弑した。しかも不思議なことにその傭兵たちの噂は数百年に渡って途切れることがなかったという。ある日を境にぱったりと目撃情報が途絶えた彼らを、人々は敬意を持ってこう呼んだ。変幻のつわもの、と。

 運良く彼らと見えた者の言は、しかし一貫していなかった。変幻たる所以である。ある者は老年の夫婦だったと言い、またある者は年頃の男女だったという。かと思えば、親子ほど歳が離れていた、いや孫子ほど離れていたと語る者もいた。ただ彼らは茶髪の男と赤毛の女の2人組で、その魔術の才は凄まじく、そして常に仲睦まじい様子で寄り添っていたということだけは共通していた。


 ただ1度の敗北もない最強の魔術師と謳われた変幻の兵はしかし、1度だけ敗北を味わったことがある。今となっては語る者のいないそれを、ただ1人見ていた者がいた。


 ロイは辺境の村に住む少年だった。険しい山の麓に位置するこの村には滅多に外から人が訪れることがない。特に冬の間は山に入れないため旅人さえ立ち寄ることがなかった。そんな厳しい冬の最中、その村に立ち寄る者たちがあった。

 朝、井戸の水を汲みに外に出ていたロイは見かけない2人組を見とめた。1人は20代半ばに見えるふわふわの茶髪に眼鏡をかけた温和そうな男。もう1人はまだ幼い、もしかすると10歳にも満たないように見える赤毛を三つ編みに編んだ少女。歳の離れた兄妹のようだった。


「こんにちは。旅の人ですか?」


 思いきってロイが話しかけると、少女が答えた。


「ええ、そんなところよ。この村に宿はあるかしら?」


 ともすれば自分よりも歳下に見えるのに、見かけに寄らず大人びた喋り方をする少女だとロイは思った。


「いや、人が滅多に来ないから。宿はないです」


 ロイが答えると今度は男が口を開いた。


「うーん、それじゃあこのまま先に進みますか?」

「そうね、宿がないのなら留まっていても仕方ないし」


 男だけが少女に対して丁寧な言葉遣いをするのが奇妙だった。


「えっ!先って、山に行くんですか?危ないよ!」

「大丈夫よ。ここまでだって登って来たじゃない」

「そ、それはそうだけど、この先はほんとに」


 ロイは縋るように男を見るが、男も笑って言った。


「心配してくれてありがとう。でも僕たちは大丈夫だから」

「そ、そうだ。僕の家に泊まるといいです。お母さんに話してきます!」


 ロイは持っていたバケツをその場に置くと、家へと走っていった。残された2人は苦笑して顔を見合わせる。


「止める間がなかったですね」

「まさかこんなに警戒されてるとは思わなかったわ、山に入ることは黙ってた方がよさそうね」

「貴女もここは初めてなんですか?」

「近くまでは来たことがあるけど、山に用でもない限りこの村には来ないでしょ」

「なるほど。それもそうですね」


 やがてロイが父親を引っ張って戻ってきた。


「ね、お父さん。泊めてあげようよ」

「あ、ああ。この時期に旅の方とは珍しい。よくここまで登って来られましたな」

「ええ、まぁ。旅慣れているので」


 実際村まではそこまで急斜面というわけではなかった。父親は言いにくそうに口に出す。


「それで…………山に、入られるとか」


 ロイが話したらしい。


「いえ、妹がからかっただけですよ。すみません」


 男がへらりと笑って答える。


「う、うそだ!だって」


 ロイが反論しようとするが、男のひと睨みで口を噤む。ただの視線に恐怖を覚えたのはこれが初めてだった。


「ごめんなさい」


 少女も年相応の様子で謝る。父親は目に見えてほっとした顔をした。


「そうですか…………でしたら、なぜこんなところまで?ここを通らなくては行けないような場所はないはずですが」

「特に用があったわけでは。観光ですよ」

「はぁ……」


 男は再び疑わしげな顔をしたが、とりあえずその疑問は置いておくことにしたらしい。


「ともかく、今日は泊まっていかれるといい。今から山を下るにしても、小さな女の子の足ではここまで来るのも疲れたでしょう」

「ありがとうございます。助かります。僕たちは一応魔術の心得がありますので、何かあればお手伝いしますよ」

「えっ、魔術師の人だったんですか!?」


 ロイが思わず声を上げ、父親も驚いた顔をする。魔術師自体が貴重な存在である。その多くは国に雇われ、国に管理されるのを嫌った魔術師も多くは腕利きの傭兵等になる。ただの旅人が魔術を扱えるのは相当に珍しいことだった。


「ああ、うん。といっても大した魔術は扱えませんが」

「ねぇねぇ、このバケツに水出したりできるんですか?」

「こ、こらロイ。失礼だろう」


 ロイがバケツを差し出すのを父親が止めるが、少女が進み出て手をかざすとバケツにピチョンと一滴水が落ちた。少女が苦笑する。


「無いところに何かを発生させるのは難しいのよ」


 ロイは目をキラキラさせ、父親は安心したように笑った。この程度の魔術しか扱えなければ国にも雇ってもらえなかったのだろうと思ったのだ。


 その日1日2人はよく動いた。男はリュカと名乗り、少女はシリアと名乗った。冬の間は溜めてある食料で食い繋ぎつつ、手仕事を行う。木を削ったり編んだりして小物を作って春になったら商人に売るのだ。

 そうしていつもより少しだけ賑やかな1日が過ぎ、翌朝ロイが起きると既に2人はいなかった。


「お母さん、リュカとシリアは?」

「もく出たわよ」

「えっ!あの2人山へ行く気だよ!止めなかったの!?」

「それは冗談だと言っていただろう。今時あの山に向かうのは自殺志願者くらいだ」


 既に起きていた父親が口を挟む。


「冗談なんかじゃないって!本気だったよ!」

「大丈夫だ、自殺しそうな奴には見えなかった」


 父親とは話にならないと思ったロイは反論を諦めると、自分のコートを掴んだ。


「僕ちょっと追いかけてくる!」


 言うが早いか扉を開ける。朝の冷気が家に流れ込む。


「ちょっと、ロイ。朝ごはんは」

「後で!」


 バタンと扉を閉めると、ロイは一目散に山に向かって駆け出した。幸いなことに2人が出たのは今しがただったらしい。追いつけなかったらどうしようかとロイは心配していたが、山を登り始めて間もなく2人の姿が見えてきた。この辺りならまだ引き返せる。ロイは声をかけて止めようと息を吸ったが、その言葉が発せられることはなかった。空気が緊張した。そうとしか言い表せない現象だった。声を上げるどころか動くことすら憚られる。


「見つけた。見つけたぞ人間。我が血肉を喰らいし人の子よ」


 地の底から響くような重々しい声が聞こえた。ロイの目の前に立つ2人の前方に赤い鳥が舞い降りた。大きさは鷹ほど、あの重々しい声を発せる大きさとは思えないが、間違いなくあの鳥の声だという確信がロイにはあった。オーラとでも言うべき何かが違う。


「やぁ、久しぶりだな」


 リュカが友達にでも話しかけるように気楽に声をかける。凍り付いていたロイはその言葉に我に帰ると這うようにして手近な木の影に隠れた。


「探したわ」


 今度はシリアだ。あの圧倒的な何かに話しかけられるとは尋常ではない。木の影から伺っていたロイはふと違和感を覚えた。赤い鳥かと思っていたが、何かが違う。体は白い、かと思えば赤や青がチラチラと瞬き、揺れる。そこでロイはハッとした。あの鳥は燃えているのだ。それを裏付けるようにシリアが続ける。


「火の鳥、あなたは私に命を与えられる?」

「はっ、何を言うかと思えば。動く死人ではないか。だが今お前に用はない。用があるのはその男だ。よくも我が血肉喰らってくれたな」

「ごめんね、悪いとは思ってるよ。あの時は僕も生きるのに必死でね」

「ふん、どうだ?生きるのは楽しかったか?苦しかったろう。死を迎えるたびに業火に焼かれるのはさぞや苦しかったろう。人の身には耐え難かったろう。その苦しみで貴様の罪は許してやる。我が不死の呪いにして復活の祝福、解いてやらなくもないぞ」

「それは断る。僕はまだ死ぬわけにはいかない」

「…………は?」

「ちょっと、リュカ!?」


 火の鳥は間抜けた声をあげ、なぜかシリアも焦っている。


「まだ死にたくないと申すか」

「ああ、それよりも火の鳥。お前には別の用がある」

「ははは、愉快なこともあるものだ。話くらいは聞いてやろう」

「彼女に、シリアに命を与えることはできるか?」

「死者を蘇らせると?」


 それに答えたのはシリアだった。


「魂が戻らないことは分かってる。この身体に再び命を与えたいの」

「なるほど、これは歪な。どうしてこうなったのかは知らんが私にそんな力はない。我が呪いは生者の肉体がなければ無効だ」

「…………そう。なら用はないわ。リュカの呪いだけ解いてあげて」

「それは断るって言いましたよね」

「あなたが私に付き合う必要はないわ」

「それでも」

「うるさいぞ人間!」


 空気を震わす怒号に思わずロイもびくりと身体を竦ませる。少し股間が生暖かくなった気がするが気のせいだろう。


「貴様らの都合など知らん。だが、呪いは解く。我が血肉を喰らった人間が生きているというのも気分がいいものではないからな。増してや、死を望まぬとは。尚のこと殺してやらねば」


 ゴウと音がしたかと思うと火の鳥の体が一層激しく燃え上がった。炎で何倍にも膨らんだ身体が放つ存在感は絶大だ。その熱波がロイのところまで届いている。ロイには聞こえていなかったが、この時2人は短く言葉を交わしていた。


「いいのね、リュカ」

「言ったじゃないですか。どこまでもついていきます」


 シリアが右手を掲げると、空中にいくつもの鋭く尖った氷塊が現れた。


「笑止。その程度で我を止められると思うな」

「殺される前に聞きたいんだけど。呪いってどうやったら解けるのかな」

「ふん、我の炎で呪いごと焼き尽くすのさ」


 言うが早いか、巨大な火の鳥はひとつ羽ばたいた。翼から炎が押し寄せる。しかしリュカも早かった。左手を掲げるとその手から炎が吹き出し火の鳥の放った炎と相殺させる。


「借り物の炎で調子に乗るなよ人間」


 リュカの炎が押されるが、その間にシリアが右手を振って氷塊を叩きつけた。しかし、火の鳥の体には傷一つつかない。


「まずい、威力を殺しきれない」

「効いてないわけ?嘘でしょ」

「2人まとめて灰になるがいい」


 唸りを上げて迫る炎を、リュカは同じ炎でいなしながら、シリアは自らの足元から氷塊をせり上げることで高く飛んで避け距離を取る。


「どうやってこんなの食べたのよ」

「あの時は死にかけだったんです」

「っ……危ない!」


 迫る炎の前にシリアは咄嗟に氷の壁を築くが、あっさりと溶かされる。そうして後退しているといつしか2人はロイのすぐ近くまで来ていた。


「どうしてここに」


 気付いたのはシリアが先だった。次いでリュカも気づく。ロイは腰が抜けて動けずにいた。


「シリア」

「そうね、どの道このままじゃジリ貧よ」

「いや、シリアは逃げてください」

「馬鹿言わないで」

「ここで死ねばシリアは」

「今はリュカも同じよ、今よ、走って!」


 シリアが叫ぶと同時に2人は火の鳥に向かって走り出す。それぞれに炎をいなしながらそのまま奥へ抜けていく。火の鳥が方向転換したのを確認したロイは震える足で地を蹴って後退った。まだ腰が抜けていて立ち上がれない。しかし助かった。バケツに落ちた一滴の水を思い出す。無から有を生み出すのは難しいと笑った彼女は、しかし手の一振りで数多の氷塊を生み出した。いくら魔術師とはいえこんな真似ができる者は稀有だということくらいはロイも知っていた。


 シリアとリュカは、急な斜面を駆け上がると雑木の中に踏み入っていた。雪が積もっているが、足をとられることもなく木の間を縫うようになおも上へと駆けていく。


「しぶとい人間だな。逃げられると思うな」


 木々ごと焼き払おうと迫る炎を氷と炎でなんとか相殺する。ここで滑落すれば自分たちはおろか麓の村も無事では済まない。


「っ……はっ、あった、洞窟……!」


 息も絶え絶えにシリアが叫ぶ。


「先に行ってください!」


 リュカは急ブレーキをかけて立ち止まると最大出力の炎で火の鳥の攻撃を防いでから、シリアの後を追って洞窟に入っていった。


「袋の鼠という言葉を知らぬと見える」


 酷薄な笑みを浮かべると火の鳥は焦らすように自らの炎を火球の形にまとめてから洞窟に叩き込んだ。炎は一瞬で洞窟の奥まで到達し、行き場を失った炎は跳ね返るようにして洞窟の穴から吹き出す。


「ふ、生者の気配は消えたか」


 シュルシュルと元の大きさに戻った火の鳥が何処かへと飛び去っていくのを麓の村に向かって山を降りながらロイが見ていた。


「死んじゃった……のかな」


 ポツリと呟いた自分の言葉が恐ろしくてロイはふるふると首を振ると今度こそ村へと戻っていった。このことは誰にも言うまいとロイは思った。自分を庇って2人が……なんて、どうして言えるだろうか。何より、2人はまだ生きていると、そう信じたい自分もいるのだった。


 静かになった洞窟の奥で、2人は倒れていた。灰の中で裸の少年が顔を上げる。


「シリア……無事ですか?」

「ええ…………大丈夫。あんまり無事とは言えないけど」


 答えたシリアは四肢を失っていた。


「はぁ、それにしてもよく咄嗟に思い付きましたね。僕を殺すなんて」

「リュカが生きている限り逃がしてくれなさそうだったからね」

「1人で炎を防ぎ切れる自信があったんですか」

「正直賭けだったんだけど、なんとかなったね」

「瀕死じゃないですか」

「うん、油断すると気を失いそう。せめて両手直すまで何か話してて」

「はい」


 シリアの肩口で千切れていた腕はすでに肘ほどまで元に戻っている。リュカはシリアの元までにじり寄ると自分の膝にシリアの頭を乗せた。覗き込んできた顔を見返してシリアが笑う。


「また、ちっちゃくなっちゃったね」

「はい、次はシリアに大きくなってもらわないと」

「今度はどんなお姉さんがいい?胸が大きい人?髪が長い人?それとも、お婆さんの方がいいかな」

「僕はどんなシリアでも好きですよ」

「初めてこの姿見られた時も同じこと言ってたよね」

「そうでしたか?」

「うん…………あぁ、もう大丈夫」


 シリアは再生したばかりの腕で上半身を起こすとリュカにもたれかかった。華奢な腕でリュカが受け止める。


「ありがとう」

「それは僕のセリフですよ」


 2人は寒い雪山の洞窟で、そうしてしばし寄り添っていたのだった。


 その後、ロイたち村人が再び彼らと会うことはなかった。ただその日の夜更過ぎに人知れず山から降りてきた2人組がいたという。寝ぼけて夢でも見たのだろうと言われたその村人は赤毛の美しい女性が茶髪の少年の手を引いていたと語ったのだった。





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