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第8章 冷たい雨

 私はミシェルに聞かねばならないと思った。その夢のことも、ミシェルが何者なのかも、それ以外のことについても、聞きたいことが山ほどあった。

 だが、家中を探してもミシェルはいない。

いつもなら置いてある朝食もなく、1階のカーテンも全て閉まったままだ。


 まさか、昨日のうちに出て行った……?


 ただ置いてあったのは、ダイニングテーブルの上のメモ紙だけだった。

 そのメモを手に取り、書いてあることを読んだ。

「結界の張り方……?これ……自分でなんとかしろってこと……?」


 ここで私が心の中で呼べば、ミシェルは帰ってくるのかもしれないとも思ったが、私はあえてそうしなかった。そして私は悶々としたまま学校へ向かった。



 こんな日に限って雨が降っている。

 まだ夏だと言うのに雨が冷たい。丘の道を下り、正面に見える海へと降り注ぐ雨は、まるで、助けてくれていたミシェルに腹を立てている私を責めるようにも思え、私は湧き上がる感情の行き場を失っていた。



「よぅ!」

 私は坂を折りきった所で、後ろから走ってきた雄吾に声をかけられた。

「あ〜……おはよ……」

「な〜んだよ!はぁ……そんなシケたツラして!雨だからってさ……はぁ……そう…落ち込むなって!」

 息を切らしながら雄吾は話す。

「はは……そうだね……」


『そうだね』って?……私は落ち込んでるのか?

 雨だから……?

 私は自分が今言った言葉に疑問を持った。

 

「今日はどうしたんだよ、いつもより歩くの早いじゃん。なんかあったのか〜?いつもと同じ時間に出てきたはずなのに、咲夜が遠くに行っちまってるから、驚いたぜ」

「うん、今日紅茶飲んできただけだから早いんだよ」

「あ?食事当番の兄貴、いねぇのかよ」


 私はハッとした。

 昨日のことを、ミシェルのことや私のことを、雄吾に話すわけにはいかない。私でもやっと理解し始めたとこなのに、雄吾が理解できるわけがない。


「……うん、今日は朝早くから出かけたから」

「ふ〜ん、だからそんなにすげぇ落ち込んでんのか?」

「そんなことない別に!落ち込んでるわけじゃねぇよ!腹減っただけ!」

 私はムキになって否定した。


 雄吾に本当のことを話せば……雄吾を巻き込むことになるかもしれない……



「ハハッ!お前らしいなぁ。腹減ってんならこれやろか?」

 そう言って雄吾はポケットから飴を一つ出してくれた。私は立ち止まって、持っていた傘を肩に乗せた。そして雄吾に貰った飴の封を切り、すぐに口に放り込んだ。


 甘いイチゴミルク……私には甘すぎるなぁ……



 私は立ち止まったまま、遠くを見ていた。


 すると突然雄吾が声を高くした。

「お……おい!どうしたんだよ!」

「ん?なにが」


 私は顔を上げ、隣にいた雄吾の顔を見た。なぜか滲んでよく見えない。

 確かに空は暗いけど……こんなに雨降ってたっけ?


「なんで……なんかあったのか!」

「はァ?だから別に落ち込んでなんかいないって言ってるじゃん!」

 

 そうだよ、別に……雨降ったくらいで落ち込むわけないし。


「だってよォ……お前……」

「『だって』がなんだよっ」


「だって…涙が……」

「……涙?」

 

 そう言われて私は、降り注ぐ雨よりも多く落ちてくるものが涙だと、やっと気付いた。



「おいおいおい〜、何があったんだよ〜。兄貴となんかあったのか?」

 雄吾は制服の袖でガシガシと私の顔を拭いた。

「痛いって!いいよ!ちゃんとハンカチ持ってきてるから!」


 私は涙を隠すつもりで必要以上に下を向き、ポケットからハンカチを慌てて取り出した。その時私が取り出してしまったハンカチは、ミシェルと初めて会った時、ミシェルから渡されたあの白いハンカチだった。このハンカチにはミシェルの術がかけられている。

 そのハンカチを出すと同時に、濡れた地面に茶色くなった花びらが落ちた。


 そうだ……フィルの血の花びらをハンカチに包んだままだったんだ……

 またいつもの癖で、ポケットに入れてたんだな。

 あれからもう半年……もうこんなに茶色くなってしまった……


 手元から全て落ちたその花びらには、さらに雨が降り注ぐ。


「なんだよこの花びら!これって……前に空き地で見た花びらと同じじゃねぇ?茶色くなってるじゃねぇか……なんでお前が……」

「違う!あの時のじゃないんだ」

「だってどう見ても……」

 そう言った雄吾の声は雨音にかき消され、ほとんど私の耳には届かなかった。

 いや、届いていたけど聞こうとしなかっただけなのかもしれない。


 私の涙は、次々と溢れ出していた。


「そんな……泣くなよ……そんなにお前が泣くと……オレまで泣けるじゃねぇかっ!」

 雄吾は傘を放り投げ、私を強く抱きしめた。

 その勢いで私の傘も大通りの側道に落ちる。


 雄吾の顔を見上げると、オトコのくせにおいおいと泣いていた。



「バカッ!なんでオマエが泣くんだよ!」

 強く抱きしめたままの雄吾の腕の隙間で、私は自分の涙を手で拭い、そう言った。

「だってよォ……お前、いつもクチ悪いくせによォ、こんな風に泣くなんてよォ……」


『女の涙は嫌いですからね』

 私は、ミシェルの言っていた言葉を思い出していた。


「クチ悪いって、ひとこと余分だよっ!これは泣いてんじゃねぇの!笑ってんだよ!笑いすぎて泣いてんの!」


 驚いた雄吾は、抱きしめた手を解き、私の顔をじっと見た。

「バカ言ってんじゃねぇよ。お前、笑ってなんかねぇじゃんか!」

「あっはっはっはっは!……ほら!笑ってるじゃんか!」

 私は無理矢理笑って見せる。


「ハハッ……そんな笑いで泣けるかよ。これぐらいちゃんと笑わねぇと!」

 そう言って雄吾は大きな笑い声を出した。


 私は雄吾の気持ちが痛いほどわかった。



「雄吾……ごめん……。でも……ありがと」

 私は雄吾に背を向けた。


「お前の気持ちはオレが一番よ〜く知ってる。まだ半年程度の付き合いだけどよ」

「うん、わかってる……」

 私はそう言って雄吾が放り投げた傘を拾い、雄吾に渡した。

 降り続く雨はさらに強くなった。


「お前はいつもなんも言わねぇ。お前は……誰よりも強く見せようとしてる。でも、誰よりも弱いこと、オレは知ってる。

 いつでもオレはそばにいるから。いつでもオレは、お前を護ってやるから!」



『僕こそあなたを護るためにやってきたのに』

『心配しなくてもいいですよ。ちゃんと私が最後までおそばにいますから』


 ミシェルも言っていたな……

 私はいつもいつも周りの人たちに護られて……

 でもそう思っていたのは私だけで……

 フィルも本当は護ってくれていたわけじゃない。

 もしかしたらミシェルも……

 

 私は悔しかった。



「ありがとう……本当に……。でも、大丈夫だから。心配かけてごめん……」


 私はそのまま雨の中、傘もささずに海の方へ歩いた。




 結局その日、私は学校も行かず、冷たい雨の中ずっと海を見ていた。


 まだ朝なのに空は暗い。これは雨雲のせい。

 大通りを通る車のライトが、もたれたガードレールの隙間から私の背中に当たる。傘をささない私は、隠れるようにガードレールの影に座る。そこから海に向けて、すぐに坂になっているので、私は坂の草が濡れているのもお構いなしに足を伸ばした。坂の草が冷たく私の足を濡らす。

 坂を下りた所には砂丘があり、いつもより荒い波が押し寄せている。


 この海の底には……もしかしてあの白い腕の彼女がいるのだろうか……

 それともどこか別の海底……?

『助けて』と言った彼女の声が、今でも耳を澄ますと聞こえてくるような気がする。

 彼女の悲しさと苦しさが私へと流れてくる。


 私は雨の降る海を見つめ、静かに泣いていた。

 これは彼女の感情なのか、それとも私自身の感情なのか……

 胸が……苦しいよ……

  


 気が付けば雨はやみ、薄日が射していた。時間はもう昼を過ぎてるだろうか……

 海に映る微かな光は、私を穏やかな気持ちにさせてくれた。


 私は今朝のメモを持ってきていたことに気付き、取り出した。

「結界の張り方……か……」

 少し湿ってしまったそのメモを見ながら、決心を固めた。私はもう一度強くなると……


 私はそのメモ通りに色々試してみた。でも何度やっても上手くできない。それでも自分でやれるだけのことをやろう、そう思っていた。



 どうやっても結界が張れた気がしないまま、すでに辺りは暗くなっていた。

 なぜかお腹は空いていない。きっと家に帰ってもミシェルは帰ってきていないだろうと思いながら、家に向かった。住宅街の各家々からいろんな食べ物の匂いがする。夕飯の準備に追われているのだろう。だが、なぜか食べたいという気持ちにはならなかった。

 

 家に着くと、案の定明かりが付いていなかった。


 いつもなら明かりの付いた家で、ミシェルが『おかえり!』と言ってくれる。

 『夕飯出来てますよ』と言い、私をダイニングへ促す。

 私が食べ終わるまでいつも見ていてくれる。

 私が夜遅くまでテレビを見て笑っていると、『早く寝ないと明日遅刻しますよ!』と言う。

 まるで、母親みたいだ。



 でも…今この家にはそのミシェルはいない……



 私は夕飯の準備もする気になれず、部屋に入った。部屋の窓から外を見ると、月が見えた。今日は上弦の月。もうすぐ満月……

 ミシェルは……今どこで何をしているんだろう……


「くっしゅん!」

 私はタンスの中からバスタオルを出し、頭を拭いた。


 風邪ひいたかな……

 きっと、こんな時、温かいスープでも作ってくれるんだろな……


 私はずっとミシェルのことばかり考えていた。



 その時だった。静かなはずの家の中が、なにか、ザワザワと音を立てる。壁という壁が何かに反応しているように、ピシピシと軋む。部屋に置かれた家具は微かに揺れ、机の上のペンが床に落ちる。

 私はまたあの大きな気配を感じ、急いで窓の外を見た。びっしりと建てられた家々の間に、大きな黒い雲の塊のようなものが見える。その雲の隙間から何かが見えた。


 あれは……フェンリル!?何か探している?まさか……


 私は心拍数がどんどん上がっていくのを感じた。だがそれを抑えられない。

「ミシェ……」

 恐怖で名前を呼びそうになった。だが私は我に返り、口を閉じた。


 私一人でなんとかしないと……でもどうすれば………



 とりあえず私は机の下に隠れた。まだ右腕は何も反応がない。もしかしてフェンリルが近くに来ると、右腕が痛むのかと思っていたのだが……家の窓は、ビリビリと音を立てている。近付いているのか……声を出さないよう、見つからないよう、私は息を潜めた。

 すると、急に家の中のいろんな反応がピタリと消えた。私はフェンリルが通り過ぎたのかと、恐る恐る窓の外を見た。


「あっ……!」

 私は道路と家のフェンスを跨いでいるフェンリルと目が合ってしまった。



 その瞬間雷鳴がとどろき、嵐のような激しい音と共に、窓ガラスが粉々に砕け散った。外から中へと飛んでくるガラス。私は思わず頭を抱え、しゃがみこんだ。

 フェンリルは割られた窓から部屋の中に顔を突っ込み、カーテンを引きちぎった。そして大きな口を開け、手当たり次第に噛み砕いていく。全ての家具が砕かれ、その破片は強い風に巻き上げられる。私は震える肩を押さえ、部屋の隅に体を寄せた。


 フェンリルは、散々部屋の中を掻き混ぜた後、部屋の中を見回し、またゆっくりとどこかへ歩いていった。私はそんなフェンリルの行動を不思議に思った。


 フェンリルは私を狙っていたんじゃないのか?


 私はその場に座りこんだ。そして、嵐の後のような自分の部屋を見て、ぞっとした。



 その後、改めて部屋を見渡すと、妙なことに気付いた。

 床を見ると、私がいる所から半径一メートルくらいの所まで、ガラスの破片が一つもない。砕かれた家具の破片も私の近くには何も落ちていない。そして私はケガ一つしていない。割れたガラスがあんなに飛んできていたのに……もしかしてこれが[結界]?



 だがしばらくして、胸の鼓動が落ち着いてもいないのに、また別の異変を感じた。

 右肩の痣の辺りからズキズキと痛みが走る。それと同時に物悲しい感情が胸の奥から沸いてくる。私はあの海底にいた彼女のことを思い出した。


 これ…[フィルグスの封印]って言ってたっけ……彼女腕を見せて欲しがっていた……これがフェンリルに反応しているんじゃないなら、もしかしたら彼女からの信号かもしれない。



『咲夜……まだ早いんですよ…今出てきたら……』

『新月ではまだダメなんです……月が満ちるまで……次の満月まで待たなければ……』

 ミシェルが言っていた。

 まだ早いって?今出てきたら……満月まで待たなければどうなるって言うんだ……

 


 私はこの悲しみに打ちひしがれた感情を押さえられず、自らの意識をあの海底へと向けてしまった。



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