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第6章 月が満ちるまで

───何か聞こえる?…歌だ。誰かが歌っている。

 女の子の声?透き通るような…そしてとても冷たく悲しい声…

「助けて…ワタシをここから出して…」

 この声を聞いていると私の胸も苦しくなった。何か、物悲しい気持ちが込み上げてくる。



 ハッとして目を開けると、そこは海の中だった。水中なのに息が出来ている。

【ここはどこなんだ……?】


 暗い海の底近く、だが空からの光が僅かに届き、海中を照らしていた。

「助けて…」

 周りを見回したが声の主が見つからない。だが、微かに声が聞こえる。

【どこから?泣いているのか?】

「出して…」

 私はその声を捜しに海中をゆっくりと歩く。長く伸びた海藻が行く手を阻む。

「誰か…」

 海藻を掻き分け進むと、大きな岩がいくつも積まれている。その下から声が聞こえる。

「誰か…ワタシを助けて…」


 私は長い海藻を掻き分け、急いでその岩の下に向かった。岩の隙間からは、鎖の音?

 その音は岩の隙間の向こうで止まった。

「アナタ…誰?」

 声の主は、岩の隙間の中にいる…?


 私は驚いて叫んだ。

「そっちこそ!こんなところで何してるんだよ!閉じ込められてるのか?」


 その岩の隙間から僅かに見えるその人は、白い服を着ているということだけがわかる。ゆらゆらと揺れているその白い服は、まるでドレスのようだった。


「ずっと待っているの…アノ人が来るのを…」

「『アノ人』って誰のことだよ!」

 私は気になってすぐに聞き返していた。


「ワタシの婚約者…あの人に逢いたい…」

「婚約者?どこにいるんだよ!」

「カレは…ワタシの分身体を探しているわ…」

「分身体?」

 私がそう言うと、岩の隙間からジャラリと鎖の音がして、細く白い腕が出て来た。手首には重そうな鉄の輪。それをわずかに隠すのは、広い袖口の白い服。肘の辺りでゆるしぼってある。


 彼女の物悲しさが流れ込んでくる。

 胸が締め付けられるほどの悲しみ…これは彼女の感情……?


「アナタの…腕を見せて…」

 そう言われた私は、咄嗟に水を掻き分け、出されたその腕に手を伸ばした。




 あと少しで届く、その時だった。


【咲夜!】

 脳裏に響く聞き覚えのある声と共に、海の上の方から水の渦が勢いよく降りてくる。

 私と彼女が伸ばしていた手は渦に流され、私はそのままその渦に飲まれてしまった。


 ぐるぐると竜巻のように渦を巻く水の中で、まるで誰かに包まれているような、そんな感覚がした。

 そして、私の周りには、たくさんの白い粒。これは…氷…? ───



──気付いた時は、ベッドに座るミシェルの腕の中だった。痣の痛みは消えている。

 だが、私の胸のうちは物悲しさでいっぱいだった。


「あの人は!あの人!岩の隙間に入れられてたんだよ!鎖がついて…!」

 勢い良くベッド横に立ち上がり、ベッドに座ったままのミシェルの両肩を掴んだ。

「海の底に沈められてるのか?あの人、助けてって言ってたんだよ!助けないと!」

「咲夜、落ち着いて」

「だってさ!あんな暗い海の底に一人で…!助けてって…!」

「咲夜!」

 ベッドに座るミシェルは強い口調でそう言って、両肩を掴んでいた私の腕を払い落とした。


「咲夜、まだ早いんですよ。今出てきたら……」

 ミシェルは静かに言う。

「何が早いってんだよ!あんな…あんな白い腕をして…きっと、ずっとあの暗い海の底にいたからだよ!出してあげないと!」

「咲夜!落ち着いて僕の話を聞いて!」

 ミシェルも徐々に声を荒げる。

「どうしてあと少しで助けられそうだったのに!邪魔したのはミシェだろ!なんでだよ!助けてって言ってたじゃないか!今にも泣きそうな声で!」


〈バンッ!〉

 興奮する私を前に、ミシェルはベッドの脇にあった机の上を手のひらでで激しく叩いた。机の上にあったグラスは倒れ、中に入っていた水が机の上から床へこぼれ落ちる。

「今は…とにかく落ち着いて。それから…僕の話をちゃんと聞いて」


 私はやっと自分が興奮状態だったことに気付き、ベッドに座るミシェルの隣にストンと腰を下ろし、うつむいた。

「いいですか?まず落ち着いて下さい。今冷たい水を持ってきますから。ちょっとそのまま待ってて下さい」

 ミシェルはそう言って部屋を出て行った。



 そしてしばらくの間、私はさっきの出来事を思い出していた。

【深い海の中、岩の隙間の白い腕……あれは誰なんだろう……フィアンセを探しているって言ってた。そのフィアンセは彼女の分身体を探している……?私の腕を見せてって……もしかして痣のこと?そういえば確かあそこへ行く前、腕の痣の所が凄く痛くなって……私、意識を失った?】


【そうですよ。その意識を失う前のことも、思い出してみて下さい】

 突然頭の中にミシェルの声が響き、驚いた私はすぐにベッドから飛び上がった。

 

【意識を失う前、腕が痛くなりましたね?その前は、何をしていましたか?】

「え〜っと…月のない空を見てたけど…」

 私はブツブツ言いながら、声の発信源を探した。

 ミシェルの姿は見当たらない。


【新月ではまだダメなんです…月が満ちるまで…次の満月まで待たなければ…】

 どこから声が聞こえているのか探っている間に、ガチャリと部屋のドアが開いた。

「ミシェ…!」

 部屋に入ってきたミシェルは、緊迫した表情をしていた。



【驚きましたか?以前にも何度かこうして会話をしたこと、覚えていませんか?】

 部屋に入ってきたミシェルは、自らの声を私の脳裏に響かせ、持っていたグラスを私に渡した。

「!…いつ?」

「1つは、[フェンリル一族]のものが来た時です」

 通常のようにミシェルの口から発っせられた言葉に、私はしばらく考え、グラスに入れられた冷たい水をゴクリと飲んだ。


「あ!…[ニズ]!」

 そうだ……あの時『ニズと呼んで』と言った言葉は、脳内に響いていた。

 そして、私を追いかけてきていたものはやっぱり……[フェンリル]の一族……!


 ミシェルはそのまま話し続けた。

「咲夜の持っていた本、北欧神話の本ですが……あれには書かれていないことがまだまだあります」

「書かれていないこと……?」

「えぇ。知っておいて欲しいのは……フィルが帰った場所、ナーストレンドでは、世界終末の日を迎えてもなお、二千年近くに渡り争いが続けられています。その争いとは、先日現れたフェンリル一族と、ニズホッグとの間で、です。理由は……些細なことだったんですけどね」


「ミシェルとニズホッグって、何か……繋がりがあるんじゃないのか?ミシェルはニズホッグなのか?」

 私がそう聞くと、ミシェルはちょっと暗い顔をした。


「僕は……ニズホッグそのものではありません。アース神族です」

「アース神族……?九つの世界の一番上にあるアースガルズに住む……神?降りられるもんなのか……?」

「そうですね……ラグナロク以前は[神]と言える者がほとんどでしたが、今はもう神というのは名前だけになりつつある気がします。それぞれの世界の境界がなくなってきているというのが正しいのかもしれません。

 今でこそ[神族]がこの人間界……ミズガルズへ降りることができるようになりましたが、それもごく限られた者のみ。[神族]の持つ波動は、ミズガルズには受け入れられないほどの大きさです。その波動が小さい者は容易に降りられますし、逆に波動を小さくできる能力のある者ならば降りられるでしょう」


「ミシェは……?」

「僕は……」

 ミシェルはそう言いかけ、言葉を詰らす。


「そう、ニズホッグは今もフヴェルの泉に棲んでいますよ」

「ミシェはニズホッグの何なんだ?オマエはいったい何者なんだ……?」

 私がそう聞くと、ミシェルはため息をついた。

 聞いてはいけないことだったのか……?



 それからミシェルは少し優しい顔をして、話を切り替える。

「で、もう一つの会話ですけど……先日フェンリルの末裔を始末した後、僕たちの家に到着し、家に入る前です。あれは逆に、あなたの思考回路が僕に駄々漏れでした」

「は?駄々漏れっ?」

 私は慌ててあの時自分が何を考えていたのか、必死に思い出そうとしていた。

 何か、聞かれちゃマズイこと……考えてなかったか……?


「あの時、かなり心乱れていたようで……いろんなことを延々考えている姿は……」

 そう言いかけ、ミシェルは静かに微笑む。

「可愛かったですよ」

 私は自分の顔が赤くなるのがわかった。


「はぁっ?何言ってんの!何が『可愛かった』だよ!勝手に脳内覗き見しやがって!」

「いえ、駄々漏れだったんですって。聞くつもりじゃなかったんです。きっと、気が緩むと流れ出てしまうんでしょうね」

 ミシェルはくすっと笑う。


「気が緩むと流れ出ちゃうって!緩むも締めるもないだろッ!あのさ!普通考えてることが人に伝わることないんだからな!それを駄々漏れって!」

「大丈夫です。おそらく僕にしか漏れていなかったはずですから」

「それどういうことだよ!」


 するとミシェルは真顔になった。

「あなたは僕が渡した白いハンカチを持っていますね?いつも肌身離さず持っていてくれて」

「なっ……まさか……何か仕掛けられているのか……?」

 私はポケットの中のハンカチに手をやる。


「えぇ。それには僕の術をかけてあります。そのハンカチの使い道は、また後ほどお話しますが……」

「脳内覗き見する術でもかけてあるのかよ」

「いえ、そういうことではありません。まず、あなたの思考が狼一族や他のものに漏れないようにしてあります」

「これで……漏れないように……?」

「はい。あなたは思考が漏れすぎる。それだけでも危険と言えるでしょう」


「『漏れすぎる』って、どういうことだよ」

「あなたはご自分が、他の[人間]と違うということに気付きませんか?」

 ミシェルのその問いに、私は少し戸惑った。


「……私は物心付いた頃から色々な気配を察知していて……ただそれだけじゃないか…」

「他の[人間]でそういう方はいましたか?」

「…いなかったよ……」

「そういうことです」

 言葉を詰まらせながら答えた私に、ミシェルは即答し、私の目をまっすぐに見つめた。

 だが私は見つめ返すことができず、目を逸らした。



「他にも何度か思考が漏れていることがありましたけど……そのうち慣れるだろうと、僕はあえて何も言いませんでした」

「…………」

 何も言い返せない私は、グラスの水を一気に飲み干し、濡れた机の上に叩き置いた。



「あともう一つは……おそらく相当動揺していたのでしょうね。忘れているでしょう?」

「動揺?」

 ミシェルは私が置いたグラスを避け、持ってきた布巾で濡れた机の上を拭きながら静かに言った。

「僕が……フィルグスを消した時です」

「あっ……!」

 私は忘れようとしていたあの出来事をまた思い出してしまった。



 男がフィルを弾き飛ばし、壁に打ちつけられたフィルは地面に落ち、消えた。

 いともたやすく、残酷なまでに、私の目の前で……

 そしてあの白い壁には……フィルの……血が……たくさんの血が………

 

「『フィルグスはナーストレンドに帰った』と、そう僕は言ったと思います」

「あ……男の……体を裂く……?フィルが……?あの……フィルが……!」

 私は急に混乱して、目の前が真っ暗になった。


「しっかりして下さい!落ち着いて」

 ミシェルは机を拭いていた手を止め、そのままベッドに塞ぎこんだ私の肩に手をかけ、何度も呼びかけた。それでも私はさらに錯乱していた。


「あの白い壁にはたくさんのフィルの血が飛び散っていた!私は!私は思い出したくはなかった!あの出来事は……あの出来事は私の中にあってはならない記憶……フィルが!ナーストレンドに行くはずなんかないんだよ!死者の体を裂く?フィルは守護獣なんだ!そんな……私を騙すようなことするはずがないんだよ!」


「咲夜…」

 ミシェルは震える私をそっと抱き起こした。

 そしてベッドに座る私の前で立ち膝になる。

「咲夜……僕は……謝らなければいけません……あの時のことを……」


 私はさらに怒りがこみ上げてきた。



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