第5章 解けない謎
「君が雄吾君?よろしく」
ミシェルは道路にいる雄吾の前に立ち、ニッコリと笑い右手を差し出した。ミシェルのその笑顔は、明らかに意味深なカンジだった。
雄吾は私の顔をチラリと見た。そしてちょっと考え込んだ後、ミシェルに言った。
「姉が!先日お世話になりました〜!アッハッハ!」
「バカッ!何言ってんだよ!」
私は慌てて雄吾の言葉を遮る。
だがミシェルはそれに動じることもなく、雄吾に言った。
「あぁ、あの方の弟さんでしたね。こちらこそ」
『でしたね』って……ミシェルは雄吾のこと知ってるのか……?
ミシェルは素早く雄吾の手を掴み、必要以上の力で握手した。
「いでででででっ!姉のこと!覚えてて…いでっ…くれてたんスね!」
体育会系の雄吾が痛がるなんて、相当な馬鹿力……当たり前と言えば当たり前か。
どうやら雄吾は、ミシェルが[兄貴]ということはわかったようだが……
ミシェルは雄吾の姉さんを覚えてたっていうより、[雄吾]を覚えてた……?
「お兄さん、咲夜と似てなくてかっこいいッスねぇ!」
私はギクリとした。
「似てないですか?ふふ……まぁ[異母兄妹]ですから。先日フィンマルクからこちらへ来たところなんです」
ミシェルはまたとんでもないことを言い出した。
異母兄妹って……しかもフィンマルク…!
雄吾は興奮し始めた。
「やっぱり!オレが思った通りだ!フィンマルク人みたいな顔してますもんね!」
私は少し間を空けてから、冷たくツッコミを入れた。
「『フィンマルク人みたいな顔』って、どんな顔だよ」
「アッハッハ!」
「笑ってごまかすなよ」
すると、雄吾が言う。
「てかさ、フィンマルクってなに?」
私はガックリと肩を落とし、ミシェルの方をちらりと見た。
ミシェルはそしらぬ顔をしている。
「あのな雄吾、フィンマルクってのは、北ヨーロッパ、北欧の一番北にある、ノルウェーの中でも最北端にある地名」
「ふぅ〜ん。お前よく知ってんな。補習テストがビリだったやつとは思えんな」
「うるせぇよ!」
私は思わず雄吾の胸辺りにパンチを入れる。
再びミシェルの方を見ると、ミシェルは私を見てにっこりと笑った。
北欧神話で最北端にある国はニヴルヘイム、ニズホッグが棲むフヴェルゲルミルの泉がある国。何気に調べといたことが、こんなとこで役に立つとは。
しかしなんで[そこ]なんだ。結局ニズホッグに繋がっている……
「しかしほんっと似てないですよね!いや似てる…ような所もあるかな…いや…やっぱ似てない…ような似てるような〜」
「煮え切らないヤツだな。どっちなんだよ」
そう言いながら、先日雄吾が言ってた言葉を思い出した。
そういえば、こないだ雄吾は『異母兄妹なんじゃないか』と言っていた。
雄吾のカンがいいのもわかるけど……それだけか…?
「まぁ、お前とは違うってことだよ〜」
雄吾はニヤニヤしながら私に言った。
そして続けてミシェルにも言う。
「あ!てことは英語ペラペラなんですね?もしかしてギターも超ウマいんじゃないスか?オレに教えて下さいよ〜!」
「ハハッ!オマエ、なんで英語ペラペラだとギター上手いってことになるんだよ」
雄吾の意味不明な言い回しに、思わず私は笑ってしまった。
「何言ってんだ、英語ペラッペラだとギターもうまいって決まってんだよ!」
「じゃ、英語赤点の雄吾はギターもまるでダメってことだな?」
「オレは〜あれだよ…その〜…これから英語うまくなるんだから!ね、お兄さん!」
しどろもどろになってる雄吾は、デカイけどかわいい。
「あ!ちょっと待て、なんで英語!?違うだろ!」
言語の違いに気付いた私は、慌ててミシェルを見たが、再び知らん顔のミシェル。
私はちょっと困ってしまった。
「じゃぁ何語なんだよ」
「う〜ん………フィンマルクはだいたいブークモールだろ」
「なんだ?そのブークなんとかって」
「いわゆるノルウェー語だよ。あ、違うか、フィンマルクは北部サーミ語?」
【……って、ミシェルはホントにあっちの言葉しゃべれるのか?】
そう思った私は、ちらりとミシェルを見た。
「僕は古ノルド語が好きですけどね」
ミシェルも私をちらりと見る。
「古ノルド語!?古っ!ミシェはノルド祖語かとも思ったけどね!」
「古ノルドよりノルド祖語のが古いじゃないですか!それは祖父の代で終わりですよ!」
「へぇ〜。ホントにしゃべれるんだ?」
「北欧はかなりの言語が入り乱れてますからね。でも僕が一番好きなのは日本語ですよ」
私とミシェルは目を合わせ、二人でニヤリと笑った。
それを見ていた雄吾は痺れを切らしたように、頭を掻きむしる。
「あぁぁ〜〜〜っ!!もう〜何語でもいいんだよ!オレは[何でもできるお兄さん]に、英語でもギターでも、何でも教えてもらうんだよッ!」
「ふぅ〜ん。そうなんだ〜」
私はくすくす笑いながら、白々しく納得したフリをした。
するとミシェルが言った。
「そうですね。そのうち[色々なこと]教えて差し上げますよ」
「『色々なこと』?…なんだ?『色々なこと』って」
私はそのミシェルの含みのある言い方が少し気になった。
「おぉ!『色々なこと』!やっぱ音楽事務所出入りしてるだけありますねぇ!」
「バッ!バカ!何言い出すんだよ!ミシェがそんなとこに出入りしてるわけないだろ!」
私は慌てて雄吾の口を遮った。
《バカヤロ!あとつけたって言ってるようなもんだろっ!》
《あ!そっか!やべぇ!やべぇ!》
《大体音楽事務所なんて全然関係ねぇしッ!》
《ハハッ!いいんだよ一応ホメとけばさッ》
《それ褒め言葉なのかよッ!意味わかんねぇって!》
私と雄吾がコソコソ話していても、ミシェルは顔色一つ変えなかった。…というより、むしろ少し冷ややかな目線をしたように見えたが……
「[僕の代わりに]咲夜を学校までよろしくお願いしますね」
私は思わず、そう言ったミシェルの顔を睨んだ。
【[僕の代わりに]って……絶対本気で言ってないだろ】
私は心の中で呟いた。すると、それに気付いたかのように、ミシェルはチラリと私を見て含み笑いをした。
「もちろんでっす![お兄さんの代わり]でなくてもボクが責任持って送迎致します!」
威勢よく言う雄吾に、再びミシェルは思ってもいないであろう言葉を言った。
「頼むね」
それから雄吾と二人で学校へと向かい、ゆるい坂道を公道まで下りた時、私はなんとなく後ろを振り返った。緩い坂道を見上げると、道路まで出ていたミシェルが見えた。
まさか、ずっとこっちを見ていた…?
あれは…ミシェルはもしかして、わざと雄吾の姉さんに後をつけさせたのか?
ミシェルは雄吾を知っていたような口ぶりだった。
まさか、自分が近くにいるということを、私に知らせるため?
それとも何か別の意図があって……?
あの[狼のような犬]とか[聴力]とか…何か関係あるんだろうか……
私は態度のおかしかったミシェルを不審に思い、学校で色々調べてみることにした。
学校へ着くと私たちはすぐに図書室に向かった。廊下を足早に歩く私の後ろから、雄吾はズカズカと歩き、ついてきた。
「おい!こンのくそ暑いのに、なんでいきなり図書室なんだよ。まだ冷房効いてねぇぜ?」
「いいから来いよ!ちょっと調べたいことがあるんだよ」
「調べたいこと〜?なんだそれ」
私はその返答をごまかすように、聞き返した。
「それよりさ、さっきの何だよ、『ボクが責任持って』ってさ。彼氏でもないやつが言うセリフじゃねぇだろ〜。ケンカしたら私より弱いくせにな〜」
そう言って振り返ってみると、雄吾は真っ赤になっていた。
「うるせ!いつも負けてやってんのがわかんねぇの?あれはなぁ!売り言葉に買い言葉っつーの!」
「はいはい!ほら、図書室だよ!」
私は雄吾を軽くあしらい、図書室のドアを開ける。
そしてとりあえず犬の本を探した。犬の癖、犬の生態、色々調べた。特に犬の聴力について……
「何調べてんだよ?」
「ん〜…ちょっと……」
私は雄吾にきちんと返事もせず、必死に調べていた。
すると雄吾はしばらく考え込んだ後、何か閃いたのか、本を探しに行く。
そして、違う本を持ってきた。
「これ、狼も載ってるぜ?」
「あ!それも見せて!」
さすが雄吾だ。カンがいいというか気が利くというか。
雄吾が持ってきたいくつかの本をパラパラめくってみる。すると見覚えのある狼が載っていた。フェンリル……北欧神話に登場する巨大狼だ。そこにはそれ以外のものもたくさん載っていた。
「これ!ちょっとこの本借りるわ!」
「お、おい、貸し出しカード書かねぇと!」
「雄吾書いといて!!」
「はぁ〜?なんで俺が!」
私は表紙に[北欧神話の動物]と書かれたその本を持ち、急いで教室に向かった。
教室に着いてすぐ、私は自分の席に座りその本をパラパラとめくる。しばらくして、本の中盤辺りにそれらしきことが書いてあるのを見つけた。
[フェンリルは、神ロキと女巨人アングルボザの子。3匹の魔物のうちの1匹である]
魔物……か。やっぱり。雰囲気はそんなカンジだったな。
フェンリルの末裔ってことは、フェンリルの子供であるハティとマーニ?それともその子供とか?それら一族がいるってこと本には書いてないんだけど……
それとミシェルのあの姿……
黒い翼と長い身体と氷の粒、『[ニズ]と呼んで』と言っていたくらいだし、それに名前も[ミシェル・ニズ・フォルスト]っていうくらいだからね……。
まぁ本に書いてあることが正しいとすれば、ニズホッグは氷の国ニヴルヘイムにいるはずだから、そのものではないとしても……きっとどこか繋がっているんだろう。
[フィルは死者の国ナーストレンドへ帰った]と、ミシェルは言っていた。
本には書かれていない何かがあるような気がする……
私は延々とまた考え込んでいた。
「おい!いいもん載ってたか?」
雄吾が図書館から戻り、私の肩をポンと叩いた。
私は驚いて本を落としてしまった。
「ん?ニズホッグ?なんか気味悪いやつだな」
落ちた本が開いたページは、偶然にも大きく口を開けたニズホッグの絵が書かれていた。
「気味悪い?…でもね、これ、月明かりを浴びるとダークグリーンに光って綺麗なんだ」
「ふぅ〜ん」
私は落とした本を拾いながら、そんなことが本に載っていたわけではないのに、なぜかそう言っていた。
その日の夕方、私はミシェルが作った夕飯を食べていた。
ミシェルがこの家に住むようになってから、なぜかミシェルが食事を作ってくれる。しかもほとんど毎日和食だった。そしてミシェルはいつも私の分だけ食事を作る。
ミシェはいつも何を食べているんだろう?そういえば食べている所を見たことがない。
買い物もどうやって?お金も……どうしてるんだろう?
やっぱ『ちょちょいのちょい』なのか?
そう考えている私の前にミシェルは座り、私が食べているところをずっとにこにこして見ていた。
「なんだよじろじろ見んな」
「美味しそうに食べますね」
「別に!私は洋食のが好きなんだけどね!」
「洋食?日本人は和食でしょう?」
「固定観念は捨てろ」
そんな私の言葉を聞いているのか聞いていないのか、ミシェルはずっとご機嫌だった。
「オマエさ、なんでそんなににこにこしてんの?なんかいいことでもあったのか?」
「いえ、こういうフツーの何気ない生活もいいもんですね」
「はぁ〜〜?」
私は開いた口が塞がらなかった。
「あのさ!新婚夫婦みたいなこというのやめてくんない?しかも立場が逆じゃん!」
「僕は……こんな生活したことなかったんで」
そう言ってミシェルは顔を曇らせた。
そういえばミシェルの生活って……どういう生活してたんだろう……
謎の多いミシェルのことを考えつつも、私はちゃっかりお腹いっぱいになるほど食べ、部屋に戻った。
そして、以前ミシェルから渡されたあの白いハンカチを手に取り、右肩の痣と同じ紋様を見つめた。そのハンカチにはまだフィルの血の花びらが入ったままだ。
私はそのままべッドにゴロンと横になった。
今のところ右腕に変化はない。
確かあの日、あの狼が現れた日の朝から痛んでいた。
そしてミシェルが触れた時に白い翼になり、手を離した時に元に戻った。
「もしかして……」
私は勢いよくベッドから起き上がり、部屋から出て階段を駆け下りた。
「ミシェ!」
「ん?なんですか?」
キッチンで後片付けをしているミシェルの手を取り、私の右腕にその手を当てた。
……が、私の腕は何も変化なし。
ミシェルの手で私の右腕をさすってみた。……さらに激しくさすってみた。
それでも変化なし………
「ははは。痛いですよ。どうしたんですか?」
平然としているミシェルに腹が立った。
「…なんでもないよ!」
ミシェルの手を振り落とし、また部屋へと続く階段を駆け上がった。
そして、再びベッドの上で、延々と解けない謎を考えていた。
なぜミシェルが触れても羽根が出てこない?あの羽根はどういう意味があるんだ。
『中にあるあなた』ってなんなんだ。
『いずれ来るであろうもの』って、なんなんだ…!
ミシェルはきっと私が探っているのを気付いている…なのに何も言わない。
それどころかあえて話を避けているようにも感じる。
でも遠まわしで私に何かを伝えようとしている気もする。
いったい何を考えているんだ……
そうして私はベッドの上で、天窓から覗く夜空を眺めていた。
今宵は新月。月の見えない空は暗くて、いつもより遠く感じた。そのまま何かに吸い込まれるような、そんな真っ暗な夜空。
私は一瞬めまいがして、目を閉じた。そして徐々に意識が遠くなるのを感じた。
「…痛っ!」
突然右肩の痣に激しい痛みが走る。私は必死に右肩を押さえたが、治まらない。あまりの痛みに私はベッドにうずくまった。
「うぅ〜ッ…なんなんだよまた……。治まれ!治まれ!治まれ!治まれ……!」
私は痛みに意識を集中し、効くかどうかもわからない言葉を、繰り返し念じ続けてみる。だが当然私の念も届かず、その激しい痛みに耐えられないまま私は意識を失ってしまった。