第14章 黒い天使と白い悪魔
荒く波打つ海岸の上空で、ボスと思われる狼と、黒い翼を広げたミシェルが戦っている。ミシェルの背後には、ミシェルによって動きを封じられているラシャが、ミシェルの結界の中にいる。両腕の白い翼を大きく広げたままの形で……
私はどうしてもミシェルを助けたくて無我夢中だった。自らに施していた結界を、持っていた剣で割り解除する。火花が散り、ガラスのように割れたカケラは砂地へ落ちて消えてゆく。
【咲夜!何をしているんですか!】
ミシェルが声を荒げて叫ぶ。
【今助けるからな!】
私は荒い波を掻き分け、ラシャが浮かぶ場所へと向かう。
「咲夜!戻ってこいよ!」
後ろから雄吾が痛々しい体を押さえ、追いかけてきていた。
上空にいたミシェルが私の方へ勢いよく飛んでくる。それと同時に狼たちも宙を駆けるようにこちらに向かってくる。
【咲夜!!】
そんな周りの状況も省みず、私は上空にいるラシャの近くまで来ると、そこに向かい思いっきり剣を投げつけた。
まるで私とラシャを繋ぐ糸のように、白い光がまっすぐに飛んでいく。その先には白く光る剣。そのまま剣はミシェルの結界を貫き、ラシャの胸元に当たる瞬間だった。
ラシャは強い光を放ち、白い翼をゆっくりと羽ばたかせた。
【ニズ!今だ!】
私はすかさずミシェルに向かい叫んだ。
ミシェルは戸惑っている風だったが、私に促されるまま強い風を巻き起こす。その風は氷の粒を撒き散らし、海の上空で大きな渦を作る。そして狼たちを巻き込み、海水をも巻き上げる勢いだった。その後、ダークグリーンの光が辺りを照らし、ミシェルの体はみるみるニズホッグへと変化させてゆく。
強い風で荒波がさらに波打ち、それに流されないよう力を入れ見上げる私を、追いかけてきていた雄吾が抱き止める。
「あれが……ニズホッグ……」
雄吾は呆然と見上げていた。
直後、ミシェルの起こした強い風によって態勢を崩していたた狼たちは、一斉にニズに向かっていく。
【ニズ!】
私が叫ぶと、ニズは私の方を一瞬見て、集まってきた狼たちの周りをぐるりと囲う。そしてそのまま巻きつき狼の喉元を次々と喰らっていく。そこからは血が飛び散る。それと同時にニズは大きな翼を振り下ろし、狼たちの血を赤い花びらへと変えてゆく。
【おのれ……我は消滅などせぬ…ナーストレンドで待っておるからの……仲間よ……】
しゃがれた声が脳内に低く響く。
ダークグリーンに光る風は真っ赤な花びらを巻き散らした。それが収まる時、狼たちは全て消えていた。海面には大量の花びらが散る。
「これ……あの時の花びら……こういうことだったのか……!」
雄吾は私を抱きとめていた腕に力を入れた。
するとそこへ降りてくる白い光の塊。その中には白い翼を広げたラシャが目を瞑ったままで羽ばたいている。
「ラシャ!よかった!生きてるんだね?」
私はすかさず声をかけたが、ラシャは反応がない。
「おい……なんかヘンじゃねぇか?ちょっと離れようぜ」
そう言って雄吾は私の腕を引き、海岸へと歩き始めた所だった。
【咲夜!雄吾!】
ミシェルが叫ぶ声が聞こえる。
こちらに向かって飛んできている……?
だけど私の体……おかしい…?
私はめまいと共に、急に体に力が入らなくなった。そのまま海の中へ沈みそうになった私を雄吾は抱きかかえる。
「おい!どうしたんだよ!」
返事をしたいのに声が出ない。
【咲夜!しっかりして!】
勢いよく飛んでくるニズは、海中に潜り、私と雄吾を背中に乗せて上空へと飛び立つ。ニズの背中で雄吾に抱えられた私は、ぼやける視界の隙間から、ラシャの方を見た。ラシャは、白い翼を大きく羽ばたかせ、ゆっくりと顔を上げる。その顔は不気味な笑みを浮かべ、血のような真っ赤な瞳が私たちの姿を映す。
あれは…[白い悪魔]!
その姿を私が捉えると間もなく、私は完全に体の自由を奪われた。
【咲夜!心を許してはだめです!しっかりして!】
ミシェルの声が聞こえる。
【今意思を持たなければあなたは本当に消滅してしまいますよ!しっかり!】
消滅…だれが…?
耳を澄ますと、羽ばたく音と荒れ狂う波の音。
今何が起きているんだ…?
私は遠のきそうな意識のまま、周りの状況を把握しようとしていた。
「おい![兄さん]よ!なんなんだよあれは!」
雄吾の声がする。
【ラシャが完全開放してしまっています。でもフィルグスの封印をつけたままの状態で…】
「それって何とかなんねぇのかよ!」
【今のままでは狼一族の念がラシャを動かしている状態なので、今のラシャはどう動くかわかりません】
「わからねぇじゃなんともなんねぇだろ!何か方法あるんじゃねぇのかよ!」
【あるにはありますが……】
「ならそれやるしかねぇだろ!」
【えぇ……そうですね】
ミシェルは言葉を詰まらす。
ラシャが完全開放……?
それって私が消滅するってことじゃない?
そっか…私……ラシャにかけられたミシェルの結界解いちゃったんだ……
だからだ…もう私は………
そこへしゃがれた声が響き渡る。
【われらを全て消した所で、われらには何の問題もないわ…王妃の魂はわれらの手の中…これで再びラグナロクが訪れるのじゃ…ふはははは!】
ラグナロク……?
世界終末…また訪れる…って……?
「くっそぅ…!ラシャは完全に乗っ取られちまってんのかよ!出し惜しみしねぇで術でもなんでも出せよ!このままじゃ咲夜が消滅しちまう!」
雄吾がそう言うと、[白い悪魔]はゆっくりと口を開いた。
体の自由を奪われた私は、ニズの背中で雄吾に抱きかかえられていた。遠のきそうな意識が微かに残る中、荒く波打つ海の上に浮かぶ白い悪魔と、黒い翼のニズホッグになったミシェルの会話に耳を傾ける。
【ミシェル…アナタはニズホッグの血が流れているのよ…アナタは穢れた血を持って生きているの…ワタシたちと同じ、狼一族と同じなのよ…さぁ…一緒に向かいましょう…世界の終焉をこの目で見届けましょう……】
【違う!ラシャ!君はアース神族だ!そして僕もだ!ラグナロクはもう二度と起こしてはならないんだ!目を覚ませ!ラシャ!】
【本当はニズホッグの血が騒ぐでしょう…?何かを傷つけ、喰らい、血が流れる…それを見てアナタは幸せに満ちる……】
【ニズホッグは……狼一族とは違う!そんなことをして喜びはしない!】
【ナーストレンドでニズホッグは何をするの…?血をすするでしょう…?そしてそれを合図に狼たちは死者を喰らうのよ?】
【違う!それは歴史と共に捻じ曲げられた作り話だ!】
【同じ第三層に棲むもの……同じ意思を持ち、同じ世界を作り出す……】
【君は……もう全てを狼一族に捧げてしまったのか…?】
【ワタシはカレらに選ばれたの……】
【違う!思い出せラシャ!君は世界樹からヘルヘイムへ落ちた、そして狼一族に捕らえられた…君がアースガルズに戻らなければ、アース神族は老いて朽ち果て滅びてしまう!】
「あのさ!ごちゃごちゃ言ってねぇでなんとかしろって!」
痺れを切らした雄吾が口を挟む。
「それよりラシャ!お前はもう元に戻る気はないのか?オレは、あんたのために生きてる咲夜を、どうしても助けたいんだ!あんたの分身体だか何だか知んねぇけどよォ、咲夜は咲夜として現に今こうして生きてきてるんだよ!あんたらの事情で消されてたまるかってんだよ!」
【咲夜……ワタシの分身体…可愛そうな子……】
「可愛そうなのはお前だよ!何百年もの間ずっと幽閉されてきたんだろ?ずっと孤独に……ずっと待ってたんだろ…?」
【ワタシが…可愛そう…?】
「あぁそうだ!咲夜とおんなじようなツラしてるくせに幸せ感じたことないような目ェして……本当に根っから腐っちまったのかよ!」
【ワタシは…待ってた……ずっとあの冷たい水の中で…ミシェル…アナタを……】
そこに再びあのしゃがれた声が響く。
【ラシャ!おぬしは我らの王妃となるのじゃ!そのまま術を使いあやつを消してしまえ!】
その声と同時にラシャの目が赤く光る。そして体全体から黒い光を放ち始めた。だがその間を縫うように、白い光も放たれる。
【何をしておるのじゃ!フィルグスの封印を解くことはならんぞ!】
白い翼で自らの体を覆うラシャは、放たれた黒い光をどんどん白くしてゆく。
「おい!あれなんなんだよ!どうなるんだよ!」
【今ラシャはフィルグスの封印を解こうとしています。ですが彼女の意思だけでは叶わない】
「じゃぁどうすんだよ!」
【咲夜…聞こえますか?ラシャに魂を呼応させて下さい。意思を強く持って…そして剣を……ラシャの両腕を…あの翼を切り落として……】
「なっ!何言ってんだよ!そんなことしたらラシャが消滅するんじゃねぇのか!」
魂を呼応…?
意思を強く持って…?
ミシェルが……そう言っているんだ……!
そう思った瞬間、動かなかった体に力が入る。そして私は再びゆっくりと目を開けた。
「咲夜!生きてるじゃねぇか!」
私はそう言って抱きしめてくる雄吾に体を起こされ、自らの力でニズの背中に立ち上がる。右手にはあの白い剣を握っている。
そして、黒い光と白い光に包まれたラシャを見据える。
【咲夜…ラシャの翼を切り落として…!】
だが私は躊躇った。
「あの両腕を切り落とす…?それでラシャはどうなるんだ……本当にラシャを救えるのか…?」
【何を躊躇っているんです!狼一族の術が再び強化される前に!早く!】
「大丈夫だって!ラシャを切ったって、お前の腕がなくなるわけじゃねぇよ!」
【恐れているんですか!?大丈夫!意思を強く!】
ミシェルと雄吾が私へと何度も叫ぶ。
腕がなくなる…?私の?
消滅を怖がってる…?誰の消滅を…?
そうか…私が分身体……
でも私が痛むことはなんてことない…
それよりラシャを……
「ミシェ!ラシャの翼を切り落として、ラシャは助かるのか?」
「助かります!咲夜とラシャが魂を呼応すれば必ず…!」
「………わかった」
その瞬間私はニズの背中から飛び降りるようにラシャの方へ向かった。手には白剣。俯いていたラシャはゆっくりと顔を上げる。
そして赤い目を光らせ、私を見た。
私は一瞬にして恐怖に包まれた。