第10章 届かぬ想い
「あン時……なんで泣いてたんだよ」
ようやく雄吾の言葉を聞き取れた。私の方を向いて話している。
私たちは隣同士でソファーに座り、しかもいきなり聞こえた言葉がこんな質問で、私は戸惑ってしまった。
私の口は勝手に答える。
「心配かけてごめんなさい……雄吾の前だったから……」
「咲夜、今日はやけに素直じゃん?兄貴と仲直りしたのか?」
「え、えぇ……兄さんは、もうそろそろ帰ってくるかもしれないわ……」
《『兄さん』? いやいやいや……私そんな風にミシェルのこと呼んだことないんだけど!》
私は、自分の口が勝手に答える内容にひどく驚いていた。
そして、雄吾も不思議に思ったらしく、私の顔をマジマジと見た。
「おいおい大丈夫か?やけにしおらしくなったもんだなぁ〜。熱でもあんじゃねぇか?」
雄吾は私の額に手を当てる。だが、その手からさりげなく逃げるだけの私。
いつもの私なら引っぱたくんだけど…まさかこれ、夢とかってオチじゃないよなぁ……
「大丈夫よ。確かに先週海見ながらずっと雨に当たってたけど、一週間経てば風邪ひいてたとしても、治ってるでしょう?」
一週間!あれから一週間も経ってるのか?その間、私はどうしてたんだろう……
それよりおかしいよな……どう考えてもおかしい……私……
特に話し方が……
勝手に動き勝手に話す自分に、どんどん違和感を感じ始めていた。
「そうじゃなくてさ…なんつーか…」
雄吾は真剣な顔をしながら私の顔を覗き込む。そして…
「な〜んでオマエ、そんな女らしくしゃべるんだよォ!」
そう言って雄吾は嬉しそうに抱きついてきた。
「………」
だけど……無言の私。
《おい!なんで無言なんだよ!》
私は自分の体にツッコミを入れた。だが、そのまま雄吾に抱きしめられたままの私。
いつもの私なら間違いなくケリ入れてるんだけど!
雄吾もなぜかしばらく無言……
私の態度がおかしいと雄吾は気付いた?
でも常日頃から、クチの悪い私が女らしくしたらかわいいのに、とか言ってるくらいだからか……なんだか妙に……
《妙に力いっぱい必要以上に抱きしめてないか〜っ?雄吾ぉ〜〜〜〜ッ!》
そして私の腕は勝手に雄吾の背中へと回す。
《なんか……妙なシチュエーションだ………ヤバイ……》
だが私はその状況にどうすることもできず、ただ抱きしめ合っているしかなかった。
そしてしばしの沈黙のあと、二人は同時に口を開く。
「雄吾……」
「オマエさ!」
雄吾は抱きしめていた腕を離し、私の両肩を掴んだ。
「オマエさ!なんで今日は殴ったり蹴ったりしないわけ?いつもやってんじゃん。オレがちょっと顔覗き込んだだけでも顔をすげぇぐいぐい押してくるくせによ」
《……悪かったな。いつも殴って蹴ってばっかりで!》
「そんなこと……私が雄吾にできるわけないじゃない」
白々しく私の口から出る言葉。
ありえない……絶対おかしい……これ……いったい誰が話してるんだ……?
私は嫌な予感がした。
「そんなになるほど辛かったのか?兄貴と……全然うまくいかないのか?」
雄吾は真面目な顔で言う。
「大丈夫よ……気にしないで」
「いつもそんな話し方したことないじゃねぇか。あ!ま〜さか!オレが女らしくしろとか言ってるから、そうしよっかなーとか思い始めちゃったとか?アッハッハ!」
《げっ!絶対ねぇ!絶対ありえねぇからっ!》
私のそんなツッコミをよそに、私のクチはとんでもないことを口走っていた。
「えぇ……そうよ……」
《って、ぇえぇぇえぇぇぇ〜〜〜っ!言っちゃったよ!うっそだろ〜〜っ?》
私は自分の意思では全く動いてくれない体の中で、ジタバタしていた。
ところが雄吾の方を見ると、雄吾もまたショックを受けたような顔をしていた。
「おい……それって……オレのために自分の行い改めたってことか?」
「そうよ私、雄吾がいるからこうして幸せな気持ちでいられるってこと気付いたの。だから雄吾のために……」
《おいおいおい……ヤバイって!!このシチュエーションもだけどさ……私がこんなこと雄吾に絶対言うわけない……誰がしゃべってる?誰が私に成り代わってるんだ……!》
私の嫌な予感は、胸騒ぎへと変わっていった。
「なんかオマエ……別の人になっちゃったみたいだと思ったけど……」
「うん……」
雄吾のカンは結構当たる。
どうか、私じゃないと気付いてくれーーーーーーーッ!
「でもそんなオマエ……すっげぇ好きだ………」
雄吾はさらに力強く私の体を抱きしめた。
ガーーーーーーンッ!!!
《これって告白!?困るッ!絶対困るって!大体雄吾に、そんな恋愛感情とか一切ないんだからッ!!やめてくれよッ!》
だが、私の腕は勝手に雄吾を抱きしめ返す。
「うん…私も」
って!ギャーーーーーーーーーーーッ!
全身から大量の火が噴出す思いがした。
だがさらにもっと追い討ちをかける。
お互い抱きしめ合っていた手を緩め、見つめあう。
やがて私の顔が雄吾の顔に近付いて………
ヤメローーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!
〈がちゃっ〉
リビングのドアが開き、ドアを開けた主が立ち止まる。ミシェルだ。
それはそれでマズイと思いつつも、スンドメされたことに大きな安堵を感じていた。
驚いた[ワタシ]は、慌てて離れる。
〈チッ〉
そして舌打ちをしたのは……私の口?
「何してるんですか」
怒りを抑え、冷めた目をして低く静かにミシェルは言う。
そのミシェルの服は、所々破れていて、血が付いている。
よく見ると傷を負ったようだが……その傷は治っている……?
なぜミシェルがそんな姿に?
そんなミシェルを見た雄吾もまた、驚きを隠せない様子だった。
「悪いんですが雄吾君、ちょっと出てもらえますか」
怒りを抑えて静かに言うミシェルは、開けたドアを手で押さえ雄吾に目で合図する。
相当怒ってるんだろうか……?
誰に……?
「わ……わかりましたよ」
ミシェルの姿を見て尋常じゃないと察した雄吾は早々に部屋を出る。名残惜しそうに私の方を見る雄吾。
「咲夜!久しぶりに来たのに、悪ィな。また来るからよォ」
そう言って雄吾はリビングのドアへ向かう。私の目線はずっと雄吾を追っている。
「元気出せよ」
そう言って小さく手を振った雄吾を見て、ミシェルは睨みを利かす。
雄吾は頭をポリポリと掻きながら部屋を出て行った。
「はぁ〜っ!疲れたっ!」
私の体はソファーにもたれ、両腕を上に伸ばす。
雄吾がいたさっきまでの態度とは違う?
リビングのドアを閉めたミシェルは、窓の方へ歩いていく。
「何やってるんですかあなたは」
冷たい目でこちらを見るミシェル。まるで蛇に睨まれた蛙だ。
「[一週間もどこ行ってンだ。遅いじゃねぇか]」
私の口は、慣れないそぶりでわざとオトコっぽく言う。
「こちらの時間では一週間ですが、向こうでは一ヶ月以上もかかりました。それより……それ、誰のマネですか?似てませんよ」
「わかっちゃった?」
私の体は肩を竦める。
「ちょっとね、[あの子]使えるんじゃないかと思って」
『あの子使えるんじゃないか』って……どういうこと…?
窓側にもたれたミシェルは、再びこちらを睨む。
「何を考えているんですか」
「別に…あの雄吾とかいう子を[こっち側]に付けとけば、[あの子]はワタシに逆らえないでしょう?そうすれば[あの子]は……」
「あなたの言う[こっち]とは、どのことを言ってるんですか?まさか狼一族のことではないですよね」
ミシェルの瞳は濃いブルーになってゆく。
「ふふ……冗談よ。でも雄吾って子、反応がとても面白いわ。カンがいいのかしらね。アナタも気付いてるんでしょう?」
「…………」
ミシェルはリビングの扉の方を見つめる。
「それよりねぇ?アナタのその格好、どうしたの?傷だらけじゃない」
「僕のことはいい」
「そう言われてもねぇ……ま、アナタが死ぬわけないとは思っているけどね」
ミシェルは返事もせず、リビングのドアの方を見て、しばらく沈黙していた。
そして静かに指で宙を描き、何か呪文のようなものを唱える。
「軽結界?ここは通常の結界が張ってあるでしょう?必要ないんじゃない?」
ミシェルはまるで全く聞いていないかのように、別の話をし始めた。
「まだ[時期]ではないことはわかっているでしょう?」
立ったまま腕を組んだミシェルは、私の方を向いて話している。
「時期?そんなの、[あの子]がワタシの所へ来た時点で[時期]が来たということではないの?」
[あの子]って誰だ……?
「ミシェル…ワタシはずっとアナタが来るのを待っていたわ。もう百年近くになるのよ?」
ソファーから立ち上がった[ワタシ]は、私の意に反してミシェルの背中にもたれる。
百年だって……?どんな時間軸なんだ!
それに[コイツ]……やけにミシェルに馴れ馴れしい。
いや、雄吾にもだった……[コイツ]何者なんだ……
ミシェルは冷たい表情のまま、[ワタシ]を避けてソファーに浅く座る。そして自分の足に両肘を置き、両手を組んだ。ソファーから垂れるミシェルの黒いコートの裾には血がついている。乾いているのか少し黒ずんで見えた。
「どうするつもりですか。このままではまたフェンリルがここへ来ますよ?」
「ふふふ、いいんじゃない?だってミシェルは[ワタシ]を護ってくれるんでしょう?」
「何を言ってるんですか」
「護ってくれるんでしょう?ねぇ?」
そう言って甘えた声を出す[ワタシ]は、ミシェルの顔を覗き込む。
どう考えても話しているのは私じゃない……もちろん体を動かしているのも違う……
誰が私の体を使っているのか?でもあきらかにミシェルは私の方を見て話している。
話しているのが私じゃないということ、ミシェルは気付いているのか?
ミシェルは再び[ワタシ]を避けるように立ち上がり、カーテンを少し開けて外を覗いた。外は薄暗い。夕方だ……
「あなたを[護れ]と言うのですか?」
ミシェルがそう言って振り向くと、少しだけ開けられたカーテンの隙間から、窓ガラスが見えた。そこには部屋の中が映っていた。こちらを向くミシェルの背中と、それと向き合う私の姿。
ノースリーブの白いシャツにタータンチェックのミニスカート、これは間違いなく私の服だ。長い黒髪と……もちろん顔も私そのもの。なのに勝手にしゃべる口、勝手にミシェルにもたれ、勝手に動く……!
「ミシェル……アナタできないとでも言うの?」
「時期前に開放してしまったあなたを護る必要などないでしょう?ラシャ……」
『ラシャ』……?
そういえば!あの海底にいた白い悪魔……!確か交代するって言ってた……
誰にでもある深層の泉……その中にいたラシャと私が交代?
『ワタシが表に出られる』って……『ずっと中から見ていた』って……こういうことなのか!?
私はやっとラシャが言っていたことがわかった。
私は叫んだ。
《ミシェ!ミシェ!私はここだよ!この中にいるんだよ!私はずっと海の中で……》
私はそう言いかけ、途中でやめた。
そうだ…ミシェルは『まだ早い』と言っていたのに、私はあそこへ行ってしまったんだ……。どうしよう……もし私がここにいるということにミシェルが気付いたとしても、ミシェルになんて言えば……
私の中に不安がよぎる。
《あっ……》
でも、ミシェルに『百年近くも待っていた』と言わなかったか?
まさか!……ミシェルがラシャの婚約者……?
ミシェルは続けて話す。
「あなたは[時期]も来ていないのに、咲夜からフィルグスの封印を奪ってしまった。それがどういうことかわかりますか?」
すると[ワタシ]の目線は右肩に移る。そこにはいつもの痣。
《あ!よかった!消えたと思ってたのに》
私はホッとしていた。
ところがそのすぐ後に、反対の左肩に目線が移った。そこにもまた同じ痣が……
《なんで!なんで両肩に痣があるんだ!》
私の脳裏に浮かんだのは、あの[白い悪魔]の両腕、白い羽根の翼だった。
白い悪魔となったラシャが待っていた婚約者はミシェル……
『婚約者はワタシの分身体を探している』とラシャは言っていた。
分身体ってまさか……!