表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/17

第9章 白の脅威

───静かな海の底で、その歌は聞こえた。それはとても澄んでいるが、私の中の感情を増幅させるような、そんな歌声だった。

 私は再びあの積まれた岩の元へと進む。近付けば近付くほど、悲しさが私を責めるようで、胸が苦しかった。


 私が岩の前まで来ると、その声は歌うのをやめた。そして僅かなその隙間から、白い腕を静かに伸ばす。その腕を囲う白い袖口は、花が咲いたように広がり、ゆらゆらと揺れていた。



『咲夜……まだ早いんですよ……今出てきたら……』

 ミシェルの言葉が頭を掠める。 

 私は躊躇ちゅうちょした。



「助けて……」

 中から聞こえるその声に、私はどうしたらいいか迷っていた。


「この手を取って……ワタシを出して……」

 伸ばされた白い腕には頑丈に鉄の輪が付けられ、そこに繋がる鎖は下へと垂れ下がる。

「この鎖はどうすれば……?」

 私はそっと鎖に手を伸ばした。

 だがその瞬間。


「……痛っ!」

 急に指先に電気が走り、私は伸ばした手を引っ込めた。見ると、私の周りに張られたままだった結界が、火花を散らしていた。

「ダメだ……結界が……」

 

 あのメモには結界の張り方だけが書いてあった。

 だが、結界を解除するにはどうすればいいんだ…

 知らないうちに張っていた結界……どうやって張ったのかもわからないのに……


 私は結界に触れた指先を押さえ、しばらく考えていた。



 するとまた悲しい歌声が海の底に響き渡った。私は悲しみで胸が痛んだ。


「あなたがずっと私を呼んでいたんだね?あなたは……何をそんなに悲しく歌うの……?」

 私の問いに返事もないまま、歌声は続く。

「私は胸が痛いよ……これは……あなたの悲しみ?苦しくて苦しくて……」

 私は泣きそうな自分を必死で抑えた。

「どうか私に話して。私では……なんの解決にもならないかもしれないけど……」

 そう言いかけると、歌声はピタリと止まった。


 そして彼女は話し始める。


「ワタシはずっとここにいるの……この暗くて冷たい海の底で……」

「どうしてここにいるの?どうして鎖に繋がれて、こんな風に積まれた岩の中にいるの?」

「さぁ……どうしてかしらね……」

 彼女は岩の隙間から白い腕を伸ばすのをやめた。


「これ……何か知ってる?」

 そう言ってその岩の隙間から彼女が出したのは、白い羽根で覆われた翼の先だった。

「……なんで!?」

 その翼は彼女の左肩から伸びているようだった。そう、それは以前ミシェルが私の右腕に触れた時と同じ………


「出よう!こんなとこにいないで!」


 私は思わずそう言っていた。


「アナタ……ワタシを出してくれるの……?」

「うん!出よう!こんなとこにいちゃダメだ!」

 私はそう言って力いっぱい岩を押した。山積みになった大きな岩はピクリとも動かない。だが、私は彼女をどうしても出してあげたいと思った。


「ふふふ……そんなことしても出られないわ」

「え!?じゃ、どうやって……」

「手を出してみて?」

「手を?でも結界が……」

「そんな簡単な結界、壊せるわよ」

 そう言って彼女は私の方に手のひらを伸ばす。私も言われるがまま彼女に手を伸ばす。

 私たちは結界の膜を挟んで、そっと手を合わせた。


 すると私の周りに張られていた結界が、激しく火花を散らした。

「あっ!ヤバイって……!」

「離さないで!」

 そう言った彼女の手のひらからは、血が滴り落ちていた。



「やめろ……!何してんだ!」

 私はすぐに手をひいた。

「大丈夫よ」

 彼女がそう言うと、徐々に火花が収まっていった。


「ほら。手を出してみて」

 恐る恐る手を伸ばすと、張られていた結界は消えていた。驚いていた私を岩の隙間から見た彼女は、くすくすと笑いながら血の垂れた手のひらを赤い舌で舐めた。


 なに……?この子……


 私は鳥肌が立った。


「さぁ、手を伸ばして」

 そう言いながら伸ばした彼女の手のひらは、垂れていた血も消え、傷一つ残されていなかった。


『咲夜……まだ早いんですよ……今出てきたら……』

 ミシェルの言葉が木霊する。


 私は……この手を取っていいのだろうか……



 しばらく躊躇ちゅうちょしていると、また悲しい歌声が聞こえてきた。まるで催促をするかのように歌うその声で、私はまた胸が痛んだ。本当に悲しくて苦しくて……

  

「ワタシをここから出して…」

 歌をやめ、そう言った彼女の言葉は、何かの呪文のように聞こえた。



 気付けば私は右腕を伸ばし、彼女の手を取っていた。




「ありがとう」

 岩の隙間から少しだが、そう言って微笑む彼女が見えた。長い栗色の髪がゆらゆらと揺れている。岩の壁を挟んで繋いだ彼女の手は、私の手と比べても明らかに白く細く、そして冷たかった。


「あなたの名前は?」

 私がそう言った直後、岩の隙間から私の右肩辺りを見て、くすくすと笑う。

「それ、私にもあるのよ」

 彼女は白い翼と化した左腕の付け根の、私と同じ痣を見せてくれた。

「なんでそれを……!?」


 その問いの返事を聞く前に、繋いだ手からたくさんの水が吹き出してきた。その勢いで私は吹き飛ばされそうになる。彼女は私の手を力強く握った。細い腕を持つ彼女のものとは思えないほどの力で。


「ワタシの名前は[サクヤ]」

 繋いだ私たちの手から噴き出す水の音が、その声を掻き消そうとしていた。

 だが、私は聞き逃さなかった。


「私と同じ名前?……うそだろ……?」


 私が戸惑っていると、彼女は続けて言った。

「ふふふ……[あなたはワタシ。ワタシはあなた]……ということよ」


 その直後、吹き出ていた水はさらに勢いを増し、渦を巻いた。

 激しく渦を巻く水の音の中から聞こえてきたのは、高らかに笑うような、そんな彼女の歌声だった。

 すでにその時、私の手元には彼女の白い手はない。


「どういうことなんだよ!」


 私は渦を巻くその水の流れに飲み込まれながら、鎖をつけていない彼女が海の中を泳ぐのを見た。ひらひらと揺れる白いドレスを着た彼女は、ストレートで栗色の長い髪をしていた。その髪は足元まで延び、そしてその顔は、私ととてもよく似ている。


 彼女の[両腕]は白い羽根の翼になっていた。

 彼女は優雅に、羽ばたくように海を泳いだ。


「アナタのおかげで出られたわ」

 そう言ってチラリとこちらを見た彼女の目は、血のように赤い瞳だった。



「アナタ……知らないみたいだから教えてあげる。ここは深層の泉と言ってね、誰もが内に持っている場所よ。ただ[この泉]は特殊だけどね。アナタが[交代]してくれたから、ワタシはやっと表に出られる。大丈夫、ワタシはずっと中からアナタを見ていたから、何の問題もないの。

 そうだ、ワタシの本当の名前教えてあげる。[ラシャ]というの。ふふふ……』


 そして彼女は、また高らかに笑うような歌声を海の底に響かせる。



 私の意識が遠のいていく中、空から僅かな光が微かに差し込む深い海の底で、優雅に泳ぎながらこちらを見て微笑んだ彼女は、まるで【白い悪魔】だと思った。




***


 コポコポという音と共に目が覚めると、そこは冷たい水の中だった。

 なぜか息が出来る。だが、薄暗くて周りがよく見えない。伸ばしている両手は壁に当たっていて相当狭い。所々にある隙間からはほんの僅かだが光が射している。

 その僅かな光が照らしているのは、岩の壁?


 ここはどこなんだ……


 横になっていた体を起こすと、足元でジャラリと音がした。薄暗さでよく見えないが、鎖らしいものがあるということはわかる。そっとその鎖を掴もうとした時、再びジャラリと音がする。

「なっ…!なんだよこれ!」

 私の両手は長い鎖に繋がれていた。

 私は慌てて立ち上がり、岩の隙間から外を見た。そこは見覚えのある場所。


「あっ…!」

 そこでやっと私は、先ほどの出来事を思い出した。ここは間違いなく彼女が閉じ込められていた場所。だが、すでに彼女の姿はここにはない。

 私は急いでその岩場の内部を見渡したが、出口が見つからない。どうすることもできない私は、しばらく立ち尽くしていた。



 冷たい水、狭くて暗くて、よく見ると岩の壁の隙間には苔がたくさん生えていて、触るとぬるぬるしている。足元も硬くて冷たい岩ばかり。天井は手の届く所にはなく、どの位の高さにあるのかは、暗くてよく見えない。

「こんな場所に……彼女はずっといたんだ……」


 私は彼女のことを考えた。

「彼女はいつからここにいたんだろう……。そういえば……」


 私は僅かに光が入り込んでいる場所へ行き、自分の右肩にあるフィルグスの封印を見た。その瞬間、衝撃が走る。

「ない!なんで?」

 封印が消えている。跡形もなく。私は慌てて、左肩も見た。何もついてない。

「そういえばあの白い悪魔……[両腕]が白い翼だった……」

 私は一瞬にして血の気がひいた。


「どうしよう……まさか!彼女にフィルグスの封印を盗られた……?」

 フィルグスの封印を奪われたことでどうなるのか、今の私にはわからない。だが[あの姿]が尋常でないことぐらいはわかる。なのに今の私にはどうすることもできない。

 私はその冷たい岩の床に座り込んだ。


 

 数時間、いや数日経ったかもしれない。私はお腹がすくこともなく、眠くなることもなかった。だが、僅かに光が入るだけのこの場所では、時間の経過が全くわからなかった。


『咲夜……まだ早いんですよ……今出てきたら……』


 ふいに、ミシェルが言っていた言葉を思い出した。

「こういうことだったのか……」

 私は今までにないくらい後悔していた。

 

 今頃ミシェルはどうしているだろう……

 雄吾は?父さん、母さん、兄貴……皆どうしてるのかな。

 きっと心配してるだろう。

 私はこのままここで誰にも気付かれず、死んでゆくんだろうか……

 彼女もこうしてずっと、泣いていたんだろうか……?


 考えていたら涙が次々と溢れ出てくる。

 私はずっと静かに泣き続けた。



『女の涙は嫌いです』ミシェルはそう言ってたっけ……

 その理由、今度会ったら聞いてみようかな。

 いつ会えるかも、本当にまた会えるのかもわからないけれど……



 そう思いながら泣いていると、足元の岩に何か光るものがあるのに気付いた。

 どうやらそれは自分の涙でできた水溜りのようだった。大きさは十センチほどだろうか。

「水中なのに、水溜り?」

 不思議に思い、その光る水溜りを見てみた。


 揺れる水溜りに、何かが見える。

 人……?何か話している。

 私は急いでその水溜りに顔を寄せた。


「雄吾……っ?」

 私は勢いでその水溜りに手を突っ込んでしまった。


「うわっ!」

 瞬時にその中の水は大きく膨らみ、私の体を覆いつくした。驚いて手を引いたが、その水はみるみる私の周りに膜を張った。やがて、私の体全てに添うように張るその水の膜に、見覚えのある景色や人が映っているのが見えた。


「おい!雄吾!」

 大きな声で叫んでも、声が届かない。

 だが僅かな可能性を見つけたかのように、私は驚きと喜びでいっぱいになった。


 涙の水溜りで出来たその膜に映る景色が、少しずつリアルに見えてくる。

 自宅のリビングだ。まだぼんやりとしか見えない。



 しばらくして私は、本当にそのリビングのソファーに座っているような、不思議な感覚になった。


 視界にぼんやりと映る背の高い人影は、体格がいい。間違いなく雄吾だ。

《雄吾!うちに来てたのか!何やってんだよ!》

 嬉しさで興奮しながら話す私をよそに、雄吾は何か話している。だが、雄吾の声があまり聞こえてこない。不思議に思い、もう一度叫んでみる。

《雄吾!私は帰ってきたんだよ!》


 何かを話す雄吾は明らかに私に話しかけている。だが、私の声が届かない。

 私は雄吾に手を伸ばそうとした。だが、体が思うように動かない。


 おかしいと思っていると、どうやら私も雄吾と何か話しているようだった。

 


 徐々にその場に慣れたのか、周りのものがハッキリと見え始めた。

 見覚えのあるローテーブル、見覚えのあるオレンジのソファー、見覚えのあるテレビ、見覚えのあるグリーンチェックのカーテン、全て私の家にあるものだ。うちのリビングそのもの。カーテンは閉められ、電気がついている。時間は夜か夕方か……


 私は自分の部屋を見に行こうとしたが、体が全く思うように動かない。それどころか勝手に話し、勝手に動いている。どういうことなんだ……


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ