9
翌朝──。
二人は、草薙に案内されて、地下室の廊下を歩いていた。
「今、うちの所員が中心になって、住民の誘導を行っています」
草薙はいつもの落ち着いた声で、そう言った。
「時空竜巻の規模から考えても、少し離れればもう被害はないはずですから、うまくいけば死傷者はほとんど出さずにすむと思いますよ」
「……ウナをまっさきに移したほうがいいんじゃないか」
カラスは、ぼそりと呟くようにそう言った。
「あれだけの時空竜巻を、『滅び』の一つとして吸収しようとしたら、封印はまちがいなく破綻するだろうな。せっかく避難しても無駄に終わるわけだ」
「それが根本的な問題ですね。そのために残ってもらったわけですが」
草薙は、カラスの言葉に軽く頷いて、そう言った。
「ところで、封印が破綻すると具体的にどのような現象が起こるのか、予測できませんか?」
「簡単だよ。滅ぶのさ。……いや、そうだな。たぶん、一瞬で全てが終わるわけじゃないだろう。長いあいだの封印で、滅びの気は凝り固まって、ひとつの主体として存在しているだろうからな。具体的には──そう、龍、ということになるかな」
「龍?」
「あれだけの破壊的なエネルギーの顕現としては、最もありそうな形だ」
「そうですか……」
草薙は溜息をついた。
「おい。……そろそろ教えてくれてもいいだろう」
「何をですか?」
「どこに向かっているんだ? 滅びの気をそらす方法があるのか?」
「実験室です。方法は……まあ、あるといえばあるんですが、今はまだ教えられません」
「ちょっと待てよ。どういうことだ」
そう言って、カラスが草薙にくってかかろうとしたとき、草薙は、ぴたりと足を止めた。
「ここです」
廊下の右側に扉があった。
第十七実験室。
扉の上のプレートには、そう書かれていた。
*
ウナは、大型の魔力計測器の中に入って、じっと立っていた。
大きな支柱から、彼女を囲むように、金属製の輪がいくつも突き出ている。
この計測器は、天深盤と同じ原理のものらしいが、非常に複雑な構造をしていて、ただ見ただけではカラスにも仕組みがわからなかった。
少し離れたところにある目盛り板を草薙が見て、計測図にプロットしていく。
「この、腹部にあるものは、魔力文字が刻まれた呪符ですね?」
「ああ」
カラスは面倒臭そうにそう答えた。
「材質は布? 植物系の繊維──繰糸ですか」
「そうだ。そんなことまで分かるのか? その道具は」
「内臓の状態から何から、ぜんぶ分かります。医療用にも使われるくらいですから──」
言いながら、草薙は、手元の紙に何事かをすばやく書きつけた。
(魔力文字……か?)
カラスは、その手つきを鋭く見つめて、そう呟いた。
草薙はその紙を、横で待機していた若い職員に手渡す。受け取った職員は、すばやく後ろのドアを抜けて、さらに奥の部屋へと入っていった。
「……埋め込んだ跡がありませんね」
「月光にさらす前に埋めたからな。自然修復したんだろう。……おい」
カラスは、ついに我慢できなくなって、椅子を蹴って立ち上がった。
「何事かと思えば、ただの計測か? 何を考えてる」
「べつだん、何も──」
「嘘をつくな。昨日の様子といい、おかしいと思っていたんだ。今、呪符の模様を向こうの部屋に伝えたな? 複製するためか? どうして──」
「落ち着いてください」
少しずつ声を荒らげてきたカラスにかぶせるように、草薙は言った。
「なんでもありませんよ。ただの検査です。少しでも、事態を解決する糸口になればと思っただけのことです」
「だったら……答えろ。その向こうの部屋で何をやっている?」
「落ち着いてください」
草薙は重ねて言った。
言いながら、じっとカラスの瞳を見つめる。
草薙の目は、奇妙な暗さを持っていた。
月のない夜のように。
「なんでもないんです。ただちょっと検査するだけで。午後には終わります」
草薙は、薄く笑いながらそう言った。
カラスは黙っていた。
何もかもを吸い込む深さを、その目は、持っていた。
夜空に輝く月のように。
「だから、気にしないでください。落ち着いて……」
草薙は、一歩、また一歩と、カラスに近づいていった。
カラスは動けない。
二人は、目をそらさぬまま、少しずつその距離を縮めていった。
彼の目の中に、カラスはあらゆるものを見た。
たとえば夜空。
たとえば風の流れ。
たとえば──自分を産んだ母鴉。
それから、草薙は、懐から、小さなナイフを取り出した。
カラスは動けなかった。
そして──
「──やめて!」
ウナの叫び声。カラスははっと我に返った。
「やめて。私が開ける」
ウナは、奥へと続く扉のまえに立って、把手に手をかけていた。
「カラスから離れて」
そう言ったウナの言葉が終わる前に、カラスは草薙の手首をつかんでねじり上げていた。
「どういうつもりだ!」
大声で叫ぶ。
「……残念ですね」
草薙は、平静な声のままで、そう呟いた。
「もう少しで、うまくいくと思ったのに──」
「何がだ」
カラスは奥歯を噛みしめるように唸った。
「そこを開ければ分かると思いますよ」
「ふん……」
そう呟いて、草薙の顔を、思い切り殴りつける。
二度、三度。
草薙は床に転がった。
「ウナ、そこを開けてくれ」
そう言われる前に、ウナは、扉を開いていた。
──暗い、暗い部屋。
物見塔のなかによく似た湿った空気が、彼女の鼻をつついた。
衛史の仕事部屋にあったものと同じ培養槽が、部屋の中心にある。
そして、その中には──
「あ──」
ウナは、喉の奥から絞り出すような呻き声をあげた。
「これ……」
──培養槽のなかには、ばらばらにちぎれた少女の体が、たくさん浮かんでいた。
「おいッ!」
カラスは、怒りと驚愕が入り交じったような叫び声をあげて、部屋のなかに飛び込んでいく。
「出てこい。説明しろ」
唸り声をあげる。反応はない。
「出てこい!」
業を煮やして、獣のように吠える。
「──仕方ないわね」
本当に仕方なさそうな声音でそう呟いて、暗闇の中から、稗田が現れた。
「ばれちゃったら、しょうがないわ。協力して」
「……説明しろよ」
今にも噛みつきそうな勢いで、カラスは唸った。
「──外が騒がしいわね」
稗田は、カラスのことを気に留めた様子もなく、天井をほうをみてそう呟く。
「まあいいわ。──かわりが必要だったの」
「かわり、だと」
「ウナさんの力はもう限界なんでしょう。もう一人、同じ役目を負うものがいれば、また百年、保つ計算になるわね」
「ふざけるな!」
カラスは激昂して、稗田の襟首を掴んで培養槽に叩きつけた。
「何をしているのか分かってるのか!」
「仕方ないじゃない!」
稗田はカラスの顔を睨みつけてそう叫んだ。
「他にどうしろって言うの。街が壊れていくのを、ただ見ていろって言うの?」
「そんなことは言っていない。ただ──」
「あんたはどうでもいいんでしょうけど、私にとっては生まれた街なの! 救える方法があるなら、なんだってやるわよ! そういうものでしょ?」
稗田はそう叫んだ。
それから、二人はお互いをきつく睨みつけたまま、黙りこんだ。
二人の叫び声を、ウナは聞いていなかった。
ただ、じっと、培養槽のなかを見つめていた。
ちぎれた腕。
指のない手。
足首の断面。
瞳のない顔。
造られたものたちの死骸。
なぜだかは分からないが、悲しかった。涙が溢れてきた。
自分が壊されたような気がした。
透明なタンクの表面に、そっと手を触れる。
冷たいものが直に伝わってくる。
水槽のなかの緑色の液体があふれだして、彼女の脳裏を埋めた。
──出して。
──出して。
──出して。
──ここから出して!
「ア──ァ──ァ──アアアア!」
ウナは喉を嗄らした。
頭が痛い。
培養槽にしがみつくようにして、体を支える。
そしてその次の瞬間、タンクが粉々に割れ、中のものがすべてあふれだしてきた!
「ウナ!」
カラスが、ウナの手を思い切り引っ張って、引き寄せる。支えを失った稗田の体は、培養槽があったところに倒れこんだ。
地下は培養液で水びたしになり、たくさんの死骸が、部屋の中心に山のように重なった。
その山が、少しずつ動いている。
少しずつ──少しずつ。そばに倒れている稗田をとりこもうとするかのように。
「ちょっと……」
稗田は、すばやく身を起こしたものの、その場にへたりこんでしまって動けなかった。
「こ、来ないでよっ」
かろうじて動かせる手首を振り回して、それを追い払おうとする。
だが無駄だった。じわりじわりと、確実に近づいてくる。
「やめて──ッ」
ついに耐えかねて、稗田が絶叫しかけたとき
山の中から、一本の腕がぬるりと突き出て、彼女の足首をつかんだ!
「ウワア──アァッ! こ、こ、来ないで、放してッ!」
培養液のどろりとした感触。
すえた匂い。
濡れた手の、かすかな温もり──
そのすべてが、一度に彼女に触れた。
(温かい……?)
稗田は、振り回していた手を止めた。
足首を掴んでいる腕に、そっと触れてみる。
人の体温が感じられた。
「……生きてるの?」
両手で触ってみる。
その腕は、びくりと震えるように動いた。
少しためらうように止まってから、ゆっくりと、死骸のなかから這いだしてくる。
──それは少女だった。
ウナと同じような体つきをした、裸の──
「……成功か」
カラスは、ぼんやりとそう言った。
「そう……なの?」
稗田は、べたべたの床に座りこんだまま、少女を見上げてそう呟く。
少女は何も言わず、ただ稗田の前に立ちつくしているばかりだった。
ウナは、静かに少女に近づいていった。
自分と同じ体格をした少女。
同じ役目を負わされ、この世に生まれてきたもの。
その目のなかには、どんな感情も読み取ることはできない。
いや、まだ何も感じていないのかもしれない。
たぶん、自分も、初めはそうだったのだろう──
ウナは、そっと少女の肩を抱いた。
そうしながら、涙を流していた。
生まれてきたもののために。
少女のこれからのことを思って。
「ウナ──」
カラスは、彼女に声をかけようとして、ためらった。
稗田も同じ様子だった。
三人──いや四人は、そのまま動かずに、じっと黙ってたたずんでいた。
──そして、どれほどの時がたっただろう。
沈黙を破ったのは、草薙の叫び声だった。
「逃げて……逃げてください! 暴動ですッ!」
「何だって?」
まっさきに反応したのはカラスだった。入り口のほうを振り向いてそう聞き返す。
「街の人が暴動を起こしたんです! この建物に火がつけられました。早く逃げないと──」
「暴動だと? どうして……」
「避難誘導に失敗したんです! いいからこっちへ!」
カラスは部屋を出ようとして、ためらった。
その間に稗田が動いていた。彼女は草薙とウナのほうをみると、裸の少女の手を掴んで部屋を飛び出した。ウナもそのあとに続いた。
「暴動ですって。何故?」
稗田は部屋を出ながら、草薙にそう訊いた。
「よくわかりません。たぶん、避難命令が受け入れられなかったんでしょうが──」
「無理もないさ」
カラスが口を挟んだ。
「百年ものあいだ、何が来ても逃げる必要なんてなかったんだ。今さら、事情がかわったから、街を捨てて逃げろと言われても、納得できないだろうさ」
「そうかもしれません。とにかく身の安全を確保しましょう」
地下室を出ると、すでにそこには煙が充満していた。
「……これを」
草薙は、カラスと稗田に、一本ずつ細身の剣を手渡した。
彼自身もいつのまにか武装していた。ひどく似合わなかったが。
「護身用です。念のために」
「俺はいらん」
「ないと危険ですよ。──本当に殺気だっているんです」
「分かってる。だがいらんよ」
カラスは草薙に剣を押しつけた。
「お前らは持っておけ。俺は自分で脱出する。ウナを連れてな」
「しかし──」
「いいから。脱出口は?」
「あっちです」
草薙が、廊下の奥のほうを指した。そのとき
逆の方向から、かん高い足音と叫び声が聞こえてきた!
「うわァ──ッ! やめ……やめてくれッ!」
ざく……と、生々しい音。
「こっちだ! こっちに、まだ……」
「走れ!」
足音がこっちに向かってくる。
金属音。
三人は顔を見合わせ、走りだした。




