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月のふる街  作者: 楠羽毛
9/11

9

 翌朝──。

 二人は、草薙に案内されて、地下室の廊下を歩いていた。

「今、うちの所員が中心になって、住民の誘導を行っています」

 草薙はいつもの落ち着いた声で、そう言った。

「時空竜巻の規模から考えても、少し離れればもう被害はないはずですから、うまくいけば死傷者はほとんど出さずにすむと思いますよ」

「……ウナをまっさきに移したほうがいいんじゃないか」

 カラスは、ぼそりと呟くようにそう言った。

「あれだけの時空竜巻を、『滅び』の一つとして吸収しようとしたら、封印はまちがいなく破綻するだろうな。せっかく避難しても無駄に終わるわけだ」

「それが根本的な問題ですね。そのために残ってもらったわけですが」

 草薙は、カラスの言葉に軽く頷いて、そう言った。

「ところで、封印が破綻すると具体的にどのような現象が起こるのか、予測できませんか?」

「簡単だよ。滅ぶのさ。……いや、そうだな。たぶん、一瞬で全てが終わるわけじゃないだろう。長いあいだの封印で、滅びの気は凝り固まって、ひとつの主体として存在しているだろうからな。具体的には──そう、龍、ということになるかな」

「龍?」

「あれだけの破壊的なエネルギーの顕現としては、最もありそうな形だ」

「そうですか……」

 草薙は溜息をついた。

「おい。……そろそろ教えてくれてもいいだろう」

「何をですか?」

「どこに向かっているんだ? 滅びの気をそらす方法があるのか?」

「実験室です。方法は……まあ、あるといえばあるんですが、今はまだ教えられません」

「ちょっと待てよ。どういうことだ」

 そう言って、カラスが草薙にくってかかろうとしたとき、草薙は、ぴたりと足を止めた。

「ここです」

 廊下の右側に扉があった。

 第十七実験室。

 扉の上のプレートには、そう書かれていた。


                    *


 ウナは、大型の魔力計測器の中に入って、じっと立っていた。

 大きな支柱から、彼女を囲むように、金属製の輪がいくつも突き出ている。

 この計測器は、天深盤と同じ原理のものらしいが、非常に複雑な構造をしていて、ただ見ただけではカラスにも仕組みがわからなかった。

 少し離れたところにある目盛り板を草薙が見て、計測図にプロットしていく。

「この、腹部にあるものは、魔力文字が刻まれた呪符ですね?」

「ああ」

 カラスは面倒臭そうにそう答えた。

「材質は布? 植物系の繊維──繰糸ですか」

「そうだ。そんなことまで分かるのか? その道具は」

「内臓の状態から何から、ぜんぶ分かります。医療用にも使われるくらいですから──」

 言いながら、草薙は、手元の紙に何事かをすばやく書きつけた。

(魔力文字……か?)

 カラスは、その手つきを鋭く見つめて、そう呟いた。

 草薙はその紙を、横で待機していた若い職員に手渡す。受け取った職員は、すばやく後ろのドアを抜けて、さらに奥の部屋へと入っていった。

「……埋め込んだ跡がありませんね」

「月光にさらす前に埋めたからな。自然修復したんだろう。……おい」

 カラスは、ついに我慢できなくなって、椅子を蹴って立ち上がった。

「何事かと思えば、ただの計測か? 何を考えてる」

「べつだん、何も──」

「嘘をつくな。昨日の様子といい、おかしいと思っていたんだ。今、呪符の模様を向こうの部屋に伝えたな? 複製するためか? どうして──」

「落ち着いてください」

 少しずつ声を荒らげてきたカラスにかぶせるように、草薙は言った。

「なんでもありませんよ。ただの検査です。少しでも、事態を解決する糸口になればと思っただけのことです」

「だったら……答えろ。その向こうの部屋で何をやっている?」

「落ち着いてください」

 草薙は重ねて言った。

 言いながら、じっとカラスの瞳を見つめる。


 草薙の目は、奇妙な暗さを持っていた。

 月のない夜のように。


「なんでもないんです。ただちょっと検査するだけで。午後には終わります」

 草薙は、薄く笑いながらそう言った。

 カラスは黙っていた。


 何もかもを吸い込む深さを、その目は、持っていた。

 夜空に輝く月のように。


「だから、気にしないでください。落ち着いて……」

 草薙は、一歩、また一歩と、カラスに近づいていった。

 カラスは動けない。

 二人は、目をそらさぬまま、少しずつその距離を縮めていった。


 彼の目の中に、カラスはあらゆるものを見た。

 たとえば夜空。

 たとえば風の流れ。

 たとえば──自分を産んだ母鴉。


 それから、草薙は、懐から、小さなナイフを取り出した。

 カラスは動けなかった。

 そして──


「──やめて!」

 ウナの叫び声。カラスははっと我に返った。

「やめて。私が開ける」

 ウナは、奥へと続く扉のまえに立って、把手に手をかけていた。

「カラスから離れて」

 そう言ったウナの言葉が終わる前に、カラスは草薙の手首をつかんでねじり上げていた。

「どういうつもりだ!」

 大声で叫ぶ。

「……残念ですね」

 草薙は、平静な声のままで、そう呟いた。

「もう少しで、うまくいくと思ったのに──」

「何がだ」

 カラスは奥歯を噛みしめるように唸った。

「そこを開ければ分かると思いますよ」

「ふん……」

 そう呟いて、草薙の顔を、思い切り殴りつける。

 二度、三度。

 草薙は床に転がった。

「ウナ、そこを開けてくれ」

 そう言われる前に、ウナは、扉を開いていた。

 ──暗い、暗い部屋。

 物見塔のなかによく似た湿った空気が、彼女の鼻をつついた。

 衛史の仕事部屋にあったものと同じ培養槽が、部屋の中心にある。

 そして、その中には──

「あ──」

 ウナは、喉の奥から絞り出すような呻き声をあげた。

「これ……」

 ──培養槽のなかには、ばらばらにちぎれた少女の体が、たくさん浮かんでいた。

「おいッ!」

 カラスは、怒りと驚愕が入り交じったような叫び声をあげて、部屋のなかに飛び込んでいく。

「出てこい。説明しろ」

 唸り声をあげる。反応はない。

「出てこい!」

 業を煮やして、獣のように吠える。

「──仕方ないわね」

 本当に仕方なさそうな声音でそう呟いて、暗闇の中から、稗田が現れた。

「ばれちゃったら、しょうがないわ。協力して」

「……説明しろよ」

 今にも噛みつきそうな勢いで、カラスは唸った。

「──外が騒がしいわね」

 稗田は、カラスのことを気に留めた様子もなく、天井をほうをみてそう呟く。

「まあいいわ。──かわりが必要だったの」

「かわり、だと」

「ウナさんの力はもう限界なんでしょう。もう一人、同じ役目を負うものがいれば、また百年、保つ計算になるわね」

「ふざけるな!」

 カラスは激昂して、稗田の襟首を掴んで培養槽に叩きつけた。

「何をしているのか分かってるのか!」

「仕方ないじゃない!」

 稗田はカラスの顔を睨みつけてそう叫んだ。

「他にどうしろって言うの。街が壊れていくのを、ただ見ていろって言うの?」

「そんなことは言っていない。ただ──」

「あんたはどうでもいいんでしょうけど、私にとっては生まれた街なの! 救える方法があるなら、なんだってやるわよ! そういうものでしょ?」

 稗田はそう叫んだ。

 それから、二人はお互いをきつく睨みつけたまま、黙りこんだ。


 二人の叫び声を、ウナは聞いていなかった。

 ただ、じっと、培養槽のなかを見つめていた。


 ちぎれた腕。

 指のない手。

 足首の断面。

 瞳のない顔。

 造られたものたちの死骸。


 なぜだかは分からないが、悲しかった。涙が溢れてきた。

 自分が壊されたような気がした。


 透明なタンクの表面に、そっと手を触れる。

 冷たいものが直に伝わってくる。

 水槽のなかの緑色の液体があふれだして、彼女の脳裏を埋めた。


 ──出して。

 ──出して。

 ──出して。

 ──ここから出して!


「ア──ァ──ァ──アアアア!」

 ウナは喉を嗄らした。

 頭が痛い。

 培養槽にしがみつくようにして、体を支える。

 そしてその次の瞬間、タンクが粉々に割れ、中のものがすべてあふれだしてきた!

「ウナ!」

 カラスが、ウナの手を思い切り引っ張って、引き寄せる。支えを失った稗田の体は、培養槽があったところに倒れこんだ。

 地下は培養液で水びたしになり、たくさんの死骸が、部屋の中心に山のように重なった。

 その山が、少しずつ動いている。

 少しずつ──少しずつ。そばに倒れている稗田をとりこもうとするかのように。

「ちょっと……」

 稗田は、すばやく身を起こしたものの、その場にへたりこんでしまって動けなかった。

「こ、来ないでよっ」

 かろうじて動かせる手首を振り回して、それを追い払おうとする。

 だが無駄だった。じわりじわりと、確実に近づいてくる。

「やめて──ッ」

 ついに耐えかねて、稗田が絶叫しかけたとき  

 山の中から、一本の腕がぬるりと突き出て、彼女の足首をつかんだ!

「ウワア──アァッ! こ、こ、来ないで、放してッ!」

 培養液のどろりとした感触。

 すえた匂い。

 濡れた手の、かすかな温もり──

 そのすべてが、一度に彼女に触れた。

(温かい……?)

 稗田は、振り回していた手を止めた。

 足首を掴んでいる腕に、そっと触れてみる。

 人の体温が感じられた。

「……生きてるの?」

 両手で触ってみる。

 その腕は、びくりと震えるように動いた。

 少しためらうように止まってから、ゆっくりと、死骸のなかから這いだしてくる。


 ──それは少女だった。

 ウナと同じような体つきをした、裸の──


「……成功か」

 カラスは、ぼんやりとそう言った。

「そう……なの?」

 稗田は、べたべたの床に座りこんだまま、少女を見上げてそう呟く。

 少女は何も言わず、ただ稗田の前に立ちつくしているばかりだった。

 ウナは、静かに少女に近づいていった。

 自分と同じ体格をした少女。

 同じ役目を負わされ、この世に生まれてきたもの。

 その目のなかには、どんな感情も読み取ることはできない。

 いや、まだ何も感じていないのかもしれない。

 たぶん、自分も、初めはそうだったのだろう──

 ウナは、そっと少女の肩を抱いた。

 そうしながら、涙を流していた。

 生まれてきたもののために。

 少女のこれからのことを思って。

「ウナ──」

 カラスは、彼女に声をかけようとして、ためらった。

 稗田も同じ様子だった。

 三人──いや四人は、そのまま動かずに、じっと黙ってたたずんでいた。

 ──そして、どれほどの時がたっただろう。

 沈黙を破ったのは、草薙の叫び声だった。

「逃げて……逃げてください! 暴動ですッ!」

「何だって?」

 まっさきに反応したのはカラスだった。入り口のほうを振り向いてそう聞き返す。

「街の人が暴動を起こしたんです! この建物に火がつけられました。早く逃げないと──」

「暴動だと? どうして……」

「避難誘導に失敗したんです! いいからこっちへ!」

 カラスは部屋を出ようとして、ためらった。

 その間に稗田が動いていた。彼女は草薙とウナのほうをみると、裸の少女の手を掴んで部屋を飛び出した。ウナもそのあとに続いた。

「暴動ですって。何故?」

 稗田は部屋を出ながら、草薙にそう訊いた。

「よくわかりません。たぶん、避難命令が受け入れられなかったんでしょうが──」

「無理もないさ」

 カラスが口を挟んだ。

「百年ものあいだ、何が来ても逃げる必要なんてなかったんだ。今さら、事情がかわったから、街を捨てて逃げろと言われても、納得できないだろうさ」

「そうかもしれません。とにかく身の安全を確保しましょう」

 地下室を出ると、すでにそこには煙が充満していた。

「……これを」

 草薙は、カラスと稗田に、一本ずつ細身の剣を手渡した。

 彼自身もいつのまにか武装していた。ひどく似合わなかったが。

「護身用です。念のために」

「俺はいらん」

「ないと危険ですよ。──本当に殺気だっているんです」

「分かってる。だがいらんよ」

 カラスは草薙に剣を押しつけた。

「お前らは持っておけ。俺は自分で脱出する。ウナを連れてな」

「しかし──」

「いいから。脱出口は?」

「あっちです」

 草薙が、廊下の奥のほうを指した。そのとき  

 逆の方向から、かん高い足音と叫び声が聞こえてきた!

「うわァ──ッ! やめ……やめてくれッ!」

 ざく……と、生々しい音。

「こっちだ! こっちに、まだ……」

「走れ!」

 足音がこっちに向かってくる。

 金属音。

 三人は顔を見合わせ、走りだした。


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